アブソリュート・エゴ・レビュー

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父、帰る

2018-09-04 21:37:48 | 映画
『父、帰る』 アンドレイ・ズビャギンツェフ監督   ☆☆☆☆☆

 ズビャギンツェフ監督のデビュー長編『父、帰る』を英語版ブルーレイで鑑賞。定規で測ったような幾何学的風景と超美麗な映像、哲人タルコフスキーを思わせる重たい静謐と瞑想性はこのデビュー作から歴然としている。かつ、すべてを説明し尽くさず数々の謎をそのまま放置する大胆なスタイル、すべてのシーンにみなぎる冷たい緊張と不安感など、この監督はあらゆる点で最初から完成されていたことが分かる。

 ちなみにズビャギンツェフ監督はよくタルコフスキーと比較されるし、どう考えても共通するDNAがあるが、本人のインタビューによればアントニオーニにもっとも影響を受けたそうだ。意外である。

 さて、あらすじをかいつまんで説明するが、私の解釈を説明するには一通りストーリーの流れに触れないわけにはいかないので、ネタバレが嫌だという人はこの下を読まないでいただきたい。但し、言うまでもないが、この映画はあらすじを知ったからと言って興が殺がれてしまうようなものではありません。












 二人兄弟の少年たちと母親と祖母が暮らす家庭に突然、12年間不在だった父親が帰ってくる(不在の理由は説明されない)。翌日、少年二人は父親に連れられて釣りに出かける。父親は兄に命じて店を探させたり、不良が少年たちから金を脅し取るのを黙って眺めていたり、その後不良少年を捕まえてきて少年二人に殴るよう命じたり、弟を道に置き去りにしたりと、圧倒的な権威をもって気まぐれかつ残酷な神のように振る舞う。少年たちは父親の言動が理解できず、不安と怯えに苛まれる。

 川でしばらく釣りをした後、突然父親が出発を命じる。三人は海辺へとやってくる。やはり何の説明もなく、父親は子供たちにボートを漕がせて島へ渡る。父親はそこで何かを地面から掘り出す(それが何かは観客にも隠されている)。島から帰る直前、舟遊びをしていた少年たちは約束の時間に遅れ、兄が父親に殴られる。弟はついに逆上し、泣きながら父親にナイフを向ける。その後父親から逃げて塔に登り、ここから飛び降りると脅す。父親は少年を連れ戻そうと塔によじ登るが、手をすべらせて墜落する。少年たちは苦労して父の遺体をボートまで運び、海を渡るが、父の遺体はボートとともに海に沈んでいく。映画は、この旅行中に撮られた少年たちのポートレート写真とともに終わる。

 さて、この物語には一体どういう意味があるのだろうか。突然の父の帰還、暴君のように、あるいは絶対権力者のように振る舞う父。少年たちの屈折した愛情と不安と怯え、目的が分からない旅行。私は途中で、まさかこの父と子が最後にお互いの愛情に気づき、和解して抱擁し合って笑う、なんてヒューマンドラマになるんじゃないだろうなと思いながら観ていたが、まったくそんなものではなかった。もう全然違う。さすがズビャギンツェフ監督、観客を形而上学的迷宮の中に叩き込んで平然と終わるような、挑発的な映画である。

 まず分かりやすい解釈は、この父と子の関係に神と人間のメタファーを見るというものだろう。父は理不尽で残酷で、子供たちを愛していないわけではないようだが試すようなことばかりする。意図が不可解な、圧倒的な支配者として振る舞う。やがて子供たちは反抗し、父は死ぬ。が、死んだあと父は更なる重荷となって子供たちにのしかかってくる。子供たちは遺体を捨てるわけにもいかず、苦労し、協力し合いながら遠くまで運ばねばならない。しかし最後にはまたその苦労をも無為にするように、父の遺体は子供たちの手の届かない場所へと消え去っていく。

 あまり宗教的に見てしまうと理屈っぽくなってしまうが、別にこれを西洋的ないわゆる「神」と考えなくても、父性という漠然としたものと考えても良いと思う。私たちの人生に必ず影響を及ぼす、この世界の父性的な力というものの働きと神秘をこの親子に託して描いていると考えると、個人的にはかなり納得感がある。そう考えれば解釈が映画のポエジーを壊すのではなく、むしろ膨らませるような気がする。別の言葉でいえば、これは父という存在の力強さ、怖さ、懐かしさ、不可解さなどを抽出し、神話的なまでに荘厳に膨らませて描き出した映画なのかも知れない。

 父親は子供にとって、特に男の子供にとっては恐い存在である。自分より圧倒的に強く、自分をある意味気まぐれに罰する存在だ。と同時に、父は子供を愛しているし、子供もちゃんとそれを理解している。この映画の父親もまるで暴君のように振る舞ったが、決して子供たちへの愛情がなかったわけではないし、子供たちのことを考えていなかったわけでもない。最後にイワンを追いかけて塔に登ってきた時、父は確かに少年のことを心配していた。
 
 それにしても、どのシーンをとっても得体の知れない緊張感が張りつめた映画である。緊張感の度合いで言うとこれまで私が観たズビャギンツェフ監督作品の中で一番だろう。それに先の展開がまったく読めないので、観客はこの映画が何を言いたいのか常に不思議がりながら観続けなければならない。更には先に書いた通りいくつものミステリー、たとえば島で父が掘り出したものは何か、父は本当にパイロットなのか、12年間一体どこに行っていたのか、ドライブの途中誰に電話していたのか、などは説明されないまま放置されてしまう。まったくもって不親切である。

 が、それらはどれもギリギリ物語の本質を損なわない範囲であり、つまり結局は説明が不要なものということだ。こういうことを普通の映画ではつい(観客の知りたい願望を満たすために)説明してしまうが、それは無駄であり贅肉なのである。この映画を観るとそう思える。そうした説明がないことが、かえってこの映画を底知れないものにしているのだ。

 映像面、物語の構造面、演出面、そして形而上学性と、すべてにおいて圧倒的完成度を見せつける、驚異のデビュー作品である。



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