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JALの企業年金は減額できるか?~できるよ!(たぶん)

2009年11月12日 17時21分55秒 | 法関係
現状では、前原大臣も財務省側も「ちょっと手詰まりで困っている」というところではないかと思います。でも、減額しないと、現役従業員たちが大量にリストラされる上、年金支給の為に経営を圧迫するということになってしまうので(当然現役従業員たちの賃金も減らされるかもしれない)、年金受給者たちと現役従業員たちの不均衡は過酷になってしまうでしょう。

先日の毎日新聞に続いて、懲りずに今度は産経新聞が似たような記述をしているので、これから取り上げたいと思います。
【イチから分かる】日本航空の年金問題 削減立法は財産権侵害か 13ページ - MSN産経ニュース

新聞記事中には、『法的整理となった場合でも、「強制的な年金削減が可能なのは、会社を清算する破産だけで、存続を前提とした民事再生法や会社更生法でも削減できない可能性が高い」(専門家)という。』と、まるで同じような部分があるのですね。喧嘩でも売られている気分ですよ(笑)。

専門家、って何故に「匿名さん」なのか疑問ではあるよね。ロイター記事みたいに、回答した人がどんな人(TMI法律事務所、とか)なのかを書けないというのは、どうしてなのかな?その専門家というのは、本当に専門家なのですか?
大体、JALの年金基金を解散できない、とまで言っていた専門家がいたらしいですが、それは事実でしたか?違ったでしょ。毎日新聞に書かれていたみたいな、確定給付型に移行したから(事実上)解散できない、なんてことはなかったでしょう?できるんですってば。


で、会社更生法では削減できない可能性が高い、って本当なんですか?そりゃまあ、債務超過の額が極めて小さければ、減額なんかしなくとも再建できるかもしれんね。共益債権に分類されない部分については、どうなるか判らんよね。優先的更生債権ではあるけれども、分配原資がどれくらい残るかによるでしょう。


1)企業年金が「賃金の後払い」なのか?

これは誰がそう言ったんでしょうか?必ずしも該当しないと思います。「賃金の後払い」としての性格というのは、そもそも退職金だったのではありませんか?
退職金というのは、「賃金の後払い」的な性格を有しているので、賃金同様に「できるだけ保護されるべき」というような考え方に基づくものでしょう。退職金規定を変えるなどの場合に、安易に事後的変更が行われると、特に、不利益変更である場合には、争議の素となってしまうよ、ということでしょう。労働債権として扱われるべき、というような考え方ということです。これはあくまで「退職金」についてです。

では、企業年金だとどうなのでしょうか(今は厚生年金基金は考えないものとします)。
JALの確定給付企業年金にも見られるように、「退職金の一部」を年金原資として充当(退職金受取額の割合は受給者ごとで変更できるのかも)し、そこから一定利率の上乗せ利息を払ってもらって年金として受取る、というものでしょう。そうすると、本来的に「退職金部分」というのは、年金原資に充当した額であり権利主張の可能な範囲もその部分についてのみだろうと思います。将来支払予定の「退職金の一部+利息部分」の全てについて、「退職金である」とか「賃金の後払いである」といった主張はできないものと考えます。

最高裁が不受理となって確定した松下電器産業の企業年金減額訴訟(因みに産経記事は間違っています。平成13年に確定と書かれていますが、デタラメです。本当は2007年5月23日(たぶん)です。それに請求棄却ではなく不受理ということみたいですよ?)における年金の仕組みも、これと似たような「退職金の一部を充当し、上乗せ金利を一緒に受取る」というものです。

平成18年11月28日判決の大阪高裁判例がこちら(高裁判決が出たのでさえ18年なのに、最高裁確定が13年に可能なわけなかろう?)
平成17ネ3134福祉年金請求控訴事件

この中で、
『被控訴人ら会社の退職者は,その希望により,被控訴人の社員退職金規程に基づいて受け取った退職金(退職慰労金,退職加給金,特別慰労金)の一部を年金原資として被控訴人に預け入れ,被控訴人は,その預入金に一定の利率(以下「本件給付利率」という。)による利息を付け,年2回ずつ,一定の支給期間,これを退職者に支給する。これが本件基本年金である。年金原資として予定されているものは,退職金以外はなかった。本件基本年金は,預入金とこれに対する支給期間中の利息とを合算した額をもとにして,支給期間中の各支給日における支給額が均等になるように計算されており,被控訴人は,これを,毎年3月21日と9月21日(ただし,その日が公休日である場合には翌日が支給日となる。)の年2回支給する。』

となっており、原資は退職金以外なかった、ということです。毎日新聞や産経新聞の言うように、年金が賃金の後払いだというなら、松下の年金も減額できないことになるよ。違うでしょ。全部じゃないんだよ。


2)確定給付企業年金は減額できないのか?

確定給付型だから解散できない、というのは、ウソです。法令に合致していれば、解散できます。減額要件ですけれども、同意条件などは既に書いてきた通りです。

JALの企業年金は減額できるか?

JALの企業年金は減額できるか?~少し補足

JALの企業年金は減額できるか?~またまた続き

JALの企業年金は減額できるか?~コメントへの回答など


また条文を読んでいたら、偶然にも気づいたので、他の可能性について書いてみます。


厚生労働大臣が命令すれば、可能ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

○確定給付企業年金法 第102条

厚生労働大臣は、前条の規定により報告を徴し、又は質問し、若しくは検査した場合において、事業主等の確定給付企業年金に係る事業の管理若しくは執行が法令、規約、若しくは厚生労働大臣の処分に違反していると認めるとき、事業主等の事業の管理若しくは執行が著しく適正を欠くと認めるとき、又は事業主若しくは基金の役員がその事業の管理若しくは執行を明らかに怠っていると認めるときは、期間を定めて、事業主又は基金若しくはその役員に対し、その事業の管理若しくは執行について違反の是正又は改善のため必要な措置をとるべき旨を命ずることができる。

2  厚生労働大臣は、規約型企業年金又は基金の健全な運営を確保するため必要があると認めるときは、期間を定めて、当該規約型企業年金に係る事業主又は基金に対し、その規約の変更を命ずることができる。

3 以下略

=====

この102条第2項規定を適用すると、基金の健全な運営を確保するため、必要があると認めるときは、期間を定めて(JAL年金)基金に対し規約変更を命ずることができる、ということになります。
JAL年金基金についてみますと、健全運営確保の為という合目的性は該当しますし、厚生労働大臣が必要があると認めるときという条件も当てはまりますから、規約変更を命ずることは可能と考えます。

4条第1項第5号の、給付の種類、受給要件、額の算定方法、給付方法(年金給付の支給期間及び支払期月を含む)に関する事項を規約で定めることが義務付けられています。この5号事項を厚生労働大臣命令によって変更させる、ということになります。
通常ですと、6条、16条等規定によって変更手続ということになるかと思いますが、102条第2項規定の発動においては、減額変更の要件(施行令、施行規則等による規定)には縛られないものと考えます。言ってみれば「オーバールール」適用、みたいなものですかね。


3)大臣命令は何らの制限を受けないか?

これがポイントになるかと思います。仮に、破産法適用とか会社更生法適用といった、かなりシビアな法令適用を回避するとしますと(これらは債権に対する法的拘束力が割りと強めだと思うので)、大臣命令が何でも絶対ということにはならないはずでしょう。これについては、法的な争いが発生する可能性はあるかもしれません。行政裁判なんかと似たようなものです。行政側の決定や命令が不服です、ということは有り得ますからね。

これを検討する上で、賃金や退職金等の変更についての要件と同等と見なして(一部退職金などを充当したりしますし)、考えてみたいと思います。過去に争点となったのは、就業規則とか労働協約の変更などについてですね。こうした論点については、労働関係の裁判で大筋の論点は出ています。


最高裁判例から、以下に抜粋してみます(最高裁HPの検索でpdfが出てきます)。

>平成4年(オ)第2122号最二小判、H.9.2.28
(便宜的に~の番号を割り振りしていますが、元の文にはありません。改行なき一連の文章です)

()新たな就業規則の作成又は変更によって労働者の既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として許されないが、労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって、当該規則条項が合理的なものである限り、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒むことは許されない。

()そして、右にいう当該規則条項が合理的なものであることは、当該就業規則の作成又は変更が、その必要性及び内容の両面からみて、それによって労働者が被ることになる不利益の程度を考慮しても、なお当該労使関係における当該条項の法的規範性を是認することができるだけの合理性を有するものであることをいい、特に、賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずるものというべきである。

()右の合理性の有無は、具体的には、就業規則の変更によって労働者が被る不利益の程度、使用者側の変更の必要性の内容・程度、変更後の就業規則の内容自体の相当性、代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況、労働組合等との交渉の経緯、他の労働組合又は他の従業員の対応、同種事項に関する我が国社会における一般的状況等を総合考慮して判断すべきである。


当方の理解として簡略化して書きますと、
()からは、就業規則新規作成又は変更によって、
ア:既得権を奪い不利益変更を一方的に課することは原則許されない
イ:労働条件の集合的処理、統一的、画一的決定が就業規則の性質
ウ:規則条項が合理的なものである限り、個々の労働者が同意しないからといって適用拒否は不可

()からは、規則条項が合理的というのは、
エ:必要性、内容両面で「法的規範性を是認できうるだけの合理性」を有するものであること
オ:その際、労働者の被る不利益程度を考慮せよ
カ:賃金、退職金等や労働条件の実質的不利益を及ぼす規則条項が効力を生ずるのは条件を満たす場合だけ
キ:その条件とは、不利益を法的に受忍させるを許容できるくらいの高度の必要性と合理的内容があるもの

()から、具体的に考慮するべき点として次のものがある。

①労働者が被る不利益の程度
②使用者側の変更の必要性の内容・程度
③変更後の就業規則の内容自体の相当性
④代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況
⑤労働組合等との交渉の経緯
⑥他の労働組合又は他の従業員の対応
⑦同種事項に関する我が国社会における一般的状況等

つまりは、ア~キを考える上で、①~⑦のことをよく検討して、総合的に判断しなさい、ということです。賃金や退職金のような重要な権利といえども、途中からの不利益変更が必ずしも認められないというわけではなく、高度の必要性と合理的内容であれば是認される場合も有る、ということです。勿論、原則的には相手方(労働者)に対して一方的に不利益変更を法的規範性をもって受忍させることは慎むべきで、これが例外的に認められるとすれば条件を満たす場合のみです、ということです。

(※ところで、ウは「俺は変更プランに賛成したわけじゃない、だから他の大多数のヤツラが賛成してもそいつらだけに適用し、俺には適用すんな」というような主張は認め難い、ということです。同意、不同意が個別に見ればまだらであっても、大多数が賛同したのであれば適用は受けますよ、と。普通の法律なんかと一緒ですね。法案成立にいくら「俺は反対したんだ」といったって、法が成立してしまえば「反対したから適用を拒否できる」なんてことにはならないもんね。年金規約とか改廃規定なども同じようなもの、ということかと。)


これらに関する重要な判例としては、判決中にあったものを挙げると以下のものがあります。
(昭和40年(オ)第145号最大判、S.43.12.25)
(昭和55年(オ)第379号最二小判、S.58.11.25)
(昭和55年(オ)第969号最二小判、S.58.11.25)
(昭和60年(オ)第104号最三小判、S.63.2.16)
(平成3年(オ)第581号最二小判、H.4.7.13)
(平成5年(オ)第650号最三小判、H.8.3.26)


従って、賃金や退職金という権利であったとしても、減額変更は不可能ではない、ということになりますので、年金原資に退職金を充当するような場合であれば、当然それに準ずると考えることは可能でありましょう。ただ、102条第2項規定による大臣命令である場合であっても、一方的不利益変更には注意を要するということになり、上記①~⑦の要件についてはクリアするべきものと考えてよいのではないかと思います。


4)JAL年金基金における不利益変更の要件の検討

(以下の「就業規則」という部分は、年金規約と読み替えて下さい)

①労働者が被る不利益の程度:
年金受給者に予定利率引下げ同意が得られない場合、受給者ばかりではなく現役従業員たちが会社倒産などの大きな不利益を被ることになります。会社更生法適用となれば、年金受給権者の債権すら共益債権部分以外は回収が困難になる可能性を否定できません。減額が不同意となれば、受給者だけではなく、加入者にも多大な不利益が及ぶことになります。

②使用者側の変更の必要性の内容・程度:
資金調達できないと会社倒産の可能性があり、年金減額の必要性は高度です。会社存続の危機ですので。

③変更後の就業規則の内容自体の相当性:
予定利率を4.5%から例えば1.5%に引下げられたとしても受取退職金そのものが失われるわけではありません。

④代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況:
受給者にとっては定かではありません。が、現役従業員である加入者たちの多くが救われることになります。

⑤労働組合等との交渉の経緯:
会社側が交渉したりしましたが、厚生労働省が音頭を取って労組やOB団体と会社を含めた交渉テーブルを早急にセットするべきでしょう。年金受給者たちは「断りもなしに勝手に削るな」という反発が強いのだと思いますし、お願いしない姿勢というのがそもそも気に入らないということはあるかもしれません。前原大臣と例のタスクフォースみたいに、いきなり大上段から強権でやる、という、あの姿勢こそが気に入らないのだということでは(笑)。

⑥他の労働組合又は他の従業員の対応:
OBだけの問題ではないので、⑤に書いたように、労組や非労組職員(非正規職員も大勢いると思います)の意見なども一緒に聞くべきでしょう。

⑦同種事項に関する我が国社会における一般的状況等:
会社存続ができるかどうかの瀬戸際ですし、年金減額ができない(乃至削減できない可能性が高い)などという産経新聞や毎日新聞の記事中に出てくるような「専門家」の言うことを聞いてやっていては、話にならんでしょうな。松下、りそな、早大等の裁判例があるのですし、企業経営が窮地に追い込まれる、現役従業員(加入者)に多大なしわ寄せと負担が行くことになるので既受給者たちとの不均衡が著しく拡大する、などの問題がありますから、減額決定も止むを得ないということはあると思います。


以上のことから、改めて、減額できないことはない、と申し上げたいと思います。
更には、102条第2項規定適用で「規約変更命令」を発動するべし、ということを提案したいと思います。




どうすれば、日本はデフレを脱却できるか?~その3(追加あり)

2009年11月11日 18時47分13秒 | 経済関連
シリーズの続きです。
もう少し書いてみたいと思います。


これまでよく出されてきた指摘として、日銀は「量的緩和」や「国債買入償却」をやってきたのに、インフレにならなかったじゃないか、というものがあります。

このことをもって「効果がない」とか「無意味」とか言う人たちはいるわけですが、本当にそうなのかどうかはまだ分からないのではないかと思います。鎮痛剤投与で「飲んだのに、まだ痛みがあるじゃないか」ということで、無効だのといったことにはならないわけで、これは昨日書いたとおりです。


日常生活の中でも、似たような感じの事柄はあると思います。また喩えで申し訳ないんですが、ご容赦願います。
唐突ですが、乾燥した椎茸がありますよね。これを料理などに使おうという時、水で戻すと思いますが、この水分量が十分であればきちんとふやけてくれますけれども、水分が足りないとどうなると思いますか?
多分、カサカサした部分が残ってしまい、乾燥椎茸の縮んだような形のままで、カチカチに固い部分が残ってしまうでしょう。こういう時は、「水の量が足りないんだな」と分かると思います。
効果が外見的に知覚されるほどになっていなければ、「(水を与えても)効果がない」というように錯覚する、というようなものなのですね。水を与えたのに、形は縮んだままじゃないか、みたいな。けれど、それは与える水の量が少なすぎるのが理由であり、「もっと増やして与えればいい」ということは分かるはずです。効果が十分でないのは、水のボリュームが足りないからなのです。椎茸じゃなくて、乾燥わかめでもいいですが、要するに効果を得るには少なすぎる水の量を与えても、一見効果がない、というように見えてしまうことがあるよ、ということです。



お金は、よく経済の血液とか言われることがあります。また、水のような流体というイメージがあったりします。白川総裁なども「配管」という表現を行ったりすることがありますよね。なので、水量調節のような一面があるのだ、ということで、これについて述べてみたいと思います。


よく手術の時に輸血したり、輸液をしたりしますが、あれも何の意味もなく行うものではなく、それなりに考えられていることがあるのです。水分量の調節とか、血液量の調節なんかが重要なのです。

手術前ですと、一般的には絶飲食とされると思います。何時間も前から、飲んだり食べたりしてはいけない、ということになるわけです。でも、人間の体というのは代謝が継続しているので、24時間稼動の工場みたいなもので、新たな原材料の補給がなくても、動き続けているわけです。当然、水分も失われていきます。呼吸しているだけで、水分が外に排出されるんですよ。尿も作られてしまいますから、体内の水分量は失われていく一方になります。

普通であれば、水分が減ってゆくと喉の渇きを覚えたりして、水を飲みますが、絶飲食であるため飲めません。こういう時、輸液でどうやって補給するか、ということが出てくるわけなんですよ。
たとえ既に500ml輸液したとしても、だから「hypovolemiaになるわけがない」というようなことを主張する(多分そんな人はいないと思うけど)のは困難なのです。量的に充足しているかどうかを検討しない限りは、「輸液で水分を入れているのだから、これで十分だ」といったことにはならないということです。それには体重などの体格とか、絶飲食時間とか、不感蒸泄や便・尿などの量といったIN-OUTバランスを考えることが必要なのだ、ということです。

これだけ入れてるから適正とか量的に十分といった判断は、簡単には成り立たないということです。先ほど述べたように、自分の感じ方では「(水が)ジャブジャブ」みたいに思っているとしても、だからといって椎茸がきちんと戻るかどうかは分からない、というのと同じです。元々乾燥していたのであれば、より多くの水を吸収してしまうので、思いのほか水の量が必要となるかもしれませんよ?
術前の失われた水分量が多ければ、その補正に必要となる輸液量が思った以上に多いかもしれない、ということもそうです。


日本経済の長期間に渡るデフレでは、経済全体が「カサカサ」に乾き切ってしまっているなら、想像以上に多くの水分量を入れないとダメかもしれない、ということです。入れても入れても、どんどん吸収されてしまって、外見的には「効果が出ていない」と錯覚することがないわけではないかもしれない、ということです。

術中には、代謝分とか以外にも、出血、術野からの蒸発、third space移行など、いくつもの水分喪失が起こる可能性とか要因が考えられているので、それらを補うことが必要なのです。なので、いくら「輸液している、これだけ入れた」と言っても、足りてなければ足りないということには違いがないわけです。


ですので、デフレ対策としての

・量的緩和は効果がない
・国債買入償却は効果がない

という短絡的結論は、現時点で下すのが難しいはず。

まず学術的に確かめられるべきことでしょう。



続きです。

円という通貨の価値とボリュームという点を、少し簡単なイメージで書いてみたいと思います。

今、水の入ったゴム風船があるとします。お祭りで売られるヨーヨーみたいなものでもいいですよ。
このゴム風船の体積が100だとします。全部水で満たされています。水には溶質となる分子が含まれていて、とりあえず「実質部分」と呼ぶことにしますか。お金の価値とか、そういうように呼ばれる部分がこの「実質部分」なのだ、と。でこのゴム風船の中には、実質部分の分子が100個入っている、とします。すると、実質部分の分子は、体積100に対して100個入っていますから、初期状態の”濃さ”というのは、実質部分/水=1、ということですね。

さて、バブルみたいに、水ぶくれみたいな経済になってしまったとして、実質部分に変化はないにも関わらず、外見的には風船が大きく膨らんでしまったかのような状態になったとしますか。そうすると、水ばぶくぶく増えて体積が200となり、中に含まれる分子は不変(100個)であると、実質部分/水=1/2となって、”濃さ”が薄まってしまいます。

逆に、水の量が減ってゆくとどうなるでしょうか。
ゴム風船の体積が80に縮小すると、実質部分が100のまま変化ないと”濃さ”は100/80=1.25となって、初期状態よりも高くなります。もっと水が減って50になると、”濃さ”は100/50=2、となってしまいます。


日本のデフレというのは、これに似ているのです。
日本全体で見た貨幣供給のトータルがゴム風船の体積、すなわち「水」の量、ということになります。
日本経済の持っている何かよく分からないけど日銀さんあたりが言うバブルではない本質的な部分、みたいなものが「実質部分」です。そうすると、通貨供給を増やす為に紙幣印刷を増やせば、水の体積を大きくすることになりますが、これを抑制してしまうと体積が減るということになります。
日本経済が成長せずにあると実質部分が変化しないということになりますが、水を減らせばゴム風船全体の体積は小さくなり、”濃さ”が段々濃縮され濃くなってゆきますよね。

この濃くなるというのが、言ってみれば「円高」ということを意味しているのです。通貨価値が高まること、というのは、実質部分の濃さが増してしまう、ということですね。ジャンジャン紙幣を印刷して際限なく薄めていけば、ゴム風船の体積はかなり膨張しますけれども(ハイパーインフレみたいな状態)、実質部分の価値も希薄化されますから、貨幣価値が大幅に下落するという状態になってしまいます。


日本円の為替で考えてみると、円高にはなっているけれど、諸外国の通貨が相対的にかなり高くなったかといえば、そうでもないですよ。実質実効為替レートは、以前に下がっていましたが今はかなり戻しています。ドル円だけじゃなくても、ユーロとか元なんかと比較しても、円が大幅に下落したということはないように思われます。

米国の成長率が高いんだ、とかいう主張がありますが、だとすると、普通に考えれば円よりもドルの方が圧倒的に高くなってもいいんじゃありませんか?米国の成長率は日本よりも高かったんでしょう?
ユーロ圏はどうですか?世界中で、日本みたいに人口減少&超高齢社会となっている国はないのでしょう?日本よりも成長率の高いユーロ圏で、円よりもユーロが高くならないわけがないのではありませんか?
ならば、中国はどうですか?世界中でも稀に見る高成長率を誇っており、来年くらいには日本の経済規模を超えるとか言ってませんでしたか?そんな国の通貨が安いはずはないのではありませんか?元が日本円みたいに安いなんてことがありますか?成長率の差がどれほど大きいと思いますか?(笑)

こうした為替レートによる相対的比較というのは、前述した実質部分の”濃さ”ということを見るのと同じ意味合いなのですよ。

日本円がそんなに成長率の差とか言われるほどに大きく下落していますかね?
世界経済の水ぶくれバブルが崩壊した今となっては、別に以前に比べて大幅に通貨価値が下落したわけではないですよ。

中国元は93~94年頃とかなんて、1元=21円くらいだったですよ(昔の方が元高だったわけだ)。兌換元統一の影響もあったことはありましたけれど、12~13円くらいだったのですよ。95年の超円高に見舞われたとき(1ドル79円台になった時期)、約10円程度にはなりましたが、これは特殊な状態でしたけれど、90年代中頃以降で日本円がそんなに大きく減価なんかしませんでした。こんなに中国経済が絶好調を連続でやってきたのに、未だに1元は約13円くらいで、成長率の差ほど貨幣価値に違いなど出ていません。

ドル円では、90年代に比べても相対的には95年頃の特殊要因を除けば、やはり円高になっているわけで、米国の成長率が高いぞとか豪語する程にドルの貨幣価値が大幅にアップなんかしてませんね。

元が実質的にドルペッグだからだ、ドル円もたまたまだったのだ、ということであるとして、ユーロ圏は日本よりも高い成長率だったんでしょう?日本は閉鎖的だとか言われるが、ユーロ圏は域内での対外投資が盛んなんだとかいって、日本以上に成長したんだ、というのに、ユーロがそんなに高くなったかというと欧州の住宅バブル経済崩壊以後では、そうでもないみたいですよ。ユーロ円は130円台とかなんて昔からあった話であり、「ダメな日本経済」が一人負けみたいになって、通貨安がやってきたりしてません。

つまりは、成長率が大したことないのに、”濃さ”ばかりが濃くなってきて、ヨソに比べて濃縮され過ぎなんですわ。だからこそ、円高に見舞われるわけで。輸出産業が苦しむのは、そういった要因があるから、ということなんですよ。ゴム風船の体積が(相対的に)80とか50とかに減っている(=デフレなので)なら、水(貨幣)の供給を増やさないと、濃くなる(=増価)ということです。相対的に貨幣価値が上がって、円高になる、ということです。


貨幣供給に文句を言ってるような人たちの言によれば、高成長率国の貨幣は強くなり、日本みたいな低成長率のダメ国は「通貨が売られまくる、金が国外に逃げてゆく」というのが当然なんじゃないの?(笑)

日本の円は濃すぎる、ということなんですわ。
ゴム風船がしぼむなら、水を増やしてあげないと補正できないんですよ。




大袈裟な「マーケット」至上主義者?の空騒ぎ

2009年11月10日 18時28分11秒 | 経済関連
ちょっと寄り道ですが、たまたま発見。

はてなブックマーク - マーケットから見た「リフレ派」の誤謬 - よそ行きの妄想

何か、色々と吼えまくっているので、全部を潰してゆくには困難なんだけど、かなり曖昧な論点が多いかも。まあ、ご本人も大事なのは科学や工学ではなく「雰囲気」と言い切っているので、元来が「曖昧」を強力に?肯定しているのかもしれません。マーケット関係者なのだろうと予想しますが、そのせいなんでしょうか。これはとりあえずいいですか。


元記事から引用して正確に挙げてゆくのも面倒なので、大雑把に書いてみるよ。

あ)取引停止するようなロシアなんかに、二度と投資しないのがマーケットの怖さだ!

→そうでもないみたいですけど。他のBRICs諸国と比較してどうなのか知らんけど、確かに国外からの投資が多くはないかもしれない。けど、ロシアの国外からの投資が全部引き上げられたという話は聞いてないですが。98年にだってロシア危機はあって、多くの人々はかなり懲りたはずなのに(当時のロシア国債デフォでMMFみたいな割と堅い投資さえ一時マイナス運用に落ちたんじゃなかった?)、リーマンショック直前にはかなりのロシア投資が行われていたみたいですが。そもそもルーブルの信用なんて、あんまり高くはなかったのに、でも外資は入っていっていたみたいですが?取引停止があった後でも、外資が全部引き上げてルーブル崩壊とかになったわけではなかったみたいですが?


い)日本国債だって、投売りされて暴落する、外資の先物攻撃で暴落する!

→国内投資家は関係ないとかおっしゃるみたいで(日本人が日本国債を暴落させる為に投売りするとは思えないですし)、どうやら攻撃してくるのは外資の切った張ったの好きな怖い投資家たちらしいです。んー、まあ、そういう事態が無いとはいえませんが、案外どうってことはないかも。確か、国債取引ってサーキットブレーカー作動しますよね?(うろ覚え)値幅超えたら、停止措置になるから、ある範囲以上には下落しないんじゃないかな。株のストップ安と同じで国債下落が毎日毎日連続する、ということを言うかもしれませんが、そんなに売れる玉を持っている投資家はいますかね?
先物でレバレッジをかけて売りまくる、という仕掛けをやってきたとして、買い方が買い資金がある限り買えるから、政府系だろうと日銀だろうと買い支えは楽勝だろうと思いますけど。

外資が持ってる国債比率って、かなり少なめなんですよね。それを全部売り切られたとしても、多分買えますな。せいぜい60兆円とかくらいしかないでしょう。


う)海外投資家が日本株を売りまくるぞ!

→これは、十分有り得る。実際、この手を幾度か使われたから。リーマンショック前から、やられたと思うよ。大体07年終わり頃から、阿漕な手を使われた。なので、海外投資家が全てのストックを引き上げる、ということになると、これはインパクトとしては相当大きい。東証時価総額の25%程度を持たれているので、これが売り切られた場合には、相当のダメージを食らうだろうね。株価は暴落、円から外貨に移されるから相当の円安になるだろう。
だけど、日本経済全部が壊滅するかどうかは判らない。いざとなれば、年金資金全部を投入しても、買い支えることは可能だし。この売りをやってくるのは一度切りしかできないので、仕掛けも難しいと思うね。みんなが一斉に追随するかどうか不明だし。


え)円売りを浴びせられ、通貨は暴落する!

→確かに有り得なくはない。い)で見たように、数十兆円の日本国債の完全売り切りは出来るからね。その後にも、為替で円売りを浴びせてくれば、数十兆円~百兆円規模くらいで売りができるかもしれない。これができたとして、果たして、いくらくらい円安にできるのか、ということはあるだろうね。仮に、90円から120円まで33%も下落を達成できたとして、日本経済はどうにかなると思うか?(笑)
否。多分、トヨタとかソニーとか任天堂とかが、「ヒャッホウィィ!」と大喜びしてよかったね、とかくらい?うーん、へっちゃら、みたいな。
いやいや、もっと150円くらいまでは行くよ、ということを言うかもしれません。それくらいマーケットは怖いんだぞ、と。その程度であれば、介入する必要性すらないかな。デフレ脱却には、丁度いい湯加減だね、という人さえいるかもしれません。
更に売り込まれれば、180円くらいまで行くぞ、とか?そういえばかつて木村某だったか藤なんとかさんだったか、円暴落で200円とか言ってた人たちはいたかもしれんが、これまでのところ全然うそっぱちだったみたいですが。今の倍の180円にできたとして、日本が決定的に何か困ることってあるかな?輸入額は増えると思うけど、輸出が伸びるし、国内製品が有利になるからそんなに悪いということもないような。どうしても、そこまで売り込まれるのは嫌だという場合には、持ってる外貨準備高100兆円超のドルを売って円を買ってみればいいんじゃないか?98年のロシア危機の時、ドル円は僅か48時間で30円も円高になったらしいが、意外に乗り越えたらしいよ。

どっちが耐えられるか、というのことが試されていいんじゃないか。マーケットが本当に勝てるかな?

それに、円を売るって一口で言うけど、それは必ず「何かの通貨を買う」ということが伴うわけで。となると、数百兆円規模で日本円以外の通貨、ドルとかユーロが買い進まれる、ということになるわけだ。さて、そうなると、円安にはできるが、一方では何が起こるのかといえば、ドル高とかユーロ高が発生することになるだろう。そうすると、ドル高で苦しむ国々もそれなりに出てくるから、いつまでもそういう状態が継続できるか、疑問ではあるよね。かつて英ポンドはソロスに売りまくられたが、ああいう手が日本に通じるかどうか、試したいならやればいい。それは、例えば日本が持つ外貨準備のドル(部分的に米国債)を100兆円売って円を買うということを誘発する、ということだわな(笑)。


お)マーケットの影響を精緻に分析することが一番大事なんだ

どうも、マーケットのことを猛烈に信頼しているっぽいですが、昨年のバカ騒ぎが何の教訓にもなっていないようですね。はっきり言って、マーケットなんてのは危機的状況下では信頼なんてできないの。それは所詮「国、中央銀行」の庇護の下でしか、機能しなくなっちゃったじゃないの。マーケットが信頼するだのヘチマだのなんてものは、ある意味デマカセ。マーケットは混乱し、自暴自棄のようになり、メチャクチャな動きをし、自己破壊とシステム破壊さえもたらしそうになるというもので、理論的でも理性的でもなく、精緻に予測が可能なものでもない。むしろ、予測は極めて困難、というものだ。それが再認識されたのが、経済危機だったのではないかな?

それこそ世界中の「腕のいいトレーダーたち」(笑)が大挙して日夜研究し指標や指数などをくまなく調べ上げ、ありとあらゆる知恵を絞って分析し相場を張った結果が投資活動だったわけで、その連中が一斉にドツボにハマって市場が崩落したのが、世界同時経済危機だったんですよ。そんなに腕のいいトレーダーたちが揃って優秀なんだったら、どうして崩落なんかするのさ、という話なんだわ(笑)。それが気づけないほどに、マヌケなのかな、と。トレーダーたちが分析してたって、あんまり意味ないじゃん。つまり、マーケット、マーケットとか重大事みたいに連呼されるそのシロモノとは、案外と大したことのない、その程度のものでしかなかった、ということなんでは。


か)アメリカのFRBが行った政策とは、国債の買いオペ(笑)

いや、私も詳しくは知らないんだけどさ。
んだども、国債買いオペだけやったって、FRBのバランスシートさそっだらふとっちょになったりしねっぺ?ああっと、ごめんなさい。
しかしながら、普通に国債買いオペだけやっても、FRBのバランスシートはそんなに拡張したりしませんよね?ということです。
勿論、買いオペは初歩中の初歩だから、まあ、それをイの一番に挙げてくるのは判りますが、それは本質ではないはずです。他にも色々とあったはずでして。毒入り債券(笑)の買取とか、かなりやったはずです。


なんか、疲れてきたから、もういいや。




どうすれば、日本はデフレを脱却できるか?~その2

2009年11月10日 13時08分34秒 | 経済関連
①度重なる裏切り

何故、日本がここまで酷い状態が継続するようになってしまったのか、というと、幾度も政策が失敗してきたから、ということになるかと思います。一般庶民の感覚としては、「今度こそ景気が良くなり、自分の生活や暮らし向きも改善するだろう、賃金も増えて喜べるだろう」というような、淡い期待というものがあるわけです。それを達成してくれる政権こそが、「いい政府」ということです。

しかし、90年代中頃以降、バブル崩壊の後遺症かなと軽く考えていた多くの人々に、強烈なインパクトを与えることになってしまったわけです。この、今度こそ、というのが、裏切られました、また裏切られました、次も裏切られました、…という具合に、何度も何度も打ちのめされて裏切られ続けたわけです。人間というのは、こういうのを学習してしまうようにできているわけなんですよ。
97年ショックの後、ITバブルだとか、ヒルズ族バブルだとか、戦後最長の景気拡大だとか、そういうのが幾度か訪れましたが、悉く「ごく一部の連中」だけが豪遊するか、大企業取締役連中に大金が転がり込むだけで、他の人々には何の恩恵もやってこなかったんですよ。だから、期待するのを止めた、ということです。裏切られるに決まっているのだから、これ以上はしょうがない、と。後は自分の生活防衛に邁進するのみ、ということで、より一層財布の紐は固くなりガードは鉄壁になってゆくわけなんです。

脳とかの記憶などにも見られたりする長期増強、みたいなもんですかね。条件付け、といいますか、そういうようなもんです。

要するに、人々は強く学んでしまった、ということです。
「賃金は増えない」「将来(年金を含めて)入ってくる金は増えない」
というようなことを、です。

だから、住宅購入を控える、車も控える、高額商品も控える、デパートで買い物も控える、…あらゆるものを控える、という方向に行くようになったわけなんですよ。で、貯金しよう、と。これで、消費が回復するわけがない。


②失われた20年で「難治性」となってしまった

人々は、こうして何度も裏切られたことによって、ある種の増強効果を受けたようなものなのです。
例えば「ある年の賃金は200万円」ということで、次の年には「202万円になるかな?」という淡い期待を持っていたらやっぱり「200万円」で、景気が良くなってきたかと思えば原油高なんかで「198万円」と逆に引下げられてしまい、あー、これが現実なんだな、終わったな、みたいなもんです。毎年毎年、連続で200万円―200万円―200万円ということであると、それは(名目値の)伸び率がゼロですわな。だけど、200万円―198万円―196万円と減ってきていたとしたら、あと5年経った時の予想はどうなっていると思いますか?

普通なら194、192、190、188、186、という具合になってしまって、「ああ、きっと減ってるだろうな」という予測が強化されてしまうんですよ。つまり「名目値が上がっているはず」という予想を抱くことが困難になってしまっている、ということなんです。こうして「持続的に下がる」というのを強化した、長期間に渡り増強した、ということ自体が、「難治性」を極端に高めてしまったのだ、ということです。こうした「持続的に下がる」という予想と人々の親和性を高めてしまった結果、普通の方法ではこれを改めることができなくなってしまったということなんです。ここまで増強されていない状態であれば、普通の政策手段であっても脱出できる可能性は高まるのです。

しかし、日本は違った。
まさに、「慢性疼痛」のようなものなんですよ。
慢性疼痛というのも、きちんと治療できてないと痛み刺激は酷くなっていき、普通の鎮痛剤なんかでは効かない、というようなことになりかねないのです。痛みは増幅される、疼痛範囲は拡大する、というように酷くなっていくのです。
これまでには痛みとして感じなかったような、ずっと弱い刺激すら強く痛みを感じるようになってしまう、というようなことになるわけなんですよ。度重なる裏切り、は、この増強効果とほぼ同じだったのです。

更には、国民は「痛みに耐えよ」というのを日銀にも政府にも強要された挙句に、痛みの先に待っていたのは鎮痛とか改善ではなく、もっと酷い強烈な痛みだったのですよ。

だから、デフレ圧力は、かつてないほどの強力な下落となっているのですよ。
以前だと、公務員の給料なんかがここまで引き下げられたことなどありませんでしたからね。まあ、やるのであれば、日銀の役員ボーナスを全額カットとか、幹部職員は半額カットとか、それくらいはやった方がいいのかもしれませんが(笑)。

酷い慢性疼痛が継続していると、普通の治療法では中々痛みを軽減することが難しくなってゆきます。鎮痛剤を飲んでもまるで効き目がない、というのは珍しくないですよ。もっと強力な鎮痛剤が必要になるとか、モルヒネが必要とか、そういうこともあるのです。

(日銀の誰だったか忘れましたが、福井さんか白川総裁だったか、利下げとか金融緩和策がマリファナだかモルヒネみたいなもんだ、とか言ってたような気がする。そういうことを言う連中には、気絶しようが何だろうが、麻酔せずに手術でもしてあげるといいかも。日銀総裁あたりになると、心頭滅却すれば、きっと痛みに耐えられるはずだろう(笑)。)

帯状疱疹というウイルス感染症がありますが、この病気に見られるのが神経痛なんですよ。帯状疱疹後神経痛と呼ばれており、初期の痛みにきちんと対処しないと難治性の疼痛となることが知られています。経過時間が長くなればなるほど、余計に治療が難しくなる、ということなんです。だから、初期に正しく治療をしておくことが大事なんですね。


③難治性疼痛の治療法は普通とは違う

失われた10年なり20年で既に過ぎ去った時間は戻ってこない。だから、初期の疼痛にどうして治療しなかったのだ、放置してきたのは何故なのかということを、今ここで責めてみても解決にならない。けれど、患者(日本経済、日本国民)が痛いよ、と散々言っていたにも関わらず、症状を見過ごしてきたり診断を誤ったり治療せずに無責任に放置してきたのは、自分なんだ、ということを自覚するべきだ。そこから出発するべきだ。何か手を打っても、「治療効果がないじゃないか」というのは、既にそういう時期を通り過ぎてしまっているからだ。強い慢性疼痛になっているのに、「ハイ、これ鎮痛剤、飲めば鎮痛効果が得られます」と言っても、「全然効かないじゃないか」というのは当たり前なんだよ。

こういう時、「鎮痛剤には鎮痛効果がある、これ常識、教科書に書いてあるじゃないか」とか言う主張は、意味がないよ。「鎮痛剤投与はこれこれの薬理作用及び薬理効果があります」というのは、確かに常識だわ。間違いじゃない。だけど、「全然効かないじゃないか」ということには、別な理由とかが原因があるからであって、外見上「全然効き目がない」ということが「鎮痛剤の薬理効果が間違いだ」とか「教科書に書いてある鎮痛剤の効果を否定する」ということにはならないのは当然だ。それなのに、「間違いだと言うのか!」「効果を否定する気か!」とか、言い出すバカがいるのは何故なのかな、とは思う。そうじゃないでしょ。「全然効かないじゃないか」ということの中身とか意味を理解してない凡人だから、そういうことを言うんだよ。

鎮痛剤を飲ませているのに、どうして効かなかったのか、ということを考えるのが学問なんでしょ。

他のもっと強力なモルヒネとかを使うか、神経ブロックをするか、温泉療法も使ってみるか、などということを考える、ということだよ。鎮痛剤が効かない=薬理作用を否定、というのを意味するわけじゃないんだから。アホか。体質などの個体差か、投与量が量的に少なかったのか、他の薬剤併用による減弱なのか、そういうことも同時に考えるでしょ。

ある政策について、効果がなかった、十分ではなかった、というのは、本来的に効果を有していない、ということを意味しない。その局面においては、「効果がなかった、十分ではなかった」だけ。じゃあ、どうするのさ、というのを考える仕事こそ、政策担当者のやるべきことなんじゃないのか?

そもそも、ここまで病状を悪化させたのは誰だと思うか?モルヒネなしでは鎮痛できなくなってしまうほどに、激しい疼痛を放置し続けてきたのはのは、国民のせいか?


④日本のデフレには強力な鎮痛が必要

普通の状態であると、ある発痛物質Xが100で電流が発生し、脳に伝えるものとしよう。この場合、物質Xが98とか99では、刺激電流が発生しないので、脳には「痛みとして感知されない」ということ。感じる痛みの強度を、5と表現することにしよう。

日本のデフレ状況というのは、どうなるかというのを書いてみるよ。
長期増強によって発痛物質Xが90で痛みを感じるようになり(閾値の低下)、これが継続された為もっと低刺激である50でも痛みを感知するようになってしまった。しかも痛み強度は、以前には5だったのに、今度は10になってしまったのである。痛みの程度が、以前にはXが100で5の痛みだったものが、今はXが僅か50でさえ10の強さの痛みを感じてしまう、ということである。痛さは倍増、ということだ。これが慢性疼痛の難治性を招くのだ。前は、98でも痛くなかったのに、だ。

しかも痛み強度は、かつては鎮痛剤で5から2とか1くらいに軽減できたものが、今は10の痛みが9くらいには下がるかもしれないが、殆ど「効いてません」という感触しかない、ということですわな。こんなの当たり前だっての。鎮痛剤に効果がない、のではない。鎮痛には不十分過ぎる、ということである。あまりに弱々しい効果しか発揮されていません、ということである。これまで日銀のやってきた政策の多くは、そういうことだ。言ってみれば、伝統的(金利調節等)政策=経口鎮痛剤、非伝統的政策は他の治療法、ということだな。

社会全体にデフレとの親和性が高まってしまっているので、普通の鎮痛剤くらいじゃ話にならないわけです。そうすると、通常では用いないような手段といえども、取らざるを得ないということです。国民は、普通では考えられないほどに、じっと痛みに耐えてきたのですよ。これが他の国だったら、暴動とか政府転覆騒動になっていてもおかしくないくらいに、殆どの国民は痛みを堪えていつかは報われるはずだと信じてやってきたんですよ。常に耐え続けた。これがかえって良くなかったんですよ。耐えられるからこそ、企業側が賃金を切り下げてくるわけで。我慢に我慢を重ねたことが、賃金引下げを容易にしてしまった。余計にデフレ圧力となってしまったんです。他国であれば我慢の限界がもっと低いので、ここまで耐えたりはしないということ。



いずれにせよ、名目賃金が上がってゆき、これまでは毎回期待の「裏切り」だったものを、「今年も上がりました」「次の年もまた上がりました」「その次も上がりました」という風に、過去の裏切りとは全く逆の条件付けを行うことによって、「○年後の賃金は、きっと上がっているであろう」という期待(予測)を持たせることが大事なのだ、ということです。これが達成されたなら、現在持ってるお金を貯めておくよりも、使う方という消費拡大効果が出てくるでしょう。



どうすれば、日本はデフレを脱却できるか?~その1

2009年11月10日 10時01分58秒 | 経済関連
結論から書けば、賃金を上げる、これに賭けるべきと個人的には思います。
これらは、既に書いた通りです。

資料その1:異常な経済運営が続く国~ニッポン


賃金を上げることで、将来予測をこれまでと変えさせる、ということに他なりません。その為には、着実に上がってゆく賃金、ということが必要なのです。それによって企業経営が困る、ということなら、「価格転嫁して下さい」ということを求めるよりありません。最低賃金引上げ問題も関係するのですが、これで失業が増加する、ということが言われますよね。ここをどうクリアするか、ということなんですが、日本全体で「一斉に上げる」ということをやってみるよりありません。誰かが上げて、誰かは上げずに「給料を削る」ことで仕事を取ろうとするからダメなんですよ。それを封じることが必要。

なので、「公務員は給料が高すぎるからダメなんだ、民間に比べて高すぎる、だから人件費2割カット」という政策が一番デフレ強化策になってしまうのですよ。これも何度も言いましたが。そうじゃない。公務員の給料が高すぎて引き下げろ、となるんじゃなくて、もし高すぎるというのなら、「公務員以外全員の給料を引き上げればいい」ということなんですよ。下げるのではない。給料を引き上げるのです。

そうすると、物価上昇は戻ってくる可能性は高くなりますよ。
一人当たり名目賃金とCPIの動きは連動を示すかのように、とても似た動きを示します。これは日本以外でも起こっています。名目賃金上昇率がプラスで、数%程度の上昇率があれば、同じように物価上昇率も上がる傾向にある、ということです。これを利用してみましょう、という提案です。上の「資料その1」に書いた記事中で、1)の項に示した日銀資料の2番目のペーパーの図表16を見て下さい。

つまり、名目賃金上昇率を上げる→物価上がる、という方向に誘導しよう、ということです。

それにも増して重要なのは、将来の「所得が増えているであろう」という期待というか予測を強化することに繋がる、ということです。家計の予想が、これまでの失われた期間においては、殆どが「裏切られてきた」、すなわち、賃金は伸びなかった、という幻滅がとても強くなってしまっているのです。企業業績が回復したり株主配当が増えたのに給料は増えなかった、景気回復だの拡大だのとか言っても増えなかった、ということが、余計に人々の予想をシビアなものにしてしまった、ということです。

これを払拭するには、かなり強い手段を用いないと難しいのではないかと思います。
そこで、5年後、10年後には「自分の所得が増えているだろう」という予測というか期待を強化できるように、賃金を上げるよりない。

これまでは、景気拡大局面であるのに「変わらず」が連続し、逆に「下がる」が度々起こってしまったわけで、上がる場面というのが全然ないわけですから、これで「5年後には多分給料が上がっているだろう」という予測を持て、といっても無理ですよ。過去の経験則が全て破壊されてしまったので、「上がる」というのが当たり前になるくらいに続けないと、多分上がるだろう、という予測を持つことは困難でしょう。2000年に10万円だったら、05年には11万円に、2010年には12万円に、という風に、上がっているのが当たり前なのに、これまでの日本では、下がってしまったということなのですから。

もし公務員の給料が高すぎるというのなら、民間に並ぶまで据え置きで上げなければいい(笑)。どうしても、そうしたいというのなら、しょうがないわな。年金受給者のアップについても、上げ幅を小さくするよりない。物価スライドがあるから、まあ何だが。こうすることによって、現役世代の所得が増加し、年金世代は相対的に減るけれども、所得増によって税収は増えることになるだろう。


名目賃金上昇率、名目GDP成長率が数年連続でプラスになっていくことが達成されたら、消費税上げなどの税制改革などに着手するということになるでしょう。目安としては、名目GDP成長率が少なくとも3%以上、できれば4%以上の数字になってから引き上げの方がいいと思いますが、どうでしょうか。

ですので、どうやってインフレにするのか、というのは、簡単に言うなら「賃金引上げ」を行わせる、ということです。


因みに、製造業は成り立たない、とか言う人もいるかもしれません。
けど、日本の国内賃金が仮に10万円から20万円になったとしても、経済の諸要因が変化がないのであれば、例えばドル表示の賃金に変化はないということになるので、インフレ率だけで数字が大きくなるのであればその分為替での変動が起こり、ドル換算値は変わらないということになるのでは。
例えば、ドル円が1ドル100円の時に賃金が10万円であれば、ドル換算値は1000ドルです。これが20万円になったとして、実質的に変化してないということなら20万円=1000ドルということですから、為替は1ドル200円ということになっているはずです。つまり、円安が達成されているはずだろう、ということです。国内賃金をいくら引き上げたとしても、輸出国と輸入国の間で実質的な経済環境に大きな違いを生ずるわけでないのなら、外見的には変化はない、ということになるのでは。

だって、仮にジンバブエみたいな経済が生じたとして、ジンバブエ国内で賃金がうなぎのぼり(国内通貨表示で)になっていたとしたって、別に、それが海外への輸出品価格に全部反映されてしまう、みたいなことってないでしょう?為替レートで調整されちゃうだけ。
だから、日本国内の賃金を上げたからといって、それで輸出産業は全滅する、とかいうことにはならないはず。インフレ率が高くなると、普通であれば為替が円安側に行くことが多くなるはずです。一般的には、高インフレ率の国の通貨が安くなる、ということですから。なので、仮に賃金を引き上げてインフレ率が高まって名目賃金上昇→(輸出)物価上昇を招いたとしても、為替が円安になることで結果的には「あまり変わらない」ということになるはずだもん。


紙幣を印刷しても、インフレ率が高くなってこなかったじゃないか、という話も、以前にちょっと書いた。

資料その2:「流動性の罠」と緩衝系としての国債


米国FRBのバランスシート拡張の話とか。

資料その3:米国のジャブジャブ度(笑)は桁外れ?


あるとするなら、日銀の紙幣の印刷量が「まだまだ全然足りない」という可能性は考えられる。その場合、「もっとやれ!もっとやれ!」ということはあるだろうけど、中銀の金庫の札束と市中銀行の金庫の札束を、コストの障壁とかなく直結したとしても、日本ではあんまり効果が出なかった(お札が市中銀行の金庫から出て、人々の財布などに行くようにはならなかった、ということかな)、というのは量的緩和政策の実施で何となく判った、ということかと。


印刷だけして金庫に積んでおいても効果が十分ではなかった、ということであると、直接人々の財布に金を届けるのが「賃金引上げ」という法法である。いきなり、市中に出す、これをやるということ。しかも、ドーンとではなく、じわじわっと、お届けします、ということです。




日本のエネルギー政策を振り返る~通産省の国家プロジェクト

2009年11月09日 14時07分59秒 | 社会全般
これまでの政策的な取組みはどうだったのか、ということから振り返ってみたいと思う。

個人的にドラマ『官僚たちの夏』を楽しみにしていたことはあるけれども、別に礼賛したいわけでもないし、懐古趣味でもない。だが、いま目の前にある事柄の多くは、先人の歩んだ道の上にあるのだ、ということは感じるのである。国家的産業プロジェクトが「大したことはなかった、失敗ばかりで成果もなかった」というのは、そうなのかもしれない。しかし、歩んできた道のりを振り返ることに意義がないわけではないだろうと思うのである。


①環境問題に目を向ける時代へ

64年の東京オリンピック頃といえば高度成長時代を謳歌していた日本ではあったが、次第に公害問題が社会の関心を集めるようになってきていたであろう。成長の弊害が生じてきていたということでもある。72年に環境庁が誕生する少し前、日本の識者たちは知恵を集めて考えたようであった。それは、「8人委員会」というものだった。


②「8人委員会」の提言したこと

詳細は省くけれども、『日本にけるテクノロジーアセスメント』(吉澤、社会技術研究論文集Vol.6,42-57,Mar.2009)の記述によると、次のようなものだった。

8人委員会は、社会のあり方に関する政策提言を行うものとして70年に結成された。メンバーは、

渥美和彦(東大教授)
唐津一(松下通信工業取締役)
岸田純之助(朝日新聞論説委員)
白根禮吉(電電公社普及開発部長)
平松守彦(通産省)
牧野昇(三菱総研常務)
松下寛(野村総研取締役)
増田米二(経営情報開発協会理事)

といった有識者たちであった。
彼らは、

『地球という惑星生態系の長期的な維持・発展を期するため、在来の清算と消費を中心とした技術に、排出物処理の技術を加えた循環完結の技術体系と、地球有限の認識に基礎をおく資源節約型の技術を開発すべきである』

という提言を行っていたのだった。
70年当時だったから、まだまだ大量消費は推奨されていたであろう時代にあって、『循環完結の技術体系』と『地球有限の認識に基礎をおく資源節約型』という、まさに今の時代にピッタリと当てはまるものであった。この頃の有識者は、本当の意味において「有識者」ということであったのだろう。その重みという点においても。

8人委員会の提言には、先見の明があった、というべきだろう。


③「サンシャイン計画」始動

70年の8人委員会、72年には環境庁誕生、という環境とテクノロジーに関する一つの流れのようなものが出来つつあった。
そして、73年の通産省には産業技術審議会があった。審議会答申の素案や骨格が固められていったが、その中で生まれてきたのがこの「サンシャイン計画」だった。

大まかに言えば、石油消費を抑制して、他のエネルギーを使おう、石油以外の比率を高めよう、という目標を掲げるものだった。具体的には、石炭液化、原子力、太陽光、地熱その他などのエネルギー利用を促進し、2000年にはそれらエネルギーで2割以上を賄おう、というようなものだった。約4半世紀後の未来に目標を設定して取り組むという、まさに長期的なプロジェクトというものであったのだ。

この73年というのは、72年のミュンヘンオリンピック(札幌冬季オリンピック)の翌年であり、中東戦争勃発により第一次オイルショックに見舞われる年となったのである。丁度その時期に、エネルギー政策に関する検討が行われていたという、時宜を得たものとなった。こうして「サンシャイン計画」はスタートしていったのである。来るべき未来には、石油ではなく、太陽光や地熱や水素燃料などの利用をしましょう、という、長期的新エネルギー政策だったのだ。


④省エネと「ムーンライト計画」

サンシャイン計画は新エネルギー開発の長期的プロジェクトだったが、使うエネルギーをできるだけ節約しようとする動きも出てくることになった。これも、たまたま第二次オイルショックに見舞われたので、「省エネ」という運動に繋がっていったものであろう。そうした中で生まれたのが、この「ムーンライト計画」(78年)であった。サンシャイン計画とムーンライト計画という命名であるので、中々センスのあるうまいネーミングではある(笑)。

度重なる70年代の石油危機は、日本にこうした取組みを促進するのに大いに役立つこととなったのである。
これらエネルギー政策を主導したのは、他ならぬ通産省であった。8人委員会のメンバーにも所謂事務方的な役回りで通産官僚の平松氏が入っていたものと思われるが、通産省の働きの一端がうかがえるであろう。

この2つのプロジェクトは、93年に「ニューサンシャイン計画」として統合され、新たなエネルギー政策として生き残ることになったのである。

参考資料:通産省


⑤まとめ

これらの取組みがなければ、今の日本の効率的エネルギー利用やGDP当たりの石油消費量とかCO2排出量の少なさには繋がらなかったかもしれない。日本ほどの省エネ社会というのは、海外ではそう見られるわけではないのだからね。通産省が偉かったのかどうかは私には判らないし、これらがうまくいったお陰なのかどうかも判らない。

だけれども、70年頃の方向性とか認識として、資源節約志向、循環完結型社会を目指そう、といった長期的展望や目標を示すことは、大いなる意義があったものと思える。それを個別の政策としてトライをしてみて、うまくいった部分もあるかもしれないが、あまり成功とは言えないものもあるんじゃないかと思う。いずれも、今の日本にとって「無駄ではなかった」と思えるような気がするのだ。
ハイブリッド車とか、その他省エネ技術の成果にしても、30年越しでここまで来れたんだ、ということは、ちょっと心のどこかに留めておいて欲しいな、とは思う。大きな取組みというのは、成果が出るまでには時間がかかることもあるかもしれない、ということだね。別な言い方であると、未来なんてやってみなけりゃ判らない、何が必要・重要で何が無駄になるかは今すぐには判らない、ということはあるだろう。


でも、以前の日本人は、こうして知恵を結集して物事に当たっていたんだな、ということは知っておくべきだろう。現代の有識者の集まりは、いかがであろうか?
「しっかり考える」ということが、本当にできているだろうか?審議会の意見などに重みがあるだろうか?社会の取組みに大きな影響を与えるような考え方というものが、きちんと出されてきているのだろうか?それを広く国民に伝える努力はなされているのだろうか?


因みに、サンシャイン計画の後、当時の日本一高いビルとして「サンシャイン60」が78年に完成したということらしいが、単なる偶然なのかな?(笑)どうだっていいんですけど。
昔の官僚たちは、ネーミングとか、とても真剣によく考えて作っていたな、とは思う。センスがいいんだよね、中々。「省エネ」という語呂も誰がどう考えたのか知らないけれど、「省エネルギー」から転じたものとは思いますが、漢字一字を頭に接頭辞のように付けるだけで新語を生み出せるなんて、中々素晴らしいもんね(ホントに、誰が考えたの?)。省資源、省電力、などという類語みたいなのもあるし。どっちの生まれが先なのかは知らないんですけど。
ヘンなんだけど、なるほど、というのは「ハイテク産業」とか、いくつかあるし。

そういうわけで、サンシャインとムーンライトという、場末のスナックみたいな名前の計画がなかったら、日本の環境問題は30年は遅れていた(米国のマネをして「右へ倣え」であれば尚更)であろう、ということですな(違うか)。



09年日本シリーズの総括

2009年11月08日 17時11分03秒 | いいことないかな
敗戦のショックから立ち直れず(笑)、昨夜はちょっと真っ白になってしまって、廃人のように虚脱状態になってしまったので書けなかったが、一夜明けたので、ちょっと書いてみたいと思う。

ハムが敗れたのは残念だったが、よくここまで戦ってくれた。有難うと言いたい。
何と言っても、球界の盟主たる巨人を相手に日本シリーズを挑めたし、興行的にもまずまずの成功を納めたのではなかろうか、と(笑)。
それでは、反省などを含めて、個人的感想などを述べてみたい。


①巨人、日ハムの戦力は互角

はっきり言って、ジャイアンツに戦力の不満などあるわけがない。
小笠原だって、ハムから奪っていったようなもんだしな(笑、冗談だよ)。マイケルだって、ジャイアンツに行っちゃったじゃないか。ジャイアンツの補強、とかって、豊田、クルーン、マイケル中村と、他球団の抑えのエースだった選手を集めてきているのだから、そりゃあ戦力が整うのは当然だわな。グライシンガーはシリーズに登板しなかったが、中核となった主力選手は、ゴンザレス、オビスポ、ラミレス、李、小笠原、谷、ら、要するに「獲ってきた選手」ばかり、ということだから(笑)。

今回活躍した選手の中には、育成枠から上がってきた(松本、山口など)がいる、というのは事実であるが、だからといって生え抜きが主力かというと、そうでもないのだ。言ってみれば、強力な傭兵部隊を編成しているようなものだ、ということ。これで勝てない、なんていう文句を言うのは、そもそもどうかしている、ということになるかな(笑)。逆に言えば、勝って当たり前、ということだ。

6試合の奪った得点と、安打数、本塁打数で見ると、巨人は22得点、50本、8HRだったが、日ハムは21得点、54本、7HRと全く遜色なくほぼ互角だった。投手力は、相手側の奪った得点ということになるので、要するに、投打ともに互角の戦いと言っていい、ということだ。つまりは、1試合平均得点・失点というのが、ほんの僅差の中での戦い、ということで、約3.6~3.7点台の大接戦だった、ということ。勝敗は決してしまったが、運命の女神の気まぐれでどちらに転んでも不思議ではなかった、という勝負だったのですよ。

日ハムの選手たちは、それくらい能力を高めたのだというのは誇っていいと思う。
あの「金で選手を集めてくる」(笑)巨人と、対等に戦える戦力を持つのだ、ということです。これって凄いことなんですよ。


②細かい野球

今回のシリーズでは、日本の野球の精度がステップアップしたことを示す戦いであったのではないかな、と思います。昔みたいに、大エース、大打者、といった特定のごく一部のスーパー能力を有する主力選手に頼って戦えば、勝てるとか結果が出るというような単純な試合ではなくなってきた、ということかもしれません。

たとえば、守備や走塁という部分の重要度が以前よりも増していると思います。
チームとしての戦い方、戦術、駆け引きなど、細かい部分が要求されるようになっています。大味な試合は少なくなり、緊迫した展開の試合ということになるのです。

日ハムの投手力では、先発陣は日本球界のエース級と言われるダルビッシュ以外で見ると、左トリオはよく投げたと思います。勝、八木、藤井は、その役割を果たしたと思います。巨人優勝となってしまった昨日の試合にしても、勝は2点目の失点は別としてよく投げていました。巨人打線は中日投手陣を打ち砕くほどの攻撃力を持っていましたから、ハムの先発陣はよく耐えて投げていたと言えます。左の好投手であるチェンも攻略されたくらいですからね。絶大な力を持つわけではないとしても、トリオが投げた4試合(勝が2試合なので)で6失点ですから、これも中々の成績なんですよ。それほど、よく投げていた、ということです。


③勝敗を分けたポイントはどこか?

日ハムにいくつかのミスが出た、というのは、その通りかと思います。でも、巨人にも出ていたので、これが決定的というのは判りません。振り返って考えてみると、継投策と攻めの気持ち、というあたりが思い浮かびます。

判断の難しい面はあるかと思いますが、分岐点はやはり第4戦の8回裏の継投策、ということになるかと思います。

日ハム1勝2敗で迎えた第4戦。
集中打などで順調に得点し終盤の7、8回にも加点できていたので、ほぼ楽勝ムードでした。
ハム8-1の7点リードでの8回裏巨人の攻撃。
多分シーズン中なら、登板機会の少ない誰かに投げさせていたところかな、と思いますが、この日は何故か磐石を期して?金森をマウンドへ送ったのです。8回表に2点追加できた後でしたから、敢えて金森じゃなくても良かったのです。

菊地が残っていれば菊地でも良かったのかもしれませんが、前の登板で力み過ぎて、あまり良くなかったこともあり、別な人をということもあったのでしょう。相手を乗せないように、という配慮もあったかもしれません。

ですが、思いもよらぬ展開になったのでした。
1アウト後にショートゴロエラーからランナーを許し、ヒットで繋がれ1、2塁。ここでラミレス登場で、3点HRを叩き込みました。その後、金森から林にスイッチして、最後は久だったのですが、この時の流れがこれまでの継投の感じを「少し悪くした」ということはありました。

問題点が2つありました。
金森が打たれた、ということ。
もう一つは、久を登板させてしまったこと、でした。

第5戦で好投の藤井を7回で建山にスイッチしましたが、これまでの流れで言えば勝ちゲームの終盤は、金森、宮西というパターンが多かったわけです。しかしながら、前日に金森を使ってしまい、尚且つ3ランを打たれてしまっていたことから気落ちするなどのメンタル面の変化があったりとか、首脳陣の投手起用法に若干ながら影響を与えたということはあったのだろうと思います。
なので、建山を8回から登板させたのでした。シリーズ後半になって、そんなに内容が悪かったわけでもなかったので、建山起用は普通だったろうと思いますけれども、死球を与えてしまったことで「イヤな雰囲気」が頭をよぎるという結果になったのではないかと思います。

これがもし金森であったなら、一塁にランナーを出されても投手を替えなかったかもしれません。左の代打を出されてもベンチが動かず、続投という選択はあったのかもしれない、ということです。そうすると、大道が出てくることもなかったでしょう。けれども、建山だったので林に継投を選択し、結果的には牽制悪送球で3塁に行かれてしまって、同点打を浴びました。


もう一つの点は、久が第4戦に登板し、この時にも2安打されてしまったのですね。小笠原が2塁でアウトになって運良くゲームセットにはなったものの、巨人サイドでは「久から打てた」という事実は脳に刻まれました。それと、第4戦での登板になってしまった為に、久は連投と球数が増えるという結果になったわけです。これが思わぬ落とし穴の伏線になってしまった可能性があります。

ですので、怖さはあるし、苦しいという事情もあるけれど、第4戦では8回、9回を金森、久の温存に賭けることができたなら、その後の展開には違いがあったかもしれません。
原巨人が、山口はハム打線に割りと打たれてしまって得点を奪われたにも関わらず、その後にも続けて登板させてきたことを思うと、第4戦の8回以降の継投から、投手起用に迷いのような部分が生じてしまったんじゃないだろうか、と思えたのです。


④攻めの気持ち~盗塁、走塁

別のポイントとしては、第5戦でサヨナラ勝ちを呼び込んだ8回裏の巨人の攻撃でした。
代打李が建山に死球を受けて代走鈴木を出して、勝負に来たわけです。あそこは当然代走になりますけれども、果敢にチャレンジしました。初球から仕掛けてきたわけですよ。これは負けてるチームの「リスクを取らねば勝利はない」という信念のような、攻める姿勢と気持ちがよく出ていました。これが結果的には奏功してノーアウト2塁となり、坂本が送れずに終わりましたが、その後に3塁に進めたので大道の同点打が出たわけです。

似たような第6戦の8回裏の日ハムの攻撃では、4番高橋がノーアウトで出塁しましたが、後続を断たれて無得点に終わってしまいました。負けてるチームの作戦としてどうなのか、ということはあるかもしれません。代走を出して揺さぶるとか、盗塁させ攻略に賭けるという判断はあったのではないかと思いますが、これといった策はなく無得点に終わったのです。
ここに「1点を取りにいく野球」がどうだったか、と。結果的にサヨナラ勝ちを呼び込んだ巨人の「代走の初球盗塁」と、安打を多数放ちながら無得点に封じられたハム。
負けている時に、局面を打開するには何らかの手を使わないと難しい場合というのがあるのだな、ということを感じました。ある種のギャンブルですので、うまく行けば「いい采配」、失敗すれば「采配ミス」ということになるのですが、でも、勝ちに行くことが必要な場面ではリスクに挑戦しないと切り拓けないこともある、ということかな、と。

ハム側も、第4戦で賢介が見事な3盗を決めて、勝負に出たことが試合を動かしたというのがありました。第6戦で賢介のノーアウトでの出塁が度々ありながら攻略・得点できなかったのですから、何らかの打開策とか果敢に盗塁させるなどの手があっても良かったかもしれません。7回にゲッツーに終わったのがいい例ですね。結局、7回、8回とノーアウトのランナーを出しながら、負けている側の取る作戦としてはどうだったかな、ということはあるかもしれません。

第6戦で貴重な先制点を呼び込んだ亀井の3塁への走塁や松本の足など、積極果敢な姿勢が勝敗に結びつくという面を示していたものと思います。やはり、走塁や盗塁というのは、野球というゲームの中では、非常に重要な要素なのだ、ということが改めて確認されたのではないかと思います。



オイ、亀井シズカにしろ!

2009年11月07日 15時45分41秒 | 俺のそれ
別に、本日のハム―巨人決戦を前に、亀井にプレッシャーをかけているわけではございません(笑)。

同点ホームランを打った亀井がやたらとはしゃいでいたのを咎めだてて、亀井静かにしろ、と言っているということではないのです。


スマート町村さんが、斜陽化著しい自民党内にあって、タロウあたりからは名指しで退場を迫られた派閥の長として、何とか目立つパフォーマンスを国会で示さねばならないという使命感から、遂にはオモシロオヤジギャグのダジャレパフォーマンスを狙って、「オイ、亀井静香にしろ!!」と大声で一喝したなどとは、到底思いもよらぬことでありましょう(笑)。


ということで、今日、明日の大事な戦いでは、是非とも「オイ、亀井シズカにしろ!!」というのを実践していただきとうございます。
>WBCにも出た、巨人の5番打者殿へ


本当に沈黙させちゃるぞ(笑)。

つーか、泣かせるしかないな。




事実から目を背ける肝炎問題

2009年11月06日 16時18分32秒 | 社会全般
この国の低劣で思考力に欠けるジャーナリズムとやらが、何をもたらしたのかということをよく考えてみたらよい。
何が一番腐っているかといえば、「事実に目を向けないこと」だ。彼らは、何かを妄信して止まない。だから、自分たちの乏しい知識しかないにも関わらず、他の意見を省みることはしない。出鱈目を拡散することに精を出す。根本にあるのは、「決して自分たちは間違ってなどいない」という信念であり、究極のニセ科学的な「絶対的な正しさ」の確信なのだ。

それ故に、どんなことであろうともどこぞの識者の「お手軽コメント」なんかを拝借したりして、断片を繋ぎ合わせて自分勝手に情報を合成してゆくということになるのだ。そこには正しさも、真実も欠けていることが多々あるのに、である。しかもそれを絶対に疑ったりしない、という、極端なまでの「カルト宗教じみた信奉」があるのだ。これは殆どの場合、分野を違わずこうした傾向が見られるように思われる。

たとえばこういう例だな。
低レベルのジャーナリズム気取りが薬害を煽り立てる


その後、どうした?専門家(笑)の会議は。
何か新たな発見でもあったか?
だったら、科学的な根拠をもって発表したらいいよ。

C型肝炎問題のその後

研究班とやらは、ダテに雁首揃えているわけでもあるまいに。さっさと新事実を出せよ。あるなら出せばいい。科学的知見はないのか?
それとも下手な情報操作だけやるくらいしかできないのか?
輸血はどうした?その影響は?その法的責任は?
日赤は無傷か?
じゃあ、医療機関は?医師の法的責任は?

要するに、答えなんかない。
別に正しい事実や知識が必要なわけじゃないからさ。


で、見せかけだけの法案だか、美辞麗句を並べた法案だか知らないが、新たに作るんだそうですよ。

全肝炎患者救済へ、基本法案成立の公算大(読売新聞) - Yahooニュース

肝炎患者の救済という大義名分が、別に悪いわけではないよ。現実に困っている人たちは大勢いたであろうからね。だが、ここまでの道のりも、出されてきた論調も、最高裁判決も、どれもがウソで塗り固められた話であり、誰も事実を理解しようとする姿勢も気持ちも持っていないのである。だから、欺瞞だと何度も言ってきたが、日本のマスコミというのは決して報じないのだな。官僚主義と同じで、改めるということができないのである。


国の責任という部分に異常に拘るのは判らないではないが、それは全体から見ればほんのごく一部に過ぎないだろう。輸血や血液製剤で感染したり、医療行為で感染した例は皆無であるはずがない。そうした原因によって、大勢の人たちが感染したであろう、ということは推測されるわけである。しかし、その前提となっているのは、そもそも国民の間で「感染者が大勢存在していたから」ということであり、それがあるが故に売血や献血の中にウイルスは含まれるのであるし、院内感染などで拡散することだって起こるわけだから。実際に、HIV患者は「ほぼ同じような医療行為」が日本中で行われていたにも関わらず、殆ど現れてこなかった。それは、多くの国民がウイルスを持っていなかったから、だ。感染力とか拡散の違いはあるものの、根本的には「ウイルス陽性率」の高さが問題になるのだ。HCVの拡散を招いたのは、国の責任でもなければ薬害でもない。ましてや、予防接種などのせいでもない。それ以前の問題だ。


日本の医療専門家である医師とかだと、あまりハッキリとは言えないから目立って指摘したりはしないだろう。多分ウチのブログくらいだろうな、こんなことを言うのは。言われた側は嫌な気持ちにはなってしまうかもしれないが、それでもなお「正しい情報」なり、「最も真実に近づけること」の方を私は選ぶ。


西日本でHCV陽性率が高いことの理由というのは、基本的に謎だ。昔のことなんて確かめる術もないからね。
だが、何故、広島、大阪や福岡では、他の都市よりも陽性率が高かったのか、ということをよく考えてみるべきだ。現に、大阪のホームレスは、陽性率が高かった。

C型肝炎が西日本で多い理由について

感染機会は輸血や血液製剤ばかりではない、ということだ。実際、今になってでさえ毎年毎年、新規の感染者は数百人規模で発見されている。陽性率はかなり低下してきたことは事実だが、それでもゼロにはならない、ってことだ。戦中戦後世代のHCV陽性率が高いのは、それなりの理由があるからだ。

ヒロポンのような薬物中毒者の逮捕者が多く出た地域とは、どんな地域だったのか?

現代でも、HCV陽性率の高さは薬物使用者でよく指摘されることだ。
公式情報トピックス(2006年) : FORTHFOR Travelers Health - 厚生労働省検疫所 海外感染症情報

『HCV感染は現在でもEU中のIDUsでは極めて流行している。2003年~004年に検査されたIDUsからの検体にて陽性率が60%以上であった国は、ベルギー、デンマーク、ドイツ、ギリシャ、スペイン、アイルランド、イタリア、ポーランド、ポルトガル、英国、ルーマニア、およびノルウェーであった。25歳未満のIDUsで最も高い陽性率(40%以上)は、2003年~2004年にベルギー、ギリシャ、オーストリア、ポーランド、ポルトガル、スロバキアおよび英国からの検体で確認された。新規IDUsで最も高い陽性率(40%以上)は、ギリシャ、ポーランド、ポルトガル、英国およびトルコからの検体で確認された。』

とある。極めて高率の陽性率が確認されているのだ。これは現代なのだぞ?
日本でも、約50%といった水準の陽性率が報告されたことがある(Wada K,et.al Addiction 1999,Jul 94(7);1063-9)。かつての日本で、これと同じような感染爆発が起こらなかったとは考え難いのだ。薬物使用が蔓延していた世代―戦後の昭和30年頃までに10代後半から20代くらいの若者だった人たちだ―では、それ以降の世代とは明らかに陽性率が高いのは事実だ。


予防接種の場合の「注射器の使い回し」というのをよく言われる場合があるが、針が同一人に用いられたことは、極めて少なかっただろう。ガラスの注射筒時代で、内容液を棄てず、針だけ替えていくという方法をとっていた時代があったのだ。子供の時の記憶だからハッキリとは判らないけれど、多分、対象が子供であること、筋注であること、といったような理由から、感染拡大の危険性で考えてみると、針刺し事故のようなものに比べて危険度は低かったのではなかろうか、とは思う。これは別に、推奨しているわけではない。やるべきではないよ。だが昔は、ディスポの注射筒が無かった。ガラスの注射筒を何百人分も用意できると思うか?というと、難しかった面はあるだろう。そんな時代じゃなかったんだよ。30年後とか40年後になって、あの時やっていた方法が不適切だった、と現代の基準を適用して言うことは、理不尽ではあると思う。

筋注だから、直接血液が引けてしまう可能性はそんなに高くはない。勿論、体液としての細胞外液はあるし、毛細血管からの血液は有り得る。だが、静脈注射のような血管内にヒットするわけではないから、ウイルス汚染の可能性は格段に低下するはずである。更に、液を棄てる、という行為によって、逆流の確率も低減され得るわけである。普通、注射という行為によって、サック・バックが発生し血液が注射筒内に流れ込んでくる可能性は皆無ではないが、そこまで入るのはそんなに多く発生しないかもしれない、ということ。

注射する→針を抜くと同時に内容液をごく僅か押して棄てる(=針内の体積以上に流せば針内の液体は残らない)→注射筒から針を外して替える→新規の針内に内容液を満たす→注射

これを多分繰り返していたのだろう、と。このサイクルでは、刺した針を使うわけではないので、使った針内にウイルスが混入したとして、それが注射筒内に到達することで感染拡大となるのだ。血液混入がない時だと、ウイルスに汚染される可能性はかなり減少するのではないかと思う。だからこそ、予防接種は現代に近づく世代の方が接種率が高くなったのに、ウイルスキャリアが減少していったのだ。HBVの垂直感染は残されていたにも関わらず、キャリアは確実に減少していった。昔よりもはるかに多く予防接種が行われるようになったのに、だ。

予防接種が本当に原因だとすると、地域的に集中して発生する可能性が高くなるので、一定割合がキャリア化したとしても、ごく一部は顕性化するだろう。そうすると、特定地域の子供たち数人に同じような時期に同じような肝炎症状が発生する、ということになるわけである。こうしたケースが疫学的に発見されないで何十年も来たのか、というと、それは疑問ではあるな。似たような事例があれば、多分誰かは気づくだろう。全国で毎年毎年数十万人~百数十万人規模で行われる、大規模調査(みたいなもの)なのだぞ?
そういう数百万人にも及ぶ子供たちに、ある注射を実施すると後日決まって肝炎の症状発生が見られる、ということになるわけである。これが原因検索もされず、漫然と見過されてくるほど日本の医療は低水準ではないだろうし、医師や看護婦たちの能力が低かったとも思われない。
80年代中頃ではディスポ製品に殆ど切り替わっていたので、恐らくガラス筒使用はなくなっていたんじゃないかな、とは思いますがね。


医療機関の院内感染とか、不適切な医療行為といった感染源がなかったわけじゃない。多分、一人のキャリアが医療機関を受診し、そこの医療器具等を汚染することによって、他の患者にも拡散していった可能性はあるだろう。だって、昔の時代に、患者が自らキャリアであることを名乗りでることなど不可能だったからだ。そもそもHCVが同定できなかったのだから。HBVにしても、顕性感染例くらいしか判別することなどできなかった。医療機関の滅菌・消毒技術も未熟だった。煮沸消毒だったんだぞ?他は、アルコールくらいでしょ?

そもそもは、HCV陽性者が増大したりしなければ、医療でも輸血でも感染機会が増大することはなかった。その確率が上がってしまったのは、恐らく戦後にあった薬物濫用だ。入れ墨なんかもそうだ。そういうことによって、陽性者は社会全体に広がっていったのさ。そういうのが盛んだった都市、すなわち広島、大阪、福岡なんかは陽性率が高くても不思議ではない、ということはあるだろう。他には犯罪検挙率の高かった朝鮮人の人口比率の高いゾーンとか、だ。


何でもかんでも、国のせい、製薬会社のせい、厚生省官僚のせい、悪徳政治家や悪徳医師のせい、そういう欺瞞こそが、この問題を覆い隠す結果となっているのだ。

真実が知りたい、と言っておられた原告団の方々に、本当の真実に近いであろう事柄を指摘してあげると、それは非難されるべきこととなってしまうわけである。
希望していたのは、本当にそういうことだったのか?
何故、HIV訴訟があれほど大きな社会問題となっていた90年代にさえ、提訴しなかったのだ?早くに提訴していれば、90年代にHCV検査は可能だったのだから、重篤化する前に治療開始ができていたかもしれないのだよ?
菅直人が厚生大臣の時に、決着がついていたかもしれないのだよ?

要するに、一斉提訴とか法的闘争というものが、「何らかの意味を持つ」ということだな。
世の中というのは、真実や正しさが勝つわけじゃない。
あくまで政治力。

間違ったことを言う連中であっても、徒党を組んでいるとか、肩書きがくっついていれば、真実は容易に捻じ曲げることが可能だ、ということ。これこそが、現代社会の真理なのである。



薬害C型肝炎問題のまとめ

薬害C型肝炎問題のまとめ・2



日本シリーズ第5戦~いよいよ王手!!

2009年11月05日 18時45分49秒 | いいことないかな
初回、ゴンザレスが四球を与える。
元々少ない投手なのに、いきなりである。

糸井に盗塁を許して、なお3塁にまで進まれるが、無得点に抑える。しかし、藤井の順調な立ち上がりの後の2回表、エラーでミスミス失点。しかもバッターが投手の藤井で、だ。転がせば何が起こるか判らない、ということか。やはり、打てなくても食らいつくのが大事なんだな。

巨人ナインは、かなりプレッシャーを感じているのだろう。
それが初回ゴンザレスの四球、パスボール、そして、内野陣のお手玉、不安とプレッシャーが伝播してゆく、という、絵に描いたような展開。やらずもがなの先取点をハムに与えてしまった。


藤井とゴンザレスの投げ合いが続く。
緊迫した投手戦。

藤井は悪い時は結構早い回で降板することはあるが、意外な時に好投を見せたりする(笑)。特に、四球が少ないゲームでは、そこそこ三振も取れる投手なので、無失点で抑えることはあるんだよね。でも100球まで、ということだったんだけど。今日はどうなんだろうか。
昨日の金森の状況があったので、使いにくいということになると、建山と宮西連投もあるか。できれば、藤井に7回まで行ってもらって、建山から久に繋ぎたいところ。


ゴンザレスはいよいよエンジンがかかってきて、5、6、7回と三者凡退。
藤井もヒットの連打を許さず、7回まで来た。

仕掛けがどちらも難しそう。
どこでスイッチするか、代打を出すタイミングも難しいな。


結局藤井は無失点、素晴らしい投球だった。
8回裏は、ハムが一人一殺継投か?

あー、悪い予感が…と思ったら、ミスで今度はお返しされた。
追い込んでからの死球、しかも、代走鈴木で一度の牽制もなく、走らせてアウトを取りに行く積りなら、初球外せば良かったのに、一発で盗塁された。で、牽制悪送球で3塁に行かれてしまい、失点。
大道の打球は、普通の守備位置なら何のことはないセカンドライナーで、前進守備だったが故に取れなかったんだよね。これが3塁を与えてしまった罪の重さ。

今日の巨人は、3塁を踏むことすらできてなかったのに、たった一度でこうなる、ということだな。ミスは怖い。


しかし、しかしの、9回表、4番高橋のひと振り。
素晴らしいホームラン!!

迷わず振り抜いた。
8回の建山、林のミスを取り返してくれた。


いやー、野球は判らんな。
まさか、久が2発食らうとは。
信じられないな。ま、しゃーない。


シーズン中にもHRを打たれること自体が、もの凄く珍しいから1本くらいしかなかったはず。
だが、昨日もちょっとピリッとしなかったけれど、今日はまさかのサヨナラ負け。今年初めてだ。


これはまあ、仕方がないんじゃないか。打った亀井と阿部、これが見事だったと思うよりないな。長打力の威力を見せつけられたよ。特に亀井の高目ストレートをHRというのは、驚いたな。あれは、久の球のキレがほぼない、ってことなんだろうな。恐らく、疲れだろうと思う。本当は昨日に登板しない展開が一番良かったんだけど、思いもよらぬラミの3ランで展開が変わってしまったからな。

あれが思わぬ尾を引いてしまったということなんだな。昨日休めていれば、と悔やむけれども、仕方ないよ。移動日で少し体を休めて、札幌で連勝すればいい。次は強みのある地元だから、きっと勝てる。

みんな信じてるから、大丈夫だ。
気にすんな。


巨人に王手をかけられてしまったが、昨年にも巨人はここから連敗ということで、そういうこともあるから。



JALの企業年金は減額できるか?~コメントへの回答など

2009年11月05日 16時52分02秒 | 法関係
わたくしは、さしずめ「逆位置のHanged Man」となりますでしょうか(笑)。
タロットカードは全然知らない(*)のですが、何となく。適当です。

(*:昔あった「カードキャプターさくら」とか、「遊技王」の敵キャラの誰だったか、というようなタロットカードものはあったな。ウチの子もそれなりにハマっていた時期があった)


冗談はさておき、「吊られた男」さんのコメントにお答えをしたいと思います。

ご指摘の「3分の2ルール」については、かねてより報道されているとか、提示された記事のような『不同意が示される可能性は小さくない』という程度の新聞報道であれば、あまり問題にはならないのではないかと思います。これは、吊られた男さんに同意できるものです。しかし、正しく記述しようという姿勢とか、報道する側の「法に対する思考力」や正確な報道内容という点からしますと、到底及第点というわけには行きますまい、というのが当方の考え方です。

少なくとも、記事を書く上で記者は弁護士等の「専門家」の誰かには確認しているはずであろうし、自分自身でも考えるか調べるということは実行可能であり、行っているはずです。新聞記者の方の出身学部別の数は知りませんが、法学部卒は決して少なくはないのではmないかと思えます。農学部や工学部といった出身の方々よりも、はるかに法学部卒という方々が多いのではなかろうか、と勝手に推測していた次第です。であれば、少なくとも法学的見地から思考するという「基礎的訓練」を大学時代に受けていているであろう、と予想することがそんなに過酷でハードルが高すぎるということはないでしょうし、法学部でも何でもないただの一般人(例えば私みたいな人)よりも、正しく考えることができないはずはないのではないか、と思ったのです。

ですが、残念ながら、そうした楽観的希望というのは無残にも打ち砕かれるということでして、法学部卒の記者氏ばかりではなく、超難関の司法試験合格者たる弁護士の方々の中ですら、正しい解説をしない、正しい情報提供をしない、ということがあるのではありませんか、ということです。


今度はもっと具体的に毎日新聞の記述に戻ってみたいと思います。
元記事を再掲しますが、引用部分は次の通り。

『企業年金は賃金の後払いの性格があるため、受給権は強力に保護されている。法的整理の場合も、強制的に減額が可能なのは破産だけで、民事再生法や会社更生法では減額されない可能性が高い。また、企業年金の解散は、確定給付型に移行した日航では事実上困難。こうした事情から、政府内の一部には年金受給額を強制減額する特別立法を模索する動きもあるが、財産権の侵害になりかねないため慎重論が強い。』


記述の中身をバラしますと、こんな感じです(勿論文脈というのは考慮すべきでしょうが、とりあえず)。

①企業年金は賃金の後払いの性格がある
②受給権は強力に保護されている
③法的整理の場合、強制的減額可能なのは破産だけ
④民事再生法や会社更生法では減額されない可能性が高い
⑤企業年金解散は日航では事実上困難
⑥強制減額する特別立法は財産権の侵害になりかねない

順に見ていきますが、殆どがウソっぽい記述といいますか、不正確な記述となっています。
幾度も出して申し訳ありませんが、参考記事中に述べたことですので、既に書いてあります。

参考1>恩給・職域加算の減額は憲法違反か?その2

参考2>JALの企業年金は減額できるか?


①について:
間違いではありませんが、そうではない部分も当然に含まれます。企業年金と一口で言っても、適格企業年金の中には一般更生債権として扱われる部分があります。松下電器の年金訴訟では、「賃金として観念できない(=提供労務の対価ではない)部分」は減額可能として考えられています。
「賃金の後払いとしての性格」というのは、どこの誰が言ったのか、ということです。それは法学的に定説なのか、判例にあるのか、といった点が問題とされても不思議ではありませんが、記事を書くにあたり記者氏が特に気にしている様子はありませんね。
企業年金というような曖昧な記述を避けるべき。「賃金と見なされる場合、賃金の後払い」とはどんな場合でどのような年金制度なのか、という注釈くらいあってしかるべき。
短い記事中に全部書くというのは無理で制約があるというかもしれないが、不確実な内容を書くくらいなら書かない方がマシだし誠実ではある。

②について:
「強力に」とか「図抜けて」とか、そういう修飾語が無駄に多い。新聞記事の特徴かな。「裏付けられた」みたいな断定的口調というのもよくあるが、そういう必要性がないことは多々ある。事実を事実として記述する訓練をやるべき。受給権保護は、時と場合による。以下①と同文、みたいな(笑)。

③について:
「減額可能なのは破産だけ」というのは、明らかなウソ。素人でも判る話。以下同文。

④について:
これもかなり不正確。TMI法律事務所さんの見解を読めば判ると思うが、毎日の「可能性が高い」という根拠はない。少なくとも、民事再生法と会社更生法では、異なる、というのが基本的考え方なのでは。減額されない可能性が高い、なんて、とてもじゃないが言えない。一部はあてはまるが、半分以上違うという記事内容は、報道としてどうなのよ、という話。「手術で助かる可能性が高い」なんて術前説明を受けた患者が死んだりしたら、毎日新聞さんあたりだと真っ先に訴えてきそうなんじゃないの?、と。

⑤について:
事業会社が存続困難となれば、年金基金は持続困難になると思うが。事実上解散ができない、というのは誰が言ったのか?必ずしも年金基金の解散ができない、ということにはならないだろう。解散は法令の条件に従う。

⑥について:
これは事後的立法措置が取られてこなかったので、判りません。最高裁のご意見をうかがわねば、違憲かどうかは不明です。主に公務員年金の恩給や職域加算を減額されると困る、という事情で、これまでの官僚サイドのご意見としては「財産権侵害だ」というデマみたいな主張が流通してきただけでしょう。国会議員の議員年金減額(廃止)の話が出た頃にも同じくそうしたデマみたいなのが盛んに流されたように思います。自分の給与から支払った部分は当然に自分の財産ですが、それに基本的運用利回りを乗せた金額以上の部分というのは、必ずしも自分の賃金ではないのではないでしょうか。労務対価ではありません、ということですね。

他の例では国家公務員の年金減額規定は法に定められており、刑法犯の場合には職域加算部分の受給権を停止されたりします。私個人の意見としては、積極的に事後的立法というのは望ましくないと思いますが、官僚サイドがそこに拘るのは、自分たちの職域加算が減額可能という法的見解をもたれる(or知られる)ことの恐怖ということで、これを阻止するには「財産権侵害だ、だから減額は違憲だ」と言い続けねばならないからではないかと推測しています。そもそもは、事後的立法などせずとも、「減額は可能」というのが現行法体系での見解ではないか、と私は考えています。

中には小林節慶大教授の如く、貸金業法改正は「違憲立法」「生存権侵害」「職業選択の自由を侵害」だの、「最高裁判決は不遡及原則に反する」だのといった見解すら出される始末ですので、いくら司法試験に合格しようが弁護士や法学部教授になろうが、妥当な見解なのかどうかというのは肩書きだけでは何とも言えませんでしょう。「違憲だ」とか主張するのは、言うだけタダですので(笑)。


結論として言えば、引用した部分の毎日新聞の記事は、殆どが不正確だ、ということです。
①~⑥が全部ダメということです。



ゴジラ松井が遂にやったな

2009年11月05日 14時47分22秒 | いいことないかな
1試合6打点のタイ記録でMVP獲得と。

松井秀、悲願の世界一! 先制弾含む6打点でMVPに輝く=ワールドシリーズ - スポーツナビ - Yahooスポーツ

(以下に一部引用)

4試合ぶりにスタメン復帰を果たした松井は、2回無死一塁で迎えた第1打席、第2戦で決勝アーチを放ったフィリーズ先発マルティネスのストレートをとらえ、ライトスタンド2階席へ今シリーズ3本目となる先制2ランを放った。3回2死満塁の第2打席ではセンター前に2点タイムリー、5回1死一、二塁の第3打席でも右中間フェンス直撃の2点タイムリー二塁打を放ち、3打席連続の2打点でワールドシリーズタイ記録の1試合6打点をマークした。新記録が期待された第4打席は空振り三振に倒れるも、この日は4打数3安打6打点と大爆発。6年ぶり2度目の挑戦で初となるワールドチャンピオンの栄冠を自らのバットで勝ち取った。またこの日の活躍もあり、今シリーズは13打数8安打で打率6割1分5厘、3本塁打8打点の好成績を残し、ワールドシリーズMVPに輝いた。

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おめでとう。本当に良かったね。
怪我で苦労し、スタメン落ちやDHでの起用など、苦しいことが本当に多かったんじゃないかと思ったよ。でも、そういう苦労の甲斐があったんじゃないかな、と。

巨人と同じで、勝つことを宿命とされる球団にあっては、優勝できない、ワールドシリーズで勝てない、というのが続いてきたので、針のムシロ状態だったんじゃやないかな、と思いますよ。
更には、現地の辛口批評で松井不要説なども出されて、辛かったんじゃないかなと思います。

でも、最後の最後に、大爆発が訪れて、まさに火を噴いたって感じ。

入団して初めてのWS制覇だもんね。
井口とか田口の大ラッキーに比べると、可哀想だったし。
本当に良かったね。



日本シリーズ第4戦

2009年11月04日 20時04分16秒 | いいことないかな
昨日は、シーズン中であれば8回の高橋の打席は送りバントだったろう、ということで、結果論ではあるけれど、あそこでゲッツーで終わって追加点が奪えなかったことが響いたと言われたであろう。

でもまあ、そういう試合もあるから、切り替えて今日の試合。

3回、満塁で4番高橋に打席が回る。
1アウト後から賢介出塁、森本が内野安打、稲葉四球で繋いだのだった。
鬱憤を晴らすかのような、2点タイムリー。
さらに小谷野が2点3塁打で4点を奪う集中打だった。


今日のヒサノリは、調子が良かったと思う。
初回は3者連続三振の素晴らしい立ち上がり。
コントロール、阿部の配球も申し分なし。
こういう投球は、裏の攻撃にも好影響を与えたのだろう。
坂本がノーアウトで出塁し、松本が送りバントを失敗するもヒットでチャンス拡大。しかし、小笠原、ラミレス、亀井が連続で倒れて無得点。

巨人は攻撃の形を作りながら、八木から得点できない。
2回のチャンスにも無得点で終わる。
そして、3回のハムの集中打で4失点。

2回表の1、3塁のピンチを凌いでいただけに、ヒサノリには悔やまれる回となってしまったであろう。八木はあまりコントロールは良くなかったが、悪いなりに気持ちが負けないように投げて、特にクリーンアップを集中して抑えたのが効いた。

巨人は、ラミレスが打点ゼロと、完璧に封じられていて、昨日の小笠原の2点2塁打にしても、札幌ドームであればアウトの確率の高い打球だったから、3、4、5番のバットがこれだけ打てないと、坂本、松本が気を吐いても、得点はできない。

1点返したのも、この2人で取ったものだからね。

しかし、また4番高橋に打たれHR。
4番が3打点、素晴らしい仕事。シーズン中の成績とか、単純にそれだけではないのかもしれないね。ラミレスの方が数字的には上だけど、それだけじゃないのだ。

ヒサノリは内容的には八木よりも多分良かったんじゃないかと思う。それでも、打たれる時はある、ということなんだろうかね。

賢介の1塁線の打球に、亀井は見送りというのも、外野守備が専門の人には難しかったか。あそこは普通飛び込むから。
で、森本にスクイズを決められ、ダメ押しとなってしまった。


マズい。
まさかの金森がラミレスに遂に打たれた。
HRを。

シリーズ初めてのHRを打たれてしまった。
これは、かなりマズい。

ショート飯山の、何でもなゴロでエラー、これが何より痛かったな。
勝ちゲームで、やや緊張感が抜けると、こういう結果を招くんだよ、という見本だな。シーズン中でも10点リードくらいだったか、ショート飯山が最終回エラーでランナーを出して、3点か4点取られたことがあったからね。野球は怖いんだよ。

いやー、ラミレスはやっぱ怖いな。遂に火を噴いた。
強烈なライナーで飛んでいったからな。明日以降が怖い。

林が思わぬ登板となっただろうけど、阿部を討ち取り後続も抑えて、よく切り抜けた。




中央銀行と通貨発行

2009年11月04日 11時31分12秒 | 経済関連
中央銀行の資産と銀行券の話。

はてなブックマーク - なぜ中央銀行は資産を保有するのか? - himaginaryの日記


これを思い出した。

「銀行券ルール」と日銀の矛盾

銀行券が負債サイドにあり、また、国債買入(保有)上限が銀行券を超えないというルールは、トートロジーっぽい話だわな、とは思いますよね。


で、白川総裁の「インフレ的政策はとらない」という事実上の「デフレ継続強化」宣言が飛び出しては、日本国民は債務で死ね、ということを中央銀行総裁に求められたということですわな。

今の民主党政権にかすかな望みがあるとすれば、膨大になった公約が達成困難になるということで、逆に削減不可能であるが故に、このままオーバー予算のまま行くと非常に大きな需給ギャップを埋めることにはなるという棚ボタというか結果オーライでも何でもいいので、日銀総裁誕生の際に矢鱈と粘ったのと同じくらいにデフレ脱却を選べば、チャンスは生まれるかもしれない(笑)。



JALの企業年金は減額できるか?~またまた続き

2009年11月03日 13時42分26秒 | 法関係
大体、拙ブログで書いた通りだったんじゃないか?
割と「いい線」行ってたみたいだよ。

JALの企業年金は減額できるか?

JALの企業年金は減額できるか?~少し補足


毎日新聞だけじゃなく、他のマスコミとかにも流通していたいい加減な解説とか、「企業年金減額は憲法違反」みたいなデマは、聞くだけ無駄だわな(笑)。

焦点:JAL再建、年金債務圧縮に法的整理も浮上 Reuters

(以下に一部引用)

ある民主党議員は、大手弁護士事務所のTMI総合法律事務所(東京都港区)に対し「給付額が著しく多く、深刻な積立不足が生じている確定給付企業年金制度について、当該企業が会社更生手続きを開始する場合、企業年金債務の取り扱いはどうなるか」と質問したところ、同法律事務所の坂井豊弁護士らは29日付で「支払額の3分の1まで最大限圧縮することは理論上可能」との回答を書面で提出した。

可能である理由として、年金債権は一般債権よりも優先される優先的更正債権であるが、相対的に優位に扱われれば、優先されることになるとの解釈を示し「例えば、一般債権の弁済率が10%である場合、年金債権の弁済率を20%として8割のカットをしても、相対的優先原則には反しない」と指摘した。
ただ、一般的には退職年金には「賃金の後払い的性格があることから、その3分の1が(更正手続きで優先される)共益債権になるのが原則」と説明している。この見解を先の民主党議員は、今後財務省側などに伝える予定だとしている。

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ね?
拙ブログに書いた説明で大体良かったでしょう?

つーか、条文に書いてある通りに素直に読めば、そういうことなんだろうけど。これは、他の人が読んだとしても同じだわな(笑)。

因みに、拙ブログでは無料で書いていますけれども、上記「TMI総合法律事務所」さんあたりですと、相談料と言いますか、回答作成費用として結構いい金をふんだくるんじゃないかなと勝手に推測してしますが、どうなんでしょうか(料金が発生するかどうか知りません)。

まあ、ウチみたいなオメガ級ブログ記事と一緒になんかすんな、ということはあるでしょうけれど、TMIさんみたいな超有名大手弁護士事務所には権威と保証があるが、ウチにはないしね。だから、たとえオレが書いてもあんまり信じてはもらえないんだろうな、とか思いますがね。まあ、いいんですけど。


でも、日本の法学教育は本当に心配だよね。
法学部を出ようと、弁護士になっていようと、法学部教授になっていようと、ダメなものはダメなんだという例をよく目にするからね。ド素人以下なのは、どうしてなのかフシギダネ(笑)。