アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

マークスの山

2007-04-02 19:43:15 | 
『マークスの山』 高村薫   ☆☆☆★

 再読。昔人から借りて読んだことがあったが、またこの重厚でウダウダした世界に浸りたくなって文庫上下巻を購入した。

 山で死体が見つかる。一人暮らしの男が自白し、逮捕される。平行して、看護婦と病人の青年のあやしい関係が描かれる。青年と男は監獄で出会う。青年は精神を病んでいて、自分をマークスと呼ぶ。これがプロローグ。東京で殺人が起き、主人公の合田刑事登場。殺人は連続殺人となり、ヤクザからエリート財界人から検察まで巻き込み、しかも見えないところから巨大な圧力がかかってくる。連続殺人の被害者達の接点は何か、彼らが共有する秘密とは何か、そして合田達は犯人を逮捕できるのか。

 というストーリーだが、秋山駿があとがきで書いているようにあんまりミステリっぽくない。事件の謎がどうこういうより、警察内部のしがらみ、いがみあい、政治的駆け引き、キャリア・ノンキャリアの対立、そういう中で悪戦苦闘する合田刑事の心情、などがつらつらと描かれる。合田刑事も組織の矛盾の中で自分の首を心配したり、そういう自分に自己嫌悪を感じたり、放心したり、諦念を抱いたり、離婚した妻のことを思い出してさらにへこんだりしながら、それでも執念というかヤケクソで犯人にくらいついていく。とってもウダウダした世界である。事件や捜査を描くというより、ある事件を捜査する人々にスポットをあてて彼らの生態を描いてみた小説という感じがする。
 秋山駿はこれをミステリではなく「本格小説」と呼び、バルザック・タイプの小説といっている。また「組織と人間」というテーマにも言及している。確かにこの小説に出てくるのはみんな組織に属した組織人ばかりで、しかも常に強烈な組織のしばりを受けている。ちょっと組織の意に沿わないことをしたらもう人生終わるぐらいのイキオイで、横山秀夫の小説にもよくこういう世界が描かれるが、私みたいなのんきな人間にしてみれば、こんな人たちが本当にいるだろうかと不思議に思ってしまう。まあ警察とか検察とか霞ヶ関とかそういうあたりはそうなのかも知れない。実にうっとうしい。本書はそういううっとうしさが満喫できる小説である。

 作者の興味がそういうところに向っているためだと思うが、ミステリとしては物足りない部分も多い。例えば脅迫者である水沢を狙撃しようとしたりヤクザを雇ったり、どっちかというと被害者側の方があくどいことをやっていて、刑事の一人もそういう発言をしているが、結果的にそれらの悪行の落とし前は一切ついていないし、今後つくだろうという暗示もない。むしろすべては闇に中になってしまうと思われる。水沢が脅迫者になった過程もはっきりしないし、岩田と水沢の出会いの意味もはっきりしない。最大の問題は、合田刑事も事件の途中で疑念を持つように、記憶障害でほとんど痴呆状態だった水沢にどうやって犯行が可能だったかという点が何の解明もなしに放置されてしまうことである。
 それとも、深読みすればちゃんと分かるようになっているのだろうか?大体この小説はかなり不親切で、人々も腹芸ばかりで何も口に出さないことが多い。作者も解説してくれないので、話の展開に「え?なんでそうなるの?」となることも時々あった。
 
 まあとにかく、そういう意味でもかなり混沌とした小説である。読めば読むほどグチャグチャしてくる。この人はそういう小説が得意なようで、『レディ・ジョーカー』もそんな感じだった、というかあっちの方がさらにグチャグチャしている。しかしそのグチャグチャさが結構面白いといえば面白い。

 そういえば、主人公合田以外にも仲間の刑事がいてそれぞれユニークな個性が設定してあるが、人数が多くてあまり生かされているとは言いがたい。しかし出ずっぱりのペコこと吾妻刑事はなかなか良く、話のアクセントになっていた。あと合田の別れた妻の兄、つまり義兄の加納という検事が出てきてキーパーソンになっているが、すでに妹とは別れているのに突然アパートにやってきたり風呂を沸かしてくれたり、この二人の関係が微妙にモーホーっぽい。作者は「男の友情」的な描き方をしてるつもりかも知れないが、なんか変である。


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