崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

国旗敬礼・国歌斉唱

2011年06月04日 05時20分59秒 | エッセイ
 年何回かは韓国や日本の国歌・国旗に関する儀式に参加する。反抗意識も服従意識もなく儀礼的に礼をする。時々内村鑑三のような「不敬」を起こして度々話題を呼び起こす人々がいる。内村は反帝国主義よりキリスト教の偶像崇拝という信仰上の行動であった。国歌・国旗に関する儀式、そのものはキリスト教とは関係がないはずである。ただ当時は国家神道という宗教的な要素が強かったから内村が抵抗したのである。しかし現在の日本では国旗・国歌は宗教を背景にしておらず、象徴に過ぎないと思う。さらにいうと儀式は世俗的なものである。握手やお辞儀のような類であろう。
 私は韓国の国旗、日本の国旗に礼をすることで何にも抵抗は感じない。私も青年時代は抵抗した。今考えてみると未熟なことだと思う。今住んでいる日本や住んでいた韓国の国旗に礼をすることは当然だと思う。