オリオン村(跡地)

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
since 2007.4.16
写真など一切の転用、転載を禁止します

これぞプロ魂

2013-05-31 00:58:26 | 千葉ロッテ

古谷が浦和でノーヒットノーランを達成したとのことで、思わず今野を思い出してしまいました。
先発としてのニーズは今となっては低いでしょうし服部の台頭で中継ぎ左腕としても厳しいところにいる古谷だけに、いいアピールになったのではないかと思います。
この快挙だけではなく続けて白星を重ねることができれば一軍に呼ばれることもあるでしょうから、最後のチャンスのつもりで頑張ってもらいたいです。

そのチャンスをものにしつつあるのは昨日に2勝目を手にした阿部で、機関紙が報じた西野に対する『「2軍で一緒にやってきたので、活躍している姿を見るのが悔しかった」。テレビで西野が登板している試合を見ていても、勝ち星が付きそうになると電源を切った。翌日は新聞も手にしなかった。』とのコメントこそがプロ魂でしょう。
仲が良くとも同じポジションであればライバルであり、負けられない相手でもあります。
その気持ちを忘れるようであればプロとして生き抜いていくには物足りませんから、この阿部の意地を買いたいです。
全体的に平均な阿部はなかなかに特徴を出せずにいますが、大きく花開く日がくることを願ってやみません。

 

コメント (33)

阿部が交流戦初勝利

2013-05-30 00:31:07 | 千葉ロッテ

交流戦の縮小を押し進めようとしているセントラルをあざ笑うかのようにパシフィックが実力差を見せつけているために、いくら勝ってもリーグ戦のゲーム差が広がりません。
今日で前半戦を折り返しましたが7勝4敗1分で2位ながらも首位は8勝4敗の楽天ですし、同率の6位を含めた上位7球団に全てのパシフィックが入り込んでいます。
気がつけばあれだけ突っ走っていた巨人と同じ貯金11ですので驚くしかなく、ベンチの手腕と選手たちの頑張りに拍手喝采です。

その交流戦のチーム打率は.284とダントツですし、17本塁打もトップです。
今日も角中の先制アーチに清田の勝ち越しアーチと効果的にホームランが飛び出していますから、とてもロッテとは思えない攻撃ぶりです。
それでいて数少ないチャンスを地味な攻撃での得点もできていますし、ここにきて盆と正月が一緒に来たように歯車が噛み合っていると言ってよいでしょう。
その中心は井口、今江、清田の和製クリーンアップで、やはり軸がしっかりすると打線は活気づきます。
井口は.302ながらも5本塁打はトップですし、今江は.377で同じく5本塁打に清田は.366の1本塁打で、このクリーンアップで12試合に.347の11本塁打で25打点です。
それだけではなく鈴木の.326に荻野貴の.304と3割打者が5人もいるのですから、逆転のロッテは投手陣の踏ん張りはもちろんですが打線の爆発力に負うところが大きいのは言うまでもなく、昨年も交流戦首位打者の角中に根元、今江、井口と4人の3割打者が引っ張ってのチーム打率が1位にチームは3位でしたので、これが交流戦でのロッテの伝統なのでしょう。

そんな頼もしい打線をバックに阿部が交流戦初勝利で、今季2勝目を手にしました。
初回にあっさりと追いつかれるなどピシャリといった感じではありませんでしたが、5回を4安打1失点ですのでギリギリの及第点です。
どうもここにきて継投が早めなのが気にはなりますが中継ぎ陣も盤石な体制になってきましたので、先発も後のことを考えずに腕を振れているのがよいのではないかと思います。
今日も藤岡、ロサ、松永、劇場の幕を上げはしましたが益田と石橋リレーで、元気のない中日をあっさりと蹴散らしました。
あまりに上手く回りすぎているので気持ちが悪くもなりますし、野手が固定をされてフル出場な傾向が出始めているのも気がかりではあるのですが、その中で江村が強気のリードで投手を引っ張っていることが目立ちはしませんがじわじわと変化をもたらしているのではないかと、今日もぶりぶりとストレートを投げ込んでいた藤岡がその象徴でしょう。
その藤岡はまだムード先行で地に足がついていないのではとの懐疑的なスタンスは崩してはいませんが、本人は少しずつでも手応えを感じているようです。
そして快進撃の試金石になるであろう折り返しのカードとなる巨人戦で唐川と成瀬がどういったピッチングを見せてくれるのか、ヤクルトにリベンジができるのかどうか、この週末の4連戦を上手く乗り切れば7年ぶりの交流戦優勝が見えてきますので、火縄銃を背負って山に狸を狩りに行くことにします。

 

  1 2 3 4 5 6 7 8 9

千葉ロッテ

1 0 0 1 0 0 1 0 0 3 8

0

中日

1 0 0

0

0 0 0 0 0 1 6

0


◆5月29日(水) 中日-千葉ロッテ2回戦(ロッテ2勝、18時、ナゴヤドーム、24,263人)
▽勝 阿部 3試合2勝
▽S 益田 27試合1勝2敗16S

▽敗 山井 8試合2敗
▽本塁打 角中2号(山井)、清田2号(山井)

▽バッテリー
千葉ロッテ 阿部、藤岡、ロサ、松永、益田―江村
中日 山井、鈴木、岡田、田島、中田賢―谷繁

 

コメント (31)

三本の矢を探して 史跡巡り篇 安芸高田の巻

2013-05-29 20:46:58 | 日本史

 

史跡巡りの二日目は安芸高田です。
毛利輝元が広島城に移るまでの約250年間に毛利氏の居城であった吉田郡山城があり、それだけを目指してバスで1時間ほど揺られての移動です。
到着をしたのが8時過ぎで麓にある安芸高田市歴史民俗博物館が開館前だったので、まずは城攻めとばかりにその吉田郡山城跡に向かいました。

吉田郡山城とは書きましたが正しくは郡山城で、他の郡山城と区別をするために一般的には吉田郡山城と呼ばれています。
郡山をすぽっとくるむように城域が広がっており、よって典型的な中世の山城となっています。
それなりに親切に案内板があるのですがしかしそれに従って歩いて路頭に迷うなど中途半端なところもありますので、登山口にある地図は必携だと思った方がよいでしょう。
写真は例によってクリックをしていただければ大きくなりますが、見比べていただくのであれば「右クリック→リンクを新しいウィンドウで開く」を選んでいただいて、そのウィンドウを横に置いていただければどういったルートで城攻めをしたかが分かると思います。

同じく登山口にある杖も、邪魔にはなりませんので借りた方がよいです。
この手の山城を登るに際しては両手が空くスタイルが必須なのは言うまでもありませんが、登るときも下るときも杖があるとかなり楽になります。
登り始めたときには雨は上がっていたのですが濡れ落ち葉で足を取られがちでしたので、この杖にはかなり助けられました。

安芸高田市歴史民俗博物館を起点に右回り、左回りのルートがあるのですが、右回りをする人は少ないのではないかと思います。
トラック競技で左回りが当たり前で右回りをしようとするとたたらを踏むのは利き手が右だからということではなく、無意識に心臓を守るように体ができているからなどという説もあるようですが、そうなればサウザーは右回りの方が得意かもしれません。
それはさておき最初に巡り会ったのは毛利元就の像で、そのイメージどおりに老将の姿となっています。
ただそれにしても鎧兜が重すぎるのではないかと思えるぐらいの老齢ですから、もうちょっと若くてもよかったような気もします。

行き先案内板に従って歩いて行けば何かの施設の敷地内に入ってしまったのですが、そこにあるのが三矢の訓跡碑です。
訓の跡というのが意味が分からないのですが、ここは毛利元就が隠居をしてから住んだ御里屋敷跡になります。
やはり毛利氏のエピソードともなれば一番に挙げられるのが「三矢の訓」ですから、それが創作であろうがそんなことはもう関係はないのでしょう。
昭和になってから建てられたものですが、その題字は当時の毛利氏の当主であった毛利元道の手によるものです。

そこから清神社の脇を回って登り口を探したのですが、これがまた分かりにくかったです。
駐車場がある場所に出てそこの案内板を頼りに10分ほど探したのですが見つからず、また清神社まで戻って見ればその背後に「ここ?」と思うような細い道が続いていました。
山城に登るのは珍しくもないのですが1メートルあるかないかの道幅とすぐの斜面というのはそれなりのリスクを伴いますので、悪天候のときの挑戦は避けた方がよいでしょう。

いきなり横道に逸れて最初に向かったのが旧本城跡です。
安芸毛利氏の初代である時親が築城をしてから元就が大幅な拡張をするまでの本城があった場所で、かなり行きづらかったです。
矢印に従順になってみれば両手を使って這うように登る必要があるような場所で、同じ場所を下ると足を滑らせて崖下にまっしぐらになりかねません。
実のところは矢印がトラップで少し遠回りをすればちょっとは傾斜の緩い道があったのですが、いずれにせよ安芸高田市歴史民俗博物館の方曰く「お奨めはしません」とのことです。

尾崎丸の堀切と、尾崎丸跡です。
堀切とは尾根部の各郭間に掘られた堀のことで、城を守るには重要なものとなります。
尾崎丸に屋敷があったから尾崎殿なのか尾崎殿だから尾崎丸なのかは分かりませんが、隆元の屋敷があったと伝えられています。

勢溜の壇は本丸から南西に延びる尾根を堀切で区切って独立をさせて十段の曲輪からなる守備の要で、本丸を守護する兵が詰めていたと想定をされています。
その上部にある御蔵屋敷は兵糧などが貯蔵をされていた屋敷が建ち並んでいた場所であり、また勢溜の壇まで攻め込まれたときにはここから攻撃ができます。
写真は左が勢溜の壇跡、右が御蔵屋敷跡です。

元就のときに大幅な拡張が行われて隆元、輝元に引き継がれましたが、石垣はその頃のものです。
廃城になった際にそのほとんどが崩されましたが、三ノ丸の石垣が僅かですが残されています。
土塁はここそこにあるのですが、それが土塁なのかただの土盛りなのかは正直なところよくは分かりません。
写真は左が三ノ丸石垣跡、右が土塁跡です。

二ノ丸は本丸の南にあり、東西36メートル、南北20メートルの広さがあります。
周囲を石垣や石塁で囲まれており、いくつかの区画に分かれていました。
三ノ丸は東西40メートル、南北47メートルと城内最大の曲輪で、吉田郡山城では一番に新しい遺構と考えられているようです。
写真は左が二ノ丸跡、右が三ノ丸跡です。

そして本丸です。
35メートル四方で北側に櫓台がありますが、天守閣ではなく物見のための櫓があったと考えられています。
一説に三層三階の天守閣が輝元のときにあったとも言われていますが、詳しいことは分かっていません。
写真は左が本丸跡、右が櫓台跡です。

ここから本丸を取り巻くいくつかの壇を見て回りました。
釣井の壇は長さが75メートルの長大な曲輪で、手前に見えるのが本丸に一番に近い水源だった井戸です。
本丸から北に延びる峰にある姫の丸壇で長州藩士の武田泰信が「百万一心」の礎石を見つけたとの話が伝わっていますが、本人の言葉のみで何ら裏付けはありません。
写真は左が釣井の壇跡、右が姫の丸壇跡です。

釜屋の壇は本丸に一番に近いところにあり、炊事場だったと伝えられています。
すぐ下が馬場であったことから厩舎が並んでいたものと想定をされているのが厩の壇で、いくつかの小さな区画に区切られていたようです。
写真は左が釜屋の壇跡、右が厩の壇跡です。

壇巡りを終えて毛利氏の墓所に向かう途中にあるのが、元就が吉田に招き入れた嘯岳禅師の墓です。
嘯岳禅師は筑前博多の人で二度も明に渡って修行をし、元就の逝去に際しては葬儀の導師を務めて、また元就の菩提寺である洞春寺の開山でもあります。
ちなみに洞春寺は毛利氏に従って山口に移っています。

そして元就の墓です。
菩提寺が山口に移ったことで先祖の墓も改葬をすることが珍しくはないのですが、生まれ育った吉田の地に元就は眠っています。
墓標に「はりいぶき」が植えられていて堂々とした姿を誇っていますので、その形状からして墓石は後世のものかもしれません。
名高い謀将である元就の墓にしては、ちょっと寂しい気もします。

その側に百万一心の石碑がありますが、先に書いたとおり当時のものではありません。
元就が城を拡張した際に人柱の代わりに埋めたと言われていますが、武田泰信が残した拓本を元に復元をされたものです。
復元というのも微妙な表現ですが、何にせよその伝えられる「皆で力を合わせれば何事も成し得る」という元就の思いは吉田町のモットーとなっています。

元就の墓があるのは洞春寺跡ですが、そこに毛利氏の墓地があります。
おそらくは輝元の代に改葬、あるいは供養塔のような意味合いのものではないかと思います。
元就のそれと同じで門には鍵がかかっていて入れなかったのが残念でしたが、LUMIXの望遠での激写で凌ぎました。

元就の兄の興元の墓です。
毛利氏は源頼朝の側近であった大江広元が祖であり、その四男の季光が父から毛利庄を相続したことで毛利を名乗りました。
そのため毛利氏の本姓は大江であり、よって墓石にも大江朝臣興元之墓と刻まれています。
興元は父の弘元が45歳で病死をしたために15歳で家督を継ぎ、大内義興に従って上京をして合戦に明け暮れるなど活躍をしましたが、25歳の若さで早世をしました。
元就は父、兄が酒毒によって若死にをしたと考えていたようで、酒は飲まなかったと伝えられています。
ちなみに季光が継いだ毛利庄は相模にあり自分が通っていた高校の近くに南毛利中学校がありましたので、そのあたりが毛利庄だったのでしょう。

興元の跡を継いだのは嫡男の幸松丸で、僅か2歳での当主ですので叔父の元就と母方の祖父の高橋久光が後見となりました。
しかし9歳で病死をしてしまい、多治比元就と名乗っていた分家の元就が家督を継ぎました。
幸松丸の死は無理矢理に首実検に立ち会わせられて体調を崩してのものと言われており、大河ドラマでは緒形拳の扮する尼子経久に無理強いをされたことに中村橋之助の演ずる元就が恨むシーンがあったように思いますが、一方でその死の僅か10日のうちに将軍家の許可を持っての相続ですから、元就と一部の家臣による暗殺との説も根強いようです。
またその名のとおりに隆元の正室の尾崎局の墓もあります。
大内氏の重臣であった内藤興盛の娘で輝元の母である尾崎局は、甥の隆世が大内氏に殉じて毛利氏に滅ぼされる悲哀がありながらも兄の隆春が毛利氏に降って周防内藤氏として幕末まで続きましたので、複雑な思いで当主の妻、そして母として生き抜いたのでしょう。
写真は左が幸松丸、右が尾崎局です。

こちらは安芸吉田に下向をした安芸毛利氏の初代である時親から、元就の祖父である豊元までの当主の合同墓です。
さすがにこれは供養墓でしょうし、ここから外れている興元や元就らの父である弘元の墓は隠居城であった猿掛城の近くにある悦叟院跡にありますが、毛利氏の重臣であった福原氏の墓所のある鈴尾城跡とともに今回は足を伸ばすことはできませんでした。
時親から元春、広房、光房、煕元、豊元、そして弘元、興元、幸松丸、元就と続いていきますが、この間に坂氏や福原氏などの有力な庶子家が誕生をしています。

一本目の矢である隆元の墓は、洞春寺跡から少し離れたところにあります。
元就の隠居後に家督を継いだ隆元は偉大な父と優秀な弟との間に挟まれて苦悩をしていたようで、遺されている書状からもそれが窺えます。
隆元は尼子攻めに向かう途中で毛利氏に降っていた備後の和智誠春の饗応を受けた直後に41歳で急死をしており、当時から毒殺が噂をされていました。
弟ほどには優れてはいなかった隆元ではありますが父には愛されていたようで、怒り狂った元就は尼子氏を滅ぼした4年後に隆元の重臣であった赤川元保の関与を疑って切腹をさせるとともに、その翌年には厳島神社に立て籠もった誠春と久豊の兄弟を攻め殺しています。
すぐには手を下さずにタイミングを見計らっていたところなどは元就の深慮遠謀さが見て取れますが、しかし元保は誠春の誘いを断るよう隆元に強く進言をしていたことが後に判明をしたことで一族に赤川氏を再興させており、また誠春の子である元郷は許されていますのでやはり隆元は病死だったのでしょう。

ぐるっと回って駐車場のあるところまで降りれば、そこには元就の火葬場跡があります。
御里屋敷で波乱の一生を閉じた元就は、この火葬場で荼毘に附されました。
近代日本であれば火葬は当たり前ですが戦国期には土葬が一般的だと思っていましたので、ちょっと意外な感じがあります。
そうなると墓の下には骨壺があるのかもしれず、いろいろと興味は尽きません。

1時間が目安とされているらしい吉田郡山城跡を2時間半ほどかけて攻めた後は、ようやくに安芸高田市歴史民俗博物館です。
写真は完全に雨が上がった後ですので青空が広がっていますが、展示を見ている間にそれまでとは違ってかなりの大きさの雨粒が叩きつけるように降り出しました。
仕方がないので普段よりもじっくりと展示物を見て回ったりショートムービーを見ているうちに雨が上がりましたので、次の目的に向かって突撃です。

予定では元就の女婿で一門衆となった宍戸隆家やその一族の墓を巡る予定だったのですが、地元の観光課の担当者の方に事前に送っていただいた地図を持って出るのを忘れてしまった失態に加えて、貸していただいた自転車が長距離の移動にはちょっとあれな状態だったので諦めて次回の課題に繰り越しました。
そのためにまずは尼子義勝の墓で、途中で斜め45度の大雨に遭遇をしたのは旅情篇で書いたとおりです。
尼子義勝は経久の弟で久幸の名の方が知られていますが、尼子氏が吉田郡山城を攻めた際の宮崎長尾の戦いで毛利氏の救援に駆けつけた陶隆房、後の晴賢の急襲を受けて混乱をした尼子本陣を守るために奮戦をしましたが敢えなく討ち死にをしてしまいました。

安芸高田の最後は相合元綱の墓です。
元綱は興元、元就の弟で、元就が家督を継いだ際に一部の家臣に担がれて対抗をしたことで元就に攻め滅ばされました。
一説には尼子氏が糸を引いて新宮党の豊久を毛利氏の家督に、元綱はその後見にとの目論見だったとも言われていますが、元就の機敏な対応にしてやられた形で坂広秀、渡辺勝らもあっけなく討ち取られたのですからさすがとしか言いようがありません。
もっとも元就と元綱は仲が良かったようで大河ドラマでもそういった描写がされており、その策略に怒った元就が尼子氏の傘下から大内氏に転じた理由の一つともされています。
そんなこともあってか元綱の子の元範は許されて敷名氏を興しており、また元就が自ら書き起こした系図には元綱、元範だけではなく孫までもが書き込まれているそうです。
ちなみにこの墓は元綱のものではなく、元就の末弟である北就勝のものとも言われているとはwikipediaの受け売りでした。


【2013年4月 広島、山口の旅】
三本の矢を探して
三本の矢を探して 旅程篇
三本の矢を探して 旅情篇
三本の矢を探して 史跡巡り篇 広島の巻
三本の矢を探して 史跡巡り篇 福山、三原、竹原の巻
三本の矢を探して 史跡巡り篇 北広島の巻
三本の矢を探して 史跡巡り篇 岩国の巻
三本の矢を探して グルメ篇
三本の矢を探して スイーツ篇
三本の矢を探して おみやげ篇

 

コメント (4)

東洋大トリオで逆転勝ち

2013-05-29 01:46:51 | 千葉ロッテ

鮮やかな逆転勝ちでした。
ワンチャンスを活かしての逆転と完璧な継投での勝利ですので、ベンチには充実感に笑みがこぼれていることでしょう。
逆に中日からすれば早めの継投が失敗をした上に微妙な判定がプラスからマイナスに転じましたので、中日ファンには怒りと怨嗟の声が充ち満ちているのではないかと思います。
危うくパシフィックではロッテだけが負けるという最悪のシナリオから辛うじて抜け出しましたので、この勢いで明日も中日をうっちゃってもらいたいです。

先発の西野は4回を4安打2失点と先発としての責任を果たしたとは言えませんが、それでもしっかりとしたピッチングを見せてくれました。
ストレートに伸びがあり打者が前のめりになってスイングをするような落差も緩急もあるカーブやフォークで翻弄をしていましたし、数字は伴いませんでしたが悪くもありませんでした。
強いて挙げればそのストレートを過信しすぎたのか安易にストライクを取りにいった嫌いはありましたが、その攻めの姿勢は買いたいです。
それだけに四回での交代、しかも打席に立って四球を選んでからの代走にどういった意図があったのか、あるいは走者として走ることで息が上がることを懸念したのかもしれませんが、それであれば最初から代打を出せばいい話ですし、やや不可解な感じは残ります。
ただ前回が球数を投げていましたので、結果論ではありますが試合には勝ちましたからいい休養になったと思えないこともありません。
伊東監督が西野もそろそろとのコメントをしていたようですので今後に無理な起用はしないでしょうから、次の登板では体調万全でピシャリと抑えてくれることを期待します。

西野を継いだ藤岡はプロ初の中継ぎでの登板で、2回を無失点に抑えての3勝目です。
ナゴヤドームの性向は分かりませんが他の投手の数字もさしておかしくはありませんでしたので、MAX146キロのストレートが最大の収穫でしょう。
そうなると不思議なものでフォロースルーも服部のような躍動感が感じられましたし、やはり課題は気持ちの弱さなのかもしれません。
味方が逆転をしてくれた次の回になると下位打線と上位打線との違いはありますがピッチングが小さく、鎌ヶ谷で見たそれと似たようなものになってしまいました。
五回はストレートオンリーだったのに対して六回は変化球を交えたことで腕の振りが緩んだのであれば、そのあたりに解が潜んでいるような気がします。
何はともあれ藤岡が中盤を抑えたことが勝利の要因の一つですから、交流戦が明けたときに先発に復帰できるような実績作りを願います。

勝利の方程式は中郷、服部、松永、益田で、ようやくに服部が中15日でのご無沙汰ピッチングです。
僅か1球でちょっとヒヤッとした打球の飛び方ではありましたが、とにかく無事な姿を見せてくれたことだけで充分でしょう。
これが交流戦ではプロ初登板となった服部ですが、折り返しての後半戦でも貴重な左腕としての活躍を期待します。
ヒット1本を許したものの中郷も力強いピッチングでしたし、松永も糸を引くようなストレートで一週間ぶりのホールドを、そしてややスピード不足ながらも益田も久しぶりのセーブを手にしましたので、この1点差を守りきったことでロサが復調をしてきたことと合わせてリリーフ陣は底を打ったと思うことにします。

打線はカブレラのストレートに力負けをしていたところでの二死からの逆転劇ですから、やはり勢いがあるのでしょう。
相変わらずに四番の今江が打線を引っ張っており、和製クリーンアップは元気いっぱいです。
後輩の藤岡に白星をプレゼントする口火を切った清田のタイムリーは先輩としての面目躍如でしょうし、同期の鈴木のリーグトップの5本目の三塁打は見事でした。
そもそも一昨日に今季初勝利を挙げたものの自らのピッチングとしては2四球の押し出しと散々だった田島を、ボールがばらけてきたとは言いながらもロッテ打線をねじ伏せていたカブレラに代えたことはロッテからすればラッキーな交代だったのではないかと思います。
あっさりと荻野貴に死球を与えて逆転のランナーを出した挙げ句の鈴木の逆転スリーベースですから、ナゴヤドームに詰めかけた中日ファンの怒号が聞こえるかのようです。
ハーフスイングの判定を見返すかのような鈴木の殊勲打は以前にも死球を取ってもらえなかった直後のヒットを思い出させましたので、何くそ魂といったところでしょう。
何はともあれ粘っていれば逆転ができるとベンチも選手たちも思い込んでいる、そのことが逆転のロッテの原動力です。

ルナのファインプレーで得点機を潰されるなど流れとしては完全に中日の逃げ切りモードでしたから、あの継投が全てだったように思えます。
田島の壊れっぷりもそうですし、いろいろな意味で反面教師となる試合でした。
中日はベンチ内も揉めているようですし弱っているうちに叩いておきたいですから、是非とも明日も勝たせてもらいましょう。
中5日の唐川ではなく中6日で準備万端の阿部ですので、今度こそ次に繋がるピッチングを見せてもらいたいです。
そして打線も不平不満気味の山井が口をへの字に曲げるような、そんな猛攻を期待します。

 

  1 2 3 4 5 6 7 8 9

千葉ロッテ

0 0 0 0 0 3 0 0 0 3 8

0

中日

0 2 0

0

0 0 0 0 0 2 5

0


◆5月28日(火) 中日-千葉ロッテ1回戦(ロッテ1勝、18時1分、ナゴヤドーム、24,225人)
▽勝 藤岡 7試合3勝3敗
▽S 益田 26試合1勝2敗15S

▽敗 田島 25試合1勝6敗

▽バッテリー
千葉ロッテ 西野、藤岡、中郷、服部、松永、益田―江村
中日 カブレラ、田島、岡田、武藤、小林―谷繁

 

コメント (31)

補強は今でしょ!

2013-05-28 00:32:31 | 千葉ロッテ

つい先日まで九人の侍などと揶揄をしていた浦和の惨状もようやくに故障者が徐々に戻ってきているようで、やっと普通のチームになりつつあります。
一軍は好調ながらも下からの底上げがなければ息切れをして翔破どころの話ではなくなりますので、これは喜ばしい傾向です。
暫くは姿が見えなかった角がスタメンに復帰をしていますし、田村も久しぶりに実戦に登場をしました。
残念ながら浦和に戻された加藤と金澤も次を期すべく頑張っていますので、このまま埋もれないよう踏ん張ってもらいたいです。

一方で内や藪田に里崎の消息不明は相変わらずですし、ベテラン勢の小野と渡辺もパッとしません。
ゴンザレスが好投をしたようですが安定感がありませんので、一試合ぐらいの結果では一軍への昇格は難しいでしょう。
ホワイトセルとグライシンガーの故障もありロサを除いた外国人選手が浦和に集結をしているとは誤算もいいところで、そのおかげと言ってしまえば語弊がありますが若手の出番が増えて首位を走っていることで編成部は仕事の手を休めているのではないかと、補強は常に一歩先を見なければ後手に回ります。
予算的な問題もあるでしょうがネルソンはどうなったのか、あれだけ伊東監督がぶち上げたのですからダメならダメとの発表は必要でしょう。
チームが上手く回り始めたからこそ次の手を打つべきだと、林先生を呼んできて「今でしょ」と叫んでもらいたいです。

 

コメント (44)

大嶺が粘ったのか、DeNAがヘボかったのか

2013-05-27 01:43:18 | 千葉ロッテ

取りこぼしてはならないDeNAとの試合は初物の三嶋に苦しめられながらも接戦を逃げ切り、交流戦は初戦以来の貯金生活に入りました。
ここにきて打線が活気づいて投手陣を助けているのが喜ばしく、このままの勢いで前半戦を折り返したいところです。
一日を置いての中日戦はなまじ不振なチームが相手ですから逆に気持ちが悪いのですが、高木監督があんな感じであれば有利に戦えるのではないかと思います。
初戦の西野は決まりでしょうが二戦目に阿部を持ってくるのか中5日で唐川を突っ込むのか、次の巨人戦を睨んでのローテーションから目が離せません。

それにしても大嶺がギリギリで持ちこたえてくれたといった感じで、逆の立場であればこめかみの血管がぶち切れていたでしょう。
7回を4安打無失点ながらも4イニングで先頭打者を出してしまい、三者凡退は僅か1イニングですのでよくぞ零封ができたものだと感心をしてしまいます。
交流戦最多記録の5併殺を喫したDeNA打線の拙攻に助けられたところもありましたが、立ち上がりからボールが抜け気味でしたので4四球で済んだのが不思議なぐらいで、横浜スタジアムの傾向は分かりませんが140キロ台のストレートの威力に思わず手を出してしまったといったところがあったのかもしれません。
これはある意味で益田のピッチングに通じるものであり藤岡に見習って欲しいスタイルでもありますから、ベンチから藤岡が大嶺をどう見ていたのかも気になります。
思い起こせばさりげなく試合を作ってしまうのが西村体制になる前の大嶺の特徴でもありましたので、この16イニング連続無失点を額面どおりに受け止めることにします。

その大嶺が5回で81球も投げていましたので六回の無死一塁で代打が出るかなとも思ったのですが、続投をさせたのが結果的に成功でした。
これはベンチが大嶺を既に主戦の一人と見なしているからこその続投だったのでしょうし、その六回に唯一の三者凡退ですから巡りが良くなっています。
そして2点差の八回にロサを持ってきたことからして松永の体調不良は改善をしないのでしょうが、ここでロサが使えるようになったことは大収穫でしょう。
大嶺と同じく高めに浮きがちではありましたが150キロを超えるストレートは威力抜群で、頼りになるロサが戻ってきました。
そして最後はまた4点差での益田は九回に追加点が入るまでは2点差でしたので準備万端だったからこその起用だったのでしょうが、ここで他の投手を使えないところが今のリリーフ陣の最大の課題であり、やはり大規模な捜索隊を組織して服部を捜すことが早急に求められます。

打線は数少ないチャンスを確実にものにしての4得点で、先制に中押し、そしてダメ押しと効果的な点の取り方でした。
すっかりと四番の風格が出てきた今江の一発が大嶺を勇気づけましたし、打撃好調な荻野貴の六番が活きるのですからベンチはうはうはでしょう。
福浦に元気がないのが気になりますが江村が打率を2割に乗せましたし、復帰の角中もマルチヒットで3割に戻しました。
いつの間にやら得失点差もプラスに転じてチーム打率もリーグトップに躍り出ましたので、春先からおんぶにだっこだった投手陣に今度は恩返しの番です。
ただ打つだけで足を使えていないのが不満ではありますがどこからでも点が取れる打線になりつつありますから、マリングリング打線の今後に期待がいっぱいです。

 

  1 2 3 4 5 6 7 8 9

千葉ロッテ

0 0 0 1 0 0 1 0 2 4 9

0

 DeNA

0 0 0

0

0 0 0 0 1 1 6

1


◆5月26日(日) DeNA-千葉ロッテ2回戦(ロッテ2勝、14時1分、横浜、25,343人)
▽勝 大嶺 5試合3勝1敗
▽敗 三嶋 16試合2敗
▽本塁打 今江5号(三嶋)

▽バッテリー
千葉ロッテ 大嶺、ロサ、益田―江村
DeNA 三嶋、高崎―鶴岡、黒羽根

 

コメント (34)

三本の矢を探して 史跡巡り篇 広島の巻

2013-05-26 22:54:14 | 日本史

 

史跡巡りの初日は広島市街を自転車で駆け巡りました。
市街とは言いながらも東西南北に約90キロを走りましたので、いきなりで足が痙攣を起こしたとは旅程篇に書いたとおりです。
途中でカーナビのバッテリーが切れてしまい、もちろん充電池は持っていたのですが0%になってしまえば充電ができないことを知ったのが収穫と言えば収穫です。

まずは日本100名城の一つである広島城です。
毛利輝元が築城をしましたが関ヶ原の戦いで敗れたことで周防・長門に減封をされてしまい、代わりに入城をしたのが福島正則です。
この福島時代に城下町を含めた本格的な整備が進められましたが、洪水で崩れた石垣を幕府に無断で補修をしたとの理由で改易をされてしまい、浅野長晟が和歌山から入って幕末までの約250年を浅野氏の居城として栄華を誇りました。
天守閣は国宝に指定をされていましたが残念なことに原爆投下により倒壊をしてしまい、今の天守閣は昭和33年に鉄骨鉄筋コンクリートで再建をされたものです。

平成元年には二の丸跡に表御門、太鼓櫓、多聞櫓、平櫓が再建をされました。
これらは天守閣と同じく原爆投下で倒壊をしてしまったのの復元で、しかし古写真を使った写真解析で高さ、軒の出、窓の位置などの数値をはじき出しての木造によるものですので、ほぼ当時のものが再現をされているものと考えてよいのではないかと思います。
こちらの表御門は渡り櫓の下に門を備えた櫓門形式の門です。

太鼓櫓は時を告げる太鼓が置かれていたことからそう呼ばれており、二の丸の南東隅にある二層二階建ての櫓です。
二の丸の南西隅にある一層一階の櫓が平櫓で、長屋形式で三十五間の長さの多聞櫓が太鼓櫓と平櫓を繋いでいます。
写真は左から太鼓櫓、多聞櫓、平櫓です。

これら連なった三櫓の内部は公開をされており、中にはいろいろな展示がされています。
鯱瓦は再建をされたときのものですが、詳細が分からなかったために福山城のそれを参考にして作られました。
平成元年の台風で破損をしたために二代目に代替わりをし、その二代目も平成13年の芸予地震で破損をしたことで、今の広島城の鯱瓦は三代目となります。

妙頂寺には浅野忠吉の墓があります。
忠吉は浅野長政の従兄弟ですが先代の長勝の弟の長忠の子ですから、妹の子である長政よりも男系という意味では浅野氏の血を色濃く継いでいます。
長政の子の長晟に従って備後三原3万石を預けられて筆頭家老となり、一門衆として重きをなしました。
備後浅野氏の菩提寺は3代の忠真が創建をした三原の妙正寺で歴代の墓もそこにありますが、その開基が妙頂寺の住職ですので浅野氏との繋がりが強かったのでしょう。
ちなみに妙正寺も2代の忠長や福島正則の甥の正之の墓がある宗光寺も三原駅からほど近いところにあるのですが、こうやって記事をまとめるためにいろいろと調べていく過程で存在を知るのですから後の祭りで、かなり悔しいのですが次に訪れるためのエネルギー源とでも思うしかありません。

妙頂寺にはその他に3代の忠真、14代の忠純、おそらくは一門であろう忠之の墓があります。
忠真のそれは五輪塔の地輪の部分しかありませんので、長い年月を経て失われてしまったのでしょう。
また忠之の「之」を「の」と読めば12代の忠の墓となるのですが正七位が低すぎるような気がしますし、いろいろと調べたのですがよく分かりませんでした。
写真は左から忠真、忠純、忠之です。

ここから東西南北に遠出が始まります。
国泰寺は広島藩2代の長晟の墓があるとのことで西に8.5キロでなだらかな上り坂をえっちらおっちらと登ったのですが、浅野氏の墓所があり立派な五輪塔もあったのですが戒名から長晟のそれではなく、境内の案内板にも何の説明もありませんでしたので誤報だったのかもしれません。
浅野氏の墓所は神田山墓地と新庄山墓地にあるのですがいずれも非公開のために国泰寺に期待をしていただけに、かなりガッカリとさせられました。

その代わりというわけでもありませんが、豊臣秀吉と安国寺恵瓊のそれぞれ遺髪墓です。
豊臣秀吉のそれは恵瓊が形見分けでもらったもので建立をしたとのことですが、真偽の程は分かりません。
また法体であった恵瓊の遺髪とは何ぞや、生臭坊主だったのかとの突っ込みを墓前でしてしまったことは内緒話です。

また大石氏の墓所もこちらにあります。
大石内蔵助良雄が元禄赤穂事件で英雄化をしたため広島藩が遺児である大三郎良恭を家臣に欲しがり、以降の大石氏は浅野氏の家臣として続きました。
またいつの時代のものかは分かりませんが赤穂義士追遠碑があり、赤穂義士の人気ぶりがうかがえます。

その大三郎と、内蔵助の正室の理玖の墓です。
父と同じく1500石の大身で迎えられた大三郎ですが、人物としては優秀ではなかったようです。
妾腹ではありながらも実子ではなく内蔵助の叔父にあたる良速の曾孫の良尚を養子として跡を継がせており、しかし良尚に跡を継ぐ子が無かったことで一時は断絶をした大石氏は大三郎の次男である良遂が養子入りをした横田氏から温良が入って再興をしましたので、辛うじて内蔵助の血が保たれたことになります。
写真は左が大三郎、右が理玖です。

禅林寺は福島正則の創建で、浅野氏の家老である上田氏の菩提寺です。
正しくは初代の上田重安の菩提寺とのことで、しかし原爆投下によりその全てが焼失をしてしまいました。
現在の禅林寺は戦後に再建をされたものです。

上田重安の遺髪塚です。
武人として知られる重安は一方で千利休、古田織部の門下としての茶人としても有名で、むしろ上田宗箇としての名の方が知られているかもしれません。
上田宗箇流の流祖であり、また名古屋城二の丸庭園などを手がけるなど造園家としても手腕を発揮した文武両道の武将です。
関ヶ原の戦いで西軍に味方したために改易をされましたがその後に蜂須賀至鎮に請われて客将として招かれ、また正室、継室ともに浅野氏の姻戚である杉原氏の出であることから浅野幸長の家臣となったことからして、この敗将には珍しい復権も重安の資質によるものなのでしょう。

歴代の上田氏の墓は重安のそれと同じく禅林寺の墓地の一角にあります。
しかし一部を除いて五輪塔の地輪しかなく、原爆投下により飛ばされて戒名が刻まれている地輪を除いてどれがどれだか分からなくなってしまったからなのか、あるいはこの地輪も戦後に作られたのものなのかは分かりませんが、ただ積み上げられているだけではなくコンクリートで固められているのにはちょっと驚きました。

この墓所には3代の重次と12代以降を除いた歴代の当主の墓があり、戒名付きで説明板がありましたのでこういうのは助かります。
しかし残念なことに10代の安世だけは見つからず、固まっていた一角から外れたところも見て回ったのですが骨折り損のくたびれ儲けでした。
浅野氏家老としての上田氏は嫡男の重秀が徳川氏の旗本となったために次男の重政が継ぎ、その後は重次、重羽、義行、義従、義敷、義珍、安虎、安世、安節と続きます。
上田氏は広島藩の国家老として三原浅野氏、東城浅野氏とともに浅野氏三家老の一つとして栄えました。
写真は上段左から重政、重羽、義行、義従、義敷、義珍、安虎、安節です。

次に向かったのが西南に9.3キロの海蔵寺で、やはり広島藩の家老である東城浅野氏の菩提寺です。
これまた延々と上り坂が続く苦行の第二弾で、しかも道案内で50メートル先を下るとあったので100段以上もある階段を延々と下ったのですが民家しか見当たらず、実際のところは100メートルほど先がそれでしたので疲れた体には厳しすぎるトラップでした。
その先も45度に近い下り坂で自転車で下ったことを後悔させられましたので、痛烈なダブルパンチです。

墓所には東城浅野氏の歴代当主の墓がありましたが、一部を除いて説明もなく戒名を控えたのですが誰が誰だかはほとんど分かりませんでした。
東城浅野氏の始祖は堀田高勝で、浅野長政の嫡男である幸長の守り役となったことから後に浅野姓を許されます。
その後は高英、高次、高尚、高方、俊峰、高明、道寧、高景、高通、高平、道博と続きますが、ところどころに養子が入っているようですので血縁関係は今ひとつ分かりません。

ざっと見た感じで特定ができたのが高勝を初代とした11代の高平と、12代の道博です。
高平のそれは珍しい墳墓になっており、何か謂われがあるのかもしれません。
写真は左が高平、右が道博です。

この海蔵寺に東城浅野氏の墓所があることを知ったのは実のところは訪れたときで、かなりのラッキーパンチでした。
本来の目的は山中氏の墓所で、尼子氏の重臣であった山中鹿介幸盛の後裔となる吉和屋山中氏の一族が葬られています。
幸盛の娘の盛江が毛利氏の家臣である児玉氏に出入りをしていた商人の吉和義兼に嫁ぎ、その子の範信から本姓山中氏の吉和屋彌右衛門として栄えました。
幸盛の嫡男である幸元は盛江の次男とも言われているようですが鴻池財閥の始祖であり、武辺一辺倒であった幸盛の子が商いで身を立てるのですから不思議な感じがします。

その盛江の墓ですが、昭和に入ってから改葬をされたものです。
墓前には幸盛を語る際には欠かせない「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」が刻まれた石碑がありますが、これもそのときのものかもしれません。
幸盛の首塚もあるとの情報もそういった案内板はなく、しかし帰ってきてから調べてみれば墓の左に辛うじて映っている松の大木に幸盛の首級が埋められているとのことで、これほどのものであれば現地で情報は得られるだろうと手を抜いた甘さを次回の糧にしたいと思います。

また面白いことに、小田原北条氏の5代の氏直の墓がありました。
小田原城が落城をした後の氏直は家康の女婿とのことで許されて高野山に謹慎し、その後に大名に復活をしたものの30歳の若さで病没をしてしまいましたがその地は大阪であり、この広島の海蔵寺とどういった縁があったのかは今ひとつ分からず、しかし小田原の早雲寺にある墓は供養塔でこちらが本墓との説もあるようです。

こちらはこの日の最大の難関だった福王寺で、これまでの多くの旅の中でも一番に大変でした。
距離的には北に22.3キロですからさしたることはなかったのですが延々と上り坂だったのには閉口どころの騒ぎではなく、痙攣をする足を引きずっての到達です。
トップの写真がその苦難を物語っていますし、それであれば帰りが楽かと言えばそうでもなく、スピードが出過ぎればうねうねとくねった道を飛び出して崖下に転落をしかねないのでブレーキをかけっぱなしで、握力をかなり浪費しましたので行きも帰りも怖い福王寺でした。

福王寺にあるのが武田氏信の供養塔で、氏信は安芸武田氏の初代です。
氏信は甲斐武田氏の10代である信武の次男で、その信武が同族の石和流武田氏から甲斐守護職を奪い取るまでは安芸を本拠としており、信武の嫡男である信成が甲斐守護職を、そして氏信が安芸守護職を継いで二流に分かれました。
安芸武田氏はその後に若狭武田氏が分かれますが、毛利氏に滅ぼされた安芸武田氏の最後の当主である信実は若狭武田氏の出です。

気力を振り絞って最後に訪れたのが妙風寺で、加藤清正の重臣だった加藤正方の墓があります。
熊本藩が改易となった後は片岡風庵と名乗り風庵相場と呼ばれるほどに相場で巨利を手にしたとのことですので、武将と言うよりは能吏だったのかもしれません。
その後に広島藩の預かりの身となったことで、ここ妙風寺に葬られました。

初日に取りこぼした、と言うよりはそもそも一日で巡るには詰め込みすぎたのが実状ですが、その取りこぼしを二日目に拾って巡りました。
安国寺不動院は安芸武田氏の菩提寺で、一時は大内氏との抗争で焼け落ちてしまいましたが、安芸武田氏の一族である安国寺恵瓊が復興をして現在に至ります。
楼門は国の重要文化財であり、また国宝である金堂は絶賛工事中でした。

裏手の墓地には安国寺恵瓊の墓があります。
毛利の外交僧として活躍をした恵瓊は伊予に6万石もの領地を豊臣秀吉から与えられて直臣になったとも言われていますが、あくまで毛利の臣であったとの説も根強いようです。
関ヶ原の戦いにおいて石田三成と共謀して毛利輝元を西軍の盟主に祭り上げたことが有名で、しかし吉川広家や福原広俊との対立が毛利氏を迷走させた感は否めません。

その他もてんこ盛りです。
福島正則は広島藩を改易された後は信濃に移りそこで没していますので、こちらの墓は供養塔のようなものではないかと思います。
また豊臣秀吉の遺髪墓は国泰寺もそうでしたがあちらこちらにあるようで、実際に遺髪が葬られているかどうかは微妙なところでしょう。
武田刑部少輔は歴代当主の誰にあたるかは戒名などが削れているために判然としませんが、刑部少輔は元繁、光和、信実が名乗っていますからこのいずれかだと思われます。
調べてみれば信実が有力とのことではありますが、きちんとした裏付けはありません。
写真は左から福島正則、豊臣秀吉、武田信実(仮)です。

次に向かった才蔵寺が16時半で門を閉じる早寝がモットーのようでしたので間に合わず、仕方なく適当に市街を散策しました。
明星院は毛利輝元が母の位牌所として創建をしましたが、今は堂内にある赤穂義士四十七士の木像の方が有名なようです。
お願いをすれば見せていただけるという話もあるようですが、自分としてはあまり興味がなかったので踏み込みませんでした。
そして原爆ドームは遠目ですが見たのは二度目ではないかと、原爆の悲惨さを訴えかけているかのようです。

初日、そして二日目に取りこぼした才蔵寺は、四日目にしてようやく訪れることができました。
才蔵寺は笹の才蔵で名高い可児才蔵吉長を祀る寺で、またミソ地蔵が有名なようです。
才蔵は槍術の名手で斎藤龍興、柴田勝家、明智光秀、前田利家、織田信孝、豊臣秀次、佐々成政、福島正則と錚々たる武将の配下として渡り歩きましたが、その大半が滅亡をしていますから運が無かったのか、はたまた才蔵が何かを背負っていたのかもしれません。

境内には槍を持った才蔵の像と、その墓があります。
さすがにひらがなの墓石は初めて見ましたので、当時のものではなく近年になってから造られたものではないかと想像します。
その手前にあるのがミソ地蔵で、福島正則の改易に際して籠城のために才蔵が味噌を集めたのが由来とのことですが、実際の改易は才蔵の没後ですから伝説の域を出ません。

その脇には「肥後藩 可児才助藤原重喬」と刻まれた石灯籠がありました。
才蔵の子孫なのか一族なのかは分かりませんが、血の繋がりの重さを感じさせてくれます。
いろいろと調べてみましたが才蔵の子にかかる情報は見当たりませんでしたが、きっと綿々と系譜は続いているのだろうと思いたいです。

広島の巻に入れるのにはちょっと無理があるのですが、他のどこでも無理がありますので気にしないで特攻です。
才蔵寺を後にして向かったのが宮島で、言わずとしれた厳島神社です。
毛利元就が策略にて陶晴賢を討ち取った厳島の戦いの舞台で、ここそこにその戦いの跡が残されていますので前回に訪れたときには時間をかけて見て回ったのですが、今回は予定になかったものを寄り道気分での散策ですので大鳥居と本殿をちょろっと見た後は鹿と戯れただけで宮島は終わりとしました。

廿日市の洞雲寺は厳島神主家の藤原教親が創建をした、藤原氏の菩提寺です。
その後に厳島の支配者が大内氏、陶氏、毛利氏と変わっても尊崇と保護を受けました。
福島氏の時代に寺領を没収されるも浅野氏により復興され、そして現在に至っています。

この洞雲寺のお目当ては、毛利元清の墓です。
元清は元就の四男ですが庶子であり、正室の子である隆元、元春、隆景とはかなり年齢が離れています。
一番に近い隆景とすら18歳の年齢差がありますし甥である輝元の2歳の年長でしかありませんので、兄弟よりも親子という関係に近かったのかもしれません。
その多くの庶子の中でも元清は文武優れた武将であったようで、桂元澄が死去した後の桜尾城を任されました。
居城の位置関係もあってか特に隆景と親しく、戦陣を共にすることが多かったようです。
一時期は輝元の継嗣となった秀元の父であり、よって長府毛利氏の始祖とも言えます。
また穂井田氏の養子となったことで穂井田元清と名乗っていた時期もありましたので、その名の方が有名かもしれません。
47歳の若さで亡くなってしまいましたがもし元清が関ヶ原の戦いまで健在であれば、毛利氏の動向がまた違ったものになったのではないかと夢は広がります。

元清の前の桜尾城主だった桂元澄の墓も、この洞雲寺にあります。
厳島の戦いにおいて陶晴賢が決戦を決意したのは元澄の偽りの内応が理由の一つとされていますが、そもそもこの戦いが毛利氏と陶氏のものではなく村上氏と陶氏のものであるとの学説もあるようで、そうなると元澄の策略も講談の世界の話なのかもしれません。
右が一見すると元澄の墓よりも立派な継室のもので、やはり毛利氏の重臣である志道広良の娘の墓です。

厳島で討ち取られた陶晴賢は桜尾城で首実検がされた後に、ここ洞雲寺に葬られました。
負けるはずのない戦いに敗れて首とされたのですから、さぞや無念だったでしょう。
また藤原氏の実質的な最後の当主であるこれまた桜尾城主だった友田興藤の墓もあり、新旧の桜尾城主が眠っていることになります。
写真は左が陶晴賢、右が友田興藤です。

最終日に訪れたのが上深川の吉川興経の墓です。
興経は毛利元就の正室である妙玖の甥にあたりますので、跡を襲った元春の従兄弟にもなります。
大内氏と尼子氏の間をフラフラとしたことで家臣の不興を買い、半ば強制的に隠居をさせられました。
そんな興経を元就がそのまま放っておくはずもなく、嫡子の千法師とともに謀殺をされました。
その千法師の墓も近くにあるとのことでしたが、空港に向かう前で重い荷物を抱えていたことで坂道を登るのが億劫だったので今回はパスです。


【2013年4月 広島、山口の旅】
三本の矢を探して
三本の矢を探して 旅程篇
三本の矢を探して 旅情篇
三本の矢を探して 史跡巡り篇 安芸高田の巻
三本の矢を探して 史跡巡り篇 福山、三原、竹原の巻
三本の矢を探して 史跡巡り篇 北広島の巻
三本の矢を探して 史跡巡り篇 岩国の巻
三本の矢を探して グルメ篇
三本の矢を探して スイーツ篇
三本の矢を探して おみやげ篇

 

コメント (3)

逆転のロッテの先制逃げ切り

2013-05-26 03:04:22 | 千葉ロッテ

粘り強く逆転勝ちをするのも気持ちがいいですが、先制逃げ切りができればそれに越したことはありません。
逆転のロッテとマスコミが持ち上げてくれる中で今日は珍しくも先制逃げ切りで、交流戦の勝敗を4勝4敗1分のタイに戻しました。
首位のオリックス、楽天との差は1.5ですからまだまだ優勝は狙えますし、そのためにも明日の取りこぼしをしないよう大嶺には奮投を、打線は三嶋にプロの厳しさをお願いします。

江村がプロ初タイムリーとなる走者一掃のツーベースで3打点、見事にヒーローとなりました。
簡単にプロ初ヒットを記録した後はバッティングに苦しんできましたが4月までの.154に比べて今月は.206と打率を上げてきましたので、徐々に数字は上がっていくと思います。
高卒3年目でプロ初出場となったシーズンですから捕手というポジションからしても今季は2割も打ってくれればOKだと考えていますから、まずは順調な滑り出しです。
自慢の肩でアピールができずに盗塁を刺したところを見たことがないですし、またリードでも今日の成瀬との息が今ひとつだったように課題も少なくはないのですが、里崎が消息不明となった今に金澤を抹消して捕手二人体制としたベンチは江村を育てていく手応えを感じたのでしょうから、江村にとってこれ以上のチャンスはありません。
里崎が戻ってきてもベンチがスタメンに悩むぐらいに、第二捕手どころかレギュラー捕手に手がかかるぐらいの活躍を期待します。

先発の成瀬は6回を104球での4安打4失点ですから、調子としては今ひとつだったのでしょう。
四回まではノーヒットでしたが得点差に油断をしたわけでもないでしょうが、警戒をすべきブランコに一発を浴びてからは四死球が絡んでの失点とエースとしては物足りないピッチングで、本人はまずまずの調子だったとのことでしたが今日は打線に助けられました。
今季は少ないなと思っていた被弾も気がつけばリーグトップの8発目を食らい、当たり前の話ではありますが被弾の多い月は負けが込みますので、チーム成績と同じく今月に7被弾の成瀬が勝ち越しをしているのですからまだまだ流れを掴んでいるものと思われます。
その流れを手放さないよう、次の登板では貫禄のピッチングをお願いします。

そんな成瀬でしたが順番どおりでいけば次は中6日で巨人戦でしょうから、完投はともかくとしても七回までは投げさせるべきでした。
代打での交代ではなかったので、気が進みませんがあるいは阿部を飛ばしての中5日を考えているのかもしれません。
成瀬の後は中郷、ロサ、益田でしたが、またしても5点差での益田にはげんなり気味です。
ここ一週間では3試合目の登板ですし日程が飛び飛びですので調整登板の意味合いでの起用なのかもしれませんし、7球での三者凡退ですから益田にとっての気持ちの整理のつく登板になったのは喜ばしいのですが、しかしそれも結果的にそうであったに過ぎません。
またここまで服部が使われないとなると抹消をするほどでもないが投げさせたくはないという事情でもあるのか、松永も体調が今ひとつのようですし、先日に見たときにはとても復調をしたとは思えなかった藤岡を中継ぎとして一軍に戻したのはそのあたりを考えてのことなのかもしれません。

打線は今江の先制ツーランで主導権を握り、横浜スタジアムならではの荻野貴のアーチに鈴木の押し出し、そして江村のタイムリーと好調ぶりを見せつけました。
すっかりと四番が板に付いた今江は今月は.360の4本塁打で、.329の8本塁打の井口とともに月間MVPの有力候補でしょう。
復帰の角中もヒットを放ち、また盗塁を試みましたので本人の言うとおりに故障は完全に癒えたようですので一安心です。
注目をしていたセンターには清田が入って荻野貴がレフトというのはしっくりとこないのですが、現状では荻野貴>伊志嶺とベンチが考えていることがハッキリとしました。
その判断が変わらないうちに荻野貴にはしっかりと足場を固めるべく、最大の魅力である盗塁を狙いまくって欲しいです。
とにかく明日も負けられませんので、大嶺に打線の大量援護を期待します。

 

  1 2 3 4 5 6 7 8 9

千葉ロッテ

2 1 0 0 4 0 0 2 0 9 12

0

 DeNA

0 0 0

0

2 2 0 0 0 4 5

0


◆5月25日(土) DeNA-千葉ロッテ1回戦(ロッテ1勝、14時4分、横浜、26,195人)
▽勝 成瀬 8試合5勝1敗
▽敗 藤井 9試合3勝1敗
▽本塁打 今江4号(藤井)、荻野貴1号(藤井)、ブランコ21号(成瀬)、金城3号(成瀬)

▽バッテリー
千葉ロッテ 成瀬、中郷、ロサ、益田―江村
DeNA 藤井、小林寛、大原、加賀、大田―高城、黒羽根

 

コメント (27)

ゴシック

2013-05-26 00:31:48 | 読書録

ゴシック

角川書店

このアイテムの詳細を見る

直木賞作家の手によるミステリーですが、そもそもがファミ通エンタテインメント大賞小説部門で佳作を受賞した作品でデビューをした経緯やゲームシナリオや漫画の原作、あるいはライトノベルも多く手がけていますので、むしろそちらが主戦場といった感じです。
このゴシックはシリーズで13作を誇る代表作の一つですが、格式張らずにライトノベルに近い仕上がりとなっています。
楽天koboのお奨めで知ったのですが漫画化やアニメ化もされているようですので、世間的にはそれなりの知名度なのかもしれません。

第一次世界大戦が終わった頃のヨーロッパにある架空のソヴュール王国を舞台に、貴族の子弟のための寄宿学校である聖マルグリット学園に在籍する久城一弥とヴィクトリカを主人公にして、どこかファンタジーな、あるいはホラーな謎に挑んでいくといったストーリーです。
肝心の謎については残念ながら難解ではなく目星がつきやすいため、直木賞作家の本格ミステリーとの期待はしない方がよいと思います。
どちらかと言えば不必要に感じるぐらいにキャラが立っている人物描写がメインのようですし、だからこそアニメ化がされたのでしょう。
学園内の端にある図書館塔の最上階の秘密部屋、かつて王が愛人と密会するために作ったとも言われている今は植物園に軟禁状態となっているヴィクトリカ、そしてその生い立ちがシリーズを通したテーマになりそうなほのめかしがありましたので、どこかビブリア古書堂シリーズと似ているような気もします。
第一作としては登場人物の紹介を兼ねた掴みはOKで、過去と現在をフラッシュバックするような展開で幽霊船での犯人捜しはテンポがよく楽しめました。
そうなると楽天koboはリスクを取れば30%以上も安く買えますので、一気にシリーズの全冊を揃えて次に臨もうと思います。


2013年5月25日 読破  ★★★★☆(4点)

 


角中が帰ってくる

2013-05-25 05:11:49 | 千葉ロッテ

先日に伊東監督が角中の復帰について万全を期すとのコメントを残していましたので来週の巨人戦あたりではないかと思っていましたが、どうやら明日にも一軍に昇格をしてスタメンでの起用となるようで、ビジターでの試合ですからDHはありませんのでレフトを守ることになるのでしょう。
本人によればテーピングもしない、10割の回復だとのことで、場所が場所だけに癖にならないかと心配にはなりますが、その言葉を信じたいです。
そうなればライトの清田は確定でしょうからセンターに岡田と荻野貴、伊志嶺の誰が入るのか、左腕が先発ですので岡田はないと思われますからベンチの荻野貴への評価が垣間見える明日になるのではないかと、そんな楽しみを持ってYahoo!の一球速報にうつつを抜かそうと思います。

また里崎が消息不明で浦和では捕手失格だったはずの青松がマスクを被る中で金澤を登録抹消にしたのですから代わりは誰なのか、そのあたりの人選からも目が離せません。
投手であればレデズマ、野手であれば神戸ではないかと予想をしますが、捕手二人体制とするのであれば激烈な捕手争いに一定の目処が立ったのでしょう。
そうなれば江村をメインに川本がサポートをしていくことになると思われますから、新時代の到来の象徴とも言える三年目21歳の頑張りにガッツポーズです。
明日の成瀬と組むことになれば学ぶところも多いと思いますので、全身真綿のプレーを期待します。

 

コメント (27)

毒をもって毒を制す

2013-05-25 01:44:19 | 映画

ここのところは平日のレイトショーは翌日が辛いので、なるべく金曜日に観ることにしています。
あとはTOHOシネマズの会員割引きがある火曜日に19時ぐらいから始まる作品であれば財布にも体にも優しいかなと、そろそろ体力的な曲がり角なのかもしれません。
そんな今日に観たのは「L.A.ギャングストーリー」で、シンプルな勧善懲悪ストーリーでした。

L.A.ギャングストーリー

ワーナー・ホーム・ビデオ

このアイテムの詳細を見る

ギャングに牛耳られているL.A.は報復を怖れて誰も証言をしないために、また政財界や警察も賄賂で懐柔をされていることで犯罪が野放し状態になっており、そのため超法規的なチームが結成をされてギャングの収入源であるアジトを叩き潰していきます。
逮捕をするのではなく収入源を断つことが目的ですから、火炎瓶を投げ込んだりとやりたい放題です。
チームの一人が「自分たちとギャングの何が違うのか」との問いかけはなかなかに意味深でしたし、毒をもって毒を制すところに独りよがりなところが無いわけではありません。
そんな矛盾も一つのテーマではないかと思いつつも、ただひたすら暴れまくるといった感じです。

ギャングのボスであるミッキー・コーエンは実在の人物で、しかし作品ほどに大物だったわけではないようです。
ありがちな脱税によって逮捕をされて一線から退きましたが、最後は畳の上で死んだみたいですから大往生でしょう。
R15+らしい残虐さを発揮しつつも部下の育成がなっていないのか機関銃を撃ちまくってもほとんど当たらず、ただただ追い詰められていきます。
短時間にいろいろなストーリーを詰め込みすぎたということもあるのでしょうが、もう少し頭脳戦やジリジリとした心理戦があってもよかったのではないかと思います。
そのコーエンが誰かに似ているなと思って観ているときに感じたのはアンタッチャブルのロバート・デ・ニーロで、そしてエンドロールでショーン・ペンであることに気がついて、そう考えるとチーム構成などはどこかそのアンタッチャブルを意識しつつも日本人にはなかなかに分かりづらい人種問題まで踏み込んでいたのかもしれません。
とにもかくにも秀逸なひねりもなくシンプルな展開でとんとん拍子に悪が滅んでいきますので、肩の力を抜いて楽しめる作品です。


2013年5月24日 鑑賞  ★★★☆☆(3点)

 


唐川の笑みが凍りつく

2013-05-24 01:58:22 | 千葉ロッテ

 

基本的に投手がマウンド上で表情を変えるのは相手に利するだけだと考えていますので鉄面皮のようであって欲しいのですが、唐川はどこか薄ら笑いのような顔つきで淡々と投げるのが特徴ですので好きな投手の一人です。
しかし今日の唐川は立ち上がりからピリッとないピッチングで徐々に気持ちの余裕が失われてしまったのか、珍しくも主審のジャッジに不満げなリアクションをするなど仏頂面となってしまい、七回途中での7失点で豪快に撃沈をしてしまいました。
ここのところのアーチ量産はストライクゾーンの両サイドが狭くなっていることも理由の一つではないかと思っていますし、今日もそんなジャッジに翻弄をされた感はありますがそれは相手も同じことですので、結局のところは調子が今ひとつだったのでしょう。
ボール先行でカウントを悪くした挙げ句のカーブを狙い打ちにされたような立ち上がりにあっさりと先制をされてしまい、それならばとストレートを投げ込めばど真ん中に吸い寄せられてしまうという悪循環で、あるいは今季で一番に悪い出来だったかもしれません。
中5日の影響がどれだけあったかは分かりませんが次はおそらくは中7日での巨人戦でしょうから、ここで何とか立て直してもらいたものです。
それにしても今日も服部の調整登板が無かったのが気になると言いますか、激しく不安になります。

打線は三回までに三度の満塁のチャンスを作りながらも犠牲フライでの1点しか取れず、10安打6四球の走者は大量に遭難をして行方不明となってしまいました。
むしろ唐川よりも乱れていたかもしれないメッセンジャーは三回で88球も投げていたのですが、痛烈な打球が野手の正面を突くといった幸運に恵まれての七回途中まで投げましたので、ロッテ打線からすればあと一本が出ないままに逃げ切られてしまったといったところでしょう。
すっかりとベテラン枠となった五番DHを除けばスタメンがほぼ固まりつつありますが、満遍なく出塁をしたところでの今日の結果ですから運が悪かったとでも思うしかありません。
今ひとつ巡り合わせが悪かったですが打線としては好調ですので、この鬱憤は横浜で晴らしてもらいましょう。
狭い球場ですからノーガードでの打ち合いになってもおかしくはなく、しかしラッキーパンチではなくジャブでじわじわと痛めつけるような試合にできるよう願います。

 

  1 2 3 4 5 6 7 8 9

阪神

1 0 4 0 0 0 2 0 0 7 13

0

千葉ロッテ

0 0 1

0

0 0 0 0 X 1 10

1


◆5月23日(木) 千葉ロッテ-阪神2回戦(阪神1勝1分、18時15分、QVCマリン、22,591人)
▽勝 メッセンジャー 9試合6勝1敗
▽敗 唐川 8試合2勝3敗

▽バッテリー
千葉ロッテ 唐川、上野、南―江村、川本
阪神 メッセンジャー、加藤、安藤―藤井彰

 

コメント (45)

梟の系譜

2013-05-23 23:26:23 | 読書録

梟の系譜

講談社

このアイテムの詳細を見る

戦国期に備前に覇を唱えた宇喜多氏を題材とした作品です。
しかし副題に宇喜多四代としながらも八割方は直家の人生を描いていますので、祖父である能家と父の興家、そして嫡男の秀家の描写にはあまり期待をしない方がよいでしょう。
あくまで宇喜多直家の人生譚であり、六歳で祖父を、八歳で父を失ってから一度は滅ぼされた宇喜多氏嫡流を復興させた直家の生き様がテーマとなっています。

そんな魅力的な武将を主人公に据えた作品ではあるのですが、ヒーロー的な扱いとしたことが失敗だったように思います。
岳父を騙まし討ちにしたり仇敵の三村家親を狙撃で暗殺をしたりと直家には暗いイメージが付きまといますが、しかし例えば中山信正が寝返ったから誅するといった上っ面な大義名分を持ち出したことでかえって直家が薄っぺらい存在になってしまったのではないかと、ここはむしろ悪逆さを前面に出しながらも葛藤する心理描写とした方がぐっときたでしょう。
せっかく個性的な家臣団を抱えつつも通り一遍な扱いでしかなかったのも残念で、実弟である春家と忠家に重きを置きすぎました。
しかしそれですらあまりに有名な鎖帷子のエピソードは出てきませんので、あくまで重臣としての端役でしかありません。
実際に宇喜多氏は直家のパーソナリティによって隆盛を誇ったのでしょうが、それでいて家臣団の結束をくどいぐらいに書くなどした中途半端さがもったいない梟の一生でした。


2013年5月23日 読破  ★★★☆☆(3点)

 


久保の恩返しで春井口爛漫

2013-05-23 03:19:58 | 千葉ロッテ

 

ここのところの地元での阪神戦は週末での開催が続いていたように思いますので、空席が目立つ今日の客入りはちょっと寂しい感じがありました。
レフトスタンドこそ満員でしたが三塁側は空席が目立ち、二階席に至っては半分ちょっとといったところでしょう。
週末の広島戦と比べるのはあれですがカラーの統制が取れていなかったことで真っ黄色な猛虎魂が迫ってこなかったことも、今日の試合展開に微妙に影響をしたかもしれません。

グライシンガーの代役で先発のチャンスを手にした阿部でしたが、残念ながら4回を7安打5失点と散々な出来でした。
ストライク先行のピッチングながらも追い込んでから攻めきれず、ファールで粘られた挙げ句に苦し紛れのボールを痛打されたといった感じです。
タイプ的には唐川を一回りぐらいスケールダウンをしたような阿部だけにバランス勝負ではありながらも、伝家の宝刀とは言わずとも自信を持って投げ込めるウイニングショットが欲しいところで、しかしそれが難しければ全体的に底上げをしていくしかありません。
柴田の一発は余計でしたがそれなりに試合を作れるだけの力はついてきていると思われますので、もう一段階のレベルアップを期待したいです。

阿部が早々にマウンドから去ったことでリリーフ陣が総動員となりましたが、その踏ん張りが流れを引き寄せたのだと思います。
阪神打線が粘っこいのか阿部と同じく決め球に欠いているのかは分かりませんがやたらとファールが多かったのが今日の特徴で、各投手とも常に走者を背負ってのピッチングとなり大敗の流れに転げ落ちてもおかしくはなかったところで、しかしギリギリのところで頑張ってくれました。
上野が不用意なボールで被弾をしたり南が3四球と乱れたりと内容的には手放しで誉められるようなものではありませんでしたが、ガタガタと崩れなかったことは評価をしたいです。

同点に追いついてからの延長戦は益田、松永、ロサの順番で、この三人が勝利の方程式なのでしょう。
益田は少しずつ上向き加減になってきているようで、先日の試合よりは抜けるボールが少なかったので復調は近いように思います。
一方の松永はコントロールのばらけ方が酷くなっている感じがありますので、下降気味と考えた方がよいかもしれません。
そうなるとロサの存在がクローズアップをされますが、四球の不安はありながらも150キロオーバーのストレートでの力押しができるピッチングは魅力的に過ぎます。
右左のバランスとタイプの違いを考えればロサ、松永、益田と繋げられるのが理想的ですので、一日でも早くその揃い踏みが見てみたいです。

このリリーフ陣の奮闘のおかげで大敗の流れを引き分けに持ち込めましたので、勝ちに等しいと考えます。
空振りが多いサブローのところでフルカウントからオートスタートをして三振ゲッツーを食らうなどの拙攻がありましたが阪神も似たようなものでしたので、あともう一息ではありましたが絶望的でもあった5点差を追いついたことに拍手喝采です。
日中は汗ばむ陽気になってきましたが春井口は爛漫のようで、このまま散ることなくシーズンを通して咲き乱れることを願ってやみません。
その井口に引きずられるかのように今江も着実に四番を自分のものにしつつありますし、選球眼がよくなって四球が増えたことで出塁率が高くなった根元からの繋がりが良くなってきていることが打線が活気づいている理由なのでしょう。
また苦節5年、ようやくに大きな犠牲を払った代償としての埋伏の毒が炸裂をして「4時間ゲームはサヨナラ勝ち」のジンクスどおりに久保の押し出しで勝利する予定が、しかし情報伝達の不備で新加入の川本に作戦が伝わらずにノーツーから手を出してしまった誤算はあったものの、まさに「今でしょ!」と言わんばかりの充分すぎる収穫でした。
投打がお互いを信頼しているからこそねちっこい戦いができているのだと思いますので、いい試合だったと思います。

気になるとすればサブロー、そして福浦の元気の無さです。
サブローは四球こそ選びますが打率はジリジリと落ちてきてクリーンアップとしては迫力に欠きますし、福浦は見逃しの三振が多いように思います。
今のサブローであれば岡田をセンターで起用して伊志嶺をDHに回した方がよいのではないかと、伊志嶺はファインプレーもありましたが岡田だったらと思えるようなものもありましたので、一度ぐらいは試してみるものよいでしょう。
福浦はスタンスとしては長打狙いのような感じがあるもののスイングが追いついていないような気がしますので、持ち味の左を意識したバッティングに立ち返ってもらいたいです。
相手からすれば経験豊富なサブローと福浦が代打で控えているのは嫌な感じがあるでしょうから、上手く機能をしてくれればと思います。

今日の注目の一つは鈴木と西岡のガチンコ勝負でしたが、マルチヒットに4出塁と全くのイーブンでした。
西岡への郷愁からか一塁側からも拍手がわき起こっていましたが、その西岡の代わりに背番号7を背負っても違和感がないぐらいの鈴木です。
根元では無理だったであろうベース際の緩いゴロを軽やかに処理する守備は安心をして見ていられますし、やや湿り気味だったバットもまた快音を響き出し始めました。
大地がツヨシ、とは鈴木が西岡の代わりにロッテのショートをガッチリと手にすることなのだと思います。
ちなみにオープン戦から西岡にヒットをプレゼントしすぎな投手陣ではありますが、これはもちろん次の埋伏のための入念な下準備であることは言うまでもありません。

 

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12

 阪神

0 0 0 5 1 0 0 0 0 0 0 0 6 17

0

千葉ロッテ

0 1 0 0 0 3 0 0 2 0 0 0 6 12

0


◆5月22日(水) 千葉ロッテ-阪神1回戦(1分、18時15分、QVCマリン、24,685人)

▽本塁打 柴田1号(阿部)、マートン4号(上野)、井口8号(榎田)、9号(久保)、今江3号(榎田)

▽バッテリー
千葉ロッテ 阿部、上野、南、中郷、益田、松永、ロサ―江村、川本
阪神 榎田、鶴、加藤、安藤、久保、筒井―日高、藤井彰

 

コメント (37)

西野のこれから

2013-05-22 00:58:38 | 千葉ロッテ

 

先日の加藤の衝撃デビューを一面で飾れずにニッカンに遅れを取った形となった機関紙が、西野の金星は汚名返上とばかりにきっちりと仕事をしてくれました。
巷では育成の星などともてはやしてくれているようですし、史上初の文字が輝いています。
新人王争いでもトップを走っていた金子が失速をして二軍落ちをしましたから今や西野が先頭グループから頭一つ抜け出した感がありますので、その期待はうなぎ登りです。

ただ勢いで3勝ぐらいまで突っ走った投手はこれまでもいましたが、研究をされたり疲労で調子を落とすなどして伸び悩むケースも少なくはありません。
唐川はルーキーイヤーに3戦3勝と好ダッシュをしましたが、セットポジションの甘さを突かれて結局は5勝で終わりました。
昨年の藤岡も5月までは4勝1敗でしたが、その後の低迷は記憶に新しいです。
球界のエースの一人である前田健に投げ勝ったことよりもチームメイトの大嶺の完封勝利を意識していた、そんなどこか角中のような別次元の感覚を持ち合わせているような西野ですから精神的な迷いによる低迷などの心配は無用かもしれませんが、弱点を見つけて攻め立てるのが日本の野球です。
昨日も俊足の走者が塁にいたときのやや神経質なところは他球団のスコアラーもチェックをしていたでしょうから、今後はお互いにせめぎ合いでしょう。
そういった壁にぶつかることも成長のためには必要なことですので、あまり難しく考えずに前に進んでいってくれればと思います。

明日の先発は右肩の張りで登録抹消となったグライシンガーの代わりの阿部です。
グライシンガーはようやくに復帰をしたと思ったところでの再発ですので頭が痛いですし、やはり複数年契約はデメリットの方が大きいのでしょう。
同じく二年契約の里崎も故障で姿を消したままですし、高らかに宣言をしながらも有名無実化をしている複数年契約の廃止を球団には真剣に考えてもらいたいです。
そんな中でプロ初勝利を挙げた直後に登録を抹消された阿部としては絶好のチャンスですから、一軍定着のためにもとにかく頑張るしかありません。
抹消後は14日に先発をして5回を3安打零封からの中7日ですから肩が軽すぎなければなと、前回の反省を踏まえて四球で崩れないよう願います。

 

コメント (21)