いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

事実から目を背ける肝炎問題

2009年11月06日 16時18分32秒 | 社会全般
この国の低劣で思考力に欠けるジャーナリズムとやらが、何をもたらしたのかということをよく考えてみたらよい。
何が一番腐っているかといえば、「事実に目を向けないこと」だ。彼らは、何かを妄信して止まない。だから、自分たちの乏しい知識しかないにも関わらず、他の意見を省みることはしない。出鱈目を拡散することに精を出す。根本にあるのは、「決して自分たちは間違ってなどいない」という信念であり、究極のニセ科学的な「絶対的な正しさ」の確信なのだ。

それ故に、どんなことであろうともどこぞの識者の「お手軽コメント」なんかを拝借したりして、断片を繋ぎ合わせて自分勝手に情報を合成してゆくということになるのだ。そこには正しさも、真実も欠けていることが多々あるのに、である。しかもそれを絶対に疑ったりしない、という、極端なまでの「カルト宗教じみた信奉」があるのだ。これは殆どの場合、分野を違わずこうした傾向が見られるように思われる。

たとえばこういう例だな。
低レベルのジャーナリズム気取りが薬害を煽り立てる


その後、どうした?専門家(笑)の会議は。
何か新たな発見でもあったか?
だったら、科学的な根拠をもって発表したらいいよ。

C型肝炎問題のその後

研究班とやらは、ダテに雁首揃えているわけでもあるまいに。さっさと新事実を出せよ。あるなら出せばいい。科学的知見はないのか?
それとも下手な情報操作だけやるくらいしかできないのか?
輸血はどうした?その影響は?その法的責任は?
日赤は無傷か?
じゃあ、医療機関は?医師の法的責任は?

要するに、答えなんかない。
別に正しい事実や知識が必要なわけじゃないからさ。


で、見せかけだけの法案だか、美辞麗句を並べた法案だか知らないが、新たに作るんだそうですよ。

全肝炎患者救済へ、基本法案成立の公算大(読売新聞) - Yahooニュース

肝炎患者の救済という大義名分が、別に悪いわけではないよ。現実に困っている人たちは大勢いたであろうからね。だが、ここまでの道のりも、出されてきた論調も、最高裁判決も、どれもがウソで塗り固められた話であり、誰も事実を理解しようとする姿勢も気持ちも持っていないのである。だから、欺瞞だと何度も言ってきたが、日本のマスコミというのは決して報じないのだな。官僚主義と同じで、改めるということができないのである。


国の責任という部分に異常に拘るのは判らないではないが、それは全体から見ればほんのごく一部に過ぎないだろう。輸血や血液製剤で感染したり、医療行為で感染した例は皆無であるはずがない。そうした原因によって、大勢の人たちが感染したであろう、ということは推測されるわけである。しかし、その前提となっているのは、そもそも国民の間で「感染者が大勢存在していたから」ということであり、それがあるが故に売血や献血の中にウイルスは含まれるのであるし、院内感染などで拡散することだって起こるわけだから。実際に、HIV患者は「ほぼ同じような医療行為」が日本中で行われていたにも関わらず、殆ど現れてこなかった。それは、多くの国民がウイルスを持っていなかったから、だ。感染力とか拡散の違いはあるものの、根本的には「ウイルス陽性率」の高さが問題になるのだ。HCVの拡散を招いたのは、国の責任でもなければ薬害でもない。ましてや、予防接種などのせいでもない。それ以前の問題だ。


日本の医療専門家である医師とかだと、あまりハッキリとは言えないから目立って指摘したりはしないだろう。多分ウチのブログくらいだろうな、こんなことを言うのは。言われた側は嫌な気持ちにはなってしまうかもしれないが、それでもなお「正しい情報」なり、「最も真実に近づけること」の方を私は選ぶ。


西日本でHCV陽性率が高いことの理由というのは、基本的に謎だ。昔のことなんて確かめる術もないからね。
だが、何故、広島、大阪や福岡では、他の都市よりも陽性率が高かったのか、ということをよく考えてみるべきだ。現に、大阪のホームレスは、陽性率が高かった。

C型肝炎が西日本で多い理由について

感染機会は輸血や血液製剤ばかりではない、ということだ。実際、今になってでさえ毎年毎年、新規の感染者は数百人規模で発見されている。陽性率はかなり低下してきたことは事実だが、それでもゼロにはならない、ってことだ。戦中戦後世代のHCV陽性率が高いのは、それなりの理由があるからだ。

ヒロポンのような薬物中毒者の逮捕者が多く出た地域とは、どんな地域だったのか?

現代でも、HCV陽性率の高さは薬物使用者でよく指摘されることだ。
公式情報トピックス(2006年) : FORTHFOR Travelers Health - 厚生労働省検疫所 海外感染症情報

『HCV感染は現在でもEU中のIDUsでは極めて流行している。2003年~004年に検査されたIDUsからの検体にて陽性率が60%以上であった国は、ベルギー、デンマーク、ドイツ、ギリシャ、スペイン、アイルランド、イタリア、ポーランド、ポルトガル、英国、ルーマニア、およびノルウェーであった。25歳未満のIDUsで最も高い陽性率(40%以上)は、2003年~2004年にベルギー、ギリシャ、オーストリア、ポーランド、ポルトガル、スロバキアおよび英国からの検体で確認された。新規IDUsで最も高い陽性率(40%以上)は、ギリシャ、ポーランド、ポルトガル、英国およびトルコからの検体で確認された。』

とある。極めて高率の陽性率が確認されているのだ。これは現代なのだぞ?
日本でも、約50%といった水準の陽性率が報告されたことがある(Wada K,et.al Addiction 1999,Jul 94(7);1063-9)。かつての日本で、これと同じような感染爆発が起こらなかったとは考え難いのだ。薬物使用が蔓延していた世代―戦後の昭和30年頃までに10代後半から20代くらいの若者だった人たちだ―では、それ以降の世代とは明らかに陽性率が高いのは事実だ。


予防接種の場合の「注射器の使い回し」というのをよく言われる場合があるが、針が同一人に用いられたことは、極めて少なかっただろう。ガラスの注射筒時代で、内容液を棄てず、針だけ替えていくという方法をとっていた時代があったのだ。子供の時の記憶だからハッキリとは判らないけれど、多分、対象が子供であること、筋注であること、といったような理由から、感染拡大の危険性で考えてみると、針刺し事故のようなものに比べて危険度は低かったのではなかろうか、とは思う。これは別に、推奨しているわけではない。やるべきではないよ。だが昔は、ディスポの注射筒が無かった。ガラスの注射筒を何百人分も用意できると思うか?というと、難しかった面はあるだろう。そんな時代じゃなかったんだよ。30年後とか40年後になって、あの時やっていた方法が不適切だった、と現代の基準を適用して言うことは、理不尽ではあると思う。

筋注だから、直接血液が引けてしまう可能性はそんなに高くはない。勿論、体液としての細胞外液はあるし、毛細血管からの血液は有り得る。だが、静脈注射のような血管内にヒットするわけではないから、ウイルス汚染の可能性は格段に低下するはずである。更に、液を棄てる、という行為によって、逆流の確率も低減され得るわけである。普通、注射という行為によって、サック・バックが発生し血液が注射筒内に流れ込んでくる可能性は皆無ではないが、そこまで入るのはそんなに多く発生しないかもしれない、ということ。

注射する→針を抜くと同時に内容液をごく僅か押して棄てる(=針内の体積以上に流せば針内の液体は残らない)→注射筒から針を外して替える→新規の針内に内容液を満たす→注射

これを多分繰り返していたのだろう、と。このサイクルでは、刺した針を使うわけではないので、使った針内にウイルスが混入したとして、それが注射筒内に到達することで感染拡大となるのだ。血液混入がない時だと、ウイルスに汚染される可能性はかなり減少するのではないかと思う。だからこそ、予防接種は現代に近づく世代の方が接種率が高くなったのに、ウイルスキャリアが減少していったのだ。HBVの垂直感染は残されていたにも関わらず、キャリアは確実に減少していった。昔よりもはるかに多く予防接種が行われるようになったのに、だ。

予防接種が本当に原因だとすると、地域的に集中して発生する可能性が高くなるので、一定割合がキャリア化したとしても、ごく一部は顕性化するだろう。そうすると、特定地域の子供たち数人に同じような時期に同じような肝炎症状が発生する、ということになるわけである。こうしたケースが疫学的に発見されないで何十年も来たのか、というと、それは疑問ではあるな。似たような事例があれば、多分誰かは気づくだろう。全国で毎年毎年数十万人~百数十万人規模で行われる、大規模調査(みたいなもの)なのだぞ?
そういう数百万人にも及ぶ子供たちに、ある注射を実施すると後日決まって肝炎の症状発生が見られる、ということになるわけである。これが原因検索もされず、漫然と見過されてくるほど日本の医療は低水準ではないだろうし、医師や看護婦たちの能力が低かったとも思われない。
80年代中頃ではディスポ製品に殆ど切り替わっていたので、恐らくガラス筒使用はなくなっていたんじゃないかな、とは思いますがね。


医療機関の院内感染とか、不適切な医療行為といった感染源がなかったわけじゃない。多分、一人のキャリアが医療機関を受診し、そこの医療器具等を汚染することによって、他の患者にも拡散していった可能性はあるだろう。だって、昔の時代に、患者が自らキャリアであることを名乗りでることなど不可能だったからだ。そもそもHCVが同定できなかったのだから。HBVにしても、顕性感染例くらいしか判別することなどできなかった。医療機関の滅菌・消毒技術も未熟だった。煮沸消毒だったんだぞ?他は、アルコールくらいでしょ?

そもそもは、HCV陽性者が増大したりしなければ、医療でも輸血でも感染機会が増大することはなかった。その確率が上がってしまったのは、恐らく戦後にあった薬物濫用だ。入れ墨なんかもそうだ。そういうことによって、陽性者は社会全体に広がっていったのさ。そういうのが盛んだった都市、すなわち広島、大阪、福岡なんかは陽性率が高くても不思議ではない、ということはあるだろう。他には犯罪検挙率の高かった朝鮮人の人口比率の高いゾーンとか、だ。


何でもかんでも、国のせい、製薬会社のせい、厚生省官僚のせい、悪徳政治家や悪徳医師のせい、そういう欺瞞こそが、この問題を覆い隠す結果となっているのだ。

真実が知りたい、と言っておられた原告団の方々に、本当の真実に近いであろう事柄を指摘してあげると、それは非難されるべきこととなってしまうわけである。
希望していたのは、本当にそういうことだったのか?
何故、HIV訴訟があれほど大きな社会問題となっていた90年代にさえ、提訴しなかったのだ?早くに提訴していれば、90年代にHCV検査は可能だったのだから、重篤化する前に治療開始ができていたかもしれないのだよ?
菅直人が厚生大臣の時に、決着がついていたかもしれないのだよ?

要するに、一斉提訴とか法的闘争というものが、「何らかの意味を持つ」ということだな。
世の中というのは、真実や正しさが勝つわけじゃない。
あくまで政治力。

間違ったことを言う連中であっても、徒党を組んでいるとか、肩書きがくっついていれば、真実は容易に捻じ曲げることが可能だ、ということ。これこそが、現代社会の真理なのである。



薬害C型肝炎問題のまとめ

薬害C型肝炎問題のまとめ・2