ひっそりと、しっかりと

2011年02月12日 23時59分59秒 | 日記
決して隔日更新になったわけではありません。
春休み、やることも少ないのに、時間が経つのが早いです。
模型も作っているわけですが、もう少しで完成しそうな気配です。お楽しみに!


さて!
最近街を歩いていて宝探しのように見つけているホーロー製の町名看板。
全て戦前に設置されたもので、外交官の描かれたイラストは森下仁丹の宣伝も兼ねています。今でも数百枚が現存しているとの話も…。
そんな仁丹の町名看板、復活の動きもあるようで、その戦後第1号が市役所に設置されたことを10日の京都新聞で知りました。

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戦後第1号の仁丹町名表示板、京都市役所に設置
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20110210000143

京都市内の街角に掲げられ親しまれている仁丹の町名表示板を増やすため森下仁丹(大阪市)は10日、戦後初の町名表示板の第1号を中京区の市役所に設置した。
 新しい縦長のほうろう製看板には、市役所の住所である「中京区寺町通御池上る上本能寺前町」と手書きされている。森下仁丹の駒村純一社長が門川大作市長に手渡し、寺町通沿いの庁舎の外壁に掲げた。
 2010年度は公募で選んだ市内12町内会に計18枚を贈り、11年度以降も設置する方針。門川市長は「変わらない京都の街の象徴。大切にしたい」と話した。

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いやぁ、嬉しいことです。
しかも戦前の設置当時は上京区と下京区しか行政区分が存在していなかったので、これにより中京区や左京区、伏見区などバリエーションが広がることになります。
書体も独特の手書きというところに味があり、戦前からの長きに亘って街を見守り続けてきた看板は、個人的にはもうひとつの文化財に値するものだと思っています。
新しい看板も場所を知らせるという使命は変わらず。これからも末永く街に在り続けてほしいものですね。


写真は梅小路公園にもほど近い場所にある町名看板。
経験上、1枚見つけると近くにも数枚掛かっていることが多いように思います。

いつも違う道

2011年02月10日 23時59分59秒 | 日記
最近毎日のように街を歩いています。
元々は試験期間中の食べ過ぎの解決策として始めたものですが、これがまたおもしろい。
だんだん長距離を歩くようになってきて、昨日も行き帰りは一日乗車券でしたが、哲学の道を銀閣から南禅寺、そして平安神宮まで歩きました。そしてふらっと喫茶店に入って休憩することも覚えました。


そして今日はというと、母親のお遣いでイオンモールの金券ショップを目指してウォーキング。
もちろんそれだけで済まないのが僕なので(笑)、まずは模型店に寄ってからイオンモールへ、それから京都駅を八条口から烏丸口まで縦断。
烏丸七条からは月曜日に歩けなかった通り(間之町通、高倉通など)を歩き、渉成園(枳殻邸)や市比賣神社を横目に河原町正面へ。この辺りも今まではバスで通るだけだったのですが、点と線しかなかった世界が新たな面を構成していく様子は楽しくてたまりません。

旧町名表示のホーロー表示板を2つほど見つけて鴨川を渡ると川端正面。
そのまま正面通を直進しました。かつての京都大仏に真っ直ぐ至る道なので「正面通」と名付けられた経緯がありますが、今でも目線の向こうに豊國神社が見える辺りは十分な追体験になると思います。大仏はどんな感じだったのでしょうか。もし残っていれば東山地域では間違いなく清水寺に並ぶ観光スポットになっていたことでしょう。見てみたかった気もします。

それから昨年の「京都学特別講義」の巡検で訪れた河井寛次郎記念館の周辺を適当に歩いていると五条坂へ。
目の前に広がる殺風景な京都の大動脈には、「もう来てしまったのか」という驚きと、「そろそろ終わりにしなければ」という寂しさが入り混じっていました。
でも、夕方に近づいてちょうど寒くなってきた頃。本来の用件を大きく逸脱した外出を締めくくるべく、バスに乗って徒歩よりもずっと短い時間で帰ってきました。


写真は渋谷大和大路から少し西に入ったところ。
五条通のすぐ裏側には、昔ながらのこんな風景が広がっています。

雨が降れば

2011年02月08日 23時59分59秒 | 日記
「何か手を動かしたい!」
そう思って、今日は久々に模型製作をしました。
試験が終わって以来、レイアウトは少し弄っていましたが、車両を扱うのは初めて。
目の前にあった放置中の四国2000系(プラ板からのフルスクラッチ)の製作を久々に進めました。何かこう、徐々に形になっていくのがいいですね。
果たして完成するのかどうなのか。まぁ頑張ってみます。


さて、京都市交通局から3月26日のダイヤ改正の概要が発表されました。
最終便を遅くする(回送の営業化)・経路変更・分設停留所の統合・新設停留所などなど、そこそこ頑張っている様子が分かります。
個人的に気になったのは、西大路三条~山ノ内間に新設される「三条春日」停留所。言わずもがな三条通と春日通の交差点付近に設置される停留所です。
実はこの区間は京都市バスの他、京都バスと嵐電が併用軌道で走っていて、3つの事業者の言わば競合区間にありながら、バスと電車の停留所の区間が同じという状態が長らく続いていたんですね。
嵐電も駅間が短いことが特徴ですが、この西大路三条~山ノ内は意外と長く、ここに来てようやく京都市バスは2社との差別化を図ることが出来ます。まぁ、単にそれだけなんですけど(笑)、税務署も近いのである程度の利用は見込めるでしょう。

他には最終バスの時間繰り下げも目立ちました。
しかし、他の都市と違って0時を過ぎても走っていないのは相変わらずです。それこそ「かわらまち・よるバス」などを0時過ぎに1本ほど設定してもいいような気がしますが、そこからはタクシーの出番、或いは「いざとなれば歩いて帰れる」というのが京都人共通の意見なのかもしれません。現に、僕も終電や最終バスを気にして遊んだことはありません。

夕方からはバイトでした。
今日は1時間早く入ったのですが、採点を始めるとあっという間でした。
周りの人にもいろいろ教えてもらって、徐々に慣れてきたようにも思います。
来週からはもっと時間が拡大します。子どもたちの名前も早く覚えなければいけないなと思う今日この頃です。


写真は三条春日付近を走る嵐電。
江ノ電塗装も年度末までです。遭遇は運次第ですが、山陰本線の183系と合わせて是非どうぞ。

地図を描いて

2011年02月07日 23時08分17秒 | 日記
昨日はかなり歩き回ったので、今朝は気持ちの良い目覚めでした。
「タンゴエクスプローラー」はもう1回か2回撮りに行きたいと思っています。こちらは車両がなくなるわけではないので、7連の「北近畿」と比べると幾分静かな感じがしました。


今日は試験の打ち上げとして、よく遊ぶ男女4人でスイパラに行きました。
待ち合わせ時間の15時まではかなりヒマだったので、思い切って徒歩で四条河原町まで。要は「フィールドウォーク」と称して歩くのが好きなんですね。
せっかくなら市バスの通らない細い通りを行こうということで、碁盤の目を斜めにジグザグ進むことに。
梅小路公園脇から木津屋橋界隈をぶらぶらと、七条堀川から烏丸六条、河原町御幸町から御幸町通(ごこまち)を北上。
河原町通と御幸町通は本来ならば南北に平行している通りですが、ところがどっこい、河原町通が四条から五条の間で斜めに走っているために、それまで平行していた寺町通・御幸町通と合流してしまうんです。
もう一つ面白いのは、河原町御幸町と河原町五条が実質的に同じ場所だということ。いつも市バスで通り過ぎるところなので、実際に歩いてその奇妙さを楽しむことが出来て良かったです。
時間はまだまだあったので、高辻通から木屋町へ、鴨川に出て三条まで上った後、河原町三条から河原町通を南下して、待ち合わせ場所のOPA前には15時ちょうどに着きました。

結局2時間歩きっぱなし。
やはり歩いて楽しかったのは下京区ですね。私的トワイライトゾーンである「トンネル状になっている路地」も多く、それらを構成するいわゆる「町家」には旧町名を記したホーロー表示板が未だに掛かっていたりして、とてもボーッとしながらは歩けませんでした。
また、京都駅に比較的近いせいか古くからの旅館もあり、西本願寺・東本願寺の関係からも仏具のお店が多く、観光化も何もされていないありのままの京都の姿がこんなに近いところにあったとは驚いた次第です。もちろん再訪の余地も十分にあるでしょう。

スイパラでは、久々に会った友達と(おそらく)過去最大に…食べました。
やはり2~3ヶ月に1回行くのがいいですね。スイーツのみならずパスタやカレー、スープも充実しているのが嬉しいです。平日ということで空いていたのも良かったです。
帰りは流石に歩くわけにはいかなかったのですが、せっかく四条に来たということでジュンク堂で文庫本を物色、バスで帰ってきました。
まぁ、遊びにバイトにお稽古に、予想に反していろいろと充実した春休みを過ごせています。それらの一つひとつが、来年度への礎となれば幸いです。


写真は鴨川中州で寒さを凌ぐ渡り鳥(?)。
河川敷と街中では体感温度が若干違います。だからカップルは等間隔に身を寄せ合うのか…?

オオサカエクスプローラー

2011年02月06日 22時14分10秒 | 日記
せっかくの春休み。日曜日。
そうだ、福知山線内で「タンゴエクスプローラー」を撮ろう!

というわけで、今朝は早起きして自転車で洛西口駅まで。
阪急を乗り継ぎ乗り継ぎ、伊丹駅で大学の友達と合流しました。もう大学生を2年ほど続けていますが、大学の友達と撮影に行くというのはこれが初めてです。
8時半頃から、伊丹~猪名寺で「タンゴ~2号」の他に「北近畿」や113系・221系の快速を、宝塚~生瀬で「タンゴ~1号」をそれぞれ撮りました。福知山線では初めての撮影でしたが、なかなか変化に富む車窓で楽しかったです。

そして生瀬駅で正午を迎えました。
それ以降の予定は全く考えていなかったので、これまた別の友達を誘って3人で梅田で昼食。
こちらはJRで大阪まで移動したのですが、大阪駅の変貌ぶりにビックリ。また、運良くキヤ141形検測車にも遭遇しました。
お昼は三番街のビビンバのお店(店名失念…)で石焼きビビンバとチヂミを。最近出来たお店だそうですが、普段ビビンバを食べる機会が少ないということもあり、すごくおいしかったです。安く済んだし、また来てみたい。

それでも時間は14時30分。
列車に乗りながら時間を潰して夕食でも食べたいね、ということになり、自分がUSJのたこ焼きミュージアムを提案。するとあっさり可決されたので、北新地からユニバーサルシティまで大阪近郊区間大回り乗車…ならぬ小回り乗車を実行することに。
学研都市線で放出まで、そこからおおさか東線に初乗車しました。久々に201系に乗れたのも嬉しく、新加美~久宝寺は東大阪らしい街並みが広がり、機会があれば夕暮れ時に乗ってみたいなと思いました。きっと高架の上からはきれいに見えるでしょう。

久宝寺~天王寺~西九条経由で久方ぶりの桜島線へ。
道中は「大和路快速」での大正通過(3月ダイヤ改正で大正停車へ)も体験しておきました。ユニバーサルシティでは、運用に入っていたスカイブルーの103系も撮ることが出来ました。そして何が悲しゅうて男3人でUSJなんかへ、と思いつつ、USJには行かずにたこ焼きミュージアムで夕食。当然量が足りなかったのでハシゴしました。
そろそろ日も暮れて寒くなってきたので解散。梅田から阪急で帰ってきました。
午後からは完全に行き当たりばったりでしたが、おいしいもん食べたし、久々に友達にも会えていろいろ周ることが出来て楽しかったです。


写真は宝塚~生瀬にて、特急「タンゴエクスプローラー1号」。
ちょっと補正してますが、後ろのビル群がまるで幻のように写ってちょっと気に入ってます。

1月~2月の模型進捗状況

2011年02月05日 22時09分16秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
試験で少々間が空いた模型の進捗状況。
先月末から再びレイアウト製作を進めました。樹木や地面など、やっぱり「色」が付くといいものですね。


現在の山の状態です。
樹木は先日の記事でも取り上げましたが、拾ってきた枯れ枝にフォーリッジを組み合わせて作りました。山頂部はこれくらいの本数でいいでしょう。
次は麓や線路際にも何本か追加したり、岩肌や川を表現したり…まだまだ続きそうですね。
分かりにくいですが、わらぶき農家は適当に調合して塗装。つやを消してリアルな質感になりました。


続いて駅ホームです。
一応「民営化後のローカル線」としてキハ120形などが似合うレイアウトを目指しているので、1両分だけホームのかさ上げ工事をしてみました。もう少し白っぽさがほしかったような気もしますが、「いかにも」な感じは出たかなと思います。
ホーム上のアクセサリー類が無いと殺風景極まりないので、いろいろと作りこんでみたいですね。屋根も未塗装ですが、このままでは安っぽいのでもう少し工夫がほしいところ。


建物の配置も少しずつ決まってきました。ホントはレイアウト着工以前から考えておくべきなのかもしれませんが…。
旅先での散策や日頃のフィールドウォークの成果を出して(笑)、リアルな風景を目指したいところです。

無所属新人

2011年02月04日 23時59分59秒 | 日記
この記事の下に、2/3の記事として節分の京都を巡るの特集を公開しました。京都好きな人もバス好きな人もどうぞご覧ください。


昨夜は節分を楽しんだ後に家でゆっくりしていたのですが、22時頃に電話で呼び出され、友達の家に飲みに行きました。
試験が終わってまだ数日ですが、普段あまり会わない人も居たので久々な感じでした。最終的には8人くらい集まっていたでしょうか。豆をまいて家主に怒られたり、途中で寝た友達にイタズラしたり、なかなか楽しかったです。
僕はどこのグループにも所属していないので、どこにでも呼ばれてどこにでも行けるのは幸せだなぁと。まぁ、こういう性格というのもありますが…。

結局2時半頃に帰ってきて、起きたのは10時半。
特に予定は無かったので、梅小路公園で「タンゴディスカバリー」を撮影後にイオンモールへ。ダイソーで名刺ホルダーを買い、大垣書店で村上春樹『1973年のピンボール』を買いました。ブックカバーの種類を聞かれたので見てみると中村佑介デザインがあったので迷わずそちらを選びました。あの独特の世界観が好きですね。住んでみたい(笑

あと、帰りにコンビニで「ヨーグルト風味のタピオカドリンクピーチ味」という長ったらしい飲み物を買ってみましたが、すっきりしておいしかったです。
相変わらず「タピオカ入り~」というのに弱いです。神戸の中華街に行きたい気分です。そういえば、あちらはちょうど春節を迎えていますね。

夕方からはバイト。
いきなり大量の採点が来て驚きましたが、何とかこなしました。やはりスピードアップが課題ですね。
今日はわりと早く子どもたちが帰ったので、先生に色々と教えてもらったり、他のバイトの人とも自己紹介を交わしました。同じ大学・同じ回生ということで一気に親近感がわきました(^^;
来週からは時間拡大。これからも頑張っていこうと思います。


写真は先月末に訪れた白川沿いの風景。
来週は市内中心部に出かける予定が2つもあるので、ついでにこの辺りも再訪したいですね。

節分の京都を巡る

2011年02月03日 23時59分59秒 | 京都
2月3日は節分の日。
豆まきや恵方巻(関西限定らしい!?)で知られていますが、京都では毎年多くの社寺で節分行事が催されます。お昼から、市バス一日乗車券を使って行ってきました。

まずは壬生寺道で降りて、新撰組おなじみ壬生寺を訪れました。
京都で節分といえば、壬生寺と吉田神社の節分祭が有名です。バスは大混雑、途中の嵐電の踏切にも係員が配置されていました。もちろん、出店もずらっと。


賑わう壬生寺。
お参りをして、おみくじを引くと大吉でした。うん、幸先がいい。
今日は他にも目的があるので、出店の誘惑を断ち切ってバス停に戻りました。

壬生寺道からは四条烏丸へ、そこから乗ったのは32系統。
2月いっぱい、四条通の歩道拡幅に向けた社会実験のため、市バスの5系統と32系統は経路変更をしています。


期間限定ですが、専用の幕もきちんと用意されています。
従来は四条通・河原町通と進んでいたのが、烏丸通・御池通という経路に変更、白幕に赤字で示されています。
車内では運転手さん・自動放送共に社会実験で経路変更の旨を伝える放送がしきりに流れていました。しかし、「次は烏丸三条」という放送が流れて、慌てて下車するお客さんも数人。1日からのことなので、まだ完全に定着はしていないようです。

実際に変更された経路を乗車しての感想は、「早い!」の一言。あっという間に烏丸御池に到達し、そこからは車道の広い御池通を悠々と市役所前へ。このまま永続的に経路を変更してもいいような気がしました。四条河原町経由ではこうスムーズにはいきにくいでしょうね。


車窓から見る鴨川の陽気につられて川端二条で下車。
前後の幕はこんな感じです。

鴨川の河川敷をうろうろした後は、歩いて東山二条へ。


バスを待っていると節分限定の臨時バスが来ました。
満員だったので乗りませんでしたが、吉田神社と壬生寺を結ぶのは便利ですね。紫幕中心の京都市バスにあって、白幕は今や貴重です。

東山二条からは清水道へ移動、そのまま西へ歩いて六波羅蜜寺に行きました。


この間の「京都学特別講義」ではすぐ近くの六道珍皇寺を訪れましたが、こちらは初めて。節分追難式を行われることが京都新聞に載っていたので今回の訪問と相成りました。敷地の関係もありますがスゴい人だかりです。


入るとすぐに追難式が始まりました。
住職さんの読経、六斎念仏(通常は8月に行われる)の後…


鬼が出てきます。このお面が怖い!(^^;


鬼は何度かこのように糸を撒き散らします。これを財布に入れておくとお金が貯まる言い伝えがありますが、自分のところまでは届きませんでした。


豆をまいて鬼を追い払う住職さん。こうして鬼が逃げていきます。


そして豆まきです。真ん中に宮川町の舞妓さんの姿が見えます。
他にも3人ほど来られていて、それが最大のお目当てでした。因みに豆は取れました。

この時点で15:30頃。
まだ帰るには早かったのでバスで北上、吉田神社の最寄りバス停・京大正門前で降りました。
降りる人が多いので後ろの扉からも降車が許可され、交通局の職員さんが帽子でお金を受け取るという昔ながらの光景が繰り広げられていました。


東大路通から伸びる吉田神社の参道は出店が並び、壬生寺以上の大混雑。
肉巻きおにぎりやシロコロホルモンなど、ご当地B級グルメの出店が多かったのが印象的でした。


境内でいちばん目を引いた巨大な火炉。夜にはすべて燃やされます。

お参りを済ませてからは、京大構内を通り抜けて百万遍へ。
進々堂で休憩したかったのですが、人が多かったので断念。京大農学部前から錦林車庫前へ進み…


同じく社会実験が行われている5系統に乗りました。
こちらは四条河原町から四条通・烏丸通を進んでいるところを河原町通・五条通に経路を変更。
32系統よりも本数が多いことで、四条烏丸を通らないのはマイナスなのでは…と思っていましたが、四条河原町から京都駅への新たな速達ルートとなった上、経路変更区間ではお年寄りや中学生の降車も見られ、少なからず利便性が向上したような印象を受けました。


京都駅前で後追い。
今後も経路変更の系統は増えるのでしょうか。気になります。

そして家の近所まで来るバスに乗って帰ってきました。
今回は社会実験実施中の系統に乗って、普段は静寂な壬生寺や吉田神社の混雑している姿が見られた上に、
六波羅蜜寺では舞妓さんの豆まきといった京都の節分らしい過ごし方をすることが出来ました。
そろそろ梅の季節。次は梅を見に、またバスで周りましょうか…。

穏やかな如月

2011年02月02日 23時11分16秒 | 日記
天気予報を見るとホッとしました。
向こう一週間ほど、ずーっと気温が2ケタ!
この暖かいうちに、出来ることをいろいろとしておきたいものです。


今日は期限の迫った昼特きっぷに、一部普通乗車券を追加して撮影に行ってきました。
が、吹田で「タンゴエクスプローラー2号」の回送を撮るまでは良かったのですが、それ以降の撮影がグダグダで、イマイチな出来のものばかりに。
「タンゴ~」は吹田で撮った後に東淀川の陸橋で撮ろうと思っていたものの、駅から陸橋への移動中に通り過ぎてしまい、塚本での「はまかぜ3号」も光線と腕の関係で失敗でした。
最近写真を撮っていなかったせいもありますが、今度は下調べをしてもっといいのを撮ろうと思います。そして自分はやっぱり…駅より沿線が向いてますね。

それにしても久々に見る「タンゴ~」の6連はやはりカッコよかったです。同世代ということもありますが(笑)、3月以降KTR線内封じ込めというのは勿体無い気がします。保守管理のためでしょうか。
そういえば、京都府が兵庫県にKTR線の一部廃止を打診したようですね。西舞鶴~宮津辺りが前から危ないと思っているのですが、どうなることやら…。

天気は良かったものの、どうにも上手くいかなかったので帰って昼寝。
夕方からはお茶のお稽古に行きました。最近は18時前でもまだ少し明るくて、日の長さを実感します。
今日は梅をかたどった「寒紅梅」というお菓子が出た他、久々に生八ツ橋が出てきました。京都に住んでいるとどうしても観光客の方が買っていくイメージがありますが、たまに食べるとおいしいものだなと思いました。
昼間が不調だった分、お稽古はそこそこ上手くいきました。正座で2時間半も、慣れれば大丈夫…かな?(笑

帰ってからは、昨日も取り上げたレイアウトの植林事業(笑)を進めました。
明日は節分。京都市内の寺社では揃ってイベントが行われるので、どこかに参加してこようと思います。


写真は吹田に入線する「タンゴエクスプローラー2号」回送。
通勤電車しか発着しないホームに白昼堂々気動車特急現る。こんなイレギュラーな光景もまもなく見納めです。

ことはじめ

2011年02月01日 22時02分58秒 | 日記
やはり課題が何も無いというのはいいですね。
まぁ、もちろん自分にとって中長期的な課題はいくらでもあるわけですが…。
最近キーボードの「E」の調子が悪いです。よく使うのに、少し強く押さないとダメらしい。


今日は(←『凶は』って変換された!)昼から近所をウォーキング。
普段、点と点を繋ぐ生活(例:家から駅、学校など)をしていると、路地一つ違うだけでそこは完全に未知の世界なんですよね。だから何年住んでいても面になることはありません。
小学校時代に校区はくまなく探索しましたが、その記憶もほぼ消えつつある上に、今ではかなり開発の手も入ってしまいました。
だからいま改めて歩いてみたというわけです。梅の花がつぼみを付けていたのを見て、ちょっと嬉しくなりました。東風吹かば…。

本来の目的は、ズバリ「鉄道模型レイアウトに森をつくるため」!
最近はいろんなジャンルの木も製品で出るようになりましたが、リーズナブルに天然素材を使うことにしました。
というわけで歩きながら枯れ枝を拾って周りました。平日の昼間からかなり不審者なことしてますが、幸いあまり人に出会わなかったので良かったです、はい。
帰ってからは、その枯れ枝とフォーリッジを組み合わせて木を作り、植林していきました。それがトップの写真です。まだ途上ですが、いい感じ?

少し寝てからは、小学校以来約8年ぶりに公文式の教室に行きました。そう、アルバイトです。
大学生活も2年が過ぎようとしていますが、ようやくレギュラーのアルバイトを始めることを決意しました。色々と条件が良かったので。
着いてからは早速採点をすることになって、子どもたちには「新入りの先生!」と早速人気が出る嬉しいスタートでした。卒業まで2年間頑張ろうと思います。
早くいろいろ覚えないと!!(・0・;)


写真は絶賛植林中の山です。
これを全て木で埋め尽くすと壮観でしょうね。