西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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サンドの愛:マンソー(1)

2011年06月03日 | サンド研究
彫金師のアレクサンドル・マンソーは、サンドと最も長く愛を育んだ男性である。
九年の歳月を共にしたショパンと別れた後、クリスマスにマンソーをノアンにつれてきたのは、サンドの最愛の息子モーリスだった。恐らく、モーリスは自分の絵画の師匠ドラクロワのアトリエでマンソーと知り合ったのではないかと推測されている。

マンソーは、自分の芸術家としての生涯を半ば捨て、死ぬまでサンドに忠実な愛を捧げ続けた。サンドはノアンの館に彼のアトリエと寝室を用意した。しかし、二人がノアンに住み続けることを邪魔したのは、息子モーリスの嫉妬心だった。ノアンから相当距離のあるガルジレスの小さな家が二人の隠れ家となり、最後には、追われるようにして、パリ郊外のパレゾーの家に住むことになる。劇作を手掛け劇場に行くことも多かったことから、パリに近いパレゾーはサンドにとって好都合だった。マンソーは、住みやすく寒さを凌げるようにと、地元の作業人たちと一緒に家の内部や庭を整備するのに力を注いだ。こうして、サンドにとって、この家は「緑のお皿の真ん中に小さなダイアモンドの噴水」のある、すばらしく小綺麗で快適な家bonboniereとなったのであった。

1864年7月5日、二人でサンドの還暦の誕生祝いをし、8月5日にマンソーが契約サインをし26000フランでパレゾーの家を購入。その喜びも束の間、サンドの唯一の孫息子Cocotonが8月20日に赤痢でこの世を去る。そして、マンソーにショパンと同じ結核の徴候が・・・

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