アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

石、紙、鋏

2010-07-27 22:23:56 | 
『石、紙、鋏』 アンリ・トロワイヤ   ☆☆☆☆★

 Amazonで取り寄せに時間がかかるというので見送っていたアンリ・トロワイヤの『石、紙、鋏』が在庫ありになっていたため、すかさず入手した。タイトルの『石、紙、鋏』というのはグー、パー、チョキで、ようするにジャンケンである。三すくみの状態のことだ。本作はパリを舞台に、三人の男女が奏でる愛の不協和音を描いている。例によってトロワイヤの筆は老練かつエレガントで、読書の愉悦をたっぷり与えてくれる。

 主人公のアンドレは32歳、パリに住む素人画家で独身、出っぱってきた腹を気にしている。そしてゲイである。女性と同衾することを考えると恐怖を覚えるらしい。穏やかで中庸を好み、世渡り下手なお人よしで、画家としての野心もさほどない。料理もうまい。彼は旅行先でヒッチハイク旅行をしている美青年のフレデリク=通称オレリオに出会う。しばらくしてオレリオは突然パリの家にやってきて、そのまま当然のごとくに居ついてしまう。ふたりは肉体関係を持つが、無軌道で自分勝手なオレリオの行動はアンドレを戸惑わせる。やがてオレリオはアンドレの女友達であるサビーヌとも関係を持ち、サビーヌもアンドレのアパルトマンに引っ越してくる。サビーヌとアンドレは友情で結ばれ、それぞれがオレリオと恋愛感情で結ばれている。こうして、アンバランスなトリオの同居生活が始まる。

 基本的には、大人で常識的なアンドレがオレリオとサビーヌに振り回される、というパターンで話が進む。オレリオとサビーヌはそれぞれ微妙に違うやり方で自分勝手なのである。無軌道で残酷、自分のことしか考えないオレリオは最初から厄介の種だが、時に友情に篤いように思えるサビーヌも、ここぞということろで信じられない行動を取って読者を唖然とさせる。

 この三人の関係と揺らぎ、そして崩壊の過程がこの小説の読みどころなのだけれども、個人的に一番印象に残ったのは本書の登場人物たちのゆるくてお気楽なライフスタイルだ。アンドレを含め彼らのライフスタイルは実に気ままで、やりたいことをやりたいようにやりながら生きている。それはサビーヌに子供が生まれても一向に変わらない。これは意図的にこういうキャラに作ってあるのか、それともパリの人々というのはこういうものなのか。私も独身時代マンハッタンのアパートで暮らしていた時は日本より自由で開放的な友達づきあいが非常に心地よかったが、それを更に徹底したような世界である。

 つまり何人かで部屋をシェアしたり、結婚もしないで子供を生んであっけらかんとしている友達がいたり、学生と会社員と映画監督が一緒に酒飲んでたりする世界。良し悪しは別にして、そこに私は憧れとノスタルジーを混ぜ合わせたような甘酸っぱいものを感じた。この小説の中の登場人物はみんな先行き不透明な、何がどうなるか分からない、けれども結局はどうにかなるだろうという無責任な楽観をベースに人生を送っている。オレリオやサビーヌの無軌道ぶりに呆れ、時に腹を立てながらも、「終わりなき日常」などといってストレスで煮詰まってしまう日本人より、ひょっとしたらこっちの方が健全かも知れないと思ったりもした。

 ところで主人公のアンドレは素人画家で、彼が知り合いのレストランの内装を引き受けたり、リトグラフの制作をしたりという場面がたくさん出てくる。今回は『サトラップの息子』『クレモニエール事件』のような書く行為こそ出てこないが、創作という行為のひめやかな喜び、スリルはそこここにちりばめられていて、それも本書を読む悦びの一つである。


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