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オリオン村(跡地)

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
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堀コーチ!

2012-10-31 00:32:35 | 千葉ロッテ

難航をしていると思われていたコーチ人事が今日になって突然に名前が飛び交い始めて、そして3人の新任コーチが発表となりました。
伊東監督も9割方は決まったとコメントをしているようで、秋季キャンプを前にギリギリセーフといったところでしょう。
ただ全員が勢揃いをするまでにはもう少し時間がかかりそうですし、頭数としても足りませんので、最終的な公式発表が待ち望まれます。

ロッテ 来季投手コーチに斉藤氏「精神力がつくように教え込んでいきたい」 (10/30 スポーツニッポン)

ロッテは30日、来季の投手コーチに斉藤明雄元横浜(現DeNA)投手コーチ(57)、打撃コーチには今季までソフトバンクでコーチを務めた立花義家氏(54)と球団OBの堀幸一氏(43)が就任すると発表した。
斉藤コーチは「ずっとセ・リーグでやっていましたが、今回、パ・リーグでチャンスを頂くことができたので、頑張りたいです」と意気込み。
「若くて楽しみな投手が多いだけに、1年を通してコンスタントに働ける体力、精神力がつくように教え込んでいきたいです。選手、監督時代と数々の優勝経験をお持ちになる伊東監督のもと、大いに力を発揮したいです」と腕をぶした。
立花コーチは「とにかく勝つために頑張るのみ! 日本一を目指して、指導をさせていただきます」とコメント。
堀コーチは古巣復帰に「慣れ親しんだ千葉ロッテマリーンズのユニホームに再び袖を通すことがることが素直に嬉しいです」と喜びながらも「嬉しさの反面、責任のある仕事でありますから、プレッシャーを感じています。プレーをするのは選手。気持ちよくプレーをして、彼らの持つ実力を発揮できるようにするためのお手伝いができればと考えています」と語った。
ロッテは伊東新監督の下で、11月1日から千葉県鴨川市で秋季キャンプをスタートさせる。

斉藤コーチと立花コーチの指導者としての力量はよく分かりませんし、また堀コーチに至っては新任なのですが、しかしバランスとしてはいいのではないかと思います。
伊東監督よりも年配の斉藤コーチと立花コーチ、立花コーチは伊東人脈なのでしょうし、そしてOBとしての堀コーチです。
これまたロッテとどういう繋がりによっての人選かは分かりませんが斉藤コーチは本人が言うようにプロ野球ニュースだかCSの中継だかでロッテ戦を担当することが多かったように思いますので、ロッテについて深くは知らずとも全くの素人というわけでもないでしょう。
外様コーチが多い中で堀コーチは選手との繋ぎには適任ですし、一軍打撃コーチに立花コーチとともに右左が揃うのはGOODな体制です。

これで噂になっている大村巌が二軍打撃コーチに就任をすれば、その二軍も長嶋コーチとともに右左できめ細かな指導ができるのではないかと思います。
またバッテリーコーチには中日から中村コーチを招聘との報道があり、そして日本シリーズを戦っている清水コーチも外野守備走塁コーチとして濃厚との報道を信ずれば、伊東ロッテの骨格がようやくに見えてきた感じで、その他で名前の出ている斗山の小牧コーチがブルペンコーチにでもなれば一段落といったところでしょう。
ヘッドコーチは必ずしも置かなければならないわけでもありませんので、今日に決まった3人が伊東監督を支えればよいかなと、ただブルペン担当も含めた投手コーチ、できれば左腕を1人か2人は欲しいところですし、内野守備走塁コーチも足りていません。
この足りていないピースを球団に埋めるつもりがあるのかどうか、二軍は内野も外野も大塚コーチに任せる、なんてことにはならないよう願っています。

オリ、ロッテ・グライシンガー獲得調査 (10/30 デイリースポーツ)

オリックスがロッテのセス・グライシンガー投手(37)の獲得調査を進めていることが29日、分かった。
ロッテから残留を要請されているグライシンガーだが、帰国の際に移籍の可能性を示唆していた。
「的確な指導で信頼していた西本投手コーチが(退団で)いなくなるのは大きい」とも話しており、オリックス入団が決定的な前ロッテ投手コーチの西本聖氏(56)の存在も、獲得への追い風となりそうだ。
グライシンガーはヤクルト時代の07年から2年連続で最多勝を獲得した。
08年に巨人へ移籍。
右肘の故障もあって10、11年の2年間は計1勝に終わった。
だが、今季はロッテへ移籍すると12勝を挙げて復活。
その一因となったのが西本氏だった。
フォームチェックなど付きっきりの指導に感謝し、高い信頼を寄せている。
恩師のロッテ退団で、自身も退団を決断する可能性は高い。
オリックスは今季、グライシンガーに6試合で2勝2敗ながら対戦防御率1.95と苦しめられた。
天敵を獲得できれば、これ以上の補強はない。
退団が決定した時に備えて準備を進めていく。

そして予想どおりにオリックスが動き出しました。
ロッテもグライシンガーとホワイトセルの残留に向けた交渉を始めるといった報道もありましたが、どうなるかは予断を許しません。
ただダメならダメで深追いをせずに早く切り替えて別の選手に目を向けて来季に備えて欲しいと、マネーゲームに首を突っ込む余裕は今のロッテにはないはずです。
もちろん誠心誠意、できるだけのことはやってもらいたいですが、すっかりと馴らされていますの諦める準備はできています。

このオリックスの記事を読んでふと思ったのが、他球団の評価を聞いてみたいとの今江です。
今江は大阪出身ですし、瀬戸山顧問がオリックスに転出をすることが確実なようですから、ちょっかいを出してくる可能性もあるように思います。
オリックスの三塁には年齢が近く今江の成績を上回っているバルディリスがいますが、外国人選手はどうなるかは分かりません。
また李大浩を一塁、T-岡田を外野で起用をすればDHが空きますので、攻撃的な布陣を敷くために今江に触手が伸びるといったことはありそうです。
単なる思いつきでしかないのですが、 策士の瀬戸山顧問の動きから目が離せなくなりそうです。

 

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2012年通信簿 11 大嶺祐太

2012-10-30 01:14:51 | 千葉ロッテ

11 大嶺祐太 投手 24歳 年俸1700万円

【2012年成績】 E 24試合 1勝1敗1S 防御率4.03 58回 76被安打 5被本塁打 18与四球 2与死球 30奪三振

昨年の右肩痛を引きずったところもあったのでしょうが、6年目にして一軍での登板が無い初めてのシーズンとなりました。
期待が大きいだけに落胆も大きく、何をやっているんだと怒鳴りつけたい気分です。
せっかく軌道に乗ったところで無謀なフォーム変更を強いられた不幸もありましたが、それを受け入れた時点で自分の責任でもあります。
体制が変わってどうなるのか、自分がどうありたいと押し出すことができるのか、そろそろ中堅に手がかかるところまできた大嶺に迷っている時間はありません。

唯一の鎌ヶ谷での観戦も大嶺の登板はありませんでしたので、今がどういったフォームで投げているのかはよく分かりません。
遠目で見えたブルペンでのピッチングからすればオーソドックスなものになっていたようで、しかし一方でストレートにスピードは戻ってきていないとの話もありますので、今はとりあえず投げられるようになっただけでもよしとしなければならないのでしょう。
二軍であれば投球回を上回る奪三振でなければ大嶺でないとは自分の嗜好ですが、しかしそうでなければ大嶺である必要もありません。
大きな体を使って腕をしっかりと振って欲しく、課題のコントロールはあの辺りにズドーンでよいと思います。
そうなれば中継ぎでとにかく全力で投げる機会を増やすのがよいのではないかと、浦和では最後を任されることも多くなってきましたので、あるいは球団もそう考えているのでしょう。
ローテーションの両輪になることを期待した大嶺が浦和暮らし、唐川がひ弱ではお話になりませんので、来季の反攻を期待します。

2007年通信簿
2008年通信簿
2009年通信簿
2010年通信簿
2011年通信簿


【オリオン村査定】 1700万円 → 1400万円 (▼18%)

 

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功名が辻(三)

2012-10-29 17:24:30 | 読書録

功名が辻(三)

文藝春秋

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一代で栄華を築いた豊臣秀吉が逝き、風雲急を告げます。
既に徳川家に随身をすることを決めていた一豊と千代は何ら迷うところはありませんが、ここで千代がまたいろいろと画策をします。
律儀なだけの亭主を焚きつけるかのように臣下となるなら徹底せよと、あるときは面と向かって、またあるときは遠回しに操るかのような手練手管は見事としか言いようがありません。
そんな千代に一豊だけではなく家臣も山内家を支える柱として頼るところなどは滑稽でもあり、千代が謙遜をすればするほどなおさらです。

前巻から続く千代の活躍を見るにつけ、今さらながら主人公は千代なのだと思い知らされました。
それこそタイトルも「一豊の妻」にしてもおかしくはないぐらいに、千代の言動が戦乱の中での山内家を際立たせていきます。
夫の律儀さこそが諸将の信頼を勝ち得ている、しかしあくまで輝かしい光に照らされる存在でしかない、そんな一豊の限界を見極めての判断なのですから賢妻ではあるのでしょうが、ここそこにそれを強調されてしまうとやや興ざめとなってしまいます。
作中で千代に出すぎたことを相手に悟られないようにしなければと語らせていながらも、しかし肝心の作者にそのつもりがなかったのでしょう。
千代を浮かび上がらせるだけではなく一豊を沈めてしまうことで、山内家からクレームがきたとも聞いています。
思わせぶりな小りんは完全に姿を消して、望月六平太も毒が消えてただの忍びとなってしまっているのももったいなく、最終巻でもう少し盛り上がってくれることを願いたいです。


2012年10月29日 読破  ★★★☆☆(3点)

 

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2012年通信簿 10 大松尚逸

2012-10-28 22:22:31 | 千葉ロッテ

10 大松尚逸 外野手 30歳 年俸6300万円

【2012年成績】 89試合 258打数 15得点 51安打 打率.198 9二塁打 0三塁打 5本塁打 22打点 0盗塁 11四死球 46三振 得点圏打率.206

選手会長に就任をして一塁コンバートと身辺に大きな動きのあった大松の2012年でしたが、しかし肝心の打撃は大きく動くことなく悲惨なシーズンが終わりました。
準レギュラーと言ってもいいぐらいの出場機会をもらいながらも打率は2割にも満たず、気がつけば七番や八番を打たされるという体たらくです。
凡退をしたときだけではなく打席に入っただけでブーイングがされるところまで堕ちた大松には気の毒にもなりますが、しかしそれだけの成績しか残せていませんので耐えるしかなく、それでもブーイングをしてくれるだけも気にかけてくれているのだと、無関心になられるよりはマシだとでも思って前向きにやっていってもらいたいです。

一昨年の終盤から調子を落としていた大松は不調も三年も続けば衰えとしか言いようがありませんので、来季を最後と思って覚悟を決めてもらうしかありません。
これまで大松に期待をし続けてきた自分ですら西村前監督の起用法には納得がいきませんでしたので、この調子でいけばさらに風当たりは強くなるでしょう。
無茶振りをしたかと思えば当てにいくようなスイングをしてみたりと迷い続けた今季ですが、何をどうやっても結果が伴わないのですから八方ふさがりです。
おそらくは来季の一軍の打撃コーチは立花コーチになるのでしょうが、そもそも大松が一軍にいられるかどうかの心配はあるにせよ、その指導に期待をするしかありません。
ピークだった2008年のバッティングを思えば左方向を強く意識をすれば少しは上がってくるのではないかとも思うのですが、どうにも長打でアピールをしたいのかプルヒッターの傾向が強くなっていますので、なかなかに簡単な話ではなさそうです。

慣れない一塁を守ったことが打撃に影響を及ぼしたのではないかとも思うのですが、しかし意外にその守備は急造一塁手にしてはまずまずでした。
グラブ捌きも柔らかかったですし、打球への反応も悪くはありません。
ただ挟殺プレーや牽制など状況に応じて動きが変わってくるプレーは経験がものを言いますので、いきなり大松にそれを求めるのは酷でしょう。
せめて2割5分でも打ってくれればコンバートは成功だったと言えるだけの守備を見せてくれただけに、かえって物悲しくもなります。
それでもロッテであれば激戦区ですからアドバンテージにはなりませんが、他球団に活路を見いだすのであれば外野だけではなく一塁を守れることは大きな武器になります。
DeNAの事情が分からないので勝手な考えではあるのですが、同じような軌跡を描いている吉村とのトレードであればロッテからすれば受け入れOKでしょう。
昨日の今日で選手会長の放出はありえないでしょうが、そんなことを考えなければならない立ち位置にあることを大松には自覚をして来季の復活を期してもらいたいです。

2007年通信簿
2008年通信簿
2009年通信簿
2010年通信簿
2011年通信簿


【オリオン村査定】 6300万円 → 5000万円 (▼21%)

 

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2012年通信簿 9 福浦和也

2012-10-28 01:15:45 | 千葉ロッテ

9 福浦和也 内野手 37歳 年俸1億円

【2012年成績】 84試合 180打数 5得点 45安打 打率.250 3二塁打 0三塁打 0本塁打 25打点 0盗塁 16四死球 27三振 得点圏打率.254

3年契約の2年目の福浦でしたが、昨年よりも大きく成績を落としてしまいました。
一軍に定着をしてからは最低の打席数でしたし、本塁打がゼロだったのも初めてです。
本塁打はおろか代名詞とも言える二塁打ですら僅か3本しか打てず、その長打率は岡田を下回っているのですから寂しすぎます。
目指していた2000本安打ではなく堀を越えるための21本を来季に打てるかどうか、そんな心配をしなければならなさそうです。

それでも夏場に各選手が数字を落とす中で7月は.381、8月も.279と打線を支えたのは福浦でした。
ボールに逆らわないテクニックは健在で、福浦らしい巧みなバットコントロールに助けられた試合は少なくはありません。
しかしこれまでは野手の頭を越えたり間を抜けていた打球が詰まらされてポップフライやボテボテのゴロになるケースが増えてきたのは、やはり体に力が無くなったからなのでしょう。
あるいはそのちんたら走りに象徴をされる下半身への不安が軸をしっかりと保てない理由なのかもしれず、数字を残していた時期でもスタメン落ちをしたことからしても体調が万全ではなかったのでしょうし、そんなシーズンが続いているわけですから先行きが不安にもなります。
このままでは費用対効果を考えれば契約の切れる来季でユニフォームを脱ぐことを球団から勧められる可能性が高いでしょうから、福浦にとっては正念場の来季となります。

その打撃よりも衰えが顕著だったのは、華麗だったはずの守備です。
横への動きが鈍くなりましたし、強い打球に反応できない自分に苛立っているようなところを何度か目にしました。
芸術的なグラブ捌きもポロポロとすることがあり、もう一塁を守るのは無理なのかもしれません。
福浦に守備固めが出される日がくるとは思ってもいませんでしたが、悲しいかなこれが現実です。
守備でもアピールができなくなってしまえば一塁、あるいはDHでスタメンを勝ち取るには打撃で勝負をするしかありませんので、どうにも八方ふさがり気味です。

そうなれば初芝の晩年がそうであったように、あるいは前田智が広島ファンを狂喜させているように、福浦には代打稼業を極めてもらうしかありません。
今でも球場でその名がコールをされたときのスタンドの盛り上がりようはサブローと双璧ですから、ファンの期待もまだまだ大きいです。
今季も代打での犠牲フライ、押し出し四球と二度のサヨナラ勝ちを演じた福浦は、まさに経験と顔を活かすだけの存在感があります。
もちろん本人はスタメンを諦めてはいないでしょうし、その気概は持ち続けてもらいたいのですが、一日でも長く野球ができるよう自分の場所を見つける来季であってもらいたいです。
俺たちの福浦、その歌声がQVCマリンに数多く響き渡ることに期待をしましょう。

2007年通信簿
2008年通信簿
2009年通信簿
2010年通信簿
2011年通信簿


【オリオン村査定】 1億円 → 7500万円 (▼25%) ※3年契約

 

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グライシンガーの両天秤

2012-10-27 17:23:05 | 千葉ロッテ

ロッテを退団した西本前コーチが、どうやらオリックスの投手コーチに就任をするようです。
なかなか組閣が進んでいるようには見えないロッテと同様にもたもたとしていたオリックスも、ここにきてDeNAから石嶺コーチを打撃コーチとして招聘をするとの話もあるようで、気がつけばその人脈の無さと待遇面での悪さが理由なのかロッテが12球団で一番の不人気球団になりつつあります。
まるで川崎時代のオリオンズを思い出すようなその風景は懐かしいものの、あまり見たいものではありません。

オリックス 投手コーチに西本氏、フロントには瀬戸山氏招へい (10/27 スポーツニッポン)

オリックスが投手コーチに今季までロッテでコーチを務めた西本聖氏(56)、球団フロントには前ロッテ球団社長の瀬戸山隆三氏を招へいすることが27日、分かった。
西本氏は通算165勝を挙げた現役時代の1993年にオリックスでプレーしており、20年ぶりの復帰となる。
瀬戸山氏はダイエー(現ソフトバンク)でも球団代表を務めるなど球界での経験が豊富。
今季最下位に低迷したオリックスではフロントの強化も課題だった。

西本前コーチの手腕はさして評価をしていませんでしたので、オリックスへの転出はさして気にはなりません。
しかし帰国の際にもその名を口にするほどグライシンガーが西本前コーチを信頼していただけに、その去就に大きな影響を及ぼしそうです。
オリックスもそういった意図を含んでのことでしょうし、そのうちにグライシンガーと接触なんてニュースが流れてくるような気がします。
ただオリックスの捕手陣は最多出場が来季に6年目で24歳の伊藤ですから、同じくそのリードに深い信頼を寄せていた里崎の足元にも及ばないでしょう。
グライシンガーが待遇面はもちろんのこと西本前コーチを選ぶのか里崎を選ぶのか、ここも大きなポイントになりそうです。

そして瀬戸山顧問です。
口封じのためなのか住民税対策なのか1年契約での顧問就任でしたので、声がかかれば何のためらいもなくオリックス入りをするでしょう。
昨年にDeNAが発足をした際にも自ら手を挙げたなんて話も伝わってきましたし、球団経営への意欲はまだまだ旺盛なようです。
その辣腕はロッテでの仕事ぶりを見れば明らかですし、重光ジュニアよりは野球に対して意欲的な宮内オーナーですから思う存分に働けるのではないかと思います。
実際の人間関係は分かりませんが親分子分のようにも見えた石川前球団運営本部長までもがオリックスに入れば、かなりの脅威になりそうです。
もっとも同じくロッテからオリックスに転出をした宮田元編成部長が現在どうしているのか、また経営改革の象徴でもあった荒木元事業部長に触手を伸ばす球団が無いことからしても、必ずしも能力があるからと言って力を発揮できるわけではないのは選手、あるいは一般社会と変わらないでしょうから、暫くは様子見といったところでしょう。
できれば瀬戸山顧問にはNPBの要職に就いてもらいたいと思っていますので、大阪の地で才能をすり減らさないことを願っています。

 

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2012年通信簿 8 今江敏晃

2012-10-27 00:21:49 | 千葉ロッテ

8 今江敏晃 内野手 29歳 年俸1億4700万円

【2012年成績】 136試合 476打数 52得点 113安打 打率.253 21二塁打 3三塁打 6本塁打 47打点 0盗塁 23四死球 37三振 得点圏打率.193

隔年傾向の強い今江ですので今季は数字を上げてくれるのではないかと期待をしていましたし、その助けとなるであろうキャプテンの就任を心待ちにしていました。
どちらかと言えば福浦に近い「俺の背中を見てついてこい」タイプの今江ではないかと思っていますので、意識をしてチームを引っ張ることでミスターロッテの後継者として殻を破りきれないところから抜け出してくれるのではないかと、そう考えたからです。
そしてようやくに実現をしたキャプテン今江に大喜びをしたのもつかの間で、その重圧が今江を押し潰してしまったのか、あるいはただの不振でしかなかったのかは分かりませんが、数字はそれほどではなくともイメージがかなり悪い、そんな悲惨なシーズンとなってしまいました。
夏場の失速がチームの低迷に拍車をかけてしまったところもありましたし、キャプテンとしての二年目に取り返すしかありません。

結果的に今江らしい2012年ではありました。
相変わらずの早打ちで四球も三振も少ないのは例年どおりでしたし、これはもうどうにもならないのでしょう。
積極的にファーストストライクから打っていくことを一概に否定はしませんが、それであればせめてハードヒッティングをして欲しかったですし、制球を乱した投手であっても対し方が変わらないといった状況判断ができていないのではないかと思わされるシーンもままありました。
そういう意味では野球センスに疑問符をつける向きもあるようで、しかし一方でおそらくは自分の判断によるものと思われるセーフティーバントを試みたりするところなどはチームでは随一ですから、どうにもその心の内が分かりづらい選手です。
将来的にはクリーンアップを打って欲しいと願いつつ来季は気がつけばもう30歳で、そろそろ次を考えなければならない時期が近づきつつあります。

今季に取得をした国内FA権の行使について取り沙汰をされていますが、この成績でのミリオンダラーズに手を挙げる球団があるとも思えません。
それでも何があるかが分からないのがこの世界ですので、心の準備だけはしておいた方がよいでしょう。
昨今のロッテは大盤振る舞いをするかあっさりと見切るかの両極端な傾向がありますが、今江は前者に近いところにあると思います。
自分としても年俸をアップしての複数年契約ともなれば気が引けますが、現状維持の単年契約であれば首肯のスタンスです。
そんな今江が来季に伸び伸びとプレーをしてくれるためにキャプテンを外すのも手ではあるのですが、しかし大きく飛躍をするためにもこの壁を乗り越えて欲しいと願ってやみません。
鬱陶しいぐらいにマウンドに足を運んで欲しい、声をかけて欲しい、ベンチ前で選手を鼓舞して欲しいと、来季はそんなキャプテンシーをどうか見せてください。

2007年通信簿
2008年通信簿
2009年通信簿
2010年通信簿
2011年通信簿


【オリオン村査定】 1億4700万円 → 1億3000万円 (▼12%)

 

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仕上げの西九州 史跡巡り篇 五島の巻

2012-10-26 00:23:02 | 日本史

 

最終日は五島です。
前日の夜から雨が降っていたようでホテルを出たときに路面が濡れていて焦ったのですが、しかし長崎まで出てフェリー乗り場に着くまでに雨に降られることはありませんでした。
ところがフェリーが出航をしてすぐに大雨となり、海が荒れていることから徐行航行となるとのアナウンスで空を見上げれば真っ暗で、長崎には大雨洪水警報の発令です。
フェリーのダイヤの都合で五島には3時間ちょっとの滞在予定だったために航行が遅れれば大変なことになると頭を抱えたものの、幸いなことに15分ほどで雨が弱まり五島があるあたりの空は明るかったので何とかなるのではないかと気を取り直し、結果的にはかなり雲が厚かったものの無事に島巡りを終えることができました。

福江港を出て数分も歩けば石垣や堀、そして城郭風の建物が見えてきますが、これは五島観光歴史資料館です。
五島藩の資料や民俗資料が展示をされており、例によっていろいろと話を聞かせていただきお世話になりました。
もう少し時間に余裕があればじっくりと見て回りたかったのですが、天気の心配もあり先を急いだのがちょっともったいなかったです。

石田城とも呼ばれる福江城は五島氏の居城ですが、しかし歴史はかなり浅いです。
完成は1863年ですから幕末も幕末で、明治維新により1872年に解体が始まりましたので僅か9年の命でした。
当時の建物の遺構は蹴出門のみで、しかし野面積みの石垣はきれいに遺されています。
内側からもっとぐるっと回りたかったのですが城跡には五島高校があるため、残念ながら外から眺めるしかできませんでした。

同じく城跡には福江藩の10代藩主である五島盛成が造った五島氏庭園があり、国の名勝に指定をされています。
入園料は500円もしますしその手のもにはさして興味がないために寄るつもりもなかったのですが、しかし休園であることを知ると不思議と悔しくもなります。
城郭内にこういった日本庭園があるのは珍しいらしく、それが名勝に指定をされた理由との説明板でした。

城跡から10分ほどのところには武家屋敷が建ち並んでいますが、実際にはそのほとんどが門のみです。
敷地内は荒れ放題だったりアパートが建っていたりと武家屋敷通りといった趣きは感じられず、むしろ悲しげですらありました。
レンタサイクルがこの近くの史料館らしきところでの貸し出しだったために寄ったのですが、あまり見たくはない現実です。

その武家屋敷の石垣塀の上に、あまり見たことのない石積みがありました。
これは「こぼれ石」と呼ばれるもので、全国的にも類を見ないものだと評価をされているそうです。
塀を乗り越えようとした際に石がこぼれて音が鳴ることで外部からの侵入を知らせたり、いざというときには武器にもなるためにこういった石垣塀になったそうなのですが、しかし今はガッチリと固められていてこぼれることはないでしょうし、武器として使えば塀の高さが低くなって侵入を許しやすくなるのではないかと、そんなことを思ったりもしました。

大円寺は五島氏の菩提寺で、五島氏の墓所があります。
五島氏は元は宇久氏であり、その17代の盛定が開基となります。
しかし説明板に「荒廃のままに」と書かれているようにまさに荒廃状態で、お寺の方も好きに見てくださいと突き放したような感じでした。
ここには16代の宇久囲から25代の五島盛暢までの墓があるはずなのですが、戒名などから特定ができたのは僅かに四基です。

五島盛利は22代で、福江藩の2代藩主です。
17代の盛定の曾孫にあたり、父は宇久盛長で、その父の従兄弟にあたる初代藩主の玄雅の養子となりました。
この盛利のときに居城だった江川城が焼失をしてしまい、幕末に福江城を築くまでは石田陣屋で藩政を執り行っていたとのことです。

盛利の長男が3代藩主の盛次で、しかし病弱であったことから38歳で早世をします。
盛次の長男の盛勝が4代藩主、盛勝の長男の盛暢が5代藩主と直系が続いたものの、これまた34歳、30歳での若死にです。
そのため若年での襲封が続いたために一族の有力者が後見をすることとなり、1万5千石だった福江藩は盛勝の叔父である盛清に3千石を分知したために1万2千石となりました。
写真は左から盛次、盛勝、盛暢です。

五島氏の墓所は、大円寺の前を流れる川を挟んだ反対側にもう一箇所あります。
こちらには26代の盛佳から34代の盛輝までの墓があります。
大円寺の境内にあるそれと比べればまだ整備がされており、その違いの理由はよく分かりません。
説明板にはどの墓が誰のものかの案内までされている丁寧ぶりで、しかし微妙に間違っていたと言いますか右左の解釈が難しい案内ではありました。

6代藩主は盛暢の長男の盛佳で、久しぶりに48歳と長命とは言わずともまずまずの寿命を保ちました。
その盛佳の長男の盛道が7代藩主で、これは正真正銘の長命で70歳と長生きをしたことでやや風向きが変わってきます。
盛道の次男の盛運が8代藩主で57歳、盛運の次男の盛繁が9代藩主で75歳、盛繁の長男の盛成が10代藩主で75歳と、藩政初期の苦労が嘘のようです。
しかし盛成の長男の盛徳が11代藩主となるも病弱で、明治維新後に36歳で病没をしました。
写真は上段左から盛佳、盛道、盛運、盛繁、盛成、盛徳ですが、そのうち盛道の写真の三基のうち右端が盛道で、左端は33代の盛光、中央は34代の盛輝です。

五島の最後は常灯鼻です。
福江城を築く際の防波堤と灯台の役割のために築かれたもので、築城にあたった石工集団の手によるものです。
150年以上も経った今でも波風に耐えて往時の姿を遺しており、それだけ石工の技術が秀でていたということなのでしょう。


【2012年9月 佐賀、長崎の旅】
仕上げの西九州
仕上げの西九州 旅程篇
仕上げの西九州 旅情篇
仕上げの西九州 史跡巡り篇 佐賀の巻
仕上げの西九州 史跡巡り篇 名護屋、唐津の巻
仕上げの西九州 史跡巡り篇 平戸の巻
仕上げの西九州 史跡巡り篇 島原、大村の巻
仕上げの西九州 グルメ篇
仕上げの西九州 スイーツ篇
仕上げの西九州 おみやげ篇

 

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ちょっとデジャブなロッテのドラフト

2012-10-26 00:03:42 | 千葉ロッテ

今年のドラフト会議が終わりました。
昨年に続いて4選手の指名で少数精鋭と言えば聞こえはいいですが、編成部の担当からすれば欲求不満が溜まっているのではないかとも思えます。
また林球団運営本部長の評価は内野手が獲れなかったことでの80点だそうなので、その点でも思い描いていたようにはいかなかったのでしょう。
それでも機関紙までもが日和るのではないかと報じた中での目玉の藤浪に入札をしたことは喜ばしいですし、その攻撃的な姿勢を今後も持ち続けてもらいたいです。

指名は投手が2名、捕手が1名、外野手が1名で、社会人が1名、大学生が2名、高校生が1名です。
昨年が大学生4名の指名で成果を挙げましたし、2年連続しての下位低迷ですので即戦力に重きを置くことは悪くはありません。
ただ補強ポイントに合致をしているとは思えない指名もありましたし、なかなかに評価は難しいです。
もっともドラフトの評価は3年のスパンで行うべきものですし、申し訳ないながらも華やかさには欠けるものの藤岡に益田といった例もありますので、今後に期待をすることにします。

1巡目は藤浪に入札をしたものの中村球団社長がくじを引いたときには既に当たりくじはありませんでしたので、まあ仕方がありません。
外れ1巡目の入札は機関紙が日和ると報じた松永で、オリックスも入札をしたことで一昨年と同じシチュエーションでの抽選となりました。
そして今度は見事に当たりくじが残っていたことで交渉権を獲得し、オリックスを返り討ちにするとともに無様な連敗を避けられてよかったです。
その松永は関西国際大で益田の1年先輩にあたり、卒業時も上位での指名が噂をされた投手です。
ややスリークォーター気味に出てくる腕をテークバックを小さく振ってくるために、打者からすればタイミングは取りづらいでしょう。
ストレートはMAX152キロ、あるいは148キロとも言われていますが、ほぼ140キロ台で投げるだけの力はあるようです。
またストレートやスライダーの球筋が中後に似通っているのはフォームの関係もあるのでしょうが、今のスタッフの中に混じれば特徴を出すのは難しいかもしれません。
上背もありませんしロッテ化をしてしまえば服部が増えただけにもなりますし、あるいは松本幸大の代わりが松永昂大かよと言われないように、ちなみに昂大は「たかひろ」と読むのですが、一年目で結果を残せなければ終わりだと見ていますのでとにかくストレートのスピードを落とさないことが肝要でしょう。
その持ち味を活かすには中継ぎとして益田とコンビを組ませるのがよいのではないかと、今はそんなことを思っています。

2巡目は同じ左腕の川満で、こちらは先発タイプではないかと思います。
本人が成瀬を目指すと言っているようにストレートは130キロ台後半が中心で、キレで勝負をするタイプのようです。
これといったフォームの特徴もありませんし、体もやや細めですので素材型と考えた方がよいかもしれません。
年齢の近い中後や植松あたりが当面のライバルになるのでしょうが、沖縄出身だけに球団としては活躍を願っていると思います。

3巡目は待望の捕手で、そして田村が捕手としてはこのドラフト会議では一番に指名をされたのは正直なところ意外でした。
今回もかなりマスコミやファンと、プロ球団との評価の差が目立ったのですが、まさか田村が伏見や小豆畑を凌ぐとは思いもよらず、また伊東監督の捕手を育てたいとの意向からすれば高校生ではなく大学生、あるいは社会人ではなかったのかとの思いもあります。
また捕手としてはキャッチングも肩も平均的なようで、しかも経験が浅いために時間がかかるのではないかと思います。
それでもバッティングはいいものを持っているようで体格的に大きなものを期待するのは酷ですが、打てればチャンスはあるでしょう。
これで来季に一軍に引っ張り上げられるのはおそらくは小池なのでしょうから、田村には一年目から浦和で江村と競い合ってもらいたいです。

4巡目の加藤が今回の一番の疑問で、もちろん走攻守の三拍子が揃ったスイッチヒッターの加藤は魅力たっぷりです。
しかし現在の外野陣の年齢層とレベルを考えれば、大学生というピースをどうチームにはめ込んでいくのつもりなのかが分かりません。
それだけ真砂の評価が低かっただけなのかもしれませんが、ちょっともやもやとしています。
そもそも頭数は絶対的に足りない外野手ですので加藤の入団は大きな力にはなりますが、単なる頭数にならないようにするためには特徴を出していくしかありません。
ここで加藤が殴り込みかよ、と思わせるような活躍をしてくれればと、そう願っています。

おそらくは藤浪に北條と目玉を両取りの阪神、あるいは東浜と高田、真砂に笠原とバランスのいい指名ができたソフトバンクあたりの評価が現時点では高いのでしょう。
しかしドラフトフリークからは絶賛をされる指名を繰り返していた横浜がああいった結果になっていますし、あくまでアマチュアとしての評価でしかありません。
誰が今の藤岡、そして益田を昨年の今の時点で想定ができていたか、それがドラフトの現実です。
どうしても地味さは隠せませんし今後の報道からもほとんど弾き飛ばされてしまうのでしょうが、それを見返す四銃士であってもらいましょう。
それでもどこか寂しさはありますので、きっと今季限りでロッテでの育成枠制度は廃止とするのでしょうから、西野と黒沢も指名をしたと考えることにします。


1巡目 松永昂大 投手 左 24歳 大阪ガス 175cm・82kg 予想背番号28


2巡目 川満寛弥 投手 左 21歳 九共大 186cm・80kg 予想背番号37


3巡目 田村龍弘 捕手 右 18歳 光星学院 174cm・77kg 予想背番号45


4巡目 加藤翔平 外野手 両 21歳 上武大 183cm・84kg 予想背番号48


5巡目 西野勇士 投手 右 21歳 新湊卒 182cm・77kg 予想背番号65


6巡目 黒沢翔太 投手 右 24歳 城西国際大卒 181cm・84kg 予想背番号67

 

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ドラフトでぶつぶつ

2012-10-25 16:02:22 | 千葉ロッテ

いよいよドラフト会議まであと1時間となりました。
今年は久しぶりに隠密ドラフトと言われていましたので当日までロッテの入札選手が明らかにならないのは気にしていませんし、むしろ楽しみなぐらいです。
機関紙は重複を避けて大阪ガスの松永の一本釣りと報じていますが信頼のニッカンは亜大の東浜で、ソフトバンクと楽天、DeNAとの4球団での重複と予想をしています。
報知は大体大の松葉や九共大の川満への可能性を示唆し、しかしサンスポはニッカンと同様に東浜ですのでよく分かりません。
どうやら藤浪にはいきそうにもないことだけは確かなようで、何にせよ重複を避けた結果が重複といったオチにならないことを願うばかりです。

始まりました。
ロッテからの出席者で顔が分かったのは中村球団社長と松本SSV、そして永野スカウトです。
もう一人の大柄なのが林球団運営本部長なのか、やはり伊東監督は出席をしていません。
こうなれば抽選でくじを引くのは中村球団社長なのでしょうし、宝くじで300円しか当たったことがないようですので一本釣りに走るような気がしてきました。
東浜なのか松永なのか、はたまたミスターXなのか、ドキドキします。

ロッテの入札は藤浪!

驚きましたし、嬉しいです。
4球団の重複ですから確率は25%、引くのは3番目ですから残りくじに福があるのかどうか。
中村球団社長の大仕事、是非とも当ててやってください。

外れた・・・当たりくじは・・・阪神・・・

まあ仕方がないです。
中村球団社長が引いたときには当たりくじは既に無かったわけで、気持ちを切り替えましょう。
一番人気に特攻をしてくれたことに、心から感謝をします。

それにしても日本ハムは徹底をしています。
大谷を攻め落とせるかどうかは分かりませんが、素直に拍手を送りたいです。
そして菅野は巨人の単独指名、会場が意外に盛り上がらなかったのが世間の視線を物語っているように思います。
ここからのハズレ1巡目がかなり重要で、ロッテは北條でお願いします。

ロッテの外れ入札は松永!

松永の入札はオリックスと被りました。
これを外せば伊志嶺の仇を取られた形になりますし、是非とも返り討ちにしてもらいましょう。
しかし今回も残りくじなので、中村球団社長の運は関係なさそうです。

ロッテの1巡目は松永、当たりくじが残っていました。

結果的には機関紙が報道をした1巡目となりましたが、藤浪に特攻をした結果ですのでOKです。
松永は関西国際大で益田の1年先輩ですから、チームに馴染むのにさして時間がかからないだろうと前向きになれます。
ただ上背があまり無いのが気がかりで、173センチとも175センチとも言われていますので服部を思い出してしまう自分が止まりません。
140キロ台後半のストレートを投げ込むタイプなので服部とは違うのでしょうが、何はともあれいらっしゃいませです。

1巡目を整理してみます。
藤浪に入札をしたのはオリックス、阪神、ロッテ、ヤクルトで、当たりくじを引いたのは阪神です。
東浜に入札をしたのはDeNA、ソフトバンク、西武で、当たりくじを引いたのはソフトバンクです。
森に入札をしたのは広島、楽天で、当たりくじを引いたのは楽天です。
福谷は中日、菅野は巨人、大谷は日本ハムの単独でした。
外れ1巡目で松永に入札をしたのはオリックス、ロッテで、当たりくじを引いたのはロッテです。
増田に入札をしたのは広島、西武で、当たりくじを引いたのは西武です。
DeNAは白崎、ヤクルトは石山の単独で、外れの外れはオリックスが松葉、広島が高橋でした。

ロッテの2巡目は是非とも北條にいってもらいたいです。
阪神は小豆畑が濃厚との報道がありますし、オリックスは昨年に内野手をいっぱい獲りましたから、心配のなのはDeNAだけでしょう。
ただそのDeNAも1巡目で白崎の交渉権を獲得しましたので、ロッテの北條に壁はないはずです。
あるとすればそのロッテが伏見に流れることでしょうが、さてどうなりますやら。

ロッテの2巡目は川満、北條は阪神に獲られました(涙)

まさか阪神が小豆畑をスルーするとは、完全にやられた感じです。
これで3巡目で小豆畑を阪神が獲れば笑いが止まらないでしょうから、どこかが止めてくれることを願います。
それにしてもまた左腕を上位で2名の指名とはバランスが悪いのではないかと、もう3巡目以下は全て野手でいいでしょう。
伏見か真砂が残っていることを祈るような思いで待ちます。

ロッテの3巡目は田村、かなりビックリ!

伏見も小豆畑も、マスコミやファンが思うほどにプロの評価は高くなかったということなのでしょう。
こういったことは毎年のようにありますが、本人たちはその気になっていたでしょうから気の毒にもなります。
田村は打撃型の捕手の印象が強いのですが173センチでおかわり君のようにガッチリとした体格ではありませんので、自分としてはあまり評価はしていませんでした。
それを見返すような活躍、成長を期待したいです。

さて4巡目、真砂が残っているかどうか、また阪神に獲られたら暴れ出しそうです。
あるいは自由ヶ丘の武田でもいいですし、若い外野手を押さえておきたいです。
まさかまた投手ってないですよね、それだけは勘弁です。

ロッテの4巡目は加藤、スイッチヒッターのようです。

加藤は上武大の外野手で、守備や走塁に秀でているものの打撃はパンチ力はありながらも確実性に欠けるとの評判です。
何はともあれ野手の補強が続いてホッとしています。
ただ社会人、大学生で3名の指名ですから資金が尽きたかもしれず、5巡目があるかどうかが不安になってきました。
是非とも右の内野手の指名を、伏してお願いをします。

ロッテの5巡目は・・・ありませんでした・・・いの一番に終了。

まさに不安的中です。
おそらくは育成枠選手の指名はしないでしょうから、西野と黒澤を昇格させての支配下選手登録67名で一段落なのでしょう。
あとはトライアウトでめぼしい選手がいれば1名ぐらい獲って終了、来季に臨むことになると思われます。
必要のない選手を無理に頭数だけ揃える必要はありませんが、ちょっと凹み気味なのが正直なところではあります。
このあたりは少し気持ちを整理して、またこの後に別記事にしますのでお待ちください。

 

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仕上げの西九州 史跡巡り篇 島原、大村の巻

2012-10-25 01:25:46 | 日本史

 

四日目は島原半島をぐるっと回りたかったのですが島原鉄道の島原外港駅から加津佐駅の路線が2008年に廃止となってしまったため、原城跡や日野江城跡を候補に挙げながらもバスの便が今ひとつ上手く計画立てられなかったので断念せざるをえず、ここは次回の楽しみに置いておくことにしました。
その代わりと言うわけでもないのですが諫早を追加して大村と合わせてちょっと駆け足にもなりましたが、この日もまずまず天気に恵まれましたので大助かりです。
この旅での最後の日本100名城である島原城に墓フリーク炸裂で、充実をした一日となりました。

その島原城は島原駅を背にして5分も歩けば行き着きますので、島原観光の中心です。
残念ながら建物は全て明治以降に取り壊されてしまいましたので、現在の天守閣や櫓は昭和に入ってからの再建です。
こちらの巽櫓は1972年の再建で、長崎平和祈念像で有名な北村西望が今の南島原市の出身なために中は西望記念館になっていました。

時計回りに歩いて行くと、次に見えてくるのが西櫓です。
1960年の再建で、中には日本全国の城の写真などありがちな展示がされていました。
他の櫓と同じく三層三階となっており、しかし当時のままに復元をされたかどうかの説明はありませんでした。

丑寅櫓は1980年の再建で、中は民具資料館になっています。
その手のものには興味がないので軽く覗いただけで時間をかけなかったため、搦手門であった諫早門の門扉が展示をされていることに気がつかなかったのが痛手でした。
この丑寅櫓と先の巽櫓がどっちがどっちかが実は曖昧で、旅のメモにはこちらが巽櫓と書いてあったのですが、民具資料館は丑寅櫓とのことですのでそちらに従うことにしました。

そして天守閣です。
1964年に鉄筋コンクリートで再建をされたもので、見上げるぐらいの巨大さに圧倒をされました。
島原城は有馬氏が日向延岡に転封となった代わりに入った松倉重政が江戸期に入ってから築いた城で、往時は四層四階の天守閣に49もの櫓が建ち並んでおり、4万石の小大名にしては過分な城郭の築城に苦しんだ領民の不平不満も島原の乱の原因の一つとされています。
重政の子である2代藩主の勝家は、その責任を取らされて大名には珍しく斬首をされたそうです。

城内にはその島原の乱の首謀者の一人である天草四郎と、若き日の織田信長の像がありました。
天草四郎は分かるのですが織田信長と島原との関係が分からず、同じものを岐阜城で見た記憶があるのですが、どうやら両方ともに北村西望の作品のようです。
中が西望記念館の巽櫓の前にありましたので、そういうことなのでしょう。

時鐘楼は松倉氏の跡に島原藩に入った深溝松平氏の忠房が建てたもので、「おかみの鐘」として親しまれてきました。
しかし太平洋戦争の際に供出をされてしまい、今のものは1980年の再建です。
鐘の銘文模様はこれまた北村西望によるもので、余程に地元の名士として敬愛をされていたのでしょう。

本光寺はその深溝松平氏の菩提寺です。
当たり前ですが以前は三河深溝にあったものが、当主の移封とともに武蔵忍、三河吉田、そしてこの肥前島原と転地を繰り返してきました。
現在の本光寺は明治に入ってから末寺の浄林寺を合併し、この山門は初代の忠房が生母を弔うために建立をしたその浄林寺のものです。

ここには深溝松平氏の墓所があります。
深溝松平氏は十八松平氏の一つで、宗家の三代信光の七男でやはり十八松平氏の一つである五井松平氏の祖である忠景の次男の忠定が興しました。
この墓所は島原氏の砦であった丸尾城があったところで、その遺構を利用しています。

島原藩主としての深溝松平氏は初代が忠房で、長男の好房が21歳で早世、次男の忠倫が愚昧にして廃嫡をされたために、2代藩主には分家から忠雄が入ります。
その忠雄も実子の忠英が早世をしたために同じく分家から忠俔を養子にとって3代藩主とし、4代藩主は旗本から入った忠刻、5代藩主がその子の忠祇で、この忠祇のときに下野宇都宮に転封となって入れ替わりで宇都宮からの戸田氏が島原藩主となりました。
しかし忠祇の跡を継いだ弟の忠恕のときに再び戸田氏との入れ替わりで島原に復帰をして、何をやりたかったのかはよく分かりません。
写真は左が忠雄、右が忠英です。

江東寺は松倉重政の菩提寺で、しかし有名なのは涅槃像のようです。
幅は8メートル、高さは2メートルで、鉄筋コンクリート造りの涅槃像としては日本最大のものとは、例によって説明板の受け売りです。
入寂をするまで説法をした釈尊の最後の姿を表したものとのことですが、宗教には疎いのでよく分かりません。

松倉重政は筒井氏に仕えて島清興とともに「右近左近」と呼ばれた重信の嫡男で、筒井氏が大和から伊賀に転封となった際に致仕して豊臣氏の直臣となります。
その後は徳川氏に近づいて関ヶ原の戦いでの功で大和五条1万石から肥前日野江4万3千石に加封をされて、そして一国一城令に従って原城と日野江城を廃して島原城を築いたとは先に書いたとおりですが、陪臣からここまでのし上がったのですからそれなりに秀でた武将だったのでしょう。
中央の墓は1828年の再建で、右側にある上部が欠けた墓が1792年の普賢岳の噴火、群発地震により眉山が崩落をした際に流されてしまい、後に発見をされた当初のものです。

板倉重昌は京都所司代を務めた勝重の次男で、兄はやはり京都所司代の重宗です。
島原の乱に際して鎮圧の上使として赴くも官吏であり1万5千石の小身であることから各大名を統制しきれず、業を煮やした幕府が知恵伊豆こと松平信綱を派遣したことを聞くや焦って無謀な突撃を行い、銃弾に撃ち抜かれて討ち死にをしてしまいました。
やはり眉山崩落の際に江東寺が埋没をしてしまい墓が流されてしまったため、一門の依頼で一族である深溝松平氏の老臣の板倉勝彪が再建をしたのが左の大きめの墓で、そして右の小さめの墓がその後に井戸を掘った際に見つかった当初のものです。
島原の乱の遠因を作った重政と、その鎮圧の際に討ち死にをした重昌の墓が並んでいるのは皮肉と言えば皮肉です。

こちらは沖田畷古戦場跡、龍造寺隆信供養塔です。
龍造寺隆信は有馬氏を攻めるための出陣をして、沖田畷にて有馬・島津連合軍と戦って討ち死にをしました。
ここがその場所であるというわけではありませんが、地元の有志がこの付近にあった129もの祠を一箇所にまとめたものがぱっと見は墓にも見える供養塔です。
戦国の梟雄の最期の地にしては寂しさがありますが、田楽狭間の今川義元も似たようなものでしたので、あるだけでも恵まれているのかもしれません。

諫早では天祐寺で、諫早氏の菩提寺です。
ここには諫早氏の初代から18代までの墓が整然と並んでおり、これだけのために諫早に足を運びました。
諫早氏は佐賀の巻でご紹介をした系図のとおり、龍造寺隆信の又従兄弟にあたる家晴を祖としています。
鍋島氏の肥前継承を容認して龍造寺四家の一つとして、佐賀藩の家老を輩出するなど中枢に位置する存在となりました。
ちなみに龍造寺四家は家晴の諫早氏の他には、隆信の次弟である信周の須古鍋島氏、隆信の三弟である長信の多久氏、隆信の三男である家信の武雄鍋島氏となります。

初代の龍造寺家晴は鑑兼の子で、祖父の家門が隆信の祖父の家純の弟になります。
少弐氏に龍造寺氏が討伐をされた際に家門も謀殺をされましたが、鑑兼は生き延びて一時は家臣に担がれて隆信を筑後に追いやったこともあります。
そういった経緯もあったのでしょうが家晴は隆信とは微妙な距離を置いていたようで、それが隆信の死後に鍋島氏に近づいた理由の一つかもしれません。
家晴の子で2代の直孝が諫早氏を称し、これは藩主のかつての主君であった龍造寺氏を名乗ることをはばかってのことだと思います。
写真は左が家晴、右が直孝です。

3代は直孝の子の茂敬で、4代は茂敬の子の茂真、茂真の子の茂門が5代を、茂元が6代を継ぎましたが、7代には白石鍋島氏から茂晴が入ったことで家晴の男系が断たれました。
8代は茂晴の子の茂行で、茂行の子の行孝が9代、茂成が10代、茂図が11代と横滑りをした跡は、茂図の嫡孫の茂洪が12代、茂洪の子の茂喬が13代、茂孫が14代、茂孫の跡は甥で茂喬の子である武春が15代、16代の一学は茂喬、茂孫の弟で武春の叔父にあたり、17代の家崇は茂孫の子ですから一学の甥、武春の従兄弟で、このあたりはかなり複雑です。
ようやくに家崇の子の家興が18代を継いだことで直系が続きましたが、いずれにせよ龍造寺氏の血ではありませんので嗜好としては残念です。
写真は上段左から茂敬、茂真、茂門、茂元、茂晴、茂行、行孝、茂成、茂図、茂洪、茂喬、茂孫、武春、一学、家崇、家興です。

この日の最後は大村です。
まずは大村氏の居城であった玖島城跡で、大村藩の初代藩主である喜前の手によるものです。
連郭式の平山城で、しかし例によって明治維新後に建物の全てが取り壊されてしまいました。
本丸跡にはありがちな神社があり、大村氏を祀っている大村神社です。

同じく本丸跡には、12代藩主の純熈の像があります。
その洋装からも分かるとおり大村藩の最後の藩主で、しかしこれといった事績はありません。
あるいは一般的には知られていない功績があってこその像のモデルなのかもしれませんが定かではなく、特に説明板などもありませんでした。

玖島城跡の唯一の建物が板敷櫓で、1992年の再建です。
二層二階の櫓があるのも嬉しいのですが、その櫓台の石垣の扇勾配の曲線美が際立っています。
築城の際に喜前と親しかった加藤清正に指導を受けたとの話もあるようで、それであればなるほどといった感じです。

大村藩お船蔵は4代藩主の純長が造ったもので、御座船などの藩の船が格納をされた場所です。
玖島城は大村湾に突き出す形で築かれていますので、船は重要な交通手段だったのでしょう。
また五教館御成門は通称黒門と呼ばれており、藩校である五教館に藩主が訪れたときの専用門でした。
現在は大村小学校で入学式と卒業式のときに開かれて、入学生と卒業生がくぐる栄誉を受けるとの説明板でした。

そして大村氏の菩提寺である、日蓮宗の本経寺です。
ここには大村氏の墓所があり、外からもこれ見よがしに見える大きな墓が有名です。
初代藩主の喜前の父である純忠は日本最初のキリシタン大名で、しかし徳川の世になりキリスト教が禁じられたことでやはりキリシタンだった喜前は棄教して日蓮宗に改宗し、幕府からつけ込まれないよう日蓮宗に帰依していることをアピールするためのものと言われています。

ここ大村氏墓所には、大村藩の歴代藩主の墓があります。
また初代藩主の喜前の系図上の祖父である純伊の墓があり、別格なのか他の墓とは違って立派な覆屋の中にありました。
純伊は有馬氏に追われて一時は放浪をしたものの、後に反抗して領地を回復した中興の祖と言われています。
しかし子の純前のときに再び有馬氏の圧迫を受けて、純前は実子がありながらも有馬氏から純忠を養子に迎え入れます。
よって純忠からの大村氏は血脈としては有馬氏で、よって純伊と喜前に男系としての血縁関係はありません。

喜前は家を守るためか改宗の後はキリスト教徒に厳しい弾圧を加えて、その恨みを買って毒殺をされたとの逸話も残されています。
大村氏で一番にメジャーなのは天正遣欧少年使節で有名な純忠ですが、しかしその墓がどこにあるかは分かっていません。
かつての居城だった三城城に葬られたものの、キリスト教の弾圧の中で掘り起こされてどこぞに捨てられたなんて話もあるようです。
喜前にとっては父よりは家、だったのかもしれません。
写真は左が喜前、右が純伊です。

巨大さもそうですが、墓石に刻まれた「南無妙法蓮華経」の文字がかなり露骨です。
中期以降はもう大丈夫だとでも思ったのか位牌のような小さなものに変わっていきますが、それでも大ぶりな石霊屋に覆われていました。
2代藩主の純頼は喜前の長男で、以降の藩主は大村氏の通字である「純」を受け継いでいきます。
純頼の長男が3代藩主の純信ですが、子が無いままに33歳で没したために正室の兄である純長が伊丹氏から入って4代藩主となったことで有馬系大村氏もここで男系が断たれたものの、その正室が有馬氏だったことで5代藩主の純尹は辛うじて女系で続いたことになります。
しかしその跡を異母弟の純庸が6代藩主を継いだことで女系も断たれてしまい、7代藩主はその子の純富、8代藩主はその子の純保、9代藩主はその子の純鎮、10代藩主はその子の純昌、11代藩主はその子の純顕、12代藩主はその弟の純熈で幕末を迎えましたが、この順調な継承も男女系ともに有馬氏、大村氏ではないために興味が薄れました。
写真は上段左から純頼、純信、純長、純尹、純庸、純富、純保、純鎮、純昌、純顕です。

そんな墓の行方も不明な藩祖とも言うべき純忠ではありますが、その晩年に住した居館の跡が史跡公園として遺されています。
隠居をした純忠はキリシタンの信仰に明けくれる余生を過ごしていましたが、豊臣秀吉のバテレン追放令の1ヶ月前に病死をしました。
まさか秀吉も純忠の死を待って発令をしたわけでもないでしょうが、純忠にとっては表現は微妙ながらもいいタイミングでの死ではなかったかと思います。

史跡公園ではありながらも、そう言われなければただの公園です。
むしろ裏手にある石垣とおぼしきものの方が、史跡といった感じがあります。
元は重臣の屋敷で坂口館と呼ばれており、純忠はここで晩年の二年間を過ごしました。

その純忠が居城としていたのが、この自らが築いた三城城です。
しかしこれといった遺構は見当たらず、忠霊塔のようなものが建設中なのか改修中なのか、そんなものしかありませんでした。
子の喜前がほど近いところに玖島城を築いたことで僅か35年での大村氏の居城としての役目を終えて、その後に完全に破却をされて今は城跡の面影はほとんどありません。

最後は大村市立史料館です。
一階は図書館で平日の夕方ながらも新聞や雑誌を読む人で満席に近く、そして二階が展示室となっています。
さして広くはないのですがキリシタン関係の資料や大村市の史跡が紹介をされており、なかなかの充実ぶりでした。


【2012年9月 佐賀、長崎の旅】
仕上げの西九州
仕上げの西九州 旅程篇
仕上げの西九州 旅情篇
仕上げの西九州 史跡巡り篇 佐賀の巻
仕上げの西九州 史跡巡り篇 名護屋、唐津の巻
仕上げの西九州 史跡巡り篇 平戸の巻
仕上げの西九州 史跡巡り篇 五島の巻
仕上げの西九州 グルメ篇
仕上げの西九州 スイーツ篇
仕上げの西九州 おみやげ篇

 

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微妙な秋季キャンプ

2012-10-24 21:57:18 | 千葉ロッテ

秋季キャンプのメンバーが発表となりました。
新生ロッテを率いる伊東監督が全選手を見る最初の機会となることに期待をしていたのですが、昨年と同様にベテラン選手は不参加のようです。
そもそもの秋季キャンプの効果の是非はともかくとしてもチーム一丸となって来季に臨む姿を見せて欲しかっただけに、どうにも微妙さが漂います。

2012年秋季キャンプ日程&参加選手決定!! (10/24 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト)

2012年11月1日(木)にスタートする秋季キャンプの詳細が決まりましたのでお知らせします。

場所:鴨川市総合運動施設内鴨川市営球場
住所:鴨川市太尾866-1
日程:11月1日(木)〜22日(木)
休日: 5日(月)、10日(土)、15日(木)、19日(月)  ※休日は変更となる可能性がございます。あらかじめご了承ください。

参加メンバー
投手:荻野忠、大嶺、吉見、橋本、大谷、上野、藤岡、服部、古谷、伊藤、南昌輝、木村、中郷、香月、植松、益田、藤谷、山室、阿部、黒沢、西野
捕手:小池、田中、江村、金澤、青松
内野手:高濱、今江、塀内、根元、鈴木、青野、細谷、早坂、角
外野手:清田、荻野貴、伊志嶺、大松、工藤、神戸、角中、岡田

※選手の状況により予告無く、選手の入れ替え、日程の変更をする場合がございます。ご了承ください。

名前が無いのは中後、成瀬、唐川、内、小野、渡辺、小林、藪田、山本、里崎、井口、福浦、翔太、サブローと、そして外国人選手です。
中後、唐川、小林、山本は故障が理由なのでしょうし、小野、渡辺、藪田、里崎、井口、福浦はベテラン特権、サブローはその両方なのでしょう。
よく分からないのが内と翔太ですが、内は故障あがりですし、おそらくは翔太もどこかを痛めるなどしたのだと思います。
成瀬は先日のQVCマリンでの伊東監督との面談の際にベテラン組と一緒に呼ばれましたので、面白くはありませんが完全に特別扱いなのでしょう。
何にせよ故障者は仕方がないにせよ、エースとベテラン選手にこそ率先して参加をしてもらいたかっただけに、かなり残念です。
最下位だったオリックスも3位だったソフトバンクも外国人選手を除いて全員参加らしいので、羨ましくもなります。

それでも実状は組閣が思うようにいかずにコーチが足りないといったところのようですが、一二軍が合同での秋季キャンプとのことですので若手には大きなチャンスです。
大谷、中郷、益田などは肩肘を休めてランニング程度にしてもらいたいですが、他の選手はとにかくアピールあるのみでしょう。
これで第二次戦力外通告がされないことが濃厚ですし、不参加のベテラン選手たちが春季キャンプで焦るぐらいの、そういった地殻変動のきっかけを掴んでもらいたいです。
そして伊東監督には有言実行で横一線でのスタート、秋季キャンプに参加をした選手にはアドバンテージがあるといったような発言をしてくれればと、そう願っています。

 

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サバイバル宣言

2012-10-23 23:34:41 | 千葉ロッテ

伊東監督がサバイバル宣言をしてくれました。
QVCマリンで秋季練習をしている選手と顔合わせをした後に、エースの成瀬にベテラン選手との面談を行い競争を求める旨を伝えたようで、これはいいことだと思います。
これまでは実績重視、行きすぎた主力主義の弊害が目立っていましたので、まずはいい出足を切ったと言ってよいでしょう。

ロッテ・伊東監督が訓示、サバイバル宣言 (10/23 サンケイスポーツ)

ロッテ・伊東新監督が22日、秋季練習を初訪問した。
井口、サブローら主力8選手を監督室に招き入れて訓示。
「ポジションをすんなり用意している感じではない。競争して勝ち取った者だけが…という話はした」と競争を求めた。
選手たちの反応について「正直すんなり受け入れられていないな、という感じ。向こうもどういう人なのか警戒心は多少あったと思う」と苦笑いした。
11月1日から千葉・鴨川市の秋季キャンプで本格始動する。

当たり前な話ではあるのですが、かなり新鮮です。
競い合ってこそ成長が伴いますし、それこそ体制が変わったのですからレギュラーの全てが白紙でよいぐらいです。
もちろん今季の成績によるアドバンテージはあってもいいですが、数字が伴わないのに名前だけでスタメンといったことがなくなる来季に期待をします。
この報道でフェニックスリーグに参加をしている選手たちのモチベーションはうなぎ登りではないかと、その勢いで優勝をしてもらいましょう。

ただ肝心なのはここからです。
言動一致をしなければ期待が一気に失望になりますし、また既得権を失うことにもなりかねないベテラン選手へのさじ加減も難しくなります。
この日に他の選手とは別途の面談を行ったのもそのあたりの配慮でしょうから、警戒心との言葉はそういったベテラン選手の様子見的な視線を感じ取ってのことなのでしょう。
里崎は「当たり前のこと」、福浦は「厳しくなる」とそれぞれに今の立ち位置に応じたコメントを残していたようですが、井口とサブローの両巨頭の扱いこそが最大の注目点です。
井口は何だかんだ言いながらも適度な緊張感を保ちつつやっていくのではないかと思いますが、守備位置が厳しいサブローは火薬庫にもなりかねません。
そのあたりが実際にどうなるかの第一歩である秋季キャンプに故障者を除く全選手が参加をするものとなるのかどうか、その発表が楽しみです。

 

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2012年通信簿 6 井口資仁

2012-10-22 23:45:16 | 千葉ロッテ

6 井口資仁 内野手 38歳 年俸1億8000万円

【2012年成績】 140試合 505打数 58得点 129安打 打率.255 30二塁打 1三塁打 11本塁打 60打点 3盗塁 69四死球 99三振 得点圏打率.250

ロッテでの4年目のシーズンに新しい井口を見せて欲しかったのですが、結局はいつもの井口でした。
昨年ほどの勢いは無かったものの5月までは3割をキープしての開幕ダッシュは例年どおりで、しかし最初の山場である梅雨時の6月に.221と大きく成績を落とし、7月には.286とやや持ち直したものの8月は.235、そして9月と10月で.200と夏井口はやはり当たり前のようにやってきたといった感じです。
通算の成績も打率を1分も落とした代わりに本塁打が2本増えるといった具合に数字的にはほとんど変わらずで、そうなれば1億8000万の働きができたとは言い難いです。
ベストパフォーマンスを引き出すためには適度な休養が必要としか思えない来季で39歳の井口に、伊東監督が鈴をつけられるかどうかが大きなポイントでしょう。

やはりシーズンを通しての活躍は、年齢的にもかなり厳しくなってきた井口です。
5月までは打率だけではなく7本塁打と長打を見せるなど頼もしいところがありましたが、なかなかにそれが持続をしません。
調子を落とした夏場には下半身に粘りがなく手打ちのバッティングが目立ちましたし、あまりに痛々しい姿でもありました。
低反発球の影響で開幕からロースコア、接戦の試合が多かったことで試合の終盤に引っ込めるタイミングが掴みづらかったところはあるのですが、長丁場を考えればそこを目をつぶってでも休ませるべきではなかったかと、毎度の右肩下がりを見せつけられると悲しくもなります。
もちろん休ませたからといって好調を維持できたかどうかは分かりませんが、それでもダメであればそこまでの井口なのでしょう。
まだまだ若い選手には負けないだけのバッティングを見せてくれていますし、凡打でも一塁にしっかりと走っているところなどは拍手を送りたいのですが、チームで最高年俸の井口が終盤戦には下位打線に名を連ねているようでは費用対効果が悪すぎます。
本人はまだまだやる気満々でしょうが、あるいはあと100本に迫った日米通算での2000本安打を達成したときが一つの区切りになるかもしれません。

その打撃よりも衰えが顕著だったのは、横への動きが極端に悪くなった守備です。
長年に培った経験からのポジション取りで上手く打球を処理してはいましたが、それでも特に二遊間への打球に追いつけないケースが目立ちました。
秀逸だった体をひねっての空中スローイングも今季はキレを欠いていましたし、全体的にもさっとした感じです。
これは昨年の9本塁打の対策でパワーをつけるために上半身に筋力を付けすぎたことが理由ではないかと、そんな気がしています。
そもそもが38歳で二塁を守っていることが凄いことだと思いますし、そしてそろそろ限界にきているのでしょう。
チームのことを考えれば一塁、あるいはDHでの起用の方が打撃を活かせるのではないかとも思うのですが、両ポジションともに候補がひしめき合っているという現状と、かなり二塁の守備にこだわりを持っていると思われる井口が割り切ることができるのかどうか、なかなかに難しい問題です。
もし井口が二塁手としての自分に固執をすれば再来年が無くても不思議ではなく、逆にDHなどに転向をすれば40歳でのプレーも充分に可能です。
年齢的にあるとは思っていなかった来季の5年目に、どういった決断をベンチと本人がするのかしないのか、そこから目が離せません。

2009年通信簿
2010年通信簿
2011年通信簿


【オリオン村査定】 1億8000万円 → 1億5000万円 (▼17%)

 

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大谷ショックでドラフトはどうなる

2012-10-21 23:15:21 | 千葉ロッテ

ドラフト会議を4日後に控えた今日、超目玉の一人である花巻東の大谷がメジャーを目指すことを表明しました。
田澤に続く有望な素材の海外流出に手を打てないNPBの無策がもたらした結果であり、その制度の中で本人がそれを望むのであれば仕方がありません。
ロッテも国内志望であれば入札の有力候補として名前を挙げていましたが、投げては160キロに打っては高校通算56本塁打と投打のいずれであっても1巡目に相応しい逸材なだけに、逆にそういった素材を活かしきれない伝統があるロッテは手を出すべきではないと考えていましたので、個人的にはあまり直接的な影響はないと見ています。
ただ間接的には大谷に入札をする予定だった各球団がばらけることで、シミュレーションはしていたでしょうがかなり混乱をすることになるでしょう。
亜大の東浜、大阪桐蔭の藤浪に集中をするのか、あるいはそれを嫌って東福岡の森、慶大の福谷、大体大の松葉、九共大の川満、大阪ガスの松永、東海大の伏見、光星の北條、駒大の白崎あたりの一本釣りに走るのか、ここ数日はマスコミを使うなどした駆け引き、腹の探り合いが活発になると思われます。

ロッテの補強ポイントは、即戦力の外野手を除いた全てになります。
小野や渡辺俊の衰えで先発投手の整備が急がれますし、一軍で投げられる中継ぎ左腕も必要です。
伊東監督の就任により次世代の捕手の育成に今度こそ手をつけるでしょうから、有望な捕手の獲得を球団が考えても不思議ではありません。
内野手はショート、あるいはサードを守れる右の即戦力、高校生を獲りたいですし、外野手は20代半ばに主力が集中をしていますので高校生を一人は加えるべきでしょう。
しかしその全てをこのドラフトで補強することは無理ですから、自分の嗜好としては力押しのできる投手と次世代の野手を上位で推したいです。

1巡目 藤浪晋太郎 大阪桐蔭 18歳 投手
外れ1巡目 北條史也 光星 18歳 内野手
2巡目 北條史也 光星 18歳 内野手
3巡目 相内誠 千葉国際 18歳 投手
4巡目 大城基志 JX-ENEOS 25歳 投手
5巡目 鮫島哲新 新日鉄住金鹿島 24歳 捕手
6巡目 大滝勇佑 地球環境 18歳 外野手

おそらくは実際の1巡目は東浜、もしくは伏見になるのではないかとも思いますが、ここは是非とも藤浪でいきましょう。
東浜もいい投手なのでしょうがキレで勝負をするタイプがロッテには多すぎますので、ローテーションという意味ではバランスが悪くて気が進みません。
伊東監督へのご祝儀での伏見もありそうですが特徴が今ひとつ掴めず、それであればスケールの大きい北條の方が好みです。
もし藤浪を外して1巡目が北條、あるいは他球団の一本釣りで北條も獲れなかった場合は、球速はもう一つながらも沖縄繋がりでの川満、あるいは龍谷大平安の高橋、西城陽の真砂といったあたりの外野手で1巡目と2巡目を埋めたいところです。
相内は昨年の上沢が6巡目でしたのでもう少し下位でもよいような気もするのですが、千葉枠を考慮しての3巡目にしてみました。
中継ぎ左腕には小柄ながらも切れのいいボールを投げる大城を4巡目で、伏見を獲らなければようやくの鮫島を5巡目で、6巡目は走攻守のバランスが取れている大滝です。
そもそも6巡目までいくかどうかも分かりませんが、とりあえずこういった指名ができれば自分としては80点以上はつけられます。
昨年のドラフトの大成功でまた即戦力中心のドラフトになることは想像に難くありませんが、少しは将来に夢を見させてくれる指名に期待をしましょう。

 

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