いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

どうすれば、日本はデフレを脱却できるか?~その3(追加あり)

2009年11月11日 18時47分13秒 | 経済関連
シリーズの続きです。
もう少し書いてみたいと思います。


これまでよく出されてきた指摘として、日銀は「量的緩和」や「国債買入償却」をやってきたのに、インフレにならなかったじゃないか、というものがあります。

このことをもって「効果がない」とか「無意味」とか言う人たちはいるわけですが、本当にそうなのかどうかはまだ分からないのではないかと思います。鎮痛剤投与で「飲んだのに、まだ痛みがあるじゃないか」ということで、無効だのといったことにはならないわけで、これは昨日書いたとおりです。


日常生活の中でも、似たような感じの事柄はあると思います。また喩えで申し訳ないんですが、ご容赦願います。
唐突ですが、乾燥した椎茸がありますよね。これを料理などに使おうという時、水で戻すと思いますが、この水分量が十分であればきちんとふやけてくれますけれども、水分が足りないとどうなると思いますか?
多分、カサカサした部分が残ってしまい、乾燥椎茸の縮んだような形のままで、カチカチに固い部分が残ってしまうでしょう。こういう時は、「水の量が足りないんだな」と分かると思います。
効果が外見的に知覚されるほどになっていなければ、「(水を与えても)効果がない」というように錯覚する、というようなものなのですね。水を与えたのに、形は縮んだままじゃないか、みたいな。けれど、それは与える水の量が少なすぎるのが理由であり、「もっと増やして与えればいい」ということは分かるはずです。効果が十分でないのは、水のボリュームが足りないからなのです。椎茸じゃなくて、乾燥わかめでもいいですが、要するに効果を得るには少なすぎる水の量を与えても、一見効果がない、というように見えてしまうことがあるよ、ということです。



お金は、よく経済の血液とか言われることがあります。また、水のような流体というイメージがあったりします。白川総裁なども「配管」という表現を行ったりすることがありますよね。なので、水量調節のような一面があるのだ、ということで、これについて述べてみたいと思います。


よく手術の時に輸血したり、輸液をしたりしますが、あれも何の意味もなく行うものではなく、それなりに考えられていることがあるのです。水分量の調節とか、血液量の調節なんかが重要なのです。

手術前ですと、一般的には絶飲食とされると思います。何時間も前から、飲んだり食べたりしてはいけない、ということになるわけです。でも、人間の体というのは代謝が継続しているので、24時間稼動の工場みたいなもので、新たな原材料の補給がなくても、動き続けているわけです。当然、水分も失われていきます。呼吸しているだけで、水分が外に排出されるんですよ。尿も作られてしまいますから、体内の水分量は失われていく一方になります。

普通であれば、水分が減ってゆくと喉の渇きを覚えたりして、水を飲みますが、絶飲食であるため飲めません。こういう時、輸液でどうやって補給するか、ということが出てくるわけなんですよ。
たとえ既に500ml輸液したとしても、だから「hypovolemiaになるわけがない」というようなことを主張する(多分そんな人はいないと思うけど)のは困難なのです。量的に充足しているかどうかを検討しない限りは、「輸液で水分を入れているのだから、これで十分だ」といったことにはならないということです。それには体重などの体格とか、絶飲食時間とか、不感蒸泄や便・尿などの量といったIN-OUTバランスを考えることが必要なのだ、ということです。

これだけ入れてるから適正とか量的に十分といった判断は、簡単には成り立たないということです。先ほど述べたように、自分の感じ方では「(水が)ジャブジャブ」みたいに思っているとしても、だからといって椎茸がきちんと戻るかどうかは分からない、というのと同じです。元々乾燥していたのであれば、より多くの水を吸収してしまうので、思いのほか水の量が必要となるかもしれませんよ?
術前の失われた水分量が多ければ、その補正に必要となる輸液量が思った以上に多いかもしれない、ということもそうです。


日本経済の長期間に渡るデフレでは、経済全体が「カサカサ」に乾き切ってしまっているなら、想像以上に多くの水分量を入れないとダメかもしれない、ということです。入れても入れても、どんどん吸収されてしまって、外見的には「効果が出ていない」と錯覚することがないわけではないかもしれない、ということです。

術中には、代謝分とか以外にも、出血、術野からの蒸発、third space移行など、いくつもの水分喪失が起こる可能性とか要因が考えられているので、それらを補うことが必要なのです。なので、いくら「輸液している、これだけ入れた」と言っても、足りてなければ足りないということには違いがないわけです。


ですので、デフレ対策としての

・量的緩和は効果がない
・国債買入償却は効果がない

という短絡的結論は、現時点で下すのが難しいはず。

まず学術的に確かめられるべきことでしょう。



続きです。

円という通貨の価値とボリュームという点を、少し簡単なイメージで書いてみたいと思います。

今、水の入ったゴム風船があるとします。お祭りで売られるヨーヨーみたいなものでもいいですよ。
このゴム風船の体積が100だとします。全部水で満たされています。水には溶質となる分子が含まれていて、とりあえず「実質部分」と呼ぶことにしますか。お金の価値とか、そういうように呼ばれる部分がこの「実質部分」なのだ、と。でこのゴム風船の中には、実質部分の分子が100個入っている、とします。すると、実質部分の分子は、体積100に対して100個入っていますから、初期状態の”濃さ”というのは、実質部分/水=1、ということですね。

さて、バブルみたいに、水ぶくれみたいな経済になってしまったとして、実質部分に変化はないにも関わらず、外見的には風船が大きく膨らんでしまったかのような状態になったとしますか。そうすると、水ばぶくぶく増えて体積が200となり、中に含まれる分子は不変(100個)であると、実質部分/水=1/2となって、”濃さ”が薄まってしまいます。

逆に、水の量が減ってゆくとどうなるでしょうか。
ゴム風船の体積が80に縮小すると、実質部分が100のまま変化ないと”濃さ”は100/80=1.25となって、初期状態よりも高くなります。もっと水が減って50になると、”濃さ”は100/50=2、となってしまいます。


日本のデフレというのは、これに似ているのです。
日本全体で見た貨幣供給のトータルがゴム風船の体積、すなわち「水」の量、ということになります。
日本経済の持っている何かよく分からないけど日銀さんあたりが言うバブルではない本質的な部分、みたいなものが「実質部分」です。そうすると、通貨供給を増やす為に紙幣印刷を増やせば、水の体積を大きくすることになりますが、これを抑制してしまうと体積が減るということになります。
日本経済が成長せずにあると実質部分が変化しないということになりますが、水を減らせばゴム風船全体の体積は小さくなり、”濃さ”が段々濃縮され濃くなってゆきますよね。

この濃くなるというのが、言ってみれば「円高」ということを意味しているのです。通貨価値が高まること、というのは、実質部分の濃さが増してしまう、ということですね。ジャンジャン紙幣を印刷して際限なく薄めていけば、ゴム風船の体積はかなり膨張しますけれども(ハイパーインフレみたいな状態)、実質部分の価値も希薄化されますから、貨幣価値が大幅に下落するという状態になってしまいます。


日本円の為替で考えてみると、円高にはなっているけれど、諸外国の通貨が相対的にかなり高くなったかといえば、そうでもないですよ。実質実効為替レートは、以前に下がっていましたが今はかなり戻しています。ドル円だけじゃなくても、ユーロとか元なんかと比較しても、円が大幅に下落したということはないように思われます。

米国の成長率が高いんだ、とかいう主張がありますが、だとすると、普通に考えれば円よりもドルの方が圧倒的に高くなってもいいんじゃありませんか?米国の成長率は日本よりも高かったんでしょう?
ユーロ圏はどうですか?世界中で、日本みたいに人口減少&超高齢社会となっている国はないのでしょう?日本よりも成長率の高いユーロ圏で、円よりもユーロが高くならないわけがないのではありませんか?
ならば、中国はどうですか?世界中でも稀に見る高成長率を誇っており、来年くらいには日本の経済規模を超えるとか言ってませんでしたか?そんな国の通貨が安いはずはないのではありませんか?元が日本円みたいに安いなんてことがありますか?成長率の差がどれほど大きいと思いますか?(笑)

こうした為替レートによる相対的比較というのは、前述した実質部分の”濃さ”ということを見るのと同じ意味合いなのですよ。

日本円がそんなに成長率の差とか言われるほどに大きく下落していますかね?
世界経済の水ぶくれバブルが崩壊した今となっては、別に以前に比べて大幅に通貨価値が下落したわけではないですよ。

中国元は93~94年頃とかなんて、1元=21円くらいだったですよ(昔の方が元高だったわけだ)。兌換元統一の影響もあったことはありましたけれど、12~13円くらいだったのですよ。95年の超円高に見舞われたとき(1ドル79円台になった時期)、約10円程度にはなりましたが、これは特殊な状態でしたけれど、90年代中頃以降で日本円がそんなに大きく減価なんかしませんでした。こんなに中国経済が絶好調を連続でやってきたのに、未だに1元は約13円くらいで、成長率の差ほど貨幣価値に違いなど出ていません。

ドル円では、90年代に比べても相対的には95年頃の特殊要因を除けば、やはり円高になっているわけで、米国の成長率が高いぞとか豪語する程にドルの貨幣価値が大幅にアップなんかしてませんね。

元が実質的にドルペッグだからだ、ドル円もたまたまだったのだ、ということであるとして、ユーロ圏は日本よりも高い成長率だったんでしょう?日本は閉鎖的だとか言われるが、ユーロ圏は域内での対外投資が盛んなんだとかいって、日本以上に成長したんだ、というのに、ユーロがそんなに高くなったかというと欧州の住宅バブル経済崩壊以後では、そうでもないみたいですよ。ユーロ円は130円台とかなんて昔からあった話であり、「ダメな日本経済」が一人負けみたいになって、通貨安がやってきたりしてません。

つまりは、成長率が大したことないのに、”濃さ”ばかりが濃くなってきて、ヨソに比べて濃縮され過ぎなんですわ。だからこそ、円高に見舞われるわけで。輸出産業が苦しむのは、そういった要因があるから、ということなんですよ。ゴム風船の体積が(相対的に)80とか50とかに減っている(=デフレなので)なら、水(貨幣)の供給を増やさないと、濃くなる(=増価)ということです。相対的に貨幣価値が上がって、円高になる、ということです。


貨幣供給に文句を言ってるような人たちの言によれば、高成長率国の貨幣は強くなり、日本みたいな低成長率のダメ国は「通貨が売られまくる、金が国外に逃げてゆく」というのが当然なんじゃないの?(笑)

日本の円は濃すぎる、ということなんですわ。
ゴム風船がしぼむなら、水を増やしてあげないと補正できないんですよ。