崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

辛い過去は決して無駄な過去ではない

2011年06月22日 06時21分56秒 | エッセイ
 
 夏にはマクワウリを食べるのが好き。昔韓国で高速バスがサービスエリアに休憩のために寄った短時間に私が3個も自分で剥いて食べるのを見た人からマクワウリが好きな人といわれたことがある。たまにソウルのホテルに泊まると知人たちがマクワウリを買って訪ねてくる人がおり、それがダブって過分に食べることがある。今度の誕生日にもマクワウリとメロンを多くいただいた。二人がソウルから持ってきてくださり、もう一人は日本からわざわざ注文したものを持ってきて下さった、その他メロンなどをいただいて「マクワウリ豊作」のような光景になった。うれしい。
 マクワウリの味だけではない。私の嗜好物であることを知って持ってきてくださったことに感謝である。また別のことを思い出す。広い畑の中に高足小屋を立てて見張りしながら売り場にもなっている農村の天然の原風景が甦ってくる。スイカが農村で栽培するようになったのはその後である。いくら豊作といっても夏のものであり、その季節以外には見ることもなかった。1960年4月19日革命のとき副大統領の李氏宅からスイカが見つかって、国民がその贅沢さに怒ったことがある。私の幸福のバロメーターは朝鮮戦争であり、それによって幸福感を持っている。辛い過去は決して無駄な過去ではない。