アブソリュート・エゴ・レビュー

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山椒大夫

2007-03-31 17:02:05 | 映画
『山椒大夫』 溝口健二監督   ☆☆☆☆☆

 『近松物語』に続き、『山椒太夫』をフランス版のDVDで鑑賞。これもすごかった。

 今回は平安時代末期の物語。冒頭に、「これはまだ人間が人間としての自覚に目覚める前の物語である」というテロップが入り、これから始まる物語の神話性を予感させる。近世が舞台の『近松物語』や『西鶴一代女』にもどことなくおとぎ話的雰囲気が漂っていたが、古代の日本が舞台のこの作品ではさらにその印象が強い。なんていうのか知らないが、杯を伏せたような形の帽子を頭に乗せた田中絹代の格好だけで、もう濃密なおとぎ話の世界である。

 母と子供二人と召使が旅をしている。溝口監督の映画ということで、これから残酷物語が始まることはもう分かっていて、そのせいで最初から悲劇的な不安感が漂っているように感じられる。ちなみに、『山椒大夫』とは有名な「安寿と厨子王」のことで、子供が奴隷にされるというあらすじは大抵の人が知っていることだろうが、私は良く知らなかった。聞いたことはあったがよく覚えておらず、映画を見ているうちにうっすら思い出した程度だ。だから子供がさらわれるとか、そういう物語の展開も予想がつかない。この教養のなさゆえに、私は充分にハラハラしながらこの映画を観ることができた。はっはっはっ。

 さて、子供がさらわれる。このシーンが恐い。親切そうな巫女の婆さんがいきなり豹変するのも恐いが、叫ぶ母と子供が力ずくで引き離されるシーンはすごい迫力だ。溝口作品は静謐な映像だけでなく、アクションも素晴らしいというのがよく分かる。
 子供は山椒大夫に売られ、奴隷としてこき使われる。母は佐渡に売られて遊女になり、逃げようとして捕まり、脚の腱を切られる。かわいそう過ぎる。例によって溝口監督お得意の残酷物語だ。

 しかし残酷には違いないが、『近松物語』『西鶴一代女』と違い、この映画は善人達が一直線に不幸になっていくというストーリーではない。もとが説話ということもあるのだろう。厨子王は逃げ出し、国の守に出世して戻ってきて、山椒大夫のところから奴隷を解放する。一応、復讐を果たすわけだ。最後に佐渡に渡り、母と涙の再会を果たす。
 しかし、母は盲目になっているし安寿は死んでいるしで、ハッピーエンドというにはほど遠い。とても残酷な話であることも間違いなく、濃厚なおとぎ話的雰囲気も手伝って、映画全体からペローの残酷童話に共通するものを感じる。倉橋由美子が童話の明快な残酷さについて「精神に焼きごてをあてるような効果がある」といっているが、この映画にもそういうところがある。

 物語の細部では、いくつか気になるところもなくはない。厨子王は山椒太夫のところでこき使われている頃、絶望のあまり非情な人間になる。逃げだそうとした奴隷の顔に焼印を押したりして、嫌われ者になってしまう。つまり彼は一度山椒太夫側の人間になってしまうわけだが、その後改心するとは言え、こういう変遷はおとぎ話的明晰さをもった溝口世界では珍しい。珍しいだけじゃなく、私には今ひとつ説得力がないように感じる。どんな境遇にあっても良心を失わない安寿がどこまでも神話的キャラクターであるのに対し(彼女は厨子王改心のいけにえとして自らの生命を差し出す)、厨子王は人間的に描かれているといえるかも知れない。しかし、あそこまで厭世的になり、自分さえよければいいという非情に徹した厨子王が、逃げ出したあと急に良心的な人物に変貌する理由がよく分からない。

 それからもう一つ、『近松物語』では主役男女の情愛がテーマだったが、この映画では母子の愛というテーマの一方で、「人間皆平等」というテーマが語られる。奴隷制=悪というテーマそのものに異議はないが、こういう深層心理に訴えかけてくるような映画のテーマとしては人間の情念よりイデオロギー寄りで、ちょっと違和感を感じた。厨子王の行動原理を「人間は平等だ」というごもっともなイデオロギーに還元するのではなく、自分と妹の経験から導かれるやむにやまれぬ衝動、として描いた方が良かったのではないか。もちろん、厨子王が「私のような生活をしたものでなければこの気持ちは分からない」と言ったりして、そういう衝動が彼を動かしているのも分かるのだが。
 
 それから奴隷達の生活の描写、母子の再会シーンなどは、『近松物語』より情緒的な気がする。溝口のカメラの神の目のようなドライさが薄らいでいる。そういう意味では、『近松物語』より「泣ける」映画になっていると思う。

 という風に、ストーリー的には多少文句をつける余地はあると思うが、この映画の素晴らしさはなんといっても、それぞれのシークエンスが持つ強烈な呪縛力にある。おそらく、その呪縛力は『近松物語』『西鶴一代女』よりも強い。海辺で子供がさらわれるシーン、安寿と厨子王の耳に遠く離れた母の呼び声が聞こえるシーン、安寿が湖に入っていくシーン、脚が不自由になった母が佐渡の岬からわが子を思いながら海を望むシーン、山椒大夫の屋敷が開放された奴隷の手によって燃え上がるシーン、そして厨子王と母が再会するラスト・シーン。どのシーンも、間違いなく脳裏に焼きついて離れなくなる。まるで精神に焼きごてをあてたように。特に、安寿が湖に沈んで波紋が広がるシーンと、母が佐渡から海を眺めるシーンのインパクトは強烈である。まさに問答無用、英語のHauntingという言葉がぴったりだ。

 ところでこの映画で山椒大夫を演じている進藤英太郎は、『近松物語』でやっぱり悪役のおさんの旦那をやった役者さんだが、憎たらしくて最高である。演歌でも歌ったら似合いそうな塩辛くて力のある声がいい。それにしても山椒太夫はあの後どうなったんだろう。本来国の守が手出しをすることはできないって話だったし、舞い戻ってきてまた奴隷をこき使ったんだろうか。気になる。

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1 コメント

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権力 (sunaoni)
2020-01-11 22:54:11
今回は平安時代末期の物語。冒頭に、「これはまだ人間が人間としての自覚に目覚める前の物語である」というテロップが入り、
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現代が『人間が人間としての自覚に目覚めた時代』であるならば、どうでなければならないのか?.

「奴隷という、自分と同じ経験をした者達の望みである」、このように言って厨子王は朝廷から授かった権力を放棄した.

権力とはどういうものなのか.
山椒太夫は権力によって奴隷を支配し、得たお金を自分より更に上の権力者に貢いで、自分の地位と身の安全を守ろうとした.

権力とは人を幸せにするものなか、不幸にするものなのか?.
厨子王の後に悪い権力者が現れたら、元に戻るだけ.
良い権力者が権力を握れば良い世の中になる、そう考えているのが、『人間が人間としての自覚に目覚めない』と言うことである.
もう一度、『人間が人間としての自覚に目覚めた時代』とは.....

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