アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

都会と犬ども

2009-01-26 21:22:01 | 
『都会と犬ども』 バルガス・リョサ   ☆☆☆☆☆

 バルガス・リョサのデビュー長編。再読して評価上がる。これは傑作である。『緑の家』の方が代表作とされているが、個人的にはこっちの方が好きかも知れない。

 舞台はペルーの士官学校。寄宿舎で暮らす思春期の少年達を支配するのは、残酷な弱肉強食の掟である。タフで喧嘩に強くなければ一人前と見なされず、徹底したいじめと嘲弄の対象となる。酒やタバコ、賭博はもちろん、試験問題の盗みや売買まで行われる。上級生は下級生を呼び出して面白半分に暴行し、お互いを殴らせ、犬のように四つん這いにさせ、小便を飲むように命じる。すさまじい暴行である。そんな士官学校のあるクラスはジャガーと呼ばれる凶暴な少年の支配下にあり、ジャガーの「組織」は上級生への復讐や試験問題の売買を行っている。このクラスには「奴隷」と呼ばれてみんなからいじめられているおとなしい少年がいるが、彼は試験問題盗難事件の犯人を知り、教師に密告する。犯人は捕らえられ、処罰される。そしてある日、野外演習のさなか「奴隷」が頭を撃たれて死亡するという事件が起きる…。

 こうして読み返してみると、バルガス=リョサが後の有名作で縦横に駆使するテクニックのあれこれが、すでにこのデビュー作で出揃っていることに気づく。章ごとに過去形や現在形、一人称や三人称、客観描写やモノローグが入れ替わり、改行だけで自由自在に場面が飛ぶ。『緑の家』で特徴的だった「別人だと思わせておいて実は同一人物」という叙述テクニックも、非常に劇的な形で、効果的に使われている。そしてなんといってもプロットの構成、ストーリーテリングの巧みさ。序盤こそスロースタートだが、「奴隷」が死ぬ中盤からどんどん加速し、アルベルトがジャガーを殺人犯として告発してからはもうページを繰る手ももどかしい。社会的な題材の面白さ、思春期の残酷さや抒情性に加え、本書は極上のエンターテインメント小説でもあるのだ。

 この物語におけるキーパーソンは「詩人」のアルベルト(エロ小説を書いて売ったりラブレターの代筆をしたりしている)、「奴隷」のアラナ、ジャガー、ガンボア中尉である。アルベルトはこの荒廃した士官学校内でうまく世渡りしているが、「奴隷」の死に衝撃を受け、「奴隷」の友人でありながら彼を救えなかったことを後悔し、殺人犯としてジャガーを告発する。この訴えを聞いたガンボア中尉は公正な調査を進めようとするが、士官学校上層部の事なかれ主義に阻まれる。「自分の将来を台無しにしたいのか」と脅されるが、「軍人は自分の任務を果たすことで、軍人としての将来を閉ざすことはありえない」という自らの信念を貫こうとする。このガンボア中尉の信念と高潔さは非常に感動的で、この腐敗と汚辱を描いた作品の中で一筋の光のように輝いている。だからこそ、結末で彼が味わう幻滅と信じてきた軍隊への失望は痛ましい。悔恨の中から立ち上がり、勇気を持って行動を起こすアルベルトもやはり大人の現実を見せつけられ、失意とともに士官学校を去ることになる。という具合にこの小説の結末は苦く、ハッピーエンドとはいいがたいが、ガンボア中尉もアルベルトも彼ら自身が持つ高潔さによって救われることが予感され、決して後味は悪くない。ご都合主義なハッピーエンドでも荒廃しきったやりきれなさでもない、文学的で複雑な感動がもたらされる。

 しかしこの小説に仕掛けられたもっとも巧緻なトリック、そしてプロット上の離れ業はジャガーというキャラクターにある。暴力によってクラスを支配するジャガーは単純であからさまな悪役の一人として登場し、ストーリーが進むにつれますます悪役としての色彩を強めていくが、終盤の鮮やかなどんでん返しの中で実はアルベルトと匹敵する主人公の一人であり、複雑な内面を持った少年であることが分かる。彼はいじめと暴力支配の元凶でありながら、ある種の高潔さをもったヒロイックなキャラクターとして描かれる。終盤、ジャガーがガンボア中尉に会いに行くシーンはこの物語のクライマックスの一つだし、この小説のラストシーンを締めくくるのもジャガーの後日談である。ひょっとすると、この小説の真の主人公は彼だといってもいいかも知れない。

 本書は密林や修道院を舞台にした『緑の家』と比べるとラテンアメリカ的な土着性や濃密なムードは薄く(士官学校を舞台にしたこの物語はアメリカやヨーロッパが舞台でも同じように成立しただろう)、それが今ひとつ知名度と人気が低い理由ではないかと思う。いわゆるマジック・リアリズムでもないし、いじめという題材の暗さでもおそらく損をしているだろう。しかしその代わりに本書は社会悪告発ものの硬派なスリルと、寄宿舎を舞台にした思春期少年ものの暗く甘美なリリリズムの両方を持ち合わせている。文学的な感動がありながら娯楽小説の興奮を味わえるという、非常に魅力的な作品なのである。


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