アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

売女の人殺し

2015-11-18 19:39:32 | 
『売女の人殺し』 ロベルト・ボラーニョ   ☆☆☆☆

 チリの小説家、ボラーニョの短篇集を読了。初ボラーニョである。

 初めて読んだのでまだ印象をまとめきれていないが、やはりラテンアメリカ文学に特有の「ノスタルジーや悼みや悔恨が入り混じった主観的な回想」の感覚があって、それが心地よい。マルケスやコルタサルほどではないにしろ文体に詩的な情緒のうねりがあり、またそれ以上に、上質の回想記が持つ一種の(いい意味での)とりとめのなさがあって、隠し味のような微妙な魅力になっている。簡潔にはしょられた叙述とリアルなディテールの稠密さが渾然一体となり、それが回想にリアルな肌感覚をもたらしているのである。

 冒頭の「目玉のシルバ」では、インドにわたった同性愛者のカメラマンが見る悲惨な境遇の子供たちが描かれる。身寄りがなく、去勢され、売春させられる子供たちである。グロテスクなまでに痛ましい。なるほどこういう作風か、と思いながら読み進めると「ゴメス・パラシオ」ではさびれた町を通り過ぎる「ぼく」のちょっとした他者との触れ合いが淡々と描かれ、「ラロ・クーラの予見」ではポルノ映画の制作がデフォルメ気味に語られる。そして「帰還」ではなんと亡霊が物語る死後の話となる。なかなか多彩である。リアリズムからシュールまで、社会派的題材から白昼夢的幻想まで幅広く取り込んでしまう懐の広さ、ある意味つかみどころのなさがある。

 あえて特徴を挙げるならば、まずはポルノ映画、殺人、亡霊、同性愛など、一種グロテスクなものへの嗜好だろうか。ちょっとバロウズに通じるものを感じる。そしてもう一つは、人生の悲惨な面、残酷な面を直視する姿勢。そのせいでどの作品もどこかメランコリックで、シニカルな諦念を漂わせている。決して空が青く晴れ渡った世界ではなく、薄曇りの世界である。また、さっき書いた「一種の(いい意味での)とりとめのなさ」とも関係すると思うが、どの作品もストーリー展開が予測不能である。どこへ転がっていくのかまったく分からない。常套というものがない。

 特に「B」とイニシャルだけで示される、多分作者自身と思われる人物が主役のいくつかの短篇では、一定期間内に、あるいはある場所に滞在している間に起きた出来事を淡々と、時系列に沿って、すべて現在形の文体で綴るという、この作家の「とりとめのなさ」を明瞭な形で示す作品となっている。そこに何かしらの観念があるにしても、それはテキストの背後に身を隠していて容易に見えてこない。容易に見えてこないが、それは確かにそこにあると感じさせる。このようなボラーニョの小説には題材やプロットに依存することのない、純粋にエクリチュールに身を委ねる快感がある。

 まるでバロウズやブコウスキーのような生々しく無骨な感覚と、コルタサルやフエンテスのような詩的でマニエリスティックな表現が入り混じった世界。そのつかみどころのなさ、黄昏のような淡い光の中にじわりと滲む痛ましさ。もっと読んでみたい、と思わせる作家だ。



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