アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

シャドー81

2016-05-01 22:01:30 | 
『シャドー81』 ルシアン・ネイハム   ☆☆☆

 1970年代の冒険小説の名作。長いこと絶版だったがこのほどめでたく復刊され、ようやく読めるようになった。私は昔、筒井康隆の『みだれ撃ち涜書ノート』でこの小説のことを知り、この手の小説ジャンルが行き着く先として必然的に登場した完成形、面白いのは当然、みたいなレビューにずっと読みたいと思っていたが、絶版のため長いこと読めなかった本である。そういうわけで期待感はかなり高かった。ちなみにこれは著者ルシアン・ネルハムが書いた唯一の小説らしい。

 そんなわけで期待感が高すぎたせいか、面白かったことは面白かったけれどもそれほどの感動はなかった。私はこの手の飛行機ハイジャックものは大好きなのだが、アーサー・ヘイリーの『大空港』の方が好みである。ざっくり特徴をまとめると、『大空港』の方はハイジャックに限らず空港に関わるいろんな要素と人間ドラマが絡み合う群像劇、『シャドー81』は戦闘機によるハイジャックというアイデアを直線的に突き詰めたクライム・サスペンスもしくは冒険小説、といっていいだろう。本書はベトナム戦争が背景になっていることもあり空軍関係者が多数登場し、ミリタリー小説的な雰囲気もある。

 第一部では、ベトナムで戦闘に従事するパイロットと中国で奇妙な船を注文する正体不明の男の行動が平行して描かれる。つまり準備段階であり、この時点で読者には彼らの目的や計画が全然分からない。そして第二部になり、ようやくハイジャックが起きる。準備が終わってハイジャックが起きるまで、200ページを要する。かなり長い。

 ハイジャックが起きてからは当然話が急激に盛り上がり、航空機のパイロットや乗客、管制官、警察、ジャーナリスト、ホワイトハウス内部などの緊迫した状況が平行的に描かれる。が、犯人側と対応側の虚々実々の駆け引きというようなものはあまりなく、またそれぞれのキャラが抱える人間ドラマのようなものも取り立ててない。たまたま航空機に乗っていた上院議員がハイジャック犯と交渉しようとしてドツボにはまるぐらいである。対応側はとにかくハイジャック犯を刺激しないように、彼らの言うがままに動く。特段のアクシデントも起きず、犯人側が意表を突かれてあわてるような場面もない。世紀のハイジャック計画は淡々と、ストレートに進んでいく。このあたりでの読者の興味は、ハイジャック犯は一体どうやって金の受け渡しをするつもりなのか、そしてどうやって逃走するつもりなのか、というテクニカルな側面に絞られてくる。

 もちろん、警察や政府関係者、軍関係者はハイジャック犯の正体について懸命に捜査を行うが、何も分からない。こうして犯人の思惑通りにことは進み、終盤、第三部の逃亡段階へと突入する。この後の展開には、礼儀として言及しないことにする。が、最後にあっと驚く大どんでん返しがあるかというとそうでもない、ぐらいは言っておいてもいいだろう。要するに、これは戦闘機を使ったハイジャックという前代未聞の犯罪計画の準備と実践とその結末を、時系列に直線的に、ずっと追っていく小説である。そういう意味では細部は非常に凝っているが、全体像は非常にシンプルといっていい。もちろん、シンプルで悪いことはないわけだが。

 私がヘイリーの『大空港』の方を好むのは、ハイジャックだけでなく大雪による滑走路のトラブル、住民のデモ、タダ乗り犯との駆け引き、簡易旅行保険制度の問題、などさまざまな要素が混然一体となって、後半に満を持して起きるハイジャック事件を大きな柱としてクライマックスになだれ込んでいく物語の交響楽的な豊饒さにあり、また、ハイジャック事件だけをとっても犯人と対応側のあの手この手のせめぎ合いがあるからだが、おそらくそれは人間ドラマを見せる群像劇の面白さであり、「冒険小説」としての色彩は本書の方がずっと強い。男が憧れるヒーロー的人物像が登場するという意味でも、いかにも「冒険小説」的だ。

 まあ実のところ、私は冒険小説というジャンルには弱い。名作といわれる作品もあまり読んでいない。読んで感動したのは『鷲は舞い降りた』ぐらいだ。戦闘機とかミリタリーにも関心がない。そんなわけで名作の誉れ高い本書にもさほどピンと来なかったが、冒険小説ファンの皆さまにはご容赦いただきたい。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿