アブソリュート・エゴ・レビュー

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コレクター

2016-04-28 21:07:51 | 映画
『コレクター』 ウィリアム・ワイラー監督   ☆☆☆☆

 所有しているDVDで再見。異常な物語である。蝶の収集家の青年が美しい娘を誘拐する。誘拐し、人里離れた屋敷に幽閉し、なにくれとなく面倒をみる。娘はおびえ、身代金が目的かそれともセックスかと問う。すると青年は、そのいずれでもない、自分は君の許可なく君の体に指一本触れるつもりはない。ぼくはただ君と知り合う機会が欲しいだけなのだ、と告げる。君にぼくのことを知って欲しい。そうすれば君は、ぼくのことを愛するようになるだろう、と。

 異常である。当然のように青年は反社会的な、非社交的な性格で、過去勤めていた銀行でも同僚たちから馬鹿にされていた。が、スポーツ賭博で大金を当て、今や働かなくても何不自由なく暮らしていける身分となった。そこで人里離れた古い屋敷を買い、自分が以前から憧れていた娘を誘拐したのである。物語は青年と娘のほぼ二人のやりとりだけで進む。登場人物と空間が限定された、きわめて演劇的な物語だ。第三者の視点、たとえば警察や娘の近親者などは登場しない。ワイラー監督は青年と娘の、異常な状況下における関係性だけに焦点を絞っていく。

 娘は当然怯え、青年を説得しようとし、逃走を試みる。仮病を使って青年を騙そうとする。それが無駄だと分かったら、次に取引を持ちかける。一定期間自分はここに滞在することを承知する、その代わり期間が終わったら解放して欲しい。私はあなたを警察に通報したりはしない。青年は合意し、二人の奇妙な生活が始まる。娘は閉じ込められた部屋の中で何枚も絵を描く(娘は美術学校の生徒である)。青年は甲斐甲斐しく食事を運び、彼女に似合うような服を取りそろえる。

 二人の心理と関係性はこの状況下で必然と思える過程を経て変化していく。観客は話の展開を大筋において予測することができるだろうけれども、にもかかわらず画面には常に異様なスリルがみなぎっている。それは青年の個々のリアクションの予測不能性によるものだし、娘の絶え間ない緊張と恐怖が観客に伝わるからだし、また出来事とその連鎖反応を的確な抑制をもって描き出すワイラー監督の技巧のせいである。たとえば、娘がシャワーを浴びたいと懇願する。青年は了解し、娘の手を縛っていったん外に連れ出す(娘が幽閉されているのは離れである)。外気に触れた娘は少しだけ散歩したいとせがみ、青年はそれをいったん承諾するが、娘の興奮を見て危険を感じ、すぐに中止する。母屋のバスルールに娘を連れて行き、扉の前で青年が見張っていると、不意に訪問者がドアベルを鳴らす。「助けて!」と娘は絶叫、青年は娘にさるぐつわを噛ませ、訪問者に対応するために出ていく。縛られた娘は必死に足を延ばし、蛇口をひねってお湯を溢れさせる…。

 サスペンスものにありがちなシークエンスだと思うだろうが、ワイラー監督が作り出す緊迫感は一種独特で、かつ、とてもデリケートだ。ちょっとした表情や視線の揺らぎが二人の心理をきめ細かに表現し、観客の関心を逸らさない。

 当然ながら、やがて青年が娘を開放すると約束した日がやってくる。娘は期待感で興奮しつつ、この土壇場で青年の機嫌を損ねないように、慎重に彼に接する。青年は微笑み、最後の夜なので晩餐に招待したいという。この日のためにプレゼントされたドレスを着て、娘は晩餐会のテーブルにつく…。この後話がどう展開するかは、観てのお楽しみである。

 この映画は渋澤龍彦が『スクリーンの夢魔』の中で取り上げていて、青年にとって美しい娘を閉じ込めるのは蝶の収集とまったく同じであり、また青年が反社会的な性格に設定してあるのはワイラー監督のエクスキューズに過ぎないと書いている。つまり、反社会的な病理を抉り出すという口実に隠れて、娘をさらって閉じ込めたいという男の暗い願望をスクリーン上に実現させたというわけだ。確かにそう考えると、警察の捜査やメディアの反応などの社会性がすっぽり抜け落ちている構成もうなずけるし、金やセックスなどの単純な欲望に直結しない青年の動機、そして行動も理解できる。この映画が通常のクライム・サスペンスとはまったく異なる感触を持っているのも、そのせいかも知れない。

 娘を誘拐して監禁するという題材は(特に現在の日本では)非常にタイムリーな社会病理的題材に思えるかも知れないが、この映画はそうした社会病理を考える、あるいは告発するといった類の映画ではない。これはそうした欲望そのものを、実は異常でもなんでもない普遍的なものとして描き出した映画なのである。美しい蝶を収集するのが当たり前ならば、美しい娘を収集したくなるのも当たり前ではないだろうか。そう考えた時、この映画の「コレクター」というタイトルが、あらためて不気味な響きをもって迫ってくる。



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