崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

続・ゴミ

2011年06月15日 05時21分43秒 | エッセイ
 最近私のブログを同僚の教員や職員そして学生たちも読んでくれることがわかった。昨日のゴミに関するブログに二人の学生の本山大智君と岩下慶次君がコメントを書いてくれた。本山君は古物へ、岩下は新しいものへ関心を寄せた。古いものでも今は不要であってもとっておきたいが粗大ゴミに分類せざるを得なかった。しかしそれのためにゴミ捨て場や倉庫のような感があった。しかし少しづつ整理することが楽しくなった。事務の担当者にきてもらって見せてから捨ててくれないかと一語言って置いた。ゴミを捨てるまで1ヶ月以上は待たなければならないと思ったがよく協力してくれたことに感謝である。午後部屋に入って驚いた。粗大ゴミをきれいに捨ててくれた。まったく新しい空間になって全体が美しくなった。
 捨てることが新しい世界を生み出すようなことは以前にも書いたように、大震災地でも山のようなゴミ処理の最中であるが、美しく再生することを期待する。必要に応じて「作り」、使い「捨てる」ことは人間文化の源泉であろう。物作りが文化創造のように言われているが、実は使って捨てることがもう一つの文化創造である、一つのプロセスである。食べる食文化が強調されるが、トイレの文化も含めて考えるべきであろう。国によっては食べ物に愛着はあっても排泄文化が進んでいないところが多い。粗大ゴミを捨てるところで終わるのではない。それがどうなるのかも気になるところである。

ゴミ

2011年06月14日 05時21分21秒 | エッセイ
 友人の石本社長が私の東亜大学・東アジア文化研究所の所長就任祝いにパステル画で富士山を描いて持ってきた。それを掛けるために研究所を案内した。美術が好きな方であり、彼の生活空間もきれいにしておられる。彼は古い椅子や机などを全部捨てて新品でそろえるように言われた。彼だけではなく、数人の方も捨てるほうに賛成であった。物が古くても使えるようなものは使いたい私とは反対意見であった。私は困った。古物、新品、ゴミの概念は何であろうか。新品から古物へ、そしてゴミになっていくのは物だけではない。ぎりぎりまで使ってから捨てるのが普通であろう。
 広い教室を、研究会、展示会、映画館、図書室、談話室など学内、学外で多様に使ってもらいたい。古い物と新品が混在する空間になるかもしれない。しかしセンスのある新鮮な場になればと考えている。有効に利用できるような施設にしたい。配置と壁の処理などで環境美化、そして機能的な構成にしたい。
 

「一人暮らし」

2011年06月13日 05時26分56秒 | エッセイ
 家内が旅行中、私は「一人暮らし」の二日目、そう感じている。私が旅行に出ることは多くても逆なことはめっだいにない。完全に一人ぽっちになった子供のような気分である。世の中には一人暮らしの人が多い。どのように暮らしているか同情する気持ちになる。その分、私は自立していないと感ずる。まず対話がなくなったこと、面倒を見てくれないことの喪失感である。食事の仕度や薬を飲むまでの細かい役割が失われた。その上やらなければならないことがある。犬の面倒もそうである。家内が私が食べるようにはしてくれているが釜、鍋、入れ物などそのままで、形式や品のない食べ方をして自ら惨めな雰囲気である。ただ自分の口に合うもの、処理すべきものを優先的に食べる。食後の片付けもせざるを得ない。
 一人暮らしの方、誰でも一人になるかもしれない。私は昨日大雨の中に傘をさして大学のオープンキャンパスに参加してきた。バスと電車を利用して、途中本屋にも寄った。このような私の生活ぶりをわが世代の韓国人から見るとかわいそうに見えるかもしれない。韓国であれば親族の中で、大家族の中で、敬老思想(?)によって大事にされるかもしれない。しかし時代は変わった。一人暮らしや核家族へ小規模化している。現代人は自立の楽しさを求めているかもしれない。私は自立心は欠けていると痛感しているところである。明後日からは中国で大学間協定にスピーチをする予定である。私が出かける番である。

犬の散歩から考える

2011年06月12日 06時14分15秒 | エッセイ
 家内が留守中に犬の散歩が心配であった。以前私が連れて行っても歩かず、走らず止まってたばかりであったからである。しかし今度の散歩では歩いてくれた。それは犬との信頼関係の増進であろうと感じた。犬と家内とは信頼関係の太いもの、私は時々怒ることもあって、全面的な信頼はなかったようである。しかし最近私と一緒にいる時間も長く、犬が本当に私のパーソナリティを知って、信頼できるようになったようである。
 人への信頼も同様である。人によっては、仕事よりもパーソナリティに異和感を持つ人が多い。今、菅総理もそのようなパーソナリティの人であるようである。その人に強いリーダーシップを要求するのは無理であろう。資本主義とは、ほぼすべてを資本とする時代になり、パーソナリティもよい資本であることを認識しなければならない。中には売り物にしてはいけないことがある。命と愛は売り物にしてはいけない。パーソナリティを超えて人を愛することもできるからである。

私の研究のオリジナリティ

2011年06月11日 05時18分24秒 | エッセイ
 私は最近植民地時代の韓国の巫俗に関する二人の研究を詳細に調べてそれぞれオリジナリティ(独創性)を検討した。それは私の研究のオリジナルティに関することでもあった。昨日名古屋大学の浮葉正親氏から『シャーマニズムの諸相』(勉誠出版)が送られてきた。私の説を紹介してくれたので感謝であり、当時を思い出して不快感も浮き上がった。
 私は大学で植民地時代の秋葉隆の自称弟子といった(『朝鮮』)任宰先生の教えで秋葉の「巫俗」を研究し始めたころの話である。私は全羅道の巫俗を調査してダンゴルという世襲巫が巫俗には含まれるがシャーマンではないことを発見した。そこにはエリアーデ、シロココロフなどの外書を参考にして1968年韓国文化人類学会の全国大会で主張し、反響を得たのである。しかしまったく外書を読んでいない、主に国文学者たちにはあまりにも唐突な私の説を否定する反対する運動のような雰囲気があった。特に済州島や全羅道地方の研究者からは「なぜわが地域のムーダンがシャーマンではないか」と、学問外のナイーブな世論のような文がでた。私はこの理論を強化しようとして新しく創刊される『韓国民俗学』に論文を寄せたのである。一年後に学会誌がでたのをみたら、その編集を担当した故金泰坤の先頭論文に私とは真反対の理論、世論を代表するような文を書いて、次に私の論文が乗せられているのをみて私のオリジナリティが盗まれたと思ったのである。それは被害妄想的なことではない。それが韓国シャーマニズムの2大説として引き継がれているといるのである。
 私の説や理論に反対することは別に悪くもないが、私の論文を事前に読んだ人にオリジナリティを盗まれたことは数回書いたことがあっても広く届かなかった。今度秋葉と村山の二人のオリジナリティを検討したのは自分自身の問題でもあった。私はその後植民地研究へ注力したがそのオリジナリティはきちんと認められたい。

CBC「韓国のお葬式」を聞く

2011年06月10日 05時15分55秒 | エッセイ
 先日6月6日朝8時半頃から中部日本放送CBC「韓国のお葬式」の録音CDが送られてきて聞いてみた。自分の話し方は照れくさく聞きたくないけれども聞いてみた。二人のアナウンサーが対話形式でよくまとまった内容でわかりやすかった。CNNなどではアナウンサーやリポーターより現地の住民が話者としてよく語ることも多い。このたびは古川アナウンサー(写真)が非常によく私の下手な言葉を捉えて下さり、長く話した内容をよくまとめて語ってくれてよかった。インタビューでは私が哭のかけ声の「アイゴー」を英語でI GO つまり私も行く(死ぬ)のように解釈したことを二人は面白いらしく「なぜ韓国の葬式で英語なのか」などと語っていた。
 長い間インタビューで人の話を聞いてきたが、この度は私自分自身が話者になって情報を提供した。その情報を持って再構成して面白く、わかりやすく語ってくれた。私の趣旨として韓国の葬式を日本と比較して「表現様式の差」を語り、それが聴者に効果的に伝わったと評価したい。しかし時間的制約で重要なところが落とされたところもある。感情と表現様式の関係の説明が生かされなかった。つまり悲しさは同じであっても日韓のその表現は異なるという説明が抜けていた。自分が発信している多くの話が相手にどのように受け止められて記憶に残るか、さらに生かされていくのか、気になる。今日の講義で聞かせて議論したい。

東大東洋文化研究所の真鍋祐子教授

2011年06月09日 05時18分41秒 | エッセイ
 昨日の本欄に東大東洋文化研究所の真鍋祐子教授が「私は先生のそうした教育信念に救い上げていただいた者だと、ずっと感謝しています」とコメントを書いた。彼女との出会いは古い。おそらく30年ほど前に彼女から韓国語の手紙をもらったことから始まった。後に筑波大学大学院に進学、そして彼女が韓国大邱の拙宅を訪ねてきたことを覚えている。その前後はわからない。彼女が韓国啓明大学の日本語教師になり、拙著『恨の人類学』を日本語訳をし、カメラマンの加藤啓氏の紹介で平河出版社から発行され、私は彼女と太い縁になった。その本を通して加藤氏、有名作家の李恢成氏とも親しくなった。加藤氏と二人でのシベリア旅行、李さんとはサハリン調査などを共にすることもあった。彼女の結婚式にも出席した。彼女は民衆の恨の民衆化運動をテーマにして調査をして『烈士の誕生』などを出して、一躍学問を深めていって東大の東洋文化研究所の教授になった。彼女の夫の金子氏を韓国の大学へ推薦、単身赴任しているのは心に若干残る。
 私こそ「救い上げていただいた者だ」と言いたい。『恨の人類学』の恨を通しての明るい人間関係であり、学問の同行者である。私は常に研究と教育は影響しあうことと思い、最善を尽くしたい。その現場をまだ持ち続けられることは幸せと感じ、感謝している。「入学時の偏差値や大学名で学生を切り捨てる先生だったら、突然押しかけていった無名の大学の学生を受け入れてはもらえなかったろうと思うからです」というコメントにも感謝である。

「皆が天才」

2011年06月08日 05時38分51秒 | エッセイ
 週3科目の講義に全力を尽くしている。学生には入学時点での偏差値はZERO、皆が天才と宣言した。モチベーションを与え、勉強への刺激を与えると十分勉学効果をあげることができる経験を持っている。私はスパルタ式の方法はとらない。私語があった場合はそれを全員での話題として共有させる方法をとる。私の授業は10人ほどが一つのテーブルを囲んで自由な雰囲気で議論する方式である。知識注入式の方式は若干の説明以外はしない。日本人の学生たちはこのような授業方式にはなれておらず隣の学生と私語をし、集中しないこともあるが、だんだん慣れると思う。昨日紹介した本は私が丁度彼らの年、つまり大学1年生の時に先生と議論した本、Erich Fromm, Escape from Freedomであった。『自由からの逃避』の「逃避」とは何か、自由の価値を知らない人に自由を与えるとうまく成し遂げることができず暴力を招くという内容である。自由が放縦でないことを独裁国家の分析に使われた理論である。
 小さいな集まりでも自由と民主的な生活を学びあうことができる。その上、授業は楽しくあるべきである。入学の偏差値は無視して、卒業の偏差値は高い教育を目指している。学生たちの協力を呼びかけ、本当の「名門化」を図っている。

東北弁の聖書

2011年06月07日 05時13分54秒 | エッセイ
 目下博士課程の医師の倉光誠氏から東北の医師の山浦玄嗣氏(写真)訳の聖書を大被災地献金支援活動の一環として購入したものをプレゼントしていただいた。朗読用のローマ字の文とケセン語訳文が対照されている。訳者はふるさと気仙地方の言葉『ケセン語』を研究し、『ケセン語入門』(1987)などの著書があるひとである。イスラム教や仏教などの経文はできれば原典重視の思想が強いが、キリスト教のプロテスタントでは地方の言葉で翻訳されて親しまれるようになっている。特に新約聖書は証言や書簡文である。まず宣教と伝道に歩くイエスの姿、伝道の旅の心を地域の方言で聞くのは聖書をよく理解することになる。訳者は釜石市、気仙郡越喜来村育ちであり、気仙語で訳した。私は東北弁のリズムはわかっても理解できないが、秋田出身の家内は聞いて懐かしい表情をする。
 牧師や神学者たちは注釈的、あるいはエピソード的に語ることが多く、「人に説教」のような読み方をすることが多い。旅人の心、伝道の心を素直にキャッチするためには方言でも、自分の言葉で読むことが大事であろう。韓国では伝統的な音楽のパンソリで歌ったものがある。しかし聖書は読み解釈ではなく、思考と実行の生き方へ焦点を置くべきであろう。

表紙写真

2011年06月06日 05時01分30秒 | エッセイ
 ソウルの出版社社長から今度出るエッセー集の表紙の写真に下関での生活が現れいる写真が欲しいと電話があった。わが夫婦と愛犬ミミと一緒に撮られた写真がなく、新しくとることにした。朝の散歩道で関門海峡を背景にしたが曇って、午後晴れた時に撮る事にした。久しぶりに夏日となり、大学はオープンキャンパス、研究所準備会などで忙しく時間が流れた。帰宅してわが家族3人(愛犬含め)がベランダに立って門司港を背景に、隣の主婦にシャッターを押してもらった。早速出版社へ送った。後はブックデザイナーに任せることにした。
 私は父母との家族写真はなく、お祖父さんの還暦祝いに親族写真が一枚あったのが写真額にいれられ、壁にかけられていたことを思い出す。絶縁、離縁、無縁となった部分が削られていて、それも戦争中紛失したようである。最近コンピューターでトリムすることが多い。トリミングとは写真などの画像から必要ではない余白などを切り捨てることである。また「ペイント」を利用して画像の中の部分を削除することもできる。このように削除しながら自分史を考える時にふっと自分も削除されてきたもの、また永遠に消えていくことに気がつく。

人が残した音楽テープ

2011年06月05日 05時20分52秒 | エッセイ
 研究所室として使用させていただく所を片づけたり配置したりする作業をしている。そこに2個のタンボルに音楽テープが200個以上あるのをみつけた。ポップからクラシックまで音楽と演奏と作曲法などまで複写録音して題をつけてある。最初はごみ処理にしようと思ったが見ているうちに作った人の音楽愛好家、その熱心さが伝わってきた。私はそれに尊敬心がわいてきた。誰が残した物だろう。
 おそらく今は転出した前の副学長の佐野先生であろうということになった。佐野氏は音楽の愛好家であり、地域住民を対象に音楽会を定期的に主催していた。私は2回ほど聴いたことがある。ある日バスの中で彼が弓をもっているので話を交わしたことがある。彼は弓を練習すると言っていた。その時の話が彼との一番長い会話である。
 音楽が専攻でもない人が好きであることから成し遂げられる力に私は圧倒された。私はこれらのテープを保管して自ら戒めとすることにした。いつか彼を招いて音楽の話を聞きたい。

国旗敬礼・国歌斉唱

2011年06月04日 05時20分59秒 | エッセイ
 年何回かは韓国や日本の国歌・国旗に関する儀式に参加する。反抗意識も服従意識もなく儀礼的に礼をする。時々内村鑑三のような「不敬」を起こして度々話題を呼び起こす人々がいる。内村は反帝国主義よりキリスト教の偶像崇拝という信仰上の行動であった。国歌・国旗に関する儀式、そのものはキリスト教とは関係がないはずである。ただ当時は国家神道という宗教的な要素が強かったから内村が抵抗したのである。しかし現在の日本では国旗・国歌は宗教を背景にしておらず、象徴に過ぎないと思う。さらにいうと儀式は世俗的なものである。握手やお辞儀のような類であろう。
 私は韓国の国旗、日本の国旗に礼をすることで何にも抵抗は感じない。私も青年時代は抵抗した。今考えてみると未熟なことだと思う。今住んでいる日本や住んでいた韓国の国旗に礼をすることは当然だと思う。

「旅は道連れ、世は情け」

2011年06月03日 05時51分48秒 | エッセイ
現在は観光が国際化の象徴的な現象である。一昔前までは海外旅行が自慢話になったが、今は広く世界を回ってきた人が多くなり、観光は珍しくない。しかし大部分の方は旅先の記憶が薄れ、行ったこと意外には詳しく話をしてくれない。アメリカの人類学者のビクトルターナーは旅先で人々と出会いお互いに身分や地位を忘れ、無階級な状況で人は変わっていくと主張した。日本の古い言葉で「旅は道連れ、世は情け」というそのものである。それは旅では道連れ同士が助け合い、世渡りではお互いにおもいやりをもってするのがよいという意である。
 今世界的に観光政策をし、重要視する国家が多い。観光はイギリスで旅から観光へ発展したが、いまや観光から旅へ逆戻りすべきだと思う。私は現地調査を通して世界を多く旅したが、さらにいろいろな所に移り住み、人生そのものが旅だったともいえる。今住んでいるところも旅先であろう。昨日数人の同僚が協力して書棚を運んでくれた。新しい研究所室に溜まったごみを捨ててくれた人がいた。それが思いやりである。この私の「旅先」ではいつも思いやりがあった。川端康成の「伊豆の踊り子」を読みながら主人公の20歳の高等学生と私が20代に旅芸人を調査しながら、彼らと一緒に旅をしたことと重なる。それが私の研究の原点である。
 
 


名古屋のラジオにインタビュー

2011年06月02日 04時13分02秒 | エッセイ
 名古屋地域のラジオCBC1053「気分爽快」の番組のために古川枝里子アナウンサーから韓国の葬式について電話インタビューをうけた。放送予定日は6月6日朝8時20分からであるという。葬式では賑やかな雰囲気、特に大声での泣きをもって日本との違いに触れた。悲しさは同じであっても泣くこともそれがそれぞれの文化の表現様式が異なることについて語った。葬式は死の尊厳であり、親孝行の源泉という儒教の精神も語った。
 日本人の言語表現は相手を尊重しながら反論するようなレトリックになっている。しかし昨日の党首討論は異様であった。自民党の谷垣総裁が菅総理に最初に面前から「あなたは辞めるべき・・・」と話すのを聞いて彼の高慢さ、無礼さに落胆した。教養のある人であれば世界中、どこにも面前で相手を侮辱することばから討論をするところはない。それに比して菅総理はジェントルであった。相手を全面否定するような討論は乱暴すぎである。教養のある討論ではなく、とても残念であった。

ディズニーランド

2011年06月01日 06時07分35秒 | エッセイ
 観光人類学という講義で「ディズニーランドの巡礼観光」を扱った。10人の日本人の学生の一人を除いて、3回が1人、2回が2人、その他1回つづすでに行っているということは意外であった。ただ一人の学生は行けず授業で皆の話についていけなかったということで残念がった。いずれ彼も行くのではないかと思う。私には日本のディズニーランドはにせものという偏見のようなものがあり、関心がなく、カリフォルニアや東京、大阪に行く機会があってもそれらを見ることはなかった。しかしこのように人が行っているということはそのテーマパークは十分成功したと思われる。
 日本ではそれを真似して失敗したものが多い。たとえば倉敷のドイツ村、呉のユートピア、熊本の炭鉱村など数多くある。アメリカのディズニーランドはアメリカの国民の4人に1人がすでに行っているという。その成功の秘訣は何か、私はそれに注目した。それは人を「楽しませる」ことに尽きる。氏原君は「楽しくするというのは大事だ」とメールを送ってくれた。
 講義も楽しくなるようにするのが成功であろう。しかし失敗する時もある。教育は楽しさをもっと深く、高いレベルにおける楽しみを持たなければならない。私は楽しまれる立場より、楽しませる環境をどう作っていくべきかを講義のテーマにしている。現在は昔の学校や軍隊のようにスパルタ式では無理であろう。百貨店やスーパーなどももっと楽しむような配慮が必要であろう。いろいろな経営者がディズニーランドから学ぶところは多いと思う。