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どうすれば、日本はデフレを脱却できるか?~その4

2009年11月13日 13時19分37秒 | 経済関連
これまで、日銀やその他政策担当の人たちに判ってもらおうと、色んな喩えを用いて書いてきたが、やはり説明がまずかったか余計に判り難かったのかな?

流体のようなイメージとか、人体の循環系のようなモデルの調節みたいな感じとか、そういうのが判らないということなのかもしれない。一口に血圧って言っても、この調節は色々とあるわけなんですよ。圧の数字、というだけではなく、当然に「量」というのも重要な関与があるわけですから。ボリュームということのイメージがないと、ひとつ前の記事に書いたことが、あまりうまく伝わらないかもしれません。だからこそ、「artが足りない」と批判したら、調節をキチキチにしてマネーストック低目維持(量的緩和解除後の離脱)を9四半期連続でやってきたりとかなのか?(笑)

で、その後の07年11月からは世界で最も早くに景気後退期に突入したってわけ。なるほど。日銀は、ド素人以下の集団なんでしょうか。


06年2月お金の流通速度

06年2月>日銀の言い分

07年7月日銀は本当の愚か者

07年7月>日銀には「art」が足りない

08年11月>続・金融調節雑感

09年3月>日銀の自慢?

09年8月>未だに反省できない日銀


ま、いずれにせよ、拙ブログで何を言おうと、何を書こうと、オメガ級はお呼びではない(笑)ので効果はなく、全くの無駄なんだよね。日銀も政府も、その考えを改めるとか、変わるということがなかったからね。このことばかりに限らず、大体は、権威がないと信じてはもらえない。有名人じゃないと耳を貸さない。経歴とか肩書きが立派そうな連中がもてはやされる、というのが普通なんだわ。世の中というのは、そういうようなものではないかな。これはまあいいか。


話を戻すけど、今は日銀とか政府内で偉くなってきている人たちの若手だった頃というと、70年代くらいなのかな?あの頃を思い出してもらえばいいと思うが、かつては「インフレ=悪の権化」みたいな時代だったわけさ。「狂乱物価」とか言われていたし。インフレ率が猛烈に高くなって、世界の中銀が手を焼いていた時代だった。石油ショックの後にやってきたインフレは、70年代を通じて、割と長い期間猛威を振るうこととなったわけである。この時代の「苦労の経験」みたいなものが、割と高齢層にはあるのではないだろうか。

70年代の物価の話と庶民の体感の話は既に取り上げた。

昔は「庶民の感覚」重視だったのか?

家計別の物価上昇率の話


70年代においても、物価上昇の体感というのは、酷い時だと上昇率が「40%」とか、今では考えられないような水準の体感指数となっていたんですよ。実測値との乖離が大きく、これを問題視されたのです。体感との乖離幅は一ケタとかではなく、数十%にも及ぶということも珍しくなかったわけです。で、当時の「希望する政策」みたいなものを調査すると、現在であれば「景気対策、雇用対策」とかが上位に来ると思いますけど、当時では「物価対策」というのがベスト3に入るくらいの政策目標とされていた時代だったんですね(因みに、当時から数倍の人数に膨れ上がってきていた「パートタイマー」問題というのがあったみたい。今の非正規雇用の話と通じますね)。少なくとも、年金だの社会保障だのという政策には関心が殆どなかった。が、インフレを退治して欲しい、というのがあったわけです。

当時には、多分共産党とか社会党なんかの力が結構強かったと思うし、その影響もあってか「値上げ反対」とかいう運動すらあった。企業の「商品価格」の値上げ阻止とか、今では考えられないですが、そういう運動があったわけです。社会に糾弾する姿勢もかなり強かったわけです。「便乗値上げだ!」とか、まるで摘発したかのように糾弾されるわけなんですから、「市場の価格調節」なんて説明が通用するような世界ではなかった、ということなんでしょう(笑)。値上げしている企業は「悪の企業」(大資本家が搾取し利益を貪る為に価格を吊り上げる、ワザと売り惜しみする)みたいに名指しで叩かれるわけですから、これは大変な時代ではありました。

その一方では、労組の力も強かったので、賃金の値上げ圧力が相当あったわけです。上げないと、本当にスト突入とかになってしまうわけですから。代表的な例の国鉄なんかも、度々ストで止まったりしていたんですよ。なので、賃上げ要求というのが中々強烈だったわけです。しかも、統計的に算出される指数より、庶民の体感の方が重視されちゃったりするので(乖離しているのは、「統計の出し方が間違ってるんじゃないか、計測方法がダメなんじゃないか」など)、上げ幅は「ワシらの体感に見合うように上げろや」ということで、団交で挑んでくるわけですから(笑)。
当時の交渉力というのは、数多くの連合赤軍関連事件に代表されるように、労組系が相当強かった時代ですので、企業側が応じないわけにもいかなかった、という事情があったりしたかもしれません。そうすると、余計にインフレを加速する、ということになるわけですよね。


70年代中頃の体感的物価上昇率は、10%、20%は当たり前、酷い時期では30、40、とかなり高いというのが普通だったみたいですね。統計的には大体一ケタで、体感なんてあてにはならないんですけれども。この傾向は現代でも似た部分はあって、ゼロ~マイナスの物価上昇率なのに、体感的には+5%とかの水準を言う人は少なくありません。まあ、昔ほど酷くズレてはいませんが。


要するに何が言いたいかと言うと、70年代のインフレはやはり「賃金上昇率」が高い時代だったから、というのがあるかもしれない、ということなんですよ。この傾向は日本だけではなかったかもしれず、賃上げ圧力が強い(=世界的に労組系・共産系の交渉力が強い時代だった?)ということによって、原油高は勿論影響していたであろうけれども、それだけではなかったのではないかな、と。

現代でも、どうやったらインフレが起きるのか、という所謂「経路」を問題とされることが多いと思いますが、それに対する答えとして、この賃上げ圧力を強める、というのが一つの方法ではなかろうか、と。かつては労組が担った役割を、今は労組に期待が難しいので代わりに「政府がやってみてはどうか」ということなんですよ。