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菅総理の脱原発宣言

2011年07月13日 23時41分51秒 | 政治って?
菅総理がどういう思惑でこうした発言をしたのかは、不明だ。
延命策とか何とか、色々と言われているが、いつもの思いつきの類なのかもしれない。

だが、これに対する反応を見ることができるのは、意味のあることである。

石破とかが「ポピュリズムだ」と息巻く姿は、ああ、この人に日本の未来を切り開く度胸や力はないな、ということがよく分かるというものである。
同じく、与謝野大臣の発言も、「終わった人」だなということは分かるのである。

ともに、過去に囚われている、ということだ。


Fukushimaの災いは、人災と言ってよいものだ。日本の原子力行政と東電という両者が揃ったが故に、起こった出来事と言ってもいい。東電や経産省はそれを認めたがらないだろうし、事実を隠蔽しようとするだろう。東電には、福島原発のような事態が発生したとて、真の反省などないのである。まさに官僚主義的組織の本領発揮である。
平易な言い方というか、乱暴にまとめるなら、「私に責任はない」だ。「国」や過去の前任者のやってきたことを引き継いだだけ、というようなことである。

そうして、これほどの事態になっても、東電の責任など誰からも問われず、実際に責任を取った人間など存在してないのだ。清水社長が辞任したのは引責ではなく、イメージダウンや対応のまずさなどの失着が問題とされただけであろう。反省など、東電にはないのだろう。

「原発推進態勢維持」を堅持する一派は、政治家などを動員して東電擁護と脱原発に反撃をするということなのである。