崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

嫉妬対策

2011年06月26日 06時24分54秒 | エッセイ
 先輩教授と新しい企画プランを立てる会議に、彼が広く研究協力者を求めることが大事であるが、近い人たちの「嫉妬対策」も考えないといけないと言われた。このことに関しては彼だけの話ではない。有名作家数人からも周りの嫉妬は怖いといわれたことを覚えている。韓国では一般的に嫉妬は「女の専有物」のようにいわれるが、人は男女とわず他人から刺激され、競争にもなり、プラスの面もある。浮気に対する非難の元は独占と嫉妬である。キリスト教では神は嫉妬すると明言している。嫉妬の領域は狭いのが一つ特徴である。身の回りの人からのものが多い。したがって偉大な人物も自分の周辺からは認められていない。またレベル差がそれほど開きがない間柄の人に起きる。学問的にも差の開きが大きいと尊敬するか圧倒されるが、嫉妬者自身がその差が小さいと感じるとき、嫉妬は強く噴出する。また嫉妬は陰で行なわれる。しかし大義名分や慇懃無礼などの行為で現れることもある。
 嫉妬者がグループ化すると足を引っ張る作業は本格化する。被嫉妬者が肯定的未来志向に比して嫉妬者は否定的で非協力者である。前者は個人的であるが、後者はグループ化する事が多い。「村八分」にすることが彼らの理想である。大雑把に日韓を比較すると日本人の嫉妬は見え難く、質濃いと思う。それは嫉妬に止まらずいじめ、差別など多様化している。私は韓国でも被嫉妬者として辛い思いがないわけではないが、日本で住み続けてここまでこれたことは不思議な感もする。それは私が成長期に被差別の体験を持っていない「長所」にあると確信する。私だけではなく、人それぞれ被嫉妬の経験があるだろう。それに負けるか、勝つかはその人の人生の成功か失敗であろう。人間は自然に生きるべきではあるが、生存競争のために戦い続けなければならないる面もある。