オリオン村(跡地)

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
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お家騒動は終息か

2015-08-18 01:24:11 | 千葉ロッテ

ロッテホールディングスの臨時株主総会が開催をされて、重光ジュニアが完全勝利とは韓国の報道です。
意気軒昂だった重光アニキは人事に絡む株主提案をしなかったとのこと、味方に引き込んだはずの重光パパは欠席をしたようですし、また煽っていたとも言われている親族も形勢不利と見たのか模様眺め、結果的に梯子を外された形の重光アニキが道化を演じてしまったようにも思えます。
それでも相応の株式を握っていることで流動的との見方もあるようですが、いったんは終息に向かっていくのでしょう。
そうなれば傷ついたブランドを回復するために広告塔である千葉ロッテに投資をして優勝を目指す、であれば雨降って地固まる、なのですが、日韓ロッテのワントップとなった重光ジュニアが野球にかまける余裕があるとも思えず、待ったなしの韓国経済の状況からしてそれどころではなく、かつ韓国籍で、いろいろなしがらみがあるにせよ「ロッテは韓国企業」と言い放ったことからして、さらなる放置が続くと覚悟をした方がよさそうです。
それなりに球団に思い入れのあるであろう重光パパや重光ジュニアとは違って、佃社長以下の本社経営陣が球団経営に積極的になるとも思えません。
嬉しい誤算、には期待をしたいのですが、売りたくとも売れず、仕方がないので生かさず殺さず、そんな明日が待っていそうです。

韓国と言えば中4日ではなく中6日でカードの頭を投げるは李大恩、韓国人選手としては初の二桁勝利への再チャレンジです。
清田が幻のアーチを打ち直しましたので李大恩にもきっちりと白星で、ロッテなどは眼中になく「逆転優勝へのシナリオ」を描く栗山監督の出鼻をくじいてもらいましょう。
一時期に巨人が韓国人の投手を獲りまくっていたので意外ではあるのですが、どうやら既に歴代トップのシーズン9勝の李大恩です。
投げ合うのが大谷ですから厳しい試合になりますが、最多勝を狙うには直接にライバルを負かすのが一番です。
先発復帰後は安定をしていますので貧打の打線が大谷を攻略できるかどうか、とにかく先制点を与えない、苦しさに耐えて我慢比べに勝つしかありません。
打線には「当たれば飛ぶ」デスパイネと、さりげなく井上に期待をします。


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笑顔咲くたび伊達な旅 史跡巡り篇 白石、名取の巻

2015-08-18 00:06:47 | 日本史

 

二日目の午前中に白石に入り、伊達政宗の股肱の臣である片倉小十郎景綱、そして片倉氏がらみの史跡巡りです。
白石は6年前に発作的に北国に旅立ったときに訪れているのですが、そのときは下調べも時間も足りていませんでしたし、冬場とはまた違った顔を見せてくれました。
同じところを巡るのも思い出深いものがあり、これはこれでまたいいものです。

白石駅前のポストの上には、白石城の模型があります。
かなりちゃちいので逆効果ではないかとも思いますが、白石の象徴として親しまれているのでしょう。
wikipediaによれば天守閣、正しくは三階櫓ですが1997年に再建がされたとあり、こちらの一周年記念とは微妙に時期がずれています。

さっそくにその白石城に向かいたいところではあったのですが、夜にkoboスタ宮城でのナイターがあるので効率的に、最短経路で巡るべくまずは延命寺です。
この山門はかつて白石城の厩曲輪にあったもので、厩口門と呼ばれていました。
二階建て瓦葺きで、明治維新後に延命寺に移設をされて今に至ります。

次なるは伊達政宗の陣馬跡です。
関ヶ原の合戦のときの白石城は上杉氏の支配下にあり、それを攻めた政宗が陣を構えたのがこの地となります。
何があるわけでもなく、ちょっと登ればやや開けた場所があるだけでした。

そこにあるのが、世良修蔵の墓です。
福島で慰霊碑を訪れたので、通り道でもあったことで足を運んでみました。
仙台藩士に暗殺をされた修蔵はその首が白石市の月心院に葬られて、明治三年にこちらに改葬をされ、明治八年に墓碑が建てられたとは説明板の受け売りです。

次に片倉氏の廟所に向かったのですが、どうやら入口を見落としたようで先に見つけたのが田村氏の墓所です。
陸奥三春を本拠としていた田村氏は清顕の娘である愛姫が政宗に嫁ぎ、清顕に跡継ぎがないままに没した後の家督争いで伊達氏の後押しで甥の宗顕が跡を継いだことで伊達氏に組み込まれましたが、しかし豊臣秀吉には独立大名とみなされて小田原への不参を理由に改易をされてしまいました。
そのため宗顕は小十郎景綱の嫡男で白石城主となっていた重長を頼って白石に隠棲し、よって田村氏の墓所も白石にあります。

中央に位置するのが清顕の墓で、白石に落ちてきたのは宗顕ですから、こちらは供養墓のようなものなのでしょう。
清顕は父の隆顕が伊達稙宗の娘を娶ることで蘆名氏、佐竹氏、相馬氏らの圧力から家を保ったのと同じく、自らは相馬顕胤の娘を正室に迎えるとともに愛姫を政宗に嫁がせることで小なりとも存在感を見せて、ときには各氏の間を取り持つなどの役割を担いました。
改易をされた宗顕は結果的に家を潰してしまい、子の定広が片倉氏を称したことで坂上田村麻呂を祖と称する田村氏もここで途絶えます。
しかしその後に愛姫の願いで政宗の嫡男である忠宗の三男、宗良が田村氏を再興し、伊達氏内3万石の領主として岩沼藩、後に一関藩を治めて幕末を迎えました。
写真は左から清顕、宗顕、定広で、実際の位置関係は清顕の右隣が宗顕、左隣が定広です。

定広の左隣には阿菖蒲、さらにその左に真田幸村の墓があります。
阿菖蒲は幸村、自分としては信繁の方がしっくりとするのですが、その信繁の五女で定広の正室です。
姉の阿梅が片倉重長に嫁いでいますので重長と定広は相婿であり、また小十郎景綱の姉である喜多の名跡を継いだことで定広は片倉氏を名乗ることとなりました。
写真は左が阿菖蒲、右が幸村こと信繁です。

喜多は小十郎景綱の姉ではありますが、父は鬼庭左月良直です。
嫡男が得られないことで母が離縁をされて片倉景重に再嫁をしましたので、政宗の重臣である小十郎景綱は異父弟、鬼庭改め茂庭綱元は異母弟ですから伊達氏にとっては重鎮とも言える存在だったのではないかと、しかも政宗の養育係でもありましたのでなおさらです。
だからこそ、これほどの墓所が構えられているのでしょう。
ちなみに喜多と言えば竹下景子、そのイメージは今でも変わりません。

来た道をやや戻っての、片倉氏廟所です。
かなり大きな看板が登り口にありましたのでなぜに見落としたのか、暑さでボーッとしていたとしか思えません。
初代景綱から十代宗景までの墓が整然と並んでおり、宗景を除いての仏像の墓石は初めて見ました。

小十郎景綱は言わずと知れた政宗の側近中の側近で、これまた西郷輝彦のイメージがこびりついています。
伊達輝宗の小姓から政宗の近侍に転じたのは姉の喜多が政宗の養育係だったことも理由でしょうし、それだけ若いうちから家中でも将来を嘱望されていたものと思われます。
その期待に違わず知勇兼備の将として政宗を支え、一国一城令の例外としての白石城を預かり1万8000石の家祖となりました。
跡を継いだ重綱、改め重長はその嫡男で、父に劣らぬ「鬼の小十郎」として伊達氏の次代を担った中心的な武将の一人です。
真田信繁の遺族を引き取り、その娘を継室にするなど、気骨のある人物だったのでしょう。
写真は左が景綱、右が重長です。

重長には男子が無かったことで娘が嫁いだ仙台松前氏の安広の嫡男である景長を養子に迎えて、3代当主とします。
よって小十郎景綱の男系としての血は、残念ながら途絶えることとなりました。
景長は伊達騒動に際して国元の混乱を抑えるなどして伊達氏の改易を免れましたので、片倉氏の名に恥じない器量の持ち主だったのでしょう。
4代は嫡男の村長が継ぎますが26歳で若死にをし、その子の村休が5代となるものの子が無いままに37歳で没したことで、宮床伊達氏の村信が養子に入り6代となりました。
当時の本宗家は宮床伊達氏から入った吉村が5代藩主で村信はその甥にあたることから、伊達氏の片倉氏に対する思いが見て取れます。
しかし村信は実兄が急死をしたことで実家を継ぐこととなり、村休の叔父、村長の弟である村定が7代となりました。
これまた村定にも継ぐべき子が無かったことで再びに仙台松前氏から養子を迎えての8代村廉となり、その三男の村典が9代、その嫡男が10代景貞、その子が11代宗景、その嫡男である12代邦憲のときに戊辰戦争の敗北により白石城を取り上げられましたが、その後は青葉神社の宮司として片倉氏は続いています。
ちなみに先に初代景綱から10代宗景までと書きましたが、片倉氏廟所では実家に戻った6代村信は代に数えられていないようです。
写真は上段左から景長、村長、村休、村定、村廉、村典、景貞、宗景です。

そしていよいよ白石城です。
登り口にあるのが東口門跡で、この東口門は正式には二ノ丸大手二ノ門となります。
そこに連なるのが本丸跡外郭石垣で、やや分かりづらいかもしれませんが中央の右側と左側とでは石垣の積み方に差異があり、左側が野面積み、右側が切込み接ぎとなっており、大雨により崩れた石垣を野面積みよりも新しい技法である切込み接ぎにより修復をしたことでこうなっている、とは例によっての説明板の受け売りでした。

そこを直進すると休憩所や白石城歴史探訪ミュージアムがありますが、それを横目に井戸屋形です。
復元をされたものですが形だけなのか、覗いて見ましたが実際の井戸にはなっていないようでした。
それでもこういった細かなところまで復元をしてくれているのは好印象で、自治体のやる気が感じられて嬉しくなります。

その左手には大手一ノ門、1997年の再建です。
木造一重本瓦葺きで高さは約4メートル、幅は約5メートル、やや小ぶりな門となっています。
本丸に向かうに際しての最初の関門、道に曲がりがあるのは攻め手の勢いを殺すためとは独り合点ですが、写真を撮るには格好の曲がり具合でした。

こちらは大手二ノ門で、やはり1997年の再建となります。
木造二重本瓦葺きで高さは10メートル弱、門扉を備えていますから本丸を守る最後の砦といったところでしょう。
渡り型の櫓門であり、小領主の居城のそれとしては相当な規模を誇っていることに、大大名である伊達氏の重臣、片倉氏の誇りのようなものを感じさせます。

それは天守閣も同様です。
幕府に慮っての三階櫓と称していたようですが、どこをどう見てもこれは天守閣でしょう。
こぢんまりとしていますがやはり陪臣である片倉氏の居城としては立派なもので、そして何より木造での復元が喜ばしいです。
「白石城は出来る限り旧白石城と同じ規模、同じ建築方法による復元を目指し、三階櫓(天守閣)は旧跡地に建てる。文献資料収集、発掘調査などによって、出来るだけ原型に忠実に復元する」との方針の下、相当なコストがかかったでしょうが名古屋城の木造による復元計画でも400億円ですから新国立競技場に税金を投入するぐらいであれば、地方自治体のこういった動きに対しての援助金として欲しいとは城フリークの独り言です。

天守閣の脇には本丸井戸と鐘堂で、籠城戦に水の手の確保は欠かせません。
鐘堂の鐘は1466年に鋳造をされて元は東昌寺にあったもので、何度か再鋳をされて今は傳来寺にあるとのこと、もぬけの殻のようで寂しくもあります。
ちなみに東昌寺は今は仙台に移り、伊達氏にかかる墓が遺されています。

前回、6年前もそうでしたが、天守閣に登ればどうしてもこのカットで写真を撮りたくなります。
大手一ノ門、大手二ノ門がきれいに映り込む構図で、いくら眺めていても飽きません。
平日ではありながらも人影はまばらで、もし船橋にこういった城跡があれば自分であれば事ある毎に足を運ぶことでしょう。

傑山寺は、片倉氏の菩提寺です。
小十郎景綱が開山として建立がされましたので、その戒名である傑山常英大禅定門から名付けられたのでしょう。
片倉氏廟所ではなく傑山寺に小十郎景綱の本墓があり、しかし敵にあばかれないよう墓石を造らずに一本の杉を墓標としたとされています。

その墓標に、の前に、片倉小十郎景綱の像です。
実際にかなり男前だったらしいのですが、この像は老齢にさしかかったときの姿のようですので渋みが優先です。
昨今のゲームキャラの影響でイケメンになっていたらどうしよう、と要らぬ心配をしていただけに、ホッと一息といったところでした。

本堂の裏手にあるのが小十郎景綱の、一本杉の墓標です。
没したのは1615年、大坂の役も終わり徳川の世が確実になっていましたので大袈裟な感じはあるのですが、まだ戦国の気風が残っているからこそのものなのでしょう。
南朝の名臣である菊池武光も墓石はなく、菊池の正観寺にある楠がその墓標とされていますので、相通ずるものがあります。
脇にあるのは後世に造られた供養塔なのかもしれず、しかし説明板にも何も書かれていなかったので実際のところは分かりません。

左手の道を進んでいけば、片倉氏の墓所があります。
菩提寺ですのであっておかしくはないのですが、当主の墓は先の廟所にありますので、おそらくは妻女や子弟などの墓所なのでしょう。
やはり仏像を模した墓石もありましたが、どれが誰のものかは分かりませんでした。

さらに左手には、仙台松前氏の墓所があります。
松前藩初代藩主の慶広は戦国期を生き抜いた武将ですが、その七男の安広は政宗に請われて伊達氏に仕え、準一家の家格で2000石を食みました。
安広はたまたま白石を通ったときに片倉重長と出会い意気投合、白石の地を気に入り、また重長の娘を娶ったことが縁で伊達氏に仕えることとなった、との話も伝えられていますが、どちらかと言えばこちらの方が夢とロマンがあってよいかなと思います。
将棋の駒のような型の墓石が整然と並んでいますが説明板もないのでどれが誰だかが分からず、戒名を控えて帰ってきてから調べた結果が以下となります。

初代の安広は先に書いたとおり慶広の七男で、重長の娘婿となったことで片倉氏との繋がりが生じます。
重長に男子が無かったことで嫡男、重長からすれば外孫にあたる景長が重長の跡を継ぎ、よって片倉氏を乗っ取った形になったと言えなくもありません。
その後も片倉氏とは養子縁組、通婚を重ねており、片倉氏と仙台松前氏は同族と言ってもよいように思います。
兄が片倉氏を継いだことで次男の広国が2代となり、娘が景長の子である片倉氏4代の村長に嫁いでいますので、その関係は盤石といったところでしょう。
また伊達騒動をモチーフとした伽羅先代萩に登場をする松前鉄之助は、この広国がモデルとのことです。
写真は左が安広、右が広国です。

広国には跡を継ぐ子に恵まれなかったことで五弟の為広が3代となり、嫡男の広雄が4代、次男の広高が5代、広高の嫡男である脩広が6代を継ぎ、しかしここで男系が途絶えてしまい、3代為広の女婿である佐々定條の孫である広義が入って7代、その後は無難に8代広文、9代広憲、10代広胖と嫡男が継いでいきました。
それだけに佐々氏から養子を取ったのが残念でもあり、片倉氏に入った広高の次男の村廉の系譜から何とかならなかったのかと思ったりもしています。
この佐々氏が織田氏の重臣であった佐々成政と関係があるのかどうか、どうやらこちらは定、もしくは元を通字としているようですので、別の流れなのでしょう。
写真は上段左から為広、広雄、広高、脩広、広義、広文、広憲、広胖です。

この片倉氏と仙台松前氏、着坐の家柄で3036石の佐々氏との関係は、上記のとおりです。
養子関係を矢印で示せればもっと分かりやすくなるのですが、線がこんがらがりますので割愛をしています。
こう見てみると片倉氏は仙台松前氏の、仙台松前氏は佐々氏の男系に入れ替わっているわけで、いろいろと事情はあったのでしょうが、個人的な嗜好からすれば残念でなりません。
判例は赤字が片倉氏、青字が仙台松前氏、緑字が佐々氏の当主、下線が写真でご紹介をしているものとなります。

白石の最後は当信寺です。
こちらの山門は白石城の東口門を移設したもので、白石城の登り口が東口門跡でしたから、あそこにこれが建っていたのでしょう。
二階建瓦葺きで、見た目は延命寺の厩口門に似通っていますのでなるほど、しっくりときます。
ここには片倉氏に保護をされた、真田信繁の次男の大八、娘の阿梅の墓があります。

片倉重長は真田信繁の次男の大八、娘の阿梅、阿昌蒲、おかねを保護し、大八を片倉守信と名乗らせて江戸幕府から匿い、阿梅を自らの継室に、阿昌蒲は田村定広の正室に、おかねは石川貞清に嫁がせて、定広も片倉氏を称しましたので全面的に信繁の遺児を抱え込んだことになります。
なぜにそこまで思い入れたのかは分かりませんが、守信の嫡男である辰信が真田氏に復して仙台真田氏として幕末あたりまでは信繁の血が続いていたようです。
阿梅の墓石は不思議な形をしていますが、「その形が歯痛のため頬を抑えているように見えるところから、虫歯に苦しむ人たちは、この墓石を削り、飲むと良く効くとの迷信が生まれました」とは白石市の公式サイトからの引用で、有名人の墓石はそうやって削られることがありますので似たようなものだったのでしょう。
写真は左が阿梅、右が大八です。

次に向かったのが名取にある、耕龍寺です。
名取駅を背に1キロほどを直進すれば大きな看板がありますので、迷うことはないでしょう。
耕龍寺の山門は白石城の城門を移設したものですが、元はどこにあったものかは不明とのことです。
先の延命寺や当信寺のそれとはかなり違った雰囲気の四脚門で、好き嫌いがあるでしょうが、個人的にはこちらの方が迫力が感じられます。

耕龍寺には、伊達氏11代の持宗夫妻の墓があります。
開山が持宗の五男である蘂源和尚であることから、この五輪塔は父母を弔うための供養墓とのことです。
かなり小さなものではありますが、こういったものが遺されていることが嬉しく、電車の時間を気にしながら小走りで訪れた甲斐がありました。
伊達氏における持宗は、福島の巻を参照いただければ幸いです。


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笑顔咲くたび伊達な旅
笑顔咲くたび伊達な旅 旅程篇
笑顔咲くたび伊達な旅 旅情篇
笑顔咲くたび伊達な旅 史跡巡り篇 二本松の巻
笑顔咲くたび伊達な旅 史跡巡り篇 福島の巻
笑顔咲くたび伊達な旅 史跡巡り篇 船岡、亘理、多賀城の巻
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笑顔咲くたび伊達な旅 おみやげ篇

 

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ナイスゲーム!

2015-08-17 00:09:00 | 千葉ロッテ

前日とは打って変わって、ナイスゲームでした。
いきなり初回の二死満塁のチャンスを逃してイヤな感じの出足でしたが、大嶺祐の粘投に打線が応えての勝利です。
相手がこれで自力CSが消滅のオリックスですので勝って当然、勝たなければならないカードに勝ち越しができたことは喜ばしく、再びに上を目指す週明けに向けていい材料です。
きっちりと日本ハムにも勝ち越しをして、少しぐらいは栗山監督を焦らせましょう。

大嶺祐が7回途中までを零封で6勝目、自己最多の白星となりました。
お立ち台でインタビュアが挙げていたように規定投球回まであと僅か、先発としての責任イニングを全うすれば月末にも投手5傑に名を連ねることが出来そうです。
快投、といった感じではありませんでしたが先頭打者をきっちりと抑えて、球数は多かったもののボール先行となっても四球で崩れることへの不安のない安定感は別人のようで、無理に三振を狙うのではなく打たせて取るスタイルは、それでいてボールに力がありますので高めのボールでも詰まらせることができる、そんな力押しのピッチングでした。
あれだけ序盤戦では好投をしてもあっさりと代えられていたのが嘘のように、今日も100球を超えながらも七回を任されましたので、ベンチの信頼もうなぎ上りなのでしょう。
春先はやや躓きましたが昨年終盤の流れをそのままに、推しメン初志貫徹できなかった不明を恥じています。
早すぎた清田の推しもそうで、こうなれば来季は大嶺翔だと、そう自らを慰めるしかありません。
それはさておき、小谷コーチ直伝のカーブ、と信頼をしきっている様子は衰えたスピードが戻ってきたのも小谷効果だと言われていますし、右も左も金森コーチが裏目に出たわけですから万事にはまるわけではないでしょうが、来春までの半年で唐川を何とかして欲しい、そんなことを思いたくもなる大嶺祐の変貌でしょう。
その大嶺祐の招いたピンチにロサではなく益田、が窮状を物語っていますが、あれはセーフだろ、の微妙なジャッジにも助けられましたし、今日の益田は低めに伸び、キレのあるボールを投げ込んでいましたのでナイスな継投、難しいバウンドをすくい上げた井上だけではなく中村、清田と、今日は守り勝ちです。
また大谷は仕方がないにせよ最後が香月良だったこと、これまでであれば西野だったでしょうから、先発への辛抱に加えたこの変化もgoodです。

打線はクリーンアップが全打点を稼ぐ6安打2発5打点で、文句のつけようのない理想的な展開です。
四球、捕逸による進塁からデスパイネがバットを折りながらも強引にセンター前に運んだ先制劇に終わらずに、高めに浮いたボールを見逃さなかった角中の一発が効きました。
先日の降雨ノーゲームで幻となった一発の打ち直しのような清田の最上段に叩き込む豪快なアーチも中押しとしては効果的で、短機関銃にパワーが加わったKK砲の炸裂です。
それにしても顔面死球で心理的な影響が心配をされた清田はどこ吹く風で、内だろうが外だろうが右に左に今日も3安打猛打賞、見事としか言いようがありません。
守備でも軽快な動きを見せていますし、さすがに首位打者は厳しすぎる状況になりましたが、右打者としてのてっぺんは充分に狙えるでしょう。
できれば単独で走って欲しかったですがダメ押しに近い七回の追加点は荻野の快足があってこそ、外寄りのボールへの課題を露呈しながらも内のボールをパワーでヒットゾーンに持っていった井上もこれで暫くは使ってもらえるでしょうし、地味に中村も指先で崖っぷちにぶら下がり続けています。
気になるのは六回の鈴木の暴走、としか言いようのない走塁で、もろにアウトのタイミングでしたので勢いに任せた雑な判断だったとしか思えず、それよりも何よりも映像を見る限りでは三塁コーチャーが何の指示も出さずにただ見守っているだけのようだったのが引っ掛かりましたし、七回の微妙なジャッジに覆ることがないのは分かってはいたでしょうが抗議に出てきた福良監督、プレーをする選手の気持ちを考えれば見習うところがあるはずです。
ともに試合の流れを変えかねないプレーだったわけで、勝負どころの終盤戦、選手だけではなくベンチが一体となって戦っていきましょう。


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千葉ロッテ

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オリックス

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◆8月16日(日) オリックス-千葉ロッテ19回戦(ロッテ11勝8敗、13時2分、京セラドーム、29,282人)
▽勝 大嶺祐 17試合6勝5敗
▽敗 吉田一 4試合3敗
▽本塁打 角中5号(吉田一)、清田12号(吉田一)

バッテリー
千葉ロッテ
 大嶺祐、益田、大谷、香月良―田村
オリックス 吉田一、海田、白仁田、マエストリ
―伊藤、伏見

 

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オコエを獲れ

2015-08-16 14:44:00 | 千葉ロッテ

ロッテが第二回の編成会議を行い、上位指名候補に小笠原(東海大相模)とオコエ(関東一)の名前が挙がりました。
夏の甲子園大会が真っ盛りですので高校生を中心とした報道となっていますが、指名候補を前回の約180人から100人程度まで絞り込んだとのことですから、おそらくは1巡目入札、外れ候補、2巡目といったところは20人ぐらいのリストになっているのではないかと思います。
これでリップサービスであったとしても山本(九州国際大付)も報じられれば楽しみが増すのですが、あと二ヶ月、編成部はここからが勝負です。

ロッテ“超高校級”小笠原&オコエを上位指名候補に (8/15 スポーツニッポン)

ロッテが今秋ドラフト会議に向けた第2回スカウト会議を大阪市内で開いた。
林信平球団本部長と松本尚樹編成統括、スカウト陣が出席し、高校生を中心に指名候補選手の映像を確認。
7月時点の指名候補は約180人だったが、約100人に絞り込まれたという。
上位指名候補に高校生が複数含まれており、林本部長は「左で151キロを出した投手(東海大相模・小笠原)の評価はかなり上がっている。オコエ選手(関東第一)の躍動感も魅力的」と話した。

高橋(県岐阜商)が故障でやや評価を落としたこともあり、小笠原にはかなりの重複入札があると予想されます。
それでも目玉に逃げずに特攻をしてこその編成、欲しいのであれば臆することなくいかなければチーム強化などはままなりません。
今年も上原(明大)、今永(駒大)、多和田(富士大)、岡田(大商大)、熊原(仙台大)、唐仁原(福岡大)、関谷(JR東日本)らの大学生を中心とした即戦力投手が注目をされていますし、現状の投手陣に不安のあるロッテですのでそちらに流れる可能性が高いのでしょうが、もし投手に入札をするのであれば小笠原でいって欲しいです。
MAX151キロのストレートはもちろんのことスライダーなどの変化球にもキレがあり、それでいてコントロールも安定をしています。
今後によっては最低でも3球団程度、あるいは5球団ぐらいの重複入札になるかもしれませんが、育成下手のロッテであっても即戦力が期待をされる小笠原、逃げる手はありません。

ただ投打ともに補強ポイントだらけのロッテですが、まずは野手との考えに変わりはありません。
ここのところの貧打、長打に欠いた決定力不足を見せつけられるにつけ、将来性が豊かな高校生の野手を獲るべきです。
オコエは飛ぶように走る、といった表現がピッタリな快足ぶりに、プロで目指すところは中距離ヒッターでしょうがパンチ力もあります。
内の遠い親戚という話題性もあり、思い切って入札でもよいのではないかと、2巡目を間違えなければ全体としてのバランスも問題ないでしょう。
小笠原に入札、外れてオコエを一本釣りで獲られる、あるいはハズレ重複でまたクジを外してしまえば諦めもつきますが、そうでなければ悔いが残ります。
その他にも2試合連続の3発で評価が上がるであろう山本、佐藤(仙台育英)、中村(ルーテル学院)、原(専大松戸)、平沢(仙台育英)、山崎(浦和学院)、伊藤(関東一)、黒瀬(初芝橋本)など二木、岩下、田村、香月一、肘井、脇本の流れを絶やすことなく、黄金時代の礎となる指名であってくれることを願います。


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唐川は限界

2015-08-16 00:22:43 | 千葉ロッテ

このスタイルである限りは、唐川に大きな期待はできません。
打線の巡り合わせがよく白星が先行はしていますが防御率は6点台、本人の言葉どおりに崖っぷち、先発投手のそれとはとても思えない数字です。
援護をもらっての気持ちに余裕があればそこそこのピッチングができることもありますが、そうでなければ勝ち目の薄いのが現実です。
バッテリーともどもボールに力が無いことの自覚があるのか外中心のリードでカウントを悪くし、そしてボールが高めに浮くのですからここのところ先発には辛抱をしている伊東監督があっさりと二回で代えたのも当然で、六番手として考えれば負けても仕方がないと諦めもつきますが、それであれば唐川である必要もなく、次は旬を逃す前に木村でしょう。
球威があれば高めでの勝負もよいのですが、しかし勝負にいったわけではなく抜けてしまっただけでもあり、低めを丹念に突いていた西とは対照的でした。
スピードだけではなくコントロールの劣化も著しく、もう遅すぎる感はありますがここで一から作り直す、鍛え直さなければ20代での離脱も充分にありえます。
あと一ヶ月ちょっとだからとズルズルといくのではなく、伊東監督、そして本人の決断を願います。

その唐川を継いだ藤岡は不運なヒットもあり失点こそありましたが、3回1安打3奪三振1失点と、内容のあるピッチングでした。
他の投手のそれを見れば信じていいのであろう140キロ台が連発のストレートはMAX144キロ、まだ物足りなさはありますが、いい軌道に乗っているように思います。
あとはこれを僅差の展開でできるかどうか、ストレートが走ればフォーク、カーブが活きますし、フォーク、カーブが決まればストレートが効果的になりますから、次が楽しみです。
去就が怪しくなってきたロサも2回1安打無失点、阿部もフラフラしましたがストレートのスピードは維持ができていますから、これまた次が勝負でしょう。

西の低めのコントロールが抜群だったこともあり、敵ながら天晴れ、僅かに3安打で完封負けは仕方がありません。
ただこれでもかと外寄り低めに逃げていくボールに手を出しまくったのはいかがなものかと、打撃コーチが機能をしていなかったように感じたのも正直なところです。
二回の無死一二塁からクルーズが初球をポップフライ、鈴木がツーボールの有利なカウントから止めたバットに当たっての併殺はどこかで見た風景で、腰の入らない腕だけのスイングでポップフライ三連発のクルーズはさすがにこのまま使い続けるのはしんどすぎますし、迫力のない打線ではありますがそろそろ考えどきでしょう。
今季初ヒットながらも低めのボールに手も足も出なかった井上は、しかしここは経験を積ませることが最優先で、井口や大松に我慢ができたのですから井上にだって、です。
こんな試合にデスパイネがホームランを打たなくてよかったと、明日は大嶺祐にプレゼントの連発でお願いします。


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千葉ロッテ

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オリックス

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◆8月15日(土) オリックス-千葉ロッテ18回戦(ロッテ10勝8敗、14時1分、京セラドーム、36,154人)
▽勝 西 17試合5勝4敗
▽敗 唐川 12試合5勝4敗
▽本塁打 糸井11号(阿部)

バッテリー
千葉ロッテ
 唐川、藤岡、ロサ、阿部―田村、江村
オリックス 西
―山崎勝

 

コメント (24)

ビッグゲーム

2015-08-15 18:23:46 | 読書録

ビッグゲーム

講談社

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岡嶋二人のプロ野球ものです。
三連覇をしている新日本アトラスの強みは情報管理室による徹底をしたデータ管理で、しかしそのやり口は協約違反ギリギリ、あるいは違反をしているようなものであり、監督が主導で導入をして球団社長すら内容を把握できていない、あまりの秘密主義に覗き部屋と揶揄をされるチーム内でも異質な存在として浮いてしまっています。
しかし突然のチームの不振、リードをしている展開で六回以降になると攻撃は見透かされ、ピッチングでは狙い球を絞られての逆転負けの連続、データを盗まれているのではないか、どこかにスパイがいるのではないか、そんな中で試合中にスタッフが照明灯に登って感電死をするところから始まるミステリーとなっています。

これは面白かったです。
ミステリーとしては驚かされるような展開にはなっていませんが、誰もが疑わしい、そしてテンポのいい展開はさすがの岡嶋二人でしょう。
軽いタッチの二時間ドラマ向け、で読みやすく、どぎつい描写もありませんので、野球好きであれば万人受けをするのではないかと思います。
1998年の作品ですからデータを叩き込んで作戦を吐き出す「オフクロ」と呼ばれるコンピュータといった設定はどこか時代がかっていますし、無線によるやりとりなども今となれば古くささは否めませんが、勝つためには何でもやる、どんなスーパースターでもチームの一人でしかない、それが俺の野球だ、と言い切る監督の言葉には重みがあります。
ルール違反はもちろんやってはいけないことですが、それぐらいの貪欲さを見せて欲しい、そんなデータ野球の裏側でした。


2015年8月15日 読破 ★★★★★(5点)


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コメント (2)

神話は続く

2015-08-15 04:53:08 | 千葉ロッテ

遂に神話も潰えたか、と思ったところで、デスパイネが自らの豪腕でその神話を継続しました。
追撃のアーチに逆転のツーベース、いずれも持ち味であるパワーを見せつけたバッティングで、ようやくに四番の仕事です。
二打席目までは他球団と同じく緩いカーブで攻めていたオリックスバッテリーが何をとち狂ったのか、裏をかくつもりだったのか、ストレートで押したことで風向きが変わりました。
ややボールくさい低めをすくい上げてライナー性の打球でそのままバックスクリーンに叩き込むところなどはデスパイネ、でしたし、一転して変化球攻めとなった四打席目は見せ球のストレートに惑わされることなく、甘く入ったカーブを引きつけてのこれまた超絶ライナーは今後のデスパイネを変える一打になるかもしれません。
興ざめ感のあるデスパイーネ、もZEROで取り上げられるほどになりましたし、これからもイーネ、イーネ、いきましょう。

涌井は5年ぶりの二桁勝利、最多勝争いも大谷の襟首に指がかかりそうです。
7回6安打2失点は数少ないチャンスをバントで繋いで得点に結びつけられるというイヤな展開でしたが、六回にオリックスの中途半端な走塁を見逃さなかった田村にも助けられて、ガタガタとチームが崩れそうなところでエースが踏みとどまった、そういう意味では素晴らしいピッチングでした。
バッテリーの協業でチームを救ったとも言えますし、仙台の仇を神戸で討つ、流れとはこういうもの、を見せつけるデスパイネの一発を引き出す大きなプレーだったと思います。
89球でしたから八回もいくかと思ったのですが負けが続いていたことで間隔が空いていたことも理由だったのでしょう、大谷、西野の盤石のリレーでの逃げ切り勝ちでした。
再びに流れを変えかねなかったクルーズのお手玉に三木のドタバタ、にも動じることなく後続を断った大谷、すっかりと三者凡退が似合うようになった西野、素敵すぎます。
それにしても三木は細かなミスが続きますが、そんなことを言っていられる立場ではないにせよ、あれだけ一塁手を抱えながらも本職でない三木に守らせたベンチの失態でしょう。
大嶺翔などもそうですし、選手の将来の点からしても、ユーティリティ、には限度があります。

そして荻野に井上、待ち焦がれていた一二軍の入れ替えです。
荻野の代わりが守備固めにも代走にもバント要員に使える伊志嶺、というのが予想どおりすぎて乾いた笑いしかありませんが、仙台から神戸のコースではありますがロードの途中での入れ替えはこちらは想定外、嬉しい悲鳴は言い過ぎでしょうが、やっと来たかと喜んでいます。
さっそくに荻野はマルチヒット、船橋でも見せた淡泊さは相変わらずですが、逆転のきっかけとなったバントヒットは荻野ならではでしょう。
七回のさらなる追撃のチャンスに田村をそのまま打たせて勢いが止まりかけただけに、これ以上にない効果的なプレーでした。
意表を突かれたオリックスもオリックスではあるものの、これで今後に相手バッテリーからすればイヤな存在になるはずです。
そのためにもこの一回で終わることなく、構えで揺さぶるだけでもかなり違ってきますし、打線としての攻略の糸口をこじ開ける荻野であってくれればと思います。
井上もヒットこそ出ませんでしたが八月半ばにしてのようやくの一軍、自分の特徴、武器が何であるかを意識してバットを振ってくれることを願ってやみません。
艶やかな勝利ではありましたが基本的には負け試合、この流れを手放さないよう明日、明日です。


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千葉ロッテ

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オリックス

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◆8月14日(金) オリックス-千葉ロッテ17回戦(ロッテ10勝7敗、18時、ほっと神戸、34,989人)
▽勝 涌井 20試合10勝7敗
▽S 西野 43試合1勝2敗26S
▽敗 岸田 33試合3勝3敗
▽本塁打 デスパイネ15号(松葉)

バッテリー
千葉ロッテ
 涌井、大谷、西野―田村
オリックス 松葉、平野佳、岸田、海田、白仁田
―山崎勝

 

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弱いってこと

2015-08-14 00:29:27 | 千葉ロッテ

オールスター明けの連勝で一気にCS圏内に入って浮かれ気味ではありましたが、西武の大型連敗という敵失もあったわけで、チームを引き締めるには充分すぎる連敗です。
どうしたらあの打球で猛然とホームを狙うことができるのか、打球の行方を見ることなく特攻をした三木ですので本人なりの確信があったのかもしれませんが前日のクルーズと同じく客観的に見れば暴走でしかなく、後続の打者が返せたかどうかはともかくとして、脱力感が爆発の走塁ミスでした。
慣れないポジションですし難しい打球ではありましたが守備を武器にする三木であれば六回の打球も止めて欲しかったかなと、しかしいずれもなぜそういったプレーになったのか、何が悪かったのか、どうすればいいのか、これらをコーチとしっかりと話し合って同じことを繰り返さなければそれも経験と割り切れますので、その真価が問われるのは次です。

古谷は6回2失点で今季初黒星、しかし前回の炎上を挽回してのナイスピッチングでした。
低めを丹念に突いての、絶妙のコントロールで際どいコースで勝負をするらしさがありましたので、負けはしましたが手応えはあったのではないかと思います。
それでいて内も積極的に攻めましたし、その強気なところは素敵です。
後藤の一発は田村が構えたところではなく内寄りの高めでしたので失投だったのでしょうが、それでも先発としては充分に責任を果たしてくれました。
今日にまた躓くようであれば木村に取って代わられたかもしれず、踏みとどまったベテランの意地といったところでしょう。

しかし打線がその古谷を援護できません。
またしても戸村に白星を献上しての4敗目で、戸村の年俸の半分以上をロッテが払っているようなものです。
毎回のように先頭打者を出した序盤に先制ができなかった拙い攻めに伊東監督も渋い顔で、四回の無死一三塁からクルーズが初球をお得意のポップフライ、大松は併殺と「わざとだろ」と言いたくもなる酷い始末で、マルチヒットのデスパイネも肝心なところでボール球に手を出しての三振ですからどうにもなりません。
岡田も走るなら初回に走って欲しかったですし、同じ投手にこれだけ何度もやられるのですからチームとして弱いということなのでしょう。
伊東監督も「打ってくれないと点が入らない」なんて当たり前なものではなく、もう少し気の利いたものをお願いします。


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千葉ロッテ

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楽天

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◆8月13日(木) 楽天-千葉ロッテ17回戦(楽天10勝7敗、18時、コボスタ宮城、17,021人)
▽勝 戸村 29試合6勝7敗
▽S 松井裕 44試合2勝1敗25S
▽敗 古谷 6試合2勝1敗
▽本塁打 後藤8号(古谷)、ペーニャ13号(香月良)

バッテリー
千葉ロッテ
 古谷、香月良、阿部―田村、江村
楽天 戸村、クルーズ、福山、松井裕
―嶋

 

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勝ち越しストップ

2015-08-13 00:49:30 | 千葉ロッテ

昨日が降雨ノーゲーム、そして今日に負けてしまったことで、勝ち越しは5カード連続で止まってしまいました。
そうなれば負け越さないようにすることが重要で、明日の古谷はさりげなく崖っぷちですし、戸村にはそう何匹もドジョウがいないことを思い知らせねばなりません。
それにしても映像で見てしまえば井口の打球であそこまで飛び出す必要があったのかとクルーズの走塁死が痛く、その直後に「四番」の松井稼に一発を浴びての決勝点でしたから11奪三振の完投も報われず、せっかくの大谷の足踏みが虚しく響くのみです。
伊志嶺に岡田を代打で送りながらも田村はそのまま、井口の落日が哀しく、清田が何ごともなかったかのように打ちまくっているのが唯一の救いだったりもします。
投手陣に疲労感が出るはずの酷暑にむしろ調子が上がりながらも打線が湿ってもう一つ乗りきれないのももどかしく、しかしこれが野球なのでしょう。
気がつけばまた上よりも下が気になる今日この頃、勝負の刻は続きます。


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千葉ロッテ

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楽天

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1

◆8月12日(水) 楽天-千葉ロッテ16回戦(楽天9勝7敗、18時、コボスタ宮城、19,540人)
▽勝 辛島 10試合4勝5敗
▽S 松井裕 43試合2勝1敗24S
▽敗 石川 19試合8勝9敗
▽本塁打 松井稼10号(石川)

バッテリー
千葉ロッテ
 石川―田村
楽天 辛島、青山、クルーズ、松井裕
―嶋

 

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水車館の殺人

2015-08-13 00:37:02 | 読書録

水車館の殺人

講談社

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館シリーズの第二弾です。
人里離れた山奥に外界から逃れるように建てられた水車館が豪雨により途中の道が断たれたことで孤立し、お約束のように密室状態となります。
そこで起きた転落死、バラバラ殺人、そして犯人と思しき人物の消失と、見事にネタは揃いました。
事件の一年後に現場に訪れるは島田潔、中村青司の設計をした館に惹き寄せられるように登場、そして事件を解決するのもこれまたお約束です。

肝心のトリックは、しかし消化不良気味です。
さすがに掟破りでしたので仕掛けまでは分かりませんでしたが、似たようなものをGOSICKで読みましたので何となくの想像はつきました。
そうでなくとも犯人の目星が早い段階からついてしまい、これではわくわく感が足りません。
叙述トリックにしては餌を撒きすぎたのではないかと、あまりに突飛なのも興ざめですが分かりやすすぎるのも手応えが無く、このあたりはなかなかにバランスが難しいです。
そして一番に残念だったのは水車が脇役でしかなかったこと、館シリーズなのですから主役に持ってきて欲しかったです。
あるいはそれこそが引っ掛けだったのかもしれませんが、また最後のエピソードも余計だったように思えてなりません。
とりあえずシリーズ全冊を買ってしまっているので、今後に期待をしたいです。


2015年8月11日 読破 ★★★☆☆(3点)


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恨み雨

2015-08-12 00:33:16 | 千葉ロッテ

1点リードの五回表の攻撃中に雨で中断、そのまま試合はノーゲームとなりました。
やや内寄りのボールをスタンドに叩き込んだ清田の一発に4回1安打無失点の李大恩でしたので恨めしい雨ですが、しかしあれだけ降られてしまえば仕方がないでしょう。
五回の攻撃を簡単に終えればあるいは試合成立までいけたかもしれませんが、似たような展開でそれを意識して早打ちを指示したところが結果的に雨が上がって逆転負けを喫した有藤ロッテの記憶も残っていますので焦りは禁物、かなりな気まぐれには困りものですが天候には逆らえません。
考えようによっては李大恩のぐるぐるは次が中4日になる可能性があるために58球で終わったことがあるいは福となるかもしれず、また最終回のあと一人から5点を失ってサヨナラ負けを食らったオリックス、4安打1失点に抑えながらも一発に泣いた大谷に比べればマシとも言えます。
明日、明日に勝てばこの悔しさも多少は晴れるでしょうから、いろいろな意味での愉快に晴れる一日にしましょう!


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千葉ロッテ

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楽天

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◆8月11日(火) 楽天-千葉ロッテ16回戦(楽天8勝7敗、18時、コボスタ宮城、降雨ノーゲーム)

▽本塁打 清田12号(則本)

バッテリー
千葉ロッテ
 李大恩―田村
楽天 則本
―嶋

 

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李大恩がぐるぐる回る

2015-08-11 00:54:26 | 千葉ロッテ

明日の先発は李大恩、中5日です。
ここのところは6人で回していますし変則日程なわけでもなく、敢えて中5日にする必要はありません。
それでもそうすることからして春先に報じられたように本人の希望が理由なのか、前回も中5日だったことからして、その可能性が高いようにも思われます。
もしそうであればある意味で李大恩を中心としたローテーションが他の先発陣に与える影響はいかほどなものか、酷暑の夏場に普段よりも間隔が空くことでウエルカムという考え方もあるでしょうし、一方で週6試合の日程で一人だけ中5日で投げると他の投手が中7日になったり中6日になったりと調整が難しくなるなんてこともありそうで、同じように中4日を希望したミンチーに他の投手が迷惑をしたことで移籍を球団が止めなかったなんて話もありました。
いずれにせよ勝たなければ中5日だろうが中6日だろうがどうにもなりませんから、元祖勝ち運、援護運を発揮した、則本との投げ合いに勝利をしてくれることを願いましょう。


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笑顔咲くたび伊達な旅 史跡巡り篇 福島の巻

2015-08-11 00:01:20 | 日本史

 

初日の昼過ぎに福島に戻って、そして伊達巡りです。
遠くから攻めよ、の鉄則どおりに北上をして12キロの桑折町、18キロの国見町ですが、自治体の対応は対照的でした。
ともに廃寺などのために詳細な番地までが分からずにホームページから問い合わせをしたのですが、その番地までは分からずともランドマークで行き方を教えてくれた桑折町に対して、国見町は複数回の問い合わせに全くの無回答、もしどちらかに住むことになれば間違いなく桑折町でしょう。
こういった細やかな対応からして、行政サービスへの本気度が見て取れます。

その桑折町では、満勝寺跡にある伊達氏の初代である朝宗の墓です。
藤原氏魚名流の出身とされる朝宗は源頼朝の奥州攻めに従い勲功を挙げて、陸奥伊達郡を賜ります。
このことで伊達氏を称したとも言われていますが、実際に伊達氏を名乗ったのは次男の宗村とも、あるいは朝宗と宗村を同一人物とする説もあり、そのあたりは判然としません。
こちらの五輪塔は江戸期の仙台藩伊達氏によるもので、今は仙台にある満勝寺は当時は桑折にあった朝宗の菩提寺です。
トップの写真のとおり、大切にされていることがよく分かります。

その背後には、自然石の墓があります。
こちらが本来の朝宗の墓とも言われていますが、一方で源頼朝の、あるいは伊達氏の先祖の墓との説もあるようで、これまたよく分かりません。
いずれにせよ伊達氏が参勤交代の折りに墓参をしたと伝えられる、とは桑折町のホームページの説明です。

桑折寺山門は伊達晴宗が桑折西山城を破却して米沢城に移るに際して、城門を桑折寺が拝領して移築したものと伝えられています。
晴宗は朝宗から数えて15代、輝宗の父、政宗の祖父です。
桑折西山城は朝宗が居を構えたところで、また桑折寺は伊達氏の庶流である桑折氏の菩提寺であり、いずれも由緒あるものです。

次なるは国見町の伊達成宗の墓ですが、これが苦労をしました。
前述のとおり詳細な場所が分からず、googleマップを印刷して近くの建物を目印にしたのですがそれでも1キロ近くは離れており、方角と勘を頼りの心細さ爆発です。
幸いなことに一本道が多かったことで思っていたよりは簡単に案内板を見つけたのですがそこからが一苦労、舗装もされていない道を進めば突き当たりに貯水池のようなものがあったのですが右は野っぱら、左は山道でどちらに行けばいいかが分からず、とりあえず自転車を置き去りに山道を進んだものの数分で行き詰まってしまい、今度は右に行けば暫くして山肌に石垣を見つけて一安心、アップダウンのあるそれなりの道程だっただけに空振りに終わらずに助かりました。
願わくば貯水池のところに案内板を、たいしたコストにもならないはずです。

成宗は伊達氏12代、室町期の人物です。
おそらくは室町幕府8代将軍の義政、銀閣寺を創建したことで有名ですが、その義政の初名である義成から偏諱を受けたものと思われます。
つまりはどっぷりと応仁の乱の時期に被っていますが奥州まではその戦禍は広がらず、国分氏や大崎氏らとの抗争に明け暮れました。
このあたりは隠居後の館があったとのことで、しかし遺されているのは五輪塔の風輪の部分のみです。

ここから一気に南下をしての陽林寺は福島駅から7キロちょっとですので、25キロほどを二時間近くかけての移動となりました。
伊達氏14代の稙宗を開基とし、よってその稙宗と、稙宗の三男である実元の墓があります。
実元は政宗の重臣である成実の父、と言った方が分かりやすいかもしれません。

山門をくぐって左手に、その実元の墓があります。
父の稙宗は積極的な勢力拡大を目論んだ人物で、その一環として実元を越後守護の上杉定実の養子に送り込もうとしました。
稙宗の母は定実の姉であり、よって稙宗は定実の甥にあたりますので、その血筋を利用しようとしたのでしょう。
しかしそれに稙宗の嫡男、実元の兄である晴宗が反発をして両者が対立、陸奥の諸氏を巻き込んだ天文の乱が起きます。
最終的には稙宗の隠居で乱は終結をしますが、行きがかりから稙宗方だった実元は兄の晴宗の娘、つまりは姪を娶ることで和睦をすることとなりました。
そのため晴宗の嫡男である輝宗からすれば実元は叔父であり、かつ義兄でもあり、輝宗の嫡男である政宗からすれば実元は大叔父であり、かつ義叔父でもあるという複雑な関係は血を血で洗う戦国期ならではで、独眼竜政宗でもこの関係は冒頭で北大路欣也の輝宗、竜雷太の実元、そして大滝秀治の虎哉宗乙との会話がされたと記憶をしています。
その後の実元は一門の重鎮として輝宗、そして政宗を支え、亘理伊達氏の家祖とされています。

さらに左手、小道のようなものが繋がっている先に、稙宗の墓があります。
山門の脇に案内図がありますがちょっと離れていますので、分かりづらいかもしれません。
稙宗は幕府との結びつきで家格を上げるとともに、次男の義宣を大崎氏に、失敗はしましたが三男の実元を上杉氏に、また晴清を葛西氏に送り込むとともに、娘を蘆名盛氏、相馬顕胤、田村隆顕、二階堂照行、相馬義胤に入嫁させるなどして絶大な影響力を誇りました。
相馬氏などは顕胤の孫が義胤ですから祖父と孫が相婿になるわけで、しかし皮肉なことに嫡男の晴宗と対立をした天文の乱で一族だけではなく大崎氏、葛西氏、相馬氏らが両陣営に分かれて争うこととなり、また晴宗も父と同じく婚姻政策を推し進めるのですから似た者父子だったことによる嫌悪感だったのかもしれません。

そしてこの日の最後が慈徳寺、伊達氏16代、政宗の父である輝宗の首塚があります。
躊躇をするだけの距離がありましたし日も暮れかかっていたので迷ったのですが、翌日に残せばそれはそれで面倒なことになりますので強行をしました。
その途中のダラダラとした長い上り坂で両足に起こした痙攣、それはまた別の稿に譲ることとします。

首塚と呼ばれてはいますが、大きな岩の上に五輪塔の上部の二輪が載っています。
粟之巣の変事で二本松義継に拉致をされて横死をした輝宗は、政宗の手によりここ慈徳寺で荼毘に付されました。
よってこの五輪塔は供養塔なのでしょうし、輝宗の墓は輝宗が招いた政宗の学問の師である虎哉宗乙が住持だった出羽資福寺にあります。
おそらくは政宗が父の菩提を、信頼する虎哉宗乙に託したのでしょう。

分かりづらいかもしれませんが、伊達氏の家紋の一つである「笹に雀」が刻まれています。
この家紋は元は上杉氏のもので、先の実元が上杉氏と養子縁組をした際に贈られたものとのこと、破談となっても使っているのですからちゃっかりしています。
雀の形態や周りを囲む竹や笹の違いにより、実元流の亘理伊達氏から仙台笹と呼ばれる伊達本宗家、政宗の庶長子である秀宗の宇和島笹などに派生をしました。

二日目は夜明けとともに動き出し、当たり前ですがこの時間からレンタサイクルを借りられるわけもなく、よって徒歩での徘徊です。
概ね2キロ内外をてくてくと、前日にどうしても慈徳寺を回っておきたかったのはこれが理由でした。
まず最初は福島稲荷神社ですが、しかし目的は世良修蔵の墓です。
幕末の人物である修蔵は興味の範囲外ではあるのですが、しかし新政府軍と奥羽列藩同盟との間で戦いが始まるきっかけとなったのが仙台藩士による修蔵の暗殺ですので見逃すわけにはいかず、新政府による慰霊碑、官修墳墓ではあるのですが眠い目をこすりながらも探し回りました。
しかしこれがなかなかに見当たらず、諦めて他に向かう途中で発見は単なる偶然で、神社の敷地内ではなく外側の一角にありますのでぐるっと回れば見つかります。

宝積寺には伊達氏15代、晴宗の墓があります。
晴宗の正室である久保姫が建立をしましたので、おそらくは菩提寺なのでしょう。
岩城重隆の長女である久保姫は奥州一の美少女と名高く、結城氏に嫁ぐ行列を晴宗が軍勢を持って襲って強奪をしたとも伝えられています。
そのため伊達氏と岩城氏とは対立をしますが後に和睦をし、跡継ぎのいない重隆に晴宗と久保姫との子を養子に迎えることを約定、よって長男の親隆が岩城氏の跡を継ぎました。
この親隆は輝宗の同腹の兄であり、あるいは実家を継げなかった親隆は弟のことを面白く思っていなかったかもしれません。

天文の乱で父の稙宗を隠居に追い込んだ晴宗は、しかし結局はその父と同じく婚姻政策による勢力拡大を図ります。
長男の重隆の岩城氏も結果的にはその一環となり、三男の政景を留守氏に、四男の昭光を石川氏に、五男の盛重を国分氏に送り込み、また娘を蘆名盛興、二階堂盛義の正室とし、盛義に至っては母と妻が晴宗の娘、つまりは姉妹ですからいくら何でも血が濃すぎでしょう。
これらの婚姻政策も結果的に上手くいったとも言い難く、政宗の代になってから石川昭光、国分盛重は一時期に離反をしましたし、蘆名氏や二階堂氏は滅ぼされした。
この何重もの血の繋がりが相手にとどめを刺すことを躊躇させている、と判断をしての政宗の方針によるところが大なのでしょうが、やはり稙宗と晴宗は似た者親子だったのでしょう。

ここまでの関係は上記のとおりで、赤字が当主、下線が写真でご紹介をしているものとなります。
蘆名氏や相馬氏、二階堂氏や岩城氏らとの姻戚も書きたかったのですが、さすがに複雑になりすぎて割愛をさせていただきました。
こう見てみるとやはり晴宗と実元の関係が異様で、血が濃すぎるといろいろと問題が出る可能性が高くなるとも言われていますから、よくぞ成実といったところでしょう。

長楽寺は本庄氏の菩提寺です。
上杉謙信、景勝の重臣として名高い繁長が福島城の城代となったときに、本願地である越後本庄からこの地に移ってきました。
繁長、および本庄一族の墓があります。

本堂の左手にある八幡神社に繁長の木像が安置をされており、これを以って繁長の墓とされています。
あるいはその下に埋葬をされているのかもしれませんが、そもそも説明板などもありませんので詳しいことは分かりません。
扉は閉ざされていますが見てください、と言わんばかりに一角が空いており、遠目ですが見ることができます。
ただフラッシュはまずいだろうと炊かなかったため、写真ではよく分からないのが残念です。

その裏手には、本庄氏の墓所があります。
ネットなどでいろいろと調べたところ分かっているのは繁長の次男である充長、六男の重長、重長の次男の政長だけのようです。
上杉謙信に忠実だった本庄実乃の系統とは違い、繁長はある時期に武田氏と通じて謀反を起こしました。
武運つたなく嫡男の顕長を人質に出すことで降伏をしますが、その顕長も謙信没後の御館の乱で景勝についた父に対して景虎に与して敗北し、廃嫡をされてしまいました。

そのため大宝寺氏の跡を継いでいた義勝が、本庄氏に復して充長となりました。
充長に嗣子が無いままに没したことで弟の重長が後継となりましたが、30歳以上も離れた兄弟ですので充長からすれば子どもみたいなものだったのでしょう。
重長の跡は政長が継ぎ、米沢藩の重臣として続いていきますが途中で養子を迎えていますので、男系としての繁長の血は絶えている可能性が高そうです。
写真は左から充長、重長、政長ですが、実際の位置関係は左から政長、重長、充長となります。

繁長が城代を務めた福島城は、今は福島県庁となっています。
土塁や碑があるとのことでしたが、自転車であればまだしも徒歩でしたので、あてどもなく探すのは困難と諦めました。
またたまたま見つけた旧米沢藩米蔵は2010年の復原事業によるものとのことですが時間が早かったこともあり敷地内に入れず、横目に通り過ぎた次第です。

それに近しい空振りは、宝林寺に常光寺です。
宝林寺には二本松義継の墓があるかも、との未確認情報に踊らされてみましたが、それらしきものは見当たらず、さすがに時間が早すぎてお寺の方に聞くこともできませんでした。
また常光寺は江戸後期に福島藩主だった板倉氏の菩提寺ですが、墓所ではなく位牌が安置をされているとの説明板でしたので、時間も差し迫ってきたので軽くスルーです。
次なる地である白石に向けて、いそいそと出発をしました。
写真は左が宝林寺、右が常光寺です。


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【2015年4月 福島、宮城の旅】
笑顔咲くたび伊達な旅
笑顔咲くたび伊達な旅 旅程篇
笑顔咲くたび伊達な旅 旅情篇
笑顔咲くたび伊達な旅 史跡巡り篇 二本松の巻
笑顔咲くたび伊達な旅 史跡巡り篇 白石、名取の巻
笑顔咲くたび伊達な旅 史跡巡り篇 船岡、亘理、多賀城の巻
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分厚すぎた紙一重

2015-08-10 01:43:06 | 千葉ロッテ

 

清田が復帰をしました。
とっさのことだったのでボケた写真で申し訳ないのですが、これを見る限りでは痣や腫れのようなものは無さそうで、幸いにも身体的には大事に至らなかったのでしょう。
打席に入るに際してのソフトバンクベンチとのやりとりにしても、遺恨のようなものは残らないと思われます。
もっとも心理面への影響はまだ分からず、本人は振れたことを前向きに受けとめていたようですが、先入観があるにせよ腰がやや引けていたような気がしないでもありません。
これが細川ならえげつなく内を突いてきたでしょうが鶴岡でしたので外中心のリードになることは想像に難くなく、ただそれでも踏み込めとは昨日の今日ですから酷ではあります。
むしろ細川の要求に寺原が躊躇をしての中途半端なボール、の方がよかったかもしれず、いずれにせよ少しずつでも慣れていくしかありませんので、焦らずに一歩ずつ、です。

大嶺祐は7回8安打3失点、QSですので先発としての責任は果たしてくれましたが、もったいないピッチングでもありました。
立ち上がりにストライクとボールがハッキリとしていたことで狙い打ちとなった感があり、それでも四球で崩れるようなことにはならなかったのは成長の証でしょう。
それだけにグラブには当てた大松にクルーズ、追いついたように見えなくもなかったクルーズに岡田と、紙一重なプレーが失点に結びついたのが残念ではあります。
もちろん精一杯のものでしょうから責めることはできませんが、これがイベントデーの宿命なのか、なかなかに勝てません。
とにもかくにも調子を維持し続けている大嶺祐が頼もしくもあり、次もイベントデーでの登板となりますが、今度こその白星をお願いします。

打線は僅かに5安打1得点、大嶺祐を援護できませんでした。
140キロ台半ばのストレートに外角低めに見事にコントロールされたスライダーと、それなりに浮いたボールが無かったわけでもないですが、手も足も出なかった感じです。
三回に追いついていれば、とは思いますが岡田の発想には拍手ですし、バントもきっちりと決めました。
それで抑えられるのですから寺原が一枚も二枚も上だったのかなと、いつもながらの振り回しすぎも目に付きましたが、今日は仕方がありません。
勝ち越しをしたことを前向きに、この勢いを止めないようビジター6連戦を5割以上で乗り切って、またQVCマリンで会いましょう。


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ソフトバンク

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千葉ロッテ

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◆8月9日(日) 千葉ロッテ-ソフトバンク17回戦(ソフトバンク10勝7敗、17時、QVCマリン、30,100人)
▽勝 寺原 17試合7勝
▽S サファテ 46試合3勝28S
▽敗 大嶺祐 16試合5勝5敗
▽本塁打 李大浩22号(大嶺祐)

バッテリー
千葉ロッテ
 大嶺祐、香月良、益田―田村
ソフトバンク 寺原、サファテ
―細川、鶴岡

 

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ソフトバンクを撃破

2015-08-09 03:16:00 | 千葉ロッテ

 

バンデンハークに武田で連勝をしてあわよくば寺原で3タテ、おそらくは工藤監督はそんな星勘定をしていたのでしょうが、KYなロッテには通用をしません。
どちらが首位か分からないような展開での4連勝、5カード連続の勝ち越しで、貯金は今季最多の3となりました。
これで明日に勝てば下よりも上を意識した戦いになりますので石にかじりついても、とは思いますが、まずはきっちりとした野球をやることを第一にイベントデーを乗り切りましょう。

唐川が8回2失点で5勝目、今季終了のピンチから土俵中央まで押し戻したといったところでしょう。
これも巡り合わせではあるのですが援護運は他の投手からすれば垂涎ではないかと、6点に近い防御率で勝ち越しているのですから野球は分かりません。
援護を受けやすいようなテンポのいいピッチングをしているわけでもなく、むしろ今日も下位打線をあっさりと歩かせるなど守っている野手からすればリズムの取りづらい唐川ではないかと、ボール先行の苦しい立ち上がりも大量援護でガラッと変わるのですから現金と言えば現金、気持ちに余裕があればこれぐらいは投げられるわけです。
逆に言えば僅差であればコーナーを狙いすぎての自滅にもなりかねず、本人の言葉どおりに崖っぷちであることに変わりはありません。
唐川にとって幸いだったのは振り回してくるソフトバンク打線の重しとなるべき本多、内川が調子を落としていることで、これは明日の大嶺祐にも同じことが言えます。
何にせよ今日の唐川は中盤以降はらしいピッチング、見事でしたので、これを競っている展開でもできるよう、自信を持ってやっていってもらいたいです。

初回にいきなりのピンチを切り抜けた直後だっただけに、中村の先頭打者初球弾が流れをぐいっと引き寄せました。
かなりレベルの低い争いになっている今季の新人王争いですが、このまま閉幕まで核弾頭でいけば規定打席には達せずともそれに近いところまではいきますので、せめて打率を.270程度までは上げる必要はありますが、同窓の有原との一騎打ちに持ち込めるのではないかと思います。
そして三回には真ん中にボールの集まる武田を攻略しての5得点、ツーストライクから粘って四球を選んだ岡田を皮切りにストレート攻めをはね返した角中、そしてデスパイネはカーブに合っていないのに勝負球をスライダーとした高谷には感謝の言葉もなく、ラッキーボーイ大松の前進守備の間を抜くタイムリーに内寄り低めのボールを上手く叩いた田村と、あっという間の惨劇にソフトバンクベンチは信じられないような思いだったでしょう。
前日の頭部死球でベンチから外れた清田の代わりに岡田は当然としても、そこまでして大松を使いたいのかとレフトでの起用が大成功、そしてどうやら腰痛らしいクルーズの欠場に汚名返上の三木が今季初ヒットにプロ初盗塁ですので、今日はベンチの勝利と言ってよいのではないかと、各選手ともに持ち味を出してくれました。
中盤以降は湿りましたが七回の得点が明日に繋がる大きなポイントだったと、そう語れるよう明日も電光石火の先制をお願いします。


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千葉ロッテ

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◆8月8日(土) 千葉ロッテ-ソフトバンク16回戦(ソフトバンク9勝7敗、17時、QVCマリン、30,011人)
▽勝 唐川 11試合5勝3敗
▽敗 武田 18試合9勝5敗
▽本塁打 中村5号(武田)、松田23号(唐川)

バッテリー
千葉ロッテ
 唐川、益田―田村
ソフトバンク 武田、飯田、巽
―高谷、鶴岡

 

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