崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「シャッターを押してください」

2011年06月27日 05時02分10秒 | エッセイ
 カメラを持って歩く人は多い。中には一人で自動シャッターを設定して自分の人物写真を撮る人を見かける。多くの人は赤の他人にでも頼んでシャッター押してもらう。シャッターくらいは誰でも押すことができる時代になった。それよりもカメラが押しやすくなったのである。私はシャッターの押し方を習ったことがない。ただ軍隊で銃のトリガーを押すことを時間かけて習ったことが役に立つ。標的に焦点を当てて呼吸を止めてソフトに引く。カメラも同様に被写体に焦点をあててシャッター押すことにしている。韓国では軍隊の兵役を終えた人が多く、そのような人にシャッターを任せると問題がないが、経験のない人に依頼するとカメラが動くほど下手な人もいる。銃の発射は命を落とす瞬間を狙うが、カメラでは美しく、意味のある瞬間を撮る。前者は殺す、亡くすこと、後者は採る、生かすことに目的がある。
 先日エッセイ集の表紙用の写真をわが家のベランダで家族写真として撮るとき隣の園田さんにシャッターを押してもらった。数枚の中から一枚が表紙になり、本が出版されて一番に彼女に記念に差し上げた。彼女は大喜び、その写真を拡大して額に入れてプレゼントしてくれた。今度はこちらが大喜び。自動シャッターで写真を撮る人は人に迷惑をかけずに自分の意図のまま撮れる長所がある。しかし私は一度も自動シャッターを使ったことがない。昔の新派調映画ではハンカチを落として拾ってくれた人と縁を結び烈愛になることもあった。赤の他人に自分の美しい表情の瞬間を撮ってもらうのはよい社会生活の始まりであろう。現代社会では赤の他人はいない。いつ自分の知人、友人、お客さん、読者になるかわからない、ポテンシャルな縁を持つ人である。シャッターを押すくらいで迷惑を意識している人、過剰にいうと迷惑を意識すぎる人こそ孤独死の人になるかもしれない。