アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

夜明けのロボット

2010-10-31 10:48:49 | 
『夜明けのロボット』 アイザック・アシモフ   ☆☆☆☆

 久びさに再読。アシモフの小説世界の中核をなす作品群としてはファウンデーション・シリーズとロボット・シリーズの二つがあるが、本書はロボットものの一つであり、地球人イライジャ・ベイリとヒューマンフォーム・ロボットのダニール・オリヴォーのコンビが活躍するシリーズの三作目である。最初から言うと『鋼鉄都市』『はだかの太陽』そして『夜明けのロボット』という順番になる。

 アシモフはSF作家だけれども、その作品にはいつもミステリ的要素が顕著で、ファウンデーション・シリーズでもロボット・シリーズでもそれは変わらない。ファウンデーション・シリーズは別名「銀河帝国興亡史」とも呼ばれ、ローマ帝国史に着想を得たアシモフが、一人の天才学者が設置した二つの「ファウンデーション」がいかに銀河帝国の衰退を食い止め、その復興を成し遂げるかというプロセスを描いた一大叙事詩だが、このシリーズの面白さはきわめてミステリ的で、つまり人工的に設置された二つの小さな「ファウンデーション」がその圧倒的不利の中でどのように侵略を逃れ、たび重なる危機を脱し、強大になっていくのか、そしてそれは心理歴史学者ハリ・セルダンのどのような予測と計算に基づくものだったか、という知的興味がウリなのである。実際に一つの危機を乗り越えた後には、主要人物による謎解きがある。

 一方、ロボット・シリーズの中核をなすのはかの有名なロボット三原則だ。つまり、第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない、第二条:ロボットは人間の命令に従わなければならない、第三条:ロボットは自分の身を守らなければならない、というあれだ。短篇集『私はロボット』は、大体においてまず奇妙な行動を取るロボットが登場し、ロボット工学者が三原則に則ってそれを謎解きする、という構成になっている。ロボットの行動はすべて三原則の組み合わせによってロジカルに解釈されるのだが、読者はたった三つのシンプルなルールから数々の異常な事件を作り出すアシモフの想像力に驚かされるだろう。

 それはこのイライジャ&ダニールのシリーズでも基本的に同じで、ある不可能犯罪が起き、それをこのコンビが捜査するのだが、事件には常にロボットが関係し、ロボットの行動は三原則によって論理的に説明される。

 さて前置きが長くなってしまったが、私はこのイライジャ&ダニールのロボット・シリーズが大好きで、もう何度読み返したか分からない。ミステリ、アクション、スリルとサスペンス、SF的な思考実験、個性的なキャラクター、そして心理的なドラマと葛藤。読みやすいし、娯楽作品として最高レベルの作品だと思う。それにイライジャとダニールのキャラクターがいい。気難しいベテラン刑事のイライジャと、完璧な容姿と人間離れした能力を持った宇宙国家オーロラのヒューマンフォーム・ロボット(つまり人間と見分けがつかないロボット)、ダニール。地球人のイライジャはロボット嫌いなので、最初の『鋼鉄都市』では無理矢理コンビを組まされたダニールに色々と嫌がらせをしたりする。もちろんダニールはロボットなので嫌な顔ひとつせず、淡々と冷静に、礼儀正しくイライジャに協力する。たまにそのスーパーな身体能力を披露して危機を脱したりするのがカッコいい。

 この『夜明けのロボット』で、イライジャは宇宙国家オーロラへ出張することになる。前二作で見せた事件解決能力を買われてオーロラで起きた事件を捜査しに行くのだが、物語の発端におけるイライジャの立場は絶望的だ。成功の見込みはほとんどなく、責任の重さは無限大。お先真っ暗である。まあ、このシリーズではいつもそうだが。

 今回の事件は人間の殺害ではなく、ダニールと同じタイプのヒューマンフォーム・ロボットがメンタル・フリーズアウトに陥って機能停止した、ひらたく言うと死んだという事件。そしてその犯人として告発されているのは、前二作にも登場したダニールの設計者であるスペーサー、ファストルフ博士である。

 ちなみにこのシリーズで宇宙人(スペーサー)というのはタコ型異星人のことではなく、地球以外の星に住んでいる人類のことであって、やっぱり人間である。ただしもはや地球とはまったく異なる文明であるため、そのメンタリティや生理(免疫機能や寿命など)は地球人とはまったく異なる。

 メンタル・フリーズアウトというのはロボットが三原則の板ばさみになって陽電子頭脳が焼き切れることで、たとえば自分がAを選択しても非Aを選択しても人間を傷つけてしまう、逃げ道はない、というような状況で起きる。が、高度な頭脳を持つヒューマンフォーム・ロボットではまず起きるはずがなく、誰かが意図的にそれを起こすことは更に不可能。もし可能だとするならば、それはロボット工学の第一人者でありヒューマンフォームの設計者であるファストルフ博士本人以外にあり得ない、というのが今回の事件なのである。この告発をひっくり返してファストルフ博士の無実を証明するのが、今回イライジャに与えられたチャレンジだ。果たしてイライジャはこの難問をどう解くのか。

 ところで今回、本シリーズにおいてイライジャとダニールに匹敵する重要なキャラクターが初登場する。ロボットのジスカルドである。ジスカルドはヒューマンフォームではない、旧式の金属製ロボットだ。その平凡な外見からダニールほど目立たないが、実はとんでもない能力を持っている。次作の『ロボットと帝国』ではイライジャが引退し、ダニールとジスカルドの二人が実質的な主人公となって活躍することになるが、このジスカルドは私のお気に入りキャラである。

 それから地球人イライジャは異国オーロラで様々な文化・習慣の違いに戸惑うことになるが、こうしたカルチャー・ショックの描写もまたロボット・シリーズの読みどころの一つとなっている。たとえば地球人は地下のドームで暮らしているゆえに戸外や広々とした空間に恐怖を覚えるが、イライジャは『はだかの太陽』のソラリアや本書のオーロラで、その恐怖心を克服しようと痛ましい努力を続ける。本書ではオーロラのパーソネル(つまりトイレ)でパニックに陥ったり、共同パーソネルが男女兼用だと知って青ざめる場面もある。

 それからもう一つ本書には大きな意味があり、それは先に述べたファウンデーション・シリーズとロボット・シリーズを繋げるための布石が、ここで初めて打たれたということである。もともとこの二つのシリーズはまったく別物で、ファウンデーション・シリーズにロボットは登場しないし、ロボット・シリーズの宇宙国家は銀河帝国とはまったく異なる。なぜそうなのか、とある時アシモフは考え、この二つを一つの歴史の中で矛盾なくつなげることはできないかと考えた。いやまったく、壮大な思いつきである。しかしアシモフは真剣にそれに取り組み、ロボットと人類の関係、ロボット社会の必然的な帰結などについて思索をめぐらせ、この成果を本作を始めとするシリーズ後期の作品群に反映させていくことになる。手はじめとして本作に「心理歴史学」なる言葉、つまりファウンデーション・シリーズの重要なキーワードが登場する。そして、ジスカルドがここでもまた大きな意味を持つことになる。

 アシモフはSF作家だがハードSF臭はなく、普段SFになじんでいない人でも読みやすい。このロボット・シリーズは特にジャンル小説というより、全方位的な、非常にバランスのとれた娯楽小説になっている。SFは苦手だという人も、ためしに『鋼鉄都市』『はだかの太陽』を読んでみてはいかがだろうか(『鋼鉄都市』はSFっぽいが、『はだかの太陽』はむしろ幻想的)。もし気に入れば、あなたの目の前にはロボット・シリーズとファウンデーション・シリーズという、めくるめく一大叙事詩の世界が広がっていますよ。


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