西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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サンドと音楽・ジャン・ジャック・ルソー

2011年06月15日 | サンド研究

次のサイトでサンドの住んでいたノアンの城館(フランス語の解説付き)を見ることができます。

ノアンの館:ビデオ・ルポルタージュwww.classiquenews.com/ecouter/lire_article.aspx?article=4784&identifiant=2011614PLG0TZ6BLVCKRXP4IQE3SIHUX"

サンドと音楽について語られる時、海外のサンド研究においては、musique savanteとmusique populaireという言葉がしばしば登場しますが、このノアンのビデオ散策の解説者も使っているmusique savante は、日本語に翻訳しにくい言葉です。musique savanteは、高尚な、巧妙な、あるいは貴族的な音楽と訳すことが可能かもしれません。サンドは、この二つの音楽、musique savante(高尚な音楽)とmusique populaire(世俗的な音楽)を融合しようとしたのでした。
こうした一般に不可能と思われる相反するもの同士の結合を志向するサンド的な理想主義はどこからきているのでしょうか。サンドの両親は著しい階層格差を乗り越えて恋人同士となり、サンドの祖母フランクイユ夫人の反対を押し切って「異身分結婚」を実現させています。サンドはこのように極く身近なところに説得力ある理想のモデルをみて、その理想主義を開拓していったのかもしれません。
実際、サンドは、このように階層格差やちょっとやそっとではない年齢差をものともせず、やすやすと愛を成就させてしまう理想のカップルの物語をいくつも書き残しています。そうしたサンドの創作姿勢をリストの伴侶であった貴族のマリー・ダグー夫人(作家ダニエル・ステルヌ)は嘲笑し揶揄したため、女同士の友情には次第に距離が置かれることになっていくのですが、サンドは理想主義の探求を止めることはありませんでした。

サンドは、幼い頃から貴族の祖母フランクイユ夫人から専門的ともいえる高度な音楽教育を受けて育ちました。日本語版の「むすんでひらいて」の作曲者でもあるジャン・ジャック・ルソー(ルソーは、哲学者・作家となる以前には音楽家を志望)とフランクイユ夫人の夫、つまりサンドの祖父は親しい友人でした。サンドは『我が生涯の記』に、祖父宅を訪問したルソーが帰った後、なぜか暖炉の上においてあった小銭がなくなっていたとユーモアを交えて書き残していますが、ロマン主義的な気質をもっていた偉大な思想家ジャン・ジャック・ルソーから彼女が受けた影響には多大なものがあり、その作品群には『モープラ』などのようにルソーの名前が直接登場する小説も少なくありません。

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