決して隔日更新になったわけではありません。
春休み、やることも少ないのに、時間が経つのが早いです。
模型も作っているわけですが、もう少しで完成しそうな気配です。お楽しみに!
さて!
最近街を歩いていて宝探しのように見つけているホーロー製の町名看板。
全て戦前に設置されたもので、外交官の描かれたイラストは森下仁丹の宣伝も兼ねています。今でも数百枚が現存しているとの話も…。
そんな仁丹の町名看板、復活の動きもあるようで、その戦後第1号が市役所に設置されたことを10日の京都新聞で知りました。
~~~
戦後第1号の仁丹町名表示板、京都市役所に設置
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20110210000143
京都市内の街角に掲げられ親しまれている仁丹の町名表示板を増やすため森下仁丹(大阪市)は10日、戦後初の町名表示板の第1号を中京区の市役所に設置した。
新しい縦長のほうろう製看板には、市役所の住所である「中京区寺町通御池上る上本能寺前町」と手書きされている。森下仁丹の駒村純一社長が門川大作市長に手渡し、寺町通沿いの庁舎の外壁に掲げた。
2010年度は公募で選んだ市内12町内会に計18枚を贈り、11年度以降も設置する方針。門川市長は「変わらない京都の街の象徴。大切にしたい」と話した。
~~~
いやぁ、嬉しいことです。
しかも戦前の設置当時は上京区と下京区しか行政区分が存在していなかったので、これにより中京区や左京区、伏見区などバリエーションが広がることになります。
書体も独特の手書きというところに味があり、戦前からの長きに亘って街を見守り続けてきた看板は、個人的にはもうひとつの文化財に値するものだと思っています。
新しい看板も場所を知らせるという使命は変わらず。これからも末永く街に在り続けてほしいものですね。
写真は梅小路公園にもほど近い場所にある町名看板。
経験上、1枚見つけると近くにも数枚掛かっていることが多いように思います。
春休み、やることも少ないのに、時間が経つのが早いです。
模型も作っているわけですが、もう少しで完成しそうな気配です。お楽しみに!
さて!
最近街を歩いていて宝探しのように見つけているホーロー製の町名看板。
全て戦前に設置されたもので、外交官の描かれたイラストは森下仁丹の宣伝も兼ねています。今でも数百枚が現存しているとの話も…。
そんな仁丹の町名看板、復活の動きもあるようで、その戦後第1号が市役所に設置されたことを10日の京都新聞で知りました。
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戦後第1号の仁丹町名表示板、京都市役所に設置
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20110210000143
京都市内の街角に掲げられ親しまれている仁丹の町名表示板を増やすため森下仁丹(大阪市)は10日、戦後初の町名表示板の第1号を中京区の市役所に設置した。
新しい縦長のほうろう製看板には、市役所の住所である「中京区寺町通御池上る上本能寺前町」と手書きされている。森下仁丹の駒村純一社長が門川大作市長に手渡し、寺町通沿いの庁舎の外壁に掲げた。
2010年度は公募で選んだ市内12町内会に計18枚を贈り、11年度以降も設置する方針。門川市長は「変わらない京都の街の象徴。大切にしたい」と話した。
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いやぁ、嬉しいことです。
しかも戦前の設置当時は上京区と下京区しか行政区分が存在していなかったので、これにより中京区や左京区、伏見区などバリエーションが広がることになります。
書体も独特の手書きというところに味があり、戦前からの長きに亘って街を見守り続けてきた看板は、個人的にはもうひとつの文化財に値するものだと思っています。
新しい看板も場所を知らせるという使命は変わらず。これからも末永く街に在り続けてほしいものですね。
写真は梅小路公園にもほど近い場所にある町名看板。
経験上、1枚見つけると近くにも数枚掛かっていることが多いように思います。