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『アルゼンチン短篇集』 J. L. ボルヘス編 ☆☆☆☆
『ラテンアメリカ怪談集』を再読して面白かったものだから、ボルヘス編集のアンソロジー『アルゼンチン短篇集』も再読した。アンソロジーとしての趣向は非常によく似ていて、幻想的な短篇を集めたものだし一部重複する作家もいるが、あえて言えば『ラテンアメリカ怪談集』の方がバラエティに富んでいるのに対し、こちらはどれもボルヘスの趣味を濃厚に反映した、つまりどことなくボルヘス的な短篇が一堂に会している。幻想短篇といっても色々な作風がある中、観念的、形而上学的幻想に寄っているといっていいだろう。
『ラテンアメリカ怪談集』と同じように、各篇の印象を簡単に書いておく。
「イスール」レオポルド・ルゴーネス
猿は喋ることをやめた人間、という奇想を、わりとシリアスに膨らませた短篇。アメリカだったらオフビートなギャグを利かせるところだろうが、カフカやボルヘス的な形而上学的おとぎ話に近づくところがラテンアメリカ文学という感じがする。
「烏賊はおのれの墨を選ぶ」ビオイ=カサレス
ここにも私の大好きなビオイ=カサレスが収録されているが、これは『パウリーナの思い出に』に収録されていない貴重な短篇。やっぱりアイデアはSFで、異世界からの訪問者要するに宇宙人なのだが、肝心の宇宙人は一度も登場せず、すべて地球人たちの会話だけで話が済んでしまうのがビオイ=カサレス。要するに作者の関心は宇宙人にはなく、人間の反応の方が面白いということだ。
「運命の神さまはどじなお方」アルトゥーロ・カンセーラ/ピラール・デ・ルサレータ
事故にあった御者がタイムスリップする話だが、これはいかにもボルヘス的な、パラドックスをまじえた宿命論がベースになっている。
「占拠された家」コルタサル
『ラテンアメリカ怪談集』に収録されているのと同じ短篇。
「駅馬車」ムヒカ=ライエス
駅馬車に乗っているいわくある女を描く。人間の入れ替わりが中心のアイデアになっていて、やはりボルヘス的。
「物」シルビーナ・オカンポ
カフカ的な陰りを持った謎めいた寓話で、傑作だと思う。なくしたものがだんだん戻ってくるという不思議な現象をモチーフとし、生と死の境界線を描いている。
「チェスの師匠」フェデリコ・ペルツァー
これもカフカ的な寓話だが、「物」より寓意がはっきりしている。神についての短篇。
「わが身にほんとうに起こったこと」マヌエル・ペイロワ
時間がずれる話。これまた非常にボルヘス的、そしてそれ以上にビオイ=カサレス的な幾何学的幻想を扱っていて、この理屈っぽさが迷宮的なめまいさえ起こさせる。簡潔な描写力と暗示性を兼ね備えた文体、プロットのひねり、謎めいたオープン・エンディングと実に巧緻な短篇。
「選ばれし人」マリア・エステル・バスケス
甦って不死となったラザロの話。
ちなみに私のフェイバリットは、「烏賊はおのれの墨を選ぶ」「物」「わが身にほんとうに起こったこと」あたりである。それにしても、国書刊行会はビオイ=カサレスの短篇集をすべて邦訳して出してもらえないだろうか。
『ラテンアメリカ怪談集』を再読して面白かったものだから、ボルヘス編集のアンソロジー『アルゼンチン短篇集』も再読した。アンソロジーとしての趣向は非常によく似ていて、幻想的な短篇を集めたものだし一部重複する作家もいるが、あえて言えば『ラテンアメリカ怪談集』の方がバラエティに富んでいるのに対し、こちらはどれもボルヘスの趣味を濃厚に反映した、つまりどことなくボルヘス的な短篇が一堂に会している。幻想短篇といっても色々な作風がある中、観念的、形而上学的幻想に寄っているといっていいだろう。
『ラテンアメリカ怪談集』と同じように、各篇の印象を簡単に書いておく。
「イスール」レオポルド・ルゴーネス
猿は喋ることをやめた人間、という奇想を、わりとシリアスに膨らませた短篇。アメリカだったらオフビートなギャグを利かせるところだろうが、カフカやボルヘス的な形而上学的おとぎ話に近づくところがラテンアメリカ文学という感じがする。
「烏賊はおのれの墨を選ぶ」ビオイ=カサレス
ここにも私の大好きなビオイ=カサレスが収録されているが、これは『パウリーナの思い出に』に収録されていない貴重な短篇。やっぱりアイデアはSFで、異世界からの訪問者要するに宇宙人なのだが、肝心の宇宙人は一度も登場せず、すべて地球人たちの会話だけで話が済んでしまうのがビオイ=カサレス。要するに作者の関心は宇宙人にはなく、人間の反応の方が面白いということだ。
「運命の神さまはどじなお方」アルトゥーロ・カンセーラ/ピラール・デ・ルサレータ
事故にあった御者がタイムスリップする話だが、これはいかにもボルヘス的な、パラドックスをまじえた宿命論がベースになっている。
「占拠された家」コルタサル
『ラテンアメリカ怪談集』に収録されているのと同じ短篇。
「駅馬車」ムヒカ=ライエス
駅馬車に乗っているいわくある女を描く。人間の入れ替わりが中心のアイデアになっていて、やはりボルヘス的。
「物」シルビーナ・オカンポ
カフカ的な陰りを持った謎めいた寓話で、傑作だと思う。なくしたものがだんだん戻ってくるという不思議な現象をモチーフとし、生と死の境界線を描いている。
「チェスの師匠」フェデリコ・ペルツァー
これもカフカ的な寓話だが、「物」より寓意がはっきりしている。神についての短篇。
「わが身にほんとうに起こったこと」マヌエル・ペイロワ
時間がずれる話。これまた非常にボルヘス的、そしてそれ以上にビオイ=カサレス的な幾何学的幻想を扱っていて、この理屈っぽさが迷宮的なめまいさえ起こさせる。簡潔な描写力と暗示性を兼ね備えた文体、プロットのひねり、謎めいたオープン・エンディングと実に巧緻な短篇。
「選ばれし人」マリア・エステル・バスケス
甦って不死となったラザロの話。
ちなみに私のフェイバリットは、「烏賊はおのれの墨を選ぶ」「物」「わが身にほんとうに起こったこと」あたりである。それにしても、国書刊行会はビオイ=カサレスの短篇集をすべて邦訳して出してもらえないだろうか。
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