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C型肝炎が西日本で多い理由について

2008年10月06日 16時03分59秒 | 社会全般
これに関連して暴論を承知で書くよ。

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なるほど、と思いましたが、C型肝炎が西日本で多い理由の主たる要因が何なのかな、と。
HCVが風土病的な側面があって、例えば媒介の蚊や何かの虫が影響しているということはあるのかもしれない。遺伝子的な何かなのかもしれない。しかし、それだけではうまく説明がつかないようにも思えるのです。風土病的なものであれば、年齢階級には関係なく陽性となってしまうのではないかと思えるからです。

私個人の考え方は別です。それを以下に書いてみます。

◇◇◇


まず、覚醒剤事犯の検挙件数を見てみました。

昭和48年 警察白書

表5-27によれば、昭和40年代前半に検挙人員が多いのは「近畿」「中国」「四国」であった。次第に全国(多分都市部であろう)に拡散していくのであるが、元々「西日本に集中していた」のである。
検挙人員が多いことが、必ずしも使用者数が比例して多いことを示しているとも言えないのであるが、推測では大体比例した傾向であろうと思われる。


昭和53年 警察白書

図6-2をよく見て欲しい。NATROM氏が紹介された「西高東低」の図と似た傾向が窺われるのである。昭和20年~31年頃であるとどうであったか、というのは判らないのであるが。


こちらの記述は興味深い(というか、他の編・章も含め、現代において参考とすべき記述が多くあるので、中々面白い)。

昭和35年版 犯罪白書 第一編第二章三2

都道府県別の検挙者数が出ていないが、『戦後急速に流行した麻雀クラブやダンスホール,キャバレーなどに出入する人びとや,不良集団のあいだに本剤の使用が流行し,それにつれて注射薬も市販されるようになった。』との記述がることから、そうした娯楽施設のある地域や進駐軍のいた地域などに、濫用が蔓延していったのかもしれない。



昔から西日本にHCVキャリアが多く存在したとすると、水平感染機会は少ない地域に比べて当然多くなる。戦争中の空襲等で怪我をしたりすると血液接触機会は多くなるかもしれない。海軍基地や陸軍基地に負傷者が多く存在したりすると、やはり血液接触機会が多い人というのはいるかもしれない。
何らかの理由でウイルスが拡散していくということは、HCV陽性者が元々少ない地域に比べて多くなるであろうと推測されるのである。

肝炎訴訟に関する雑考~6

現在でも、新たな感染者が報告されている。
売血が行われていた時代には、売血者がHCV陽性であると一気に感染が拡散されるであろう。つまり陽性者が多くいる地域であれば、輸血によって感染が拡大していく機会は増えるであろう。その他医療行為などによっても、はやり感染拡大機会は多くなるであろう。



参考までに、指定暴力団の起源を見ると、西日本に多いことがわかる。
平成5年 警察白書

昭和20年代~40年くらいまでに興された暴力団は、圧倒的に西日本に多く「西高東低」なのである。薬物密売等がこうした暴力団組織が関与していた可能性を考えるのであれば、その分布地域にHCV陽性者が多くなったとしても不思議ではない。また、外国人犯罪、特に在日朝鮮人による犯罪率が高かった(昭和35年版 犯罪白書 第一編第二章五3)ことからも、そうした外国人の多い地域はやはり薬物犯罪が多く発生していたであろうことが推測されるのである。

こうした薬物濫用期を通じて、HCV陽性者が拡散した可能性というのを想定するのは、それほど突飛なものとも思われないのである。更には、積極的に売血していた人たちの中に貧窮者や薬物濫用者たちが多くなれば、HCV陽性率が高いことが推測されるのではないか。西日本のHCV陽性率が高い地域というは、そうやって水平感染機会が増大していった結果なのではないだろうか?大阪、福岡や広島などのような陽性率の高い特定の都市には、どういった特徴や傾向があっただろうか?



HCV抗体陽性率は男性の方が高い。妊娠・出産で輸血されたわけでもなければフィブリノゲン製剤を投与されたわけでもない。にも関わらず、「輸血やフィブリノゲン製剤」を投与されたであろう女性よりも、投与を受けていない男性の方が「陽性率は高い」のである。男性の方が、何倍も病気になって病院に行ったとでもいうのだろうか?そんなわけはあるまいに。
更に、昭和一ケタ生まれの世代が最もHCV陽性率が高かったのだ。これはどういうことか?終戦後に丁度10~20代を迎えた人たちだ。ヒロポンが蔓延していた世代とまったく合致しているのだ。昭和5年生まれの人は終戦が15歳、昭和29年には24歳だ。初回献血者における検査で、1930年代生まれの世代は、HCV抗体陽性率(2000年全国平均)が3.38%で一番高かったのだ。他のどの年代よりも、だ。

集団予防接種がどうのとかいう意見もあるが、もしもそうであるなら、戦後生まれ世代の方が「高い陽性率」になっていなければならないだろう。たとえば、団塊世代の方が、昭和一ケタ生まれの世代よりも「陽性率が高い」ということになっているはずだ。しかし、実際にはそうではない。



また、困窮者は生活環境が劣悪であり、栄養状態も悪いことが多いので、易感染性なのであろう。

ホームレスの健康状態に関する報告

過去の医療歴が判らないので何とも言えないが、一般の献血者に比べてHCV抗体陽性者は明らかに多い。
40~49歳の層(大体1951~60年生まれの世代)は、献血者で1.11%に対して約3倍の3.30%だ。その上の世代である1941~50年生まれは、1.47%に対して約7倍の9.68%、1935~40年生まれ世代では献血者の陽性率も高く2.51%だが、やはり約4倍近い9.46%の陽性率となっている。

何度も言うように、戦後の低栄養状態の時期に貧困だった人たちは感染が起こりやすいと考えるのは不自然ではないし、加えて戦後に青春期を迎えていた若者たちに蔓延した薬物濫用は、恐らくHCVを拡散してしまっただろう、ということですよ。陽性者がある特定地域に多くなれば、全然関係ない人たちの水平感染機会が増えても不思議ではないでしょう。

こういうのが積み重なって、輸血後肝炎や院内感染の遠因となっていったのでしょう。フィブリノゲン製剤よりもはるかに強力な感染拡大をもたらしたのは、「年長世代における薬物濫用、低栄養、貧窮」などであろうと思う。それが医療行為などを通じて、全く関係のない集団にも広がっていったのであろう、と思うのである。




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