崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

CBC「韓国のお葬式」を聞く

2011年06月10日 05時15分55秒 | エッセイ
 先日6月6日朝8時半頃から中部日本放送CBC「韓国のお葬式」の録音CDが送られてきて聞いてみた。自分の話し方は照れくさく聞きたくないけれども聞いてみた。二人のアナウンサーが対話形式でよくまとまった内容でわかりやすかった。CNNなどではアナウンサーやリポーターより現地の住民が話者としてよく語ることも多い。このたびは古川アナウンサー(写真)が非常によく私の下手な言葉を捉えて下さり、長く話した内容をよくまとめて語ってくれてよかった。インタビューでは私が哭のかけ声の「アイゴー」を英語でI GO つまり私も行く(死ぬ)のように解釈したことを二人は面白いらしく「なぜ韓国の葬式で英語なのか」などと語っていた。
 長い間インタビューで人の話を聞いてきたが、この度は私自分自身が話者になって情報を提供した。その情報を持って再構成して面白く、わかりやすく語ってくれた。私の趣旨として韓国の葬式を日本と比較して「表現様式の差」を語り、それが聴者に効果的に伝わったと評価したい。しかし時間的制約で重要なところが落とされたところもある。感情と表現様式の関係の説明が生かされなかった。つまり悲しさは同じであっても日韓のその表現は異なるという説明が抜けていた。自分が発信している多くの話が相手にどのように受け止められて記憶に残るか、さらに生かされていくのか、気になる。今日の講義で聞かせて議論したい。