アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

繁栄の昭和

2015-01-12 21:51:40 | 
『繁栄の昭和』 筒井康隆   ☆☆☆☆

 筒井康隆久々の新作短編集を読了。いやまったく、小説を読む快感と愉悦をここまで感じさせてくれる短編集、そして作家は珍しいんじゃないだろうか。ひところの「凄み」はある程度薄れ、リラックスした心地よさが漂っていて、そういう意味ではこれより高品質な短編集はあるだろうし、これより感動的な小説もたくさんあるだろう。が、読む愉悦という意味では独特のものが筒井康隆にはある。昔、山下洋輔が「筒井さんがいろはにほへとと書くとそれがもう面白い」と言っていたが、それとどこかで関係があるかも知れない。あるいは、彼の書く文章は方法意識のカタマリみたいなものだから、それを読者が感じ取るということなのかも知れない。

 とにかく悠々自在、フォーマットなし、定型なし。小説って普通こうだろう、というような型をすっかり突き崩し、粉々に粉砕し、きれいに取っ払ったあとに出現する短篇小説の数々がここにある。冒頭の二篇を読んだだけでそれは明らかだ。この二篇は本書中もっとも凄みが漂う作品だが、いずれもミステリつまり探偵小説をモチーフにしている。といってもミステリ形式の短編というわけではなく、そういう匂いを纏っているという意味だ。しかも強烈なノスタルジーを感じさせる。これは「繁栄の昭和」という本書のタイトルもそうだが、昭和へのノスタルジーが一つのテーマとしてあるようだ。

 また、「昭和の繁栄」では文章のリフレインが効果的に使われていて、それが物語そのものを異化し、世界を歪めていく。読者には何がどうなっているのか分からないままテキストが展開し、不思議なめまいをもたらし、終わる。唖然としている読者を突き放したまま。二篇目の「大盗庶幾」は江戸川乱歩へのオマージュだが、完全に筒井康隆の世界と化している。ちょっと『聖痕』『ロートレック荘事件』のサロン的ムードもあり、不思議にヌクヌクした世界だ。

 いやあすごいなあ、と感嘆していると、次の「科学探偵帆村」のようなアホをきわめた短篇が出てくる。この短篇のアホさ加減はもう本当にアホで、昔筒井康隆が「パチンコをしていると色んなアホなことを考える。だからこのパチンコ屋の客の頭に浮かんでいるアホな想念を全部集めたら、そのアホは一体どれぐらいのアホだろうかと考えたりします」と言っていたが、まさにそれぐらいのアホである。今だにこんなアホな短編が書けるというのがなんとも頼もしい。

 それからやはり老境に入った気ままさからだろうか、趣味的なテーマが多いのも最近の筒井康隆作品の傾向で、本書では「リア王」や「メタノワール」で例によって演劇を題材にしている。「メタノワール」では深田恭子や北村総一朗や宮崎美子など、知り合いの俳優を実名で登場させている。これは読んでも面白いが、多分書いている本人が一番楽しいのである。

 一方で、「役割演技」や「つばくろ会からまいりました」では哀感が強く出ているのも特徴だ。特に「つばくろ会からまいりました」は、筒井康隆らしい幻想味と日常的な光景が融合した、ささやかながら強い印象を残す佳品である。

 最後に付録としてついている「高清子とその時代」は、エノケン映画などに出ているらしい高清子という女優についてのエッセーだが、私は全然知らない女優さんだ。以前作者がベティ・ブープについて書いていたようなものに近いと思えばよく、作者の映画マニアぶりが楽しいが、作者の妻に似ているというこの女優に対する思い入れや、ちょっとした夢の話なども交じえてあり、やはり筒井康隆独特のエッセーになっているのがミソである。

 全体としては、凄みがある作品、趣味的な作品、緩い小品などがまじりあったリラックスした作品集という趣だが、どれも「筒井康隆じゃなければ書けないなあ」という名人の刻印が打たれているには違いなく、私のようなファンにしてみれば、もはやその孤高の香りに触れるだけでも快感である。



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
リア王 (無銘)
2015-01-13 21:19:37
リア王のファース味溢れた所は、筒井康隆しか書けないと実感しました。
「一番良い酒は水のようだ」と言いますが、筒井康隆の書く作品はその域に達したのだなと感じます。
返信する
Unknown (ego_dance)
2015-01-20 10:00:42
まったく同感です。
返信する

コメントを投稿