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オリオン村(跡地)

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
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唐川プレゼンツ

2012-03-31 23:52:07 | 千葉ロッテ

今ごろは唐川がオーナーとなって益田と中後にご馳走をしているのではないかと、そう思えるぐらいに同い年のルーキーに助けられた今季初勝利です。
それだけ唐川は不調でしたし、益田と中後は見事なピッチングでした。
そんな89年組の助け合いによる11年ぶりの開幕連勝は楽天の拙守、拙攻、そして拙走の自滅によってもたらされたものではありましたが、こういった白星をしっかりと手にしたことは喜ばしく、そしておそらくはこれまでロッテファン幾度となくが味わってきた怒り、嘆きに楽天ファンは苛まれていることでしょう。

ここまでコントロールに苦しむ唐川を見るのは、かなり久しぶりな気がします。
ストレートは抜けがちで、そして変化球は打ってくださいと言わんばかりの真ん中に吸い寄せられるような失投が多く、11安打を浴びながらも3失点で済んだのは奇跡に近いです。
あるいは先の宴に特別ゲストとして呼ばれているかもしれないテレーロが初回にしてアップアップ気味だった唐川を助けてくれたことも大きかったですし、自らの好守でピンチを切り抜けたこと、そして昨日の成瀬に続いてファールで粘られながらも気持ちを切らさなかったことは評価できるでしょう。
ただこれを無難にまとめたと言うのは違うように思いますし、気迫で乗り切ったわけでもありません。
今日の投球内容を最低のところで持ちこたえた、と第三者が評するのは構いませんが、唐川がそう思うことがないよう願いたいものです。
QVCマリンでの唐川がきっちりと修正をして、ロッテのエースへの挑戦者として相応しいピッチングをしてくれることを期待します。

そして益田と中後です。
中盤以降は味方打線が沈黙をし、一方で唐川がピリッとせずに押されまくっていた試合の流れを押しとどめたのは、二番手で登板をした益田の三者凡退でした。
スライダーがおじぎ気味と見るやストレート勝負に切り替えた里崎のリードもナイスでしたが、それも益田の球威があってこそです。
やや甘く入りながらも145キロで微妙に動くボールは芯に捉えづらく打者のミスショットを誘い、これは今後も大きな武器になるでしょう。
一死満塁というプロ初登板としては酷なデビューとなった中後も勝ち気な表情が頼もしく思えるぐらいに堂々としたピッチングで、文句なしにヒーローインタビューな活躍です。
空振りをしたボールが体に当たるなんてものは初めて見ましたし、それだけ角度があるということなのでしょう。
開幕二戦目にして益田にも中後にも酷使ビットが立ってしまったように思えるのが不安ではあるのですが、さすがの西村監督でも次もダメならロサに見切りをつけて上野なり荻野忠なりと入れ替えるでしょうから、中後の先発起用に未練を残しつつも中継ぎ陣の新しい顔としてルーキーズには頑張ってもらいたいです。

打線は数少ないチャンスをしっかりとものにして、と誉められるようなものではありませんでしたが、きっちりと走者を進める采配もありましたのでさほどのストレスはありません。
唐川が持ちこたえることができたのも先制をして常にリードをする試合展開だったからでしょうし、詰まったヒットが多かったものの逆にそれが効果的でもありました。
今江が一生懸命に走って華麗で、かつ故障が怖かったスライディングも大きかったですし、ホワイトセルのフォロースルーがどこか福浦に似ているなと思ったりする余裕もあり、悩める若手外野陣を除けばこの2試合で満遍なくヒットが出ていることはよい傾向です。
ただ腹立たしかったのが初回のサブローの走塁で、あれが本人の判断なのか三塁コーチャーの指示なのかは分かりませんが、あそこで一気にヒメネスを攻略する絶好のチャンスだっただけに、もし負けていたらそれがどちらであっても唐川に次ぐ戦犯との誹りは免れなかったでしょう。
せっかく勝手に相手がこけてくれているのですから勢いにかまけてプレーが雑にならないよう、それだけはお願いをしたいです。

明日はいよいよ藤岡の登場です。
連敗をしての藤岡もプレッシャーだったでしょうが連勝での藤岡もかなりきついと思われ、しかしその緊張感を楽しむ藤岡であってもらいたいです。
「中後と益田が頑張っているので負けられないと思った」なんてヒーローインタビューは一面を飾るにピッタリですから、是非ともプロ初勝利といってもらいましょう。
あれだけ餌を撒いたのですから打線も下柳をきっちりと攻略をして、悪くても2勝1敗ぐらいだと高をくくっていたであろう星野監督をギャフンと言わせてもらわなければ困ります。
この連勝は勝ち方としては悪くはありませんが続けられると身が持ちませんので、明日はスカッとするような快勝となることを願っています。



  1 2 3 4 5 6 7 8 9

千葉ロッテ

2 0 0 2 0 0 0 0 1 5 7 0
楽天 2 0 0 0 0 1 0 0 0 3 14

1


◆3月31日(土) 楽天-千葉ロッテ2回戦(ロッテ2勝、14時1分、Kスタ宮城、17,780人)
▽勝 唐川 1試合1
▽S 藪田 2試合1S
▽敗 ヒメネス 1試合1敗

▽バッテリー
千葉ロッテ 唐川、益田、ロサ、中後、藪田―里崎
楽天 ヒメネス、片山、青山―嶋

 

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21.7倍の復讐劇とデジャブリターンズ

2012-03-31 00:40:16 | 千葉ロッテ

昨年は52イニングで2点しか取れずに5敗を喫した田中を相手に、開幕戦という大舞台に6イニングで5点も取ってKOをするのですから、やはり野球は分からないものです。
しかも開幕戦の勝利は2004年以来ですから、まさにロッテファンからすれば盆と正月が一度に来たといった感じでしょう。
他球場ではあわやパーフェクト、ノーヒットノーランといった試合があったようですからロッテの勝利もイレギュラーな要素によるものかもしれませんが、とにかく勝ちは勝ちですので喜ばしいことこの上なく、暫くはこの余韻に浸って美酒に酔いしれることができそうです。

開幕投手の成瀬は内容としてはずば抜けて良かったわけではありませんが、これまでは崩れがちだった要所での気合の入ったピッチングを見せてくれました。
四回の無死二塁では二者連続三振で、そして六回の無死一二塁でも逃げることなく打者に向かっていったのが好印象です。
低めに丁寧に投げようとしている姿勢が見て取れましたし、ファールで粘られても切れることなく投げ抜いたことが収穫で、そのこともあって公式戦に入ってまたしても外角中心になってしまった里崎のリードであっても、その外角で攻めるといったピッチングになったのだと思います。
欲を言えば味方が点を取ってくれた次の回は三人でピシャリと抑えて欲しかったのですが、今日は試合の流れを作ってくれただけで充分でしょう。
終わってみれば味方打線を上回る二桁安打を浴びての僅差での勝利でしたから、やはり勝利のポイントは成瀬の踏ん張りであったと言えます。
エースの貫禄、と言うには落ち着きのないピッチングではありましたが、次の登板まではロッテのエースと呼びたいと思います。

その成瀬を継いだ益田はドキドキのプロ初登板でしたが、まずは無難なスタートです。
ヒットは打たれたもののコースは悪くはありませんでしたし、大事な場面で起用をしてくれたベンチに応えるピッチングでした。
そして八回にロサを投入するところなどは西村監督らしく、そして無失点に抑えたもののやはり不安定さは否めません。
今後も八回のロサは続くのでしょうが、しかしロサがしっかりとしないことには勝利の方程式は成り立ちませんので、投げながら少しずつでも調整をしてくれることを願うばかりです。
そして最後は左打者が続くこともあって中後の試運転かと思いきや守護神の藪田の登場で、その藪田がコントロールが緩かったことでの劇場化でヒヤヒヤとさせられましたが、シーズンの出だしですから形にこだわることも必要との考えからすればオーソドックスな継投であったと言えます。
藪田も次回の登板では修正をしてくるでしょうから、あまり心配はしていません。

打線はホワイトセルがまたしてもデジャブチックな猛打賞デビューで、四番としてしっかりと仕事をしてくれたことが喜ばしいです。
特に初回は清田、根元が軽く手玉に取られた直後の初球を叩いた井口のいったと思った打球がスタンドインをしなかっただけに、これまででであれば「惜しかったね」で終わったところでの先制タイムリーは1点以上の重みがあり、しかもぼてぼてながらも渋く二遊間を抜いていくという効果抜群なものでした。
追加点のツーベースも試合の流れからして値千金で、やはり中軸が機能をしてくれると試合が楽になります。
オープン戦に好調だった根元は1安打ながらも田中をノックアウトするタイムリーでしたし、その前の打席でもアウトにはなりましたが左方向へ根元らしいバッティングを見せてくれましたので、成瀬を助けた守備とともに地味に勝利に貢献をしてくれたと言ってよいでしょう。
一方で5タコだった清田と不甲斐ない見逃し三振だった伊志嶺がどう立て直してくるか、暫くは核弾頭が打線の鍵を握ることになりそうです。
気になるのは一生懸命に走る井口と走らないサブローで、派閥争いがどうのとも言われているようですが、結果は見えているような気がします。

今日のベンチの采配としては終盤にしっかりとバントで走者を進めましたし、まずまず満足のいくものでした。
成瀬の交代のタイミングもあのあたりがいっぱいいっぱいでしたので、特に違和感のあるところはありません。
そうなれば明日以降にどういったオーダーで臨むのか、件の核弾頭で清田を我慢するのか外国人投手に強い伊志嶺を戻すのか、そして中継ぎ陣をどうやりくりするかでしょう。
明日の仙台の降水確率は80%ながらもさほどの雨量ではなく、また気温も高いようですから決行される可能性が高いだけに、数字に表れないものも含めた守備のミスが多かったことで自滅をした楽天にもらった勢いを、明日にどう繋げるかが西村監督の腕の見せどころです。
そして選手たちには塩見ではなくヒメネスがきたことを舐められたと奮起をして、一気に勝ち越しを決める唐川とマリングリング打線に期待をします。



  1 2 3 4 5 6 7 8 9

千葉ロッテ

1 0 0 0 1 3 0 0 0 5 8 1
楽天 0 0 0 0 0 0 1 0 2 3 12

4


◆3月30日(金) 楽天-千葉ロッテ1回戦(ロッテ1勝、18時4分、Kスタ宮城、20,796人)
▽勝 成瀬 1試合1
▽敗 田中 1試合1敗

▽バッテリー
千葉ロッテ 成瀬、益田、ロサ、藪田―里崎
楽天 田中、加藤大、小山伸、片山―嶋

 

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いざ出陣

2012-03-30 04:33:01 | 千葉ロッテ

 

ミサイル打線の中核を担った榎本喜八氏が、今月の14日に亡くなっていたことが報じられました。
史上3人目の2000本安打を達成した榎本氏の逝去が半月も世間に知られなかったことは、まさに引退後の境遇を象徴しているとも言えます。
その打撃理論に没頭する姿勢などが一部に奇人として受け止められていたとは耳学問でしかありませんが、何とも寂しい気がしてなりません。
ご冥福をお祈りいたします。

山内一弘氏が逝去されたときにも書きましたが、一番の供養はロッテがしっかりとした野球をすることでしょう。
いよいよ明日、久しぶりのタクシー帰りでとっくに今日ではあるのですが、待ちに待った2012年のシーズンが開幕となります。
それに合わせてか例年どおりに船橋東武は応援フェアを開催しており、今年の西村監督は今江と岡田を従えています。
これまでは西村黄門の助さんと格さんが大活躍をしたことがなく、一昨年の唐川&大嶺、昨年の荻野貴&清田とむしろ逆目に出ていることの方が多いのですが、今度こそはそのジンクスを破ってくれるようなキャプテン今江の大爆発と、岡田の更なる躍進を期待することにします。

またこちらも恒例のルーキーフェアが催されており、藤岡、中後、鈴木、益田のルーキーたちがモデルとなっています。
このフレッシュな若武者たちが今季のロッテの数少ないプラス要素なだけに、ポスターからはその力強さがひしひしと伝わってきます。
それにしても中後はいい味を出していると言いますか、こういったポーズを取らせたカメラマンには座布団10枚でしょう。
期待はしていますが計算はしませんので、あまり思い込まずに伸び伸びと、とにかく故障をせずに野球を楽しんでプレーをしてくれることを願っています。

 

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南国放浪記 スイーツ篇

2012-03-29 00:33:13 | 独り言

 

今回からの新しいシリーズ、スイーツ篇です。
これまでの旅ではお菓子を食べることなどはほとんど無かったのですが、それなりに体力消耗な自転車での史跡巡りをしたことで甘いものが食べたくなったことや、他では気がつかなかっただけかもしれませんが鹿児島や熊本ではおみやげ菓子の単品売りをしているところが多かったことで、最初は物珍しさで、途中からは手当たり次第になってしまいました。
そもそもが間食は大好きですし、和菓子系には目がなかったりもしますので、今後もシリーズが成り立つぐらいに食べ尽くしていこうと思います。

最初の一歩は石垣島でのマリーンズパフェですが、このときはまだスイーツへの意識はさほどはありませんでした。
マリーンズの名を冠している以上は食べないわけにはいかない、ただそれだけの理由で手を出した次第です。
キャンプ地の近くではなく公営市場があるアーケード街の一角で見つけたのですが、調べてみればキャンプ中だけではなく年がら年中のレギュラーメニューのようです。
なぜにこれがマリーンズパフェなのかということは考えずに、とにかくこういったものを作ってくれたことに感謝をして黙々と食すのが正しいファンの姿勢でしょう。
ブルーハワイなゼリーが中央と周りを占有しており、本来であればソフトクリームであるはずが欠品でバニラアイスの二段重ねにシークヮーサーのソースがたっぷりとかかっているという、またソフトクリームもバニラアイスもブルーシールですから沖縄色が満開な一品です。
ちょっとどぎついゼリーの色に怯えながら食べたのですが、シークヮーサーの酸味がいい感じでまずまず美味の部類に入ると思います。

次が南洲墓地に向かう途中で買った焼き芋で、なぜか布団屋さんの店先で売っていました。
じゃがいもと見まがう丸っこい形で、安納芋という鹿児島では名産の種類の芋だそうです。
焼き芋などは何年も買ったことがないので2個で310円という値段がぼったくりかどうかはよく分かりません。

すぐに食べずに南洲墓地まで持っていったので冷めてしまったのですが、それでも充分に甘くて美味しかったです。
やや粘り気があるのも特徴で、自分は焼き芋には塩を欠かさないのですが、これだけ甘ければ塩が無くても何の問題もありません。
昼食からさして時間が経っていなかったにも関わらず、あっという間の完食です。

この白熊を食べたあたりから、強くスイーツを意識し始めました。
白熊なるものの存在は千葉でもスーパーでカップアイスで売っているので知ってはいましたが食べたことはなく、観光案内所でもらったガイドに載っていたことで鹿児島が発祥地だと知り、その本家である天文館むじゃきの本店の場所を聞いて目指したものの店前にあるらしい白熊の人形は見つからず、仕方なく駅ビルの中の支店での初お目見えです。
チョコレートやストロベリー、プリンなどいろいろなバージョンがありましたが、やはりオーソドックスな白熊で勝負をしました。
かなり細かいかき氷に練乳がかかっていて、周りには白熊の顔を模してフルーツが乗っています。
さすがに冬場のかき氷で、さらにはかなりの量があったのでこめかみを押さえること片手では済まなかったのですが、舌の上でとろけるような甘さはスイーツと呼ぶに相応しく、これが夏に東京や千葉の喫茶店でメニューにあれば迷わずオーダーをしてしまうでしょう。

鹿児島と言えばかるかん、ぐらいの名前は知っていましたが、食べるのはこれまた初めてです。
山芋が入っているらしいのですがさっぱり分からず、ふわっとした軽い食感の蒸し饅頭と思っていただければよいかなと思います。
オーソドックスなものを選びましたが緑とか紫とかの色のものもあり、まさに鹿児島名物なのでしょう。

単品買いはデパートのように多くの店があるところではさほど恥ずかしくもないのですが、かるかんは青柳という町中の専門店で買ったのでさすがに1個だけというのも何でしたので、たいして変わりはありませんがもう1個、島津御紋なるものを買ってみました。
特に理由があるわけではなく鹿児島らしいもの、というだけのチョイスで、一口で食べられるかるかんとは違ってかなりのサイズです。
ややぱさぱさした外側の皮と中の白あんのもっちり感が絶妙で、またボリュームもありますので小腹を満たすにはピッタリでした。

こちらは鹿児島中央駅のモールで買ったもので、鹿児島ぽてとです。
あまりにベタなネーミングですが、さつまいもをすり潰したものをさつまいもの形にしてあるみたいなもので、ややしっとり感があります。
見た目からかなり甘いかなと思ったのですが意外に甘さは控えめで、ただちょっと歯に粘りつく感じは好き嫌いがあるかもしれません。

熊本城ではいきなり団子、なるものが売っていました。
熊本の名物らしく、さつまいもをすり潰したものの上にあんこを乗せて、餅のような生地で包んだものです。
蒸し器で蒸したての熱々で美味しかったのですが、もう少し歯ごたえに近いものがあってもよいかなとは個人的な感想です。

旧細川刑部邸の敷地内には抹茶処がありましたので、ちょっと寄り道をしてみました。
よくよく考えてみれば学生のときからあちらこちらを旅しながらも食にはかなり疎く、若い頃はお金が無かったということもありますが、ちょっと損をした気分になっています。
ここにきてそれを取り戻すかのような乱獲ぶりですが、この抹茶も人生初体験です。

よくテレビなどで碗を回して、なんてシーンを見たものでしたが、中途半端なことをやっても仕方がないので我流で飲ませていただきました。
ただ和菓子は抹茶の苦みを引き出すためにも先に食べるものと聞いた記憶があり、それだけは実践をしてからの抹茶にGOです。
思ったよりも渋くもなく、喉も渇いていたのでぬるめのお茶が心地よく喉を潤してくれました。
久しぶりに正座をしたのですが、弓道部のときの正座トレーニングを思い出してしまったのはただの感慨です。

こちらの武者がえしも熊本の銘菓で、その名のとおり熊本城の武者返しが名の元になっています。
あんがパイ生地に包まれており、そのさくさく感は癖になりそうです。
ここまでボリュームのある菓子が多かったこともありちょっと物足りない感じもありましたので、箱で買ったら大変なことになったかもしれません。

晩酌の後にさっぱりとしたかったので食べたのが、こちらのデコポンシャーベットです。
デコポンはみかんのへたの部分がでべそのように盛り上がっている柑橘類で、熊本の名産の一つだそうです。
味はみかんと変わらずとは自分のつたない舌での感想で、利き柑橘類をやってもデコポンを見分ける自信はありません。

こちらは八代で食べたドーナツですが、もう何でもありといった感じです。
天草産のイチゴを使っているとの貼り紙があったので買ったのですが、もちろんこうなってしまえば天草だろうが船橋だろうが分かったものではありません。
もうとにかくそれっぽいものを食べることがこのあたりから目的となりつつあり、甘いものを探しての放浪です。

いろはにぽてとは熊本駅限定での販売らしく、熊本産の唐芋が使われています。
唐芋は呼び方が違うだけでさつまいものことのようですが、先の鹿児島ぽてとをもっと柔らかくしたような感じで、ぎとぎとしてつまむのも大変でした。
やはり歯に粘りつくような感じがありましたし、ちょっと甘さがしつこかったような気がします。

同じ熊本でも阿蘇には足を伸ばせなかったのですが、お菓子は熊本駅まで進出をしています。
このあそのご神火はこれまた先の島津御紋を小ぶりにしたような感じで、味も似たようなものでした。
いろいろな種類のあんがあるようでしたが、オーソドックスな白あん以外を選べばまた違った味わいを体験できたのかもしれません。

熊本城には加藤清正が有事の際に豊臣秀頼を迎え入れるために造ったとも言われている昭君の間なる部屋がありましたが、この昭君の月はそれをモチーフにしているのでしょう。
朝鮮飴をホワイトチョコで包んだもので、甘い+甘いでかなり甘いです。
しかもこのホワイトチョコが体温ですぐに溶けるという代物で、夏場にはどうやって売っているのだろうと心配になるぐらいの緩さぶりでした。

菊池では香梅という専門店で誉の陣太鼓を買ったのですが、この頃になると感覚が麻痺して1個だけ買うことに躊躇をしなくなっていました。
そんな自分を見透かしたかのように店の人は親切で、この1個を包んでくれる僅かな時間にお茶を出してくれただけではなく、外のベンチで食べようとしていたら店内の喫茶でどうぞと招き入れてくれて、さらにお茶を出していただくなど至れり尽くせりでさすがに恥ずかしかったです。
この誉の陣太鼓は羊羹の中に餅が入っている、みたいな感じで、付属のナイフで切って食べます。
上品な甘さはさすがに熊本の代表的な銘菓だけのことはありましたし、お茶とともに美味しくいただくことができました。

その菊池ではご飯を食べられるようなところが無かったため、空きっ腹をお菓子で埋めることとしました。
肥後太鼓は柿の種を水飴で固めたような煎餅で、その水飴の甘さと醤油の香ばしさが喧嘩をしてしまっていたのが残念ではありましたが、疲れていたので甘さが心地よかったです。
さりげなく全国菓子博覧会なるもので受賞をしたことがあるとの説明書きでした。

朝鮮飴は元は長生飴だったものが加藤清正が朝鮮の役に携帯をしたために朝鮮飴と呼ばれるようになったとは園田屋という老舗のHPでの説明ですが、水飴と餅などを練り合わせたものですので柔らかい食感からして朝鮮餅と言った方が正しいような気がします。
これといった味はしないのですが控えめな甘さは戦地では貴重だったと思われますし、日持ちもするようですので携帯食としても最適だったのでしょう。
さすがにこれだけの量を食べきれるわけもなく、しかし貧乏性ですので捨てることもできず、しっかりと持ち帰ってきました。

こちらは柚餅子で、売り切れていたのですが15分ぐらいで再入荷をするとのことでしたので、時間がなかったのですが菊池名産とありましたのでそれを待っての購入です。
帰ってきてから調べてみれば全国にいろいろな種類があるようですが、この菊池の柚餅子は柚を餅に練り込んだ竹皮柚餅子というもののようです。
これが空腹も手伝ったのでしょうがかなりの美味で、ほのかな柚の香りと味噌の風味が食欲をそそり、かなりの量がありましたがバスの待ち時間で完食をしてしまいました。
この日の昼ご飯がかなり遅い時間の、しかもおにぎり2個で足りたのは、この柚餅子のおかげです。

最後は熊本空港に向かう直前に熊本駅で買った、やはり香梅のまるきんつばです。
きんつばは名前は聞いたことがあるのですが見たことも食べたこともなく、齢四十半ばにしての初体験が多すぎます。
薄い皮に粒あんがぎっしりと詰まっており、しかしさっぱりとした甘さで、とにかくあんの美味しさが迫りくるとは言い過ぎかもしれませんが、最後ということもあって1個の試食では物足りずに、追加で8個入りを買って空港行きのバスに乗り込んだぐらいの締めくくりには最高の逸品でした。


【2012年2月 南九州、沖縄の旅】
南国放浪記
南国放浪記 旅情篇
南国放浪記 旅程篇
南国放浪記 キャンプ篇 石垣島の巻 下見の章
南国放浪記 キャンプ篇 石垣島の巻 初日の章
南国放浪記 キャンプ篇 石垣島の巻 二日目の章
南国放浪記 キャンプ篇 薩摩川内の巻
南国放浪記 史跡巡り篇 鹿児島の巻 鹿児島城の章
南国放浪記 史跡巡り篇 鹿児島の巻 福昌寺の章
南国放浪記 史跡巡り篇 鹿児島の巻 南洲墓地の章
南国放浪記 史跡巡り篇 熊本の巻 熊本城の章
南国放浪記 史跡巡り篇 熊本の巻 本妙寺の章
南国放浪記 史跡巡り篇 人吉の巻 人吉城の章
南国放浪記 史跡巡り篇 人吉の巻 願成寺の章
南国放浪記 史跡巡り篇 八代の巻
南国放浪記 史跡巡り篇 菊池の巻
南国放浪記 史跡巡り篇 宇土の巻
南国放浪記 グルメ篇
南国放浪記 おみやげ篇

 

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予定調和な開幕一軍メンバー

2012-03-28 22:58:15 | 千葉ロッテ

今季の開幕一軍メンバーが発表となりました。
全くと言っていいほどに驚きはなく、ほぼ固定メンバーで戦ってきたオープン戦のメンバーがそのまま選ばれたといった感じです。
強いて挙げれば伊藤が外れたことが心配かなと、あれだけ打たれてもロサが名を連ねているところを見れば「信じている」「やってくれなければ困る」といった西村モードが全開だと思われますので、あるいは肩痛などの故障が理由ではないかと勘ぐってしまいます。
何はともあれ2012年のスタートはすぐそこですので、心身ともに充実をした状態で開幕に臨んでもらいたいと思います。

登録・抹消情報 開幕一軍メンバー発表! (3/28 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト)

本日3月28日(水)、2012年シーズン開幕登録選手を発表しましたので、お知らせいたします。

■一軍メンバー
投手 中後、成瀬、藤岡、唐川、木村、中郷、松本、薮田、益田、カルロス・ロサ
捕手 里崎、田中、金澤
内野手 井口、今江、福浦、塀内、根元、渡辺正、ホワイトセル、早坂
外野手 清田、サブロー、伊志嶺、大松、工藤、岡田

先発は開幕カードに投げる成瀬、唐川、藤岡の3人しか入っていませんので、2カード目にグライシンガーとペンが登録をされるところで1人、4カード目の6席目の先発のために1人、とりあえずは最低でもこの都合2人が浦和に送り帰されることになるのでしょうから、当落線上の選手にはこぼれないように頑張ってもらいたいです。
どうせ使いもしないのに野手が多めなのは成瀬らが投げるので中継ぎはさほどはいらない、あるいは完全に試合が壊れているであろうことから敗戦処理に長いイニングを投げさせる、といった思惑があるのではないかとも思うのですが、もしかすると金澤や早坂あたりが早々に入れ替えの対象となるかもしれません。
やはり伊藤がいないと不安感の高まる中継ぎ陣ですが、そうなれば中後と益田に勝利の方程式に入ってもらうしかなく、そして荻野忠の復帰待ちでしょう。
それよりも何よりも打線が打たなければどうにもなりませんので、手のひら返しの猛打に根拠のない期待をすることにします。

 

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南国放浪記 グルメ篇

2012-03-28 00:02:07 | 独り言

 

居候型の旅は移動という観点ではプラス面が多いのですが、ことグルメに限って言えばマイナス面が目立ってきます。
特に今回は鹿児島の天文館、熊本の熊本城近辺とJRの駅から離れたところに繁華街があったために、駅近で宿泊をしたことも影響をしました。
旅先でも基本的には出不精の性分に変わりはありませんので、どうしてもホテルの近くで食事をすることになります。
そうなれば食べるものに困ってしまうのは必然で、そのあたりの苦労も読み取っていただければ幸いです。

初日は羽田で軽食を食べて那覇に入ったため、この旅でのグルメは石垣島で始まりました。
まず最初に食べたのは八重山そばで、沖縄そばの一つの種類です。
前回に那覇で食べたソーキそばは平打ち麺でしたが今回の八重山そばは細めの丸麺で、具は豚肉とかまぼこが細切りにされたものです。
だしはやはり薄口でしたが少し甘みがあり、後味もさっぱりで美味しくいただくことができました。

石垣島の初日は夏日だったために、熱中症にならないように水分補強は必須です。
例によってさんぴん茶を飲みましたが、やはり薄めのジャスミン茶は好きになれそうにもありません。
またコンビニでかなりのスペースを占めていたクールなる乳飲料を飲んだのですが、これは石垣島の名物の一つのようです。
その色合いからしてレモン風味を想像したのですが、しかしやや酸味のあるヨーグルト風味で、その中途半端な473mlの謎が気になります。

夜はお約束のようにオリオンビールで晩酌です。
最初はグラスビールにしたのですが足りるわけもなく、その後はジョッキでこぐごくと喉の渇きを癒しました。
やはり沖縄でビールを飲むとなると、このオリオンビール以外には考えられません。

オリオンビールのおともは、まずはイラブチャーの刺身です。
青っぽいものを想像していたのですが種類がいろいろとあるらしく、今回は残念ながら見た目は普通の白身魚でした。
肝心のお味はちょっと甘みがありましたが淡泊で、どこか鯛に似ている感じがしたのですが、それもそのはずでイラブチャーの和名はナンヨウブダイだそうです。

次はグルクンの唐揚げと、石垣島産蒲鉾の盛り合わせです。
グルクンは前回の那覇でオーダーをしながらも食べられなかったものですので、満を持しての登場です。
ただ一匹丸まるではなく切り身になっていたのが拍子抜けで、また唐揚げにしたこともあって単なるフライドフィッシュでしかありませんでした。
蒲鉾も石垣島で獲れた海苔などを練り込んであるのですが、ふーん、といった感じです。

ごはんを食べないとすぐにお腹が減るので、食べたのはグルクンの焼きおにぎりです。
一見するとただの焼きおにぎりですが、グルクンのほぐし身が入っています。
ちょっと焼きすぎたのか固かったのが玉に瑕でしたが、最後の締めとしてはまずまずでしょう。

石垣島の二日目は石垣島キャンプ見学でしたので、出店での昼食を楽しみにしていました。
しかし僅か4店舗しかなく、石垣牛の串焼きなどを期待していたので肩すかしです。
仕方がないので食べたのは石垣牛の牛どんですが、煮込んでしまったら石垣牛もへったくれもありません。

その悔しさをディナーにぶつけるべく石垣牛ステーキの美味しい店を事前にしっかりと調べて雨の中を繁華街まで行ったのですが、その結果はトップの写真のとおりです。
まさかの改装工事のために目指していた店は休業中で、予備として選んでいた店も材料不足で休みとはついていないどころの騒ぎではありません。
気落ちして他の店を探す気力もなく、お手軽に豆腐チャンプルーと石垣島もずくでの夜ご飯です。
ただ島豆腐がしっかりと濃い味がして美味しかったので、これもありかなと気を取り直しました。

翌日は雨が降っていて面倒だったことと、珍しくもホテルで朝食を食べていたこともあって、キャンプ見学に集中をして昼抜きでした。
そのため次の食事は鹿児島での夜ご飯で、おともは薩摩ですのでやはり芋焼酎、小松帯刀と薩摩維新です。
実のところまともに焼酎を飲んだのはこれが初めてで、これまではどうにも香りがきつくて敬遠をしていたのですが、飲んでみれば思っていたより口当たりがよく気に入りました。
お湯割りではなく水割りにしたことで香りが弱かったのがよかったのかもしれず、今後の参考になります。

つまみ、と言うにはやや贅沢ではありましたが、黒豚のしゃぶしゃぶです。
豚肉なので臭みが心配だったのですが全く気にならず、ほのかな甘みがありポン酢だれ、胡麻だれともに合ってとても美味しくいただけました。
しゃぶしゃぶですので食べ応えという点ではやや物足りなさはあったものの、お酒との相性も抜群で大満足です。
こういった鍋物での一人酒はちょっと寂しかったのですが、まあ仕方がありません。

翌日の薩摩川内キャンプでは周りに食事ができるところが無かったので、川内駅まで戻っての電車待ちでの時間を使っての駅弁です。
今回は電車での移動が少なかったために、駅で駅弁を食べることがままありました。
黒豚あぶり肉、さつま揚げ、きびなごの唐揚げ、さつまいもレモン煮などが入った鹿児島版幕の内弁当のようなもので、ちょっとご飯が少なかったのが不満と言えば不満だったものの、それぞれが珍しくも全て自分の舌に合ったためにあっという間に食べきってしまい、特にさつまいもの甘さとレモンの酸っぱさが絶妙なハーモニーで美味でした。

この日の夜は日本酒にしようかと迷ったのですが、鹿児島はあまり米が穫れないところなので日本酒も今ひとつとの事前知識もあって、やはり焼酎にしました。
とにかく銘柄が分からないので前日に続いて鹿児島っぽい名前のものをチョイスするしかなく、そして薩摩茶屋です。
前日のものよりもちょっと癖があるようにも感じたのですが、自分で水割りの調整ができたためにいい感じでほろ酔い気分になれました。

おつまみは自家製さつま揚げときびなごのお造り、そして蛇足のように焼き鳥の盛り合わせです。
さつま揚げは揚げたてでほくほくとしてお酒が進みましたし、中に入っていた野菜らしきものが何かが分からなかったのですが、ちょっと辛味があって面白い味がしました。
きびなごは酢味噌につけて食べたのですが、こりこりとした食感が印象的です。
焼き鳥は地鶏を使っているとのことで頼んだのですが、同じものが複数入っているなどかなりいい加減でした。

締めに食べたのが鶏飯で、こちらも地鶏を使っているとのことです。
これもしっかりとした鹿児島の郷土料理で、鶏肉に錦糸玉子、たくあん、干し椎茸などが入っています。
そこにだし汁をかけて食べるお茶漬けのようなものなのですが、あっさりとしていてお酒の締めにはもってこいでした。

次の日は鹿児島市街を自転車で走り回ってエネルギー不足になったため、パワーをつけるために昼は黒豚のロースカツ定食です。
黒豚ではないメニューもありましたが黒豚を選ばない手はなく、そして黒豚の方が1.5倍ぐらいの値段がしました。
普通のソースと味噌だれがあったのですが、肉の甘さを引き立ててくれる味噌だれの方が自分には合っていたような気がします。

夜に熊本に入った時間が遅かったために駅でお手軽に夜ご飯としたのですが、これが悔やまれることになったのはまた後の話です。
熊本の郷土料理である馬刺し、辛子レンコン、だご汁とオールスターキャストの定食でしたが、初めて食べるものもあって物珍しさが先走った感があります。
まずまず美味しかったのですが、閉店間際でお酒を飲めなかったのが残念ではありました。

馬刺しは今回で二度目ですが、やはり前回も赤身だったような気がします。
その前回は臭みがちょっときつかったのですが、今回はちょっと歯ごたえがありすぎましたがさっぱりとした味わいでした。
辛子レンコンはちょっと辛子がきつすぎで、これはビールでも飲みながらでなければきつい感じです。
だご汁は最初は豚汁かと思って食べていたのですが、平べったい餅のようなものが入っており、食べてみれば団子を押し潰したようなものでした。
豚肉や里芋などそれ以外の具材は豚汁と煮たようなもので、ちょっと味噌仕立ての味が薄いかなといった感じです。

翌日は熊本ラーメンでかなり有名らしい黒亭での昼食でした。
お店の人に一番のメニューはと聞いて頼んだのが玉子入りラーメンで、生玉子が入っているのは初めての体験です。
レンゲに玉子をすくって溶いて、麺に絡めながら食べるのが通の食べ方だとメニューに書いてありました。
もっと濃厚かと思っていたのですが意外にあっさりとしていて、大盛りにすればよかったとは後の祭りです。

前日にオールスターキャストを食してしまったので、翌日以降は夜ご飯を選ぶのに苦しむ羽目となりました。
そして選んだのが天草の牛深というところから食材を仕入れている、との謳い文句の店です。
飲んだのは天草と一蓮托生という焼酎で、芋ではなく麦でもなく米焼酎というものは存在自体を初めて知った次第です。
焼酎ビギナーの自分としては味の違いがよく分からなかったのですが、芋はウイスキーに近い感じで、米は日本酒に近い感じがしました。

つまみの一発目はばくだんと、一文字ぐるぐるです。
牛深名物らしいばくだんはゆで玉子を蒲鉾でくるんだようなもので、蒲鉾にちょっと甘みがあってマヨネーズとの相性がよかったです。
一文字ぐるぐるは「ひともじぐるぐる」とお店の人に言い直されてしまいましたが、分葱の葉を軸にぐるぐると巻いていることからきた名前で、それに酢味噌がたっぷりと乗っています。
解説によればお手軽に、さらには安価な材料で作れるので、緊縮財政の肥後熊本藩ではお殿様の酒のつまみに重宝がられたとのことですが、値段は特に安くもありませんでした。

次に頼んだのは鯵のあげかまぼこと天草産あさりの酒蒸しです。
この鯵も牛深で水揚げをされたものらしいのですが、鯵って今の季節だっけ、とは独り言です。
あさりはまるまると太っていて食べ応えがありましたが、何にせよ一人で食べるにはちょっと多すぎました。

最後は天草大王溶岩焼です。
溶岩とのことですのでどんなものが出てくるか期待をして待っていたのですが、ただの石版みたいなものでガッカリとさせられました。
天草大王は一時は絶滅をしたものを2000年に復元をしたものらしく、まるで熊本城にかける情熱と同じものを見る思いです。
地鶏はどうしても固いイメージがあり、高知での土佐ジローで痛い目に遭ったので戦々恐々ではあったのですが、歯ごたえはありながらも意外な柔らかさでした。
残念だったのはポン酢系のたれにパンチが無かったことで、あまりの物足りなさに醤油をかけて食べてしまいましたので、お店の人にはごめんなさいです。

翌日の人吉は不思議なぐらいに食事ができるところが見当たらなかったために、これまた駅での駅弁です。
人吉の鮎は名産らしいのですが、自分の地元の相模川では鮎釣りの解禁が6月なので冬の鮎ってどうよ、と思いつつの鮎ずしです。
まるまる一匹が入っていたのですが、ちょっと気持ち悪いながらも頭からがぶりと食べてしまいました。
酢の利き具合もいい感じで、いわゆる鱒ずしが鮎になった感じと言えば分かりやすいかもしれません。

熊本の夜も三日目ともなると、さすがにもうどうにもなりません。
面倒くさがらずに繁華街まで足を伸ばせばまた違ったのでしょうが、この性分がすぐに変わるわけもなく、またしても手近でのチョイスです。
飲んだのは球磨焼酎でしたが、25度と35度があったので後者を選んだら舌が痺れました。

つまみも選ぶのが面倒になってきてしまい、それっぽかったら何でもありと熊本を無視なオーダーです。
馬すじの味噌煮込みはご飯が欲しくなるような濃厚な味付けで、これは焼酎よりはビールの方がよかったかもしれません。
きびなごの天麩羅はその食感はそのままに、しかし刺身とはまた違った淡泊さと脂っこさのハーモニーがいい感じでした。
黒豚の揚げ餃子はこうなってしまえば黒だろうが白だろうが知ったことではなく、レモンと塩という不思議な味付けで食べたのが舌の記憶に残ったぐらいです。

最終日の昼は駅の売店で買った九州うまか赤鶏めし、という名の五目おにぎりです。
本当は菊池で昼ご飯を食べたかったのですが、これまた異様なぐらいにマクドナルドみたいなところしか食事ができるところがなく、熊本に戻ってからのかなり遅め、と言うよりは既に昼ご飯と呼ぶには無理な時間帯に宇土に向かう列車の中で食べることとなりました。
赤鶏って何さ、と帰ってきてから調べてみれば全国各地で使われている名前のようで、まあ九州の赤鶏を使ったおにぎりということなのでしょう。

やや尻すぼみ気味のグルメ道を締めくくったのが、空弁の熊本とんこつ豚弁です。
宇土にかなりの時間を要して空港で食事をするしか選択肢がなかったのですが、その空港も時間が遅くて食堂はラストオーダーが終わっており、それならば弁当と思って探したものの熊本チックなものはこれしかなかったので、選んだというよりは選ばされたというのが正しい表現でしょう。
豚の角煮のスライスが乗っているというスタイルで、味も濃いめで美味しいは美味しかったのですが、空港でも電子レンジで温めるサービスが欲しかったかなと、さすがに冷え切ったご飯に冷え切った脂身のコンビネーションはいかがなものかと、このあたりは再考を願いたいものです。
何にせよ飛行機の中で弁当を食べたのは初めてで、周りへの気遣いで早飯となってしまったのが残念ではありました。


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大嶺が投げた!

2012-03-27 22:19:26 | 千葉ロッテ

開幕を前にした一軍よりも先にペナントレースが始まった二軍は、その一方で交流試合も行っています。
今日は亜大を相手に中盤まで競りながらも最後は突き放してプロの意地を見せてくれたようで、昨年の醜態の二の舞はとりあえずは避けられたようです。
そして植松、大嶺、山口という、薩摩川内での練習ぶりを見れば暫くは時間がかかるのではないかと思っていた投手が実戦で登板をしたことを喜ばずにはいられません。
特に完全に別メニューだった大嶺が一番の注目で、投球内容が分からないので順調に回復をしているのかどうかは分からないのですが、とりあえずはスタートラインまで戻ったことだけは確かでしょうから、ここからは焦らずに、でも着実に復活を目指して頑張ってもらいたいです。
既に終わった投手との評も少なくはありませんが、自分としてはまだまだ見切ることができない大嶺です。

そしてさりげなく亜大と書きましたが、これも注目点の一つです。
小池の入団拒否から20年以上が経ち、関係者の多くが入れ替わったこともあるのでしょうが、ようやくにロッテと亜大が歩み寄った証左である交流試合であれば大きな前進です。
ロッテからすればドラフトの目玉の一人である東浜への色気も当然のことながらあるでしょうし、藤岡に味をしめて早々に入札をぶち上げるなんてこともあるかもしれません。
また亜大としても昨今のアマチュア球界の先細りを考えれば、いつまでも過去に引きずられるのは得策ではないでしょう。
今年こそは野手だろう、との思いがあり、また下級生のときの方が輝いていた選手は個人的な嗜好には合わないのですが、それでも相思相愛とも噂をされていた巨人は菅野に入札をせざるをえず、また大谷や藤浪といった高校生の人気も高いですから、競合がさほどでもなければ東浜への特攻は充分にありそうです。
まだ開幕もしていないのにドラフトの話とは鬼が大笑いですが、ちょっと気になったのでネタにさせてもらいました。

 

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南国放浪記 史跡巡り篇 宇土の巻

2012-03-27 00:13:54 | 日本史

 

この旅の最後は宇土です。
予定では菊池からそのままレンタサイクルで向かうつもりで距離的にもたいしたことはなかったのですが、それなりの雨が降っていたために宇土駅からの徒歩での城巡りです。
歩くとなると片道4キロ弱はちょっと厳しかったですし、帰りの飛行機の時間が迫っていたために気持ち的にも余裕が無く、ちょっと締まりのない終わり方となってしまいました。

宇土城は宇土氏が築いた中世宇土城と、小西行長が築いた近世宇土城の二つがあります。
時間がなかったために近世宇土城だけを見るつもりで、1時間弱も歩いた先に見えた石垣らしきものがそれだと思って欣喜雀躍して近づいたのですが、これが中世宇土城でした。
中世のそれにしては規模がかなり大きく、時間が気になってどうしようかと迷ったのですが、なるようになれと登ってみることにしました。

この中世宇土城は西岡台と呼ばれて近世宇土城と区別をされており、国の指定史跡です。
城の主郭である千畳敷には土塁や竪堀などがあり、いい感じで保存がされていると言ってもよいでしょう。
そんな無理をしてでも寄って良かったと思えるものだったのですが、しかしその直後にその思いが裏切られることになります。

この茶色いコンクリートで固められた堀跡などには、思わず絶句をして立ち尽くしてしまいました。
どういった理由があってのことかは分かりませんし、それなりの事情もあるのでしょうが、ガッカリどころの騒ぎではありません。
そこには作り物の雰囲気が漂っており、もうどうでもよくなってそそくさと近世宇土城を目指すことにしました。

西岡台から5分ちょっとほど歩いたところに、公園と化した近世宇土城がありました。
こちらは城山と呼ばれているようで、階段の脇の案内板が無ければそれが城跡だとは分からなかったと思います。
おそらくは本丸跡だと思うのですが、そこはだだっ広いだけのまさに公園で、ブランコなどの遊具が無かったことが救いではありました。

その奥には小西行長の像があり、やっと城跡に来た気分になりました。
キリシタンであったことを印象づけたいのか十字架のネックレスをしており、また知性を感じさせる顔立ちとなっています。
肥後の南半分を与えられて築いたのがこの宇土城で、北半分を与えられた加藤清正とのライバル関係と言いますか、敵対関係はつとに有名です。

最後がこれかよ、と気落ちをしたのですが、何の気なしに像の向こう側を覗いたところに堀と石垣を見つけました。
意外なぐらいに高さのない石垣で、元からこうだったのか、あるいは破却をされたことによるものなのかはよく分かりません。
二の丸や三の丸などがあったであろうあたりは墓地だったり宅地だったりと城の面影が失われているだけに、この石垣だけが心の支えです。
この近世宇土城は天草国人一揆などがあったために築城には時間を要したとのことで、しかし関ヶ原の戦いに敗れたために僅か20年余りでその役割を終えることとなりました。
それでもそれなりに気持ちよく九州を離れることができたのはこの石垣のおかげですので、感謝をしています。


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怒れ成瀬

2012-03-26 23:33:29 | 千葉ロッテ

今日、明日、明後日、明明後日、しあさってがこういう漢字だとは初めて知りましたが、その明明後日に開幕を迎えるにあたって選手でブログを更新したのは小野と井口ぐらいで、それでもキャンプのときには多くの選手が更新をしましたから、その本音が垣間見えるブログの更新を楽しみにしています。
球団の公式サイトでもリーグが主導をしているだけあって開幕ムードが盛り上がっており、しかしその人選に球団がどれだけ噛んでいるかは分かりませんが、攝津に斎藤、涌井に金子、田中に唐川とトップを飾る投手は故障さえなければ全員が開幕投手の筆頭と目される顔ぶれで、そんな中で自分ではなく唐川であることに怒る成瀬であってもらいたいです。
あまりな貧打だけに成瀬、唐川、藤岡と特攻をしても下手をすれば3タテを食らう可能性もあり、しかし一昨年には一線級を相手に鬼のようなピッチングを繰り返した成瀬ですから世間に一泡も二泡も吹かせてもらいたく、ここは負け越しを喫した昨年の汚名返上と気迫溢れるピッチングに期待をしましょう。
笑いたくなるぐらいにネタのない日ですのでロッテファンからすれば狸を狩るぐらいしかやることがありませんので、今日はこんなところでお茶を濁してみます。

 

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小坂の邪魔をするな

2012-03-26 00:01:33 | 千葉ロッテ

オープン戦の最終戦もロッテな試合展開で負けたことで開幕に向けて気が滅入ってきますが、この死に体も誰かがザオラルを唱えてくれたことでチャラでのスタートとなります。
ただしHPは全回復をしていませんので、この四日間で生命力を上げていくしかありません。
悲しいかなロッテにはザオリクを唱えるだけのMPを備えた魔術師はいませんから、とにかく地道に頑張っていきましょう。

サンデー三代目という舌を噛みそうなポジションでルーキーイヤーをスタートすることが決定的な藤岡は、しかしQVCマリン初登板を鮮烈なデビューで飾ることはできませんでした。
逆にこれまででは一番に調子が悪かったと言ってもよく、開幕までに一度は打たれた方がよいだろうと思ってはいたものの、いざ打たれてみるとやはり心配になります。
ストレートの伸びは吉川に負けていましたし、コントロールも緩く高めに浮くか中に寄るかのどちらかで、対戦をしたいと言っていた中田に木っ端微塵にされてしまいました。
それでも7回で8安打を浴びながらも3失点と先発としては最低限の仕事ができたのは無駄な四球を出さなかったことが理由でしょうから、このあたりが逸材の所以なのでしょう。
これだけ耐えても打線の援護が無ければどうにもならず、そろそろ藤岡もその深刻さに気がつき始めているとは思いますが、それを愚痴っても仕方がありません。
ストレートなりスライダーなり調子の悪い球種があれば他のボールで立て直しができる修正能力は稀有な才能なのですから、あまり難しく考えずにまずは特攻あるのみです。
またどう考えても調整が必要なロサを頑なに実戦で何とかしようとしているところなどはかつての清水、渡辺俊、小林宏を見るようですが、それならそれでお手並み拝見です。

打線はあれだけ同じ面子にこだわってオープン戦を戦ってきたくせに、と言いたくなるような昨日はサブロー、今日はホワイトセルを欠いたオーダーで臨む西村監督の脳みそがどういう作りになっているかに興味は尽きませんが、サブローが守れない、あるいはようやくに守らせたらやばいということに気がついてのことであれば、まだ遅くはありません。
ただ今となっては不振を極める打線からすれば小さな話で、これが開幕とともに大爆発をすればあの湿りっぷりは何だったのだとなるのでしょうが、そこまで甘くはないでしょう。
軸がぶれていることに気がついた、と言っていた伊志嶺は相変わらずに頭が突っ込んでポップフライの嵐ですし、各打者ともハードヒッティングすらできていません。
九回に盛り上がりたかったであろうライトスタンドをあざ笑うかのような淡泊すぎる終わり方は、かなり深刻な状態を暗示しています。
それでも当たりが止まっていた根元にマルチヒットが出ましたし、また上昇への第一歩を踏み出したと思えば暗い話ばかりでもありません。
今季もとにかく左手で投げる投手を出しておけば大丈夫、みたいな他球団のローテーションに翻弄をされそうな気もしますが、それも開幕カードでぶつかるであろう塩見と下柳を粉砕すれば風向きが変わるかもしれず、そうなれば今江あたりが打線の鍵を握ることになるでしょう。
気が重かった今日の試合も初芝の軽快な解説で笑わせてもらいましたし、小坂の邪魔をするな、は格好の酒のつまみになります。
こういった明るいムードをベンチにもたらす人材こそが今のロッテには必要ですので、駒田とともに初芝の入閣を心待ちにしています。



  1 2 3 4 5 6 7 8 9
日本ハム 0 0 2 1 0 0 0 0 1 4 11 0
千葉ロッテ 0 0 0 0 0 2 0 0 0 2 6

0


◆3月25日(日) 千葉ロッテ-日本ハムOP戦(日本ハム3勝1敗、13時、QVCマリン、9,460人)
▽勝 吉川 3試合1勝1敗
▽S 木田 4試合1S
▽敗 藤岡 3試合1敗
▽本塁打 中田2号(藤岡)、糸井3号(藪田)

▽バッテリー
千葉ロッテ 藤岡、ロサ、藪田―里崎
日本ハム 吉川、石井、武田久、木田―鶴岡、大野

 

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南国放浪記 史跡巡り篇 菊池の巻

2012-03-25 18:50:31 | 日本史

 

この旅の最終日は体を動かすことを目的に熊本から菊池の往復50キロを自転車で移動しようと計画をしていたのですが、さすがに天気予報が悪すぎて断念をしました。
朝方は曇っていてバスで菊池に着いたときにもまだ降り出していなかったのでちょっと後悔をしたものの、暫くして降ったり止んだりの断続的な雨になりましたので結果的には正解で、このチャレンジは来月の志布志、肝付町の往復まで預けておくことにします。

まず出迎えてくれたのは、勇壮な騎馬姿の菊池武光の像です。
武光は菊池氏の15代で懐良親王を支えて九州の南朝に最盛期をもたらした武将で、おそらくは菊池氏では一番にメジャーではないかと思います。
今川了俊の登場で晩年は失意の日々を送ることとなりましたが、しかしそれが武光の評価を下げるものでもないでしょう。
是非とも北方謙三の武王の門を原作に大河ドラマにしてもらいたく、昔であれば渡辺謙でしたが、今であれば誰がよいか、ちょっと思いつきません。

正観寺にはその菊池武光の墓があります。
往時はかなりの規模を誇った正観寺も今はその面影もなく、場所によってはただの田んぼになってしまっています。
この武光の墓は現在の正観寺の敷地内にありますが、自由には入れるもののお寺の方に声をかけてからの方がよいでしょう。
以前は無かったのですが今は赤外線か何かでブザーが設置をされており、いきなり鳴り響くとドキッとします。

この武光の墓の側に生い茂っている楠が墓印と言われており、よって江戸時代に作られた墓は墓碑に近いものだと思われます。
武光ほどの武将の墓がしっかりと伝えられていないのには、ちょっと不思議な感じがします。
ただ戦国時代ともなると菊池氏は衰退をしてしまいましたので、仕方のない話なのかもしれません。

同じ正観寺には武光の嫡男である16代の武政の墓もあります。
武光の晩年から北朝に押されて厳しい状況が続いていましたが、武政は阿蘇氏の協力を得て南朝のために戦い抜きます。
しかしその苦労が寿命を縮めたのか、33歳の早すぎる病死が菊池氏の凋落に拍車をかけたことは否めません。

武政の墓の前には一族の武澄と武国の墓があります。
武澄は武光の兄であり、その右腕となって活躍をした名将です。
この武澄も長命を保つことなく病死をしたことが菊池氏にとっては痛手で、甥である武政を支えることができませんでした。
武国は武光の弟の武尚の子で、武政にとっては従兄弟にあたりますが、肥後の守護代として一族に重きを置いた武将です。
左が武澄、右が武国となります。

こちらは菊池氏の22代にあたる能運の墓です。
先の武光の7代後の当主になりますが、時代的には100年ちょっとしか経っていません。
それだけ短命な当主が多かったことにもなりますし、能運も23歳の若さで没しています。
島津氏のそれとは違って左が能運の墓とのことですが、戒名などが読み取れなかったので正確なことは分かりません。
場所は正観寺実相院で、今は菊池グランドホテルの脇にこの墓だけがあります。

正観寺歓喜院には13代の武重の墓がありますが、こちらも今は田んぼの中にぽつんとある状態です。
武重は武光の長兄で、父の武時とともに鎮西探題を攻めるものの敗れて肥後に逃げ帰り、その後も南朝に属して戦いますがさしたる成果は挙げられなかったようです。
墓が武光のそれと似通っているのは同様に江戸時代に入ってから作られたものであることが理由だと思われ、そういう意味ではこちらも墓碑と考えた方がよいのかもしれません。

菊池神社の主祭神は武光と武重、そして父である武時になります。
明治に入ってからの創建ですので歴史的価値があるかどうかは微妙ですが、菊池を訪れた際には外せないポイントです。
このあたりから雨が降り出し始めたので気もそぞろになりがちでしたが、しっかりとお参りだけはしてきました。

境内には菊池神社歴史館があり、係員もいずに料金はブリキ缶に入れるという素敵な仕様となっていますが、規模は小さいながらも内容は充実をしています。
菊池氏の歴史が細かく説明をされており、また市街地の史跡の案内があったのは散策の助けとなりました。
入口の脇には菊池城本丸跡の碑があり、この菊池神社が菊池城跡に建てられたものであることが分かります。
菊池城は武光の子である菊池武政が築城し、戦国期には菊池一族の赤星親家や隈部親永が城主となった城です。

武光のそれと比べるとちゃちな感は否めませんが、菊池武時の像もありました。
12代である武時は鎮西探題を攻めて討ち死にをしますが、その功を称えられて子の武重は南朝から肥後を与えられます。
中興の祖という表現が適当かどうかは分かりませんが、多くの子にも恵まれて菊池氏の隆盛の基礎を作ったと言っても差し支えはないと思います。

ここまでは菊池武光の像を中心にさほどは離れていない場所だったのですが、ここからが勝負となります。
雨が降っていたので歩くしかなく、心が折れそうになるのを必死に支えての墓巡りです。
その途中で出会ったのが将軍木で、熊本県の天然記念物に指定をされているのですが、懐良親王のお手植えのものと伝えられています。

とぼとぼと歩いてたどり着いたのが玉祥寺で、20代の為邦の創建です。
その為邦と子の21代の重朝の墓が仲良く並んでいます。
親子の墓がこうやって並んでいるのはあまり見たことがありませんので、実際に仲が良かったのかもしれません。

為邦の代に筑後に大友氏の進出を許してしまい、菊池氏の衰退が顕著になります。
跡を継いだ重朝が必死に挽回をすべく筑後に攻勢をかけるものの成果は上がらず、子の能運の代で菊池氏の直系は途絶えてしまいました。
傍系からの当主で暫くは命脈を保ったものの阿蘇氏や大友氏からの介入を排除できず、実質的な菊池氏は22代で終わったと言ってもよいでしょう。
左が重朝、右が為邦です。

次は菊池氏の初代である則隆の墓を目指したのですが、ハッキリとした場所が分からず、地図にあった近くのマクドナルドの住所を頼りに探したのですが、とにかく遠かったです。
ようやくにそれらしきものを見つけて喜び勇んで近づいてみれば、しかしそれは菊之城跡の碑でした。
菊之城は則隆が居を構えたところで菊之池城とも呼ばれており、武政の築いた菊池城を菊池本城、こちらを菊池古城と分けてある資料もあります。
田んぼの中でやや盛り上がっているのが遺構とも思えず、ただこのあたりに居館があったということなのでしょう。

菊池則隆の墓は、もう200メートルほど歩いたところにありました。
初代の墓なのですからもっと案内板などの情報が欲しかったのですが、ここに限らず基本的に菊池にはそういったものはありません。
則隆は藤原氏の流れとのことですが、一方で藤原氏の郎党でしかなく仮冒との説もあるようです。

それにしても我ながらよく歩いたものです。
この光善寺は一見すると民家のようですが、19代の持朝が創建をしたれっきとしたお寺です。
持朝は弟の忠親を偏愛した父の兼朝と争って家督を奪い取り、子の為光を宇土氏の養子に送り込むなどして菊池氏の強化に努めましたが、その為光が兄である為邦のときは大人しくしていたものの、その後は為光には甥にあたる重朝やその子の能運と争って菊池氏の内紛を引き起こすのですから皮肉としか言いようがありません。
ここには持朝の墓もあり、これで初代則隆、13代武重、15代武光、16代武政、19代持朝、20代為邦、21代重朝、22代能運と巡りましたので、まずは上々の成果かなと思います。

バス停まで戻った頃には雨も上がっていたので、観光案内所で自転車を借りて隈部忠直観音堂まで足を伸ばしてみました。
これは観光マップで存在を知ったのでオプションみたいなもので、行けなかった18代兼朝の墓の代わりのつもりです。
これまた田んぼの中にぽつんと立っており、喜んでいいのか悲しむべきかが微妙だったりもします。

この観音堂は隈部忠直の墓を参れるようになっています。
こういったものを目にするのは初めてで、全国でも珍しいのではないかと思います。
ある意味で菊池氏のどの当主の墓よりも扱いが上のようにも思えますので、ちょっと違和感がありました。

隈部忠直は19代の持朝から21代の重朝の3代に仕えた重臣で、文武両道に秀でた武将だったとは観光MAPでの紹介です。
しかし一方で先の宇土為光を担いで22代の能運に叛乱を起こしたのがこの忠直とも言われており、もしそれが真実であれば代替わりにより立場の変化があったのかもしれません。
もっとも年代的には合致がせず、忠直の子、あるいは孫がそれにあたるのかもしれず、いずれにせよ必ずしも菊池氏に忠実だった隈部氏というわけではなかったようです。
佐々成政に反旗を翻した隈部親永は、この忠直の直系の子孫です。


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公式戦ライクな負けっぷり

2012-03-25 01:29:33 | 千葉ロッテ

オープン戦もこの時期になると内容はもちろんのこと勝敗にもこだわりたくなりますが、試合巧者の日本ハムを相手に見事な負けっぷりでした。
先制をしながらもその後のチャンスを活かしきれず、一方で好投の唐川はワンチャンスで逆転を喫するなどして、どこかでよく見た公式戦での戦いぶりを思い出させてくれます。
この一見すると善戦ながらも実情は惜敗でも何でもない黒星をいかに減らすかがチームとしての大きな課題ですが、改善の糸口を掴むことなく開幕を迎えることになりそうです。

先発の唐川は緩いカーブの制球が今ひとつではありましたが、相変わらずに数字以上に伸びのあるストレートは健在で、ピクリとも動けなかった稲葉がそれを物語っています。
個人的な嗜好で言えばもう少し覇気や若さみたいなものを前面に押し出して欲しいのですが、ほぼ無表情で飄々としているところも唐川の魅力の一つですので今はそれでもいいかなと、ただ配球を試したらしい7回に迎えたピンチに何としてでも抑えるといった気迫のようなものが感じられなかったのが不満ではあります。
これも唐川にはもう一段も二段も上を目指して欲しいとの思いからきた要求ではあるのですが、今の唐川でも故障さえなければ昨年の12勝を最低ラインと考えてもよいでしょう。
チームの顔としてピンのDVDも発売となりましたし、そのタイトルどおりに飛翔のシーズンとなることを期待しています。

そして二番手の中後ですが、先日の益田と同様にオープン戦にして使い倒すつもりなのかと不満だらだらです。
今の中継ぎ陣を考えれば一人でも二人でもめぼしい投手を拾い上げることこそが急務であり、開幕一軍を確かなものとしたルーキーを見せびらかすことに意義を感じられません。
それであれば今ひとつピリッとしない木村や、あるいはイニングの頭からの中郷を使う方がプラスになるのではないかと考えます。
ロサだけではなく伊藤までもが勝利の方程式と呼ぶにはおこがましい状態なだけに、もう少し全体を見極めた投手起用をお願いしたいです。
またその中後も今日は先日に冴えまくったスライダーのコントロールがまとまらなかったものの無難に切り抜けたことは自信に繋がるでしょうがストレートが140キロも出なかったことが心配であり、そしてリードをした金澤の限界と言いますか、里崎との差を痛感した外角中心のリードにはガッカリとさせられました。
何だかんだ言いながらもやはり里崎王朝は暫くは続くものと思われ、そして山中コーチの仕事はまだまだ道半ばにも至らないといったところでしょう。

打線は得点圏に走者を進めながらもあと一本が出ないといういつものパターンでしたが、それはそれで仕方がありません。
いつもチャンスにヒットが出れば苦労はありませんし、相手も必死ですからこういったこともあります。
しかしそれでも打ち取られるのであれば悔いのない打撃が見たいもので、早いカウントからの積極的なバッティングは構いませんがそれであればハードヒッティングをしてもらいたく、五回の伊志嶺のミスショットは公式戦であればさすがに罰金ものでしょう。
また三回、五回ときっちりと走者を進める采配に喜んでいたのもつかの間で、逆転をされたその裏の無死一塁で大松にそのまま打たせたのはどうにも納得がいきません。
結果的に相手がミスをしたおかげでチャンスは広がりましたが、そうでなければ併殺となっていた打球です。
試合の流れからしてどうしても追いついておきたい場面でしたし、糸井にきっちりと送らせた日本ハムとは対照的でした。
もちろん大松の打撃には期待をしているものの七番という今の立ち位置を考えれば送らせるべきでしたし、あるいはバント要員の起用もありだったと思います。
福浦のようにしっかりと結果を残せる打者ばかりではないのですから、せっかくの実戦での練習機会を逃したことが残念でなりません。
また理由は分かりませんがサブローの欠場でチャンスをもらった清田も最終打席はらしいヒットを打ったものの武田勝らの一線級を相手にはバッティングをさせてもらえず、打順をいじらずに五番に起用をされた意味を取り違えているのではないかと、そんな清田の大振りにはちょっと失望をさせられました。
オープン戦ですからこれまではいいところよりも悪いところを特に注視してきたのですが、この流れのままに公式戦になだれ込むことがないよう今はただ祈るのみです。



  1 2 3 4 5 6 7 8 9
日本ハム 0 0 0 0 0 0 2 0 1 3 8 1
千葉ロッテ 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 6

2


◆3月24日(土) 千葉ロッテ-日本ハムOP戦(日本ハム2勝1敗、13時、QVCマリン、3,900人)
▽勝 谷元 5試合1
▽S 森内 7試合2S
▽敗 唐川 3試合2敗

▽バッテリー
千葉ロッテ 唐川、中後、伊藤―里崎、金澤
日本ハム 武田勝、谷元、宮西、増井、森内―大野

 

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肉体派ホームズ

2012-03-24 04:08:57 | 映画

ここのところは、とは言っても1ヶ月ぐらいではあるのですが、暫く映画を観ていませんでした。
これはバタバタと忙しかったこともありますが、その忙しさを乗り越えてまで観たい映画が無かったのが理由の一つです。
ただそんな中でも興味があったシャーロック・ホームズは続編ですので自分としてはハードルが高く、しかしいつまでもそんなことも言ってはいられないので久しぶりにTSUTAYAでBlu-rayを借りての深夜の映画鑑賞と決め込んだのですが、その続編をどうしても観たくなるぐらいの面白い作品でした。

シャーロック・ホームズ

ワーナー・ホーム・ビデオ

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シャーロック・ホームズは中学生ぐらいのときにそれなりに読んだはずなのですが、正直なところほとんどストーリーは覚えていません。
ただ典型的な英国紳士、身綺麗で知的な外見といった印象が残っていますので、やはりこれが世間の一般的なシャーロック・ホームズなのでしょう。
しかしこの「シャーロック・ホームズ」でのホームズはそれとは真逆と言っていいほどの存在で、小汚い身なりに粗雑な言動とホームズファンが卒倒をしそうな描かれ方をされていますが、しかし知的さは健在ですのでそのギャップがより魅力を引き立てているのではないかと思います。
ややマニュアルチックな感じもありますが、しかし行動力は抜群で、やはり難事件を解決するためには体を動かしてこそですからリアリティが高まります。

黒魔術や儀式など「ヤング・シャーロック」のパクリではないかと思える出だしにちょっと引き気味だったのですが、両者ともにピラミッドとファラオと似たような背景ですので当時の英国社会がそういった風潮だったのか、あるいは原作にそのような下りがあったのかもしれません。
知的な謎解きとアクションのバランスもまずまずでしたし、どこか東洋的なアイリーンも単なるヒロインではなく捻りがあって存在感がありました。
ほぼ全ての謎を解いてくれたことも好印象で、隅々まで行き届いた作り手の細かさが心地よく響き渡る作品です。
そして残された最後の謎であるモリアーティ教授がやはりポイントで、「ヤング・シャーロック」では期待をさせるだけさせて続編がありませんでしたので今度こそと、今回もあれだけ伏線を撒き散らしながらもこの作品が世界的なヒットをしたことでの続編らしいので、とにかく2度目の失望とはならなかったことを喜んでいます。
何とか勢いで来週のうちに続編を観に行きたいと、それだけの価値のあるホームズ&ワトソン&アイリーンでした。


2012年3月24日 鑑賞  ★★★★☆(4点)

 

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南国放浪記 史跡巡り篇 八代の巻

2012-03-24 00:04:43 | 日本史

 

人吉を出て向かったのは八代で、八代亜紀の出身地です。
江戸時代は一国一城令によってかなりの城郭が取り壊されましたが、肥後熊本藩の二つ目の城である八代城は例外とされました。
これは江戸幕府が島津氏を警戒したとも、島原の乱をきっかけとしたキリシタンへの備えのためとも言われているようですが、何にせよ城フリークとしては喜ばしいことです。

それであればまずは八代城跡に、とはいかないのが旅の難しいところで、いつ雨が降ってもおかしくはない天候だったので遠くから攻めることにしました。
そして最初に訪れたのが春光寺です。
ただ一番に遠い相良義陽の墓に行く途中に見つけてしまったというのが本当のところで、あれっ、といった感じです。

この春光寺は八代城の城代だった松井氏の菩提寺です。
ただそれだけではなく、八代城の三の丸にあった永御蔵が移築をされて、その永御蔵門と番所を見ることができます。
どういった経緯かは分かりませんが櫓などが破却をされたり払い下げられたりして残っていないことが多いですから、これは運が良かったとしか言いようがありません。

こちらは松井氏の廟所です。
松井氏は室町幕府の幕臣でしたが、その後に細川氏に仕えて筆頭家老となります。
そして大名並みの3万石の大身で八代城の城代となり、一方で江戸幕府の直臣の身分も併せ持つという複雑な立ち位置のまま明治維新を迎えました。

初代の松井康之は足利義輝に仕えましたが、その義輝が三好三人衆に攻め殺されたことから細川藤孝のもとに身を寄せます。
関ヶ原の戦いでは豊後杵築城に攻め寄せた大友義統を寄せ付けず、その功を賞されて細川忠興から2万6千石を賜りました。
2代の興長は康之の次男で八代城の城代となり、宮本武蔵で有名な松井佐渡とはこの興長のことです。

興長は細川忠興の六男の寄之を養子に迎えて3代とし、松井氏は細川氏の準一門の立場になります。
4代の直之、5代の寿之、6代の豊之と直系が跡を継いでいったようですが、詳しい事蹟などはよく分かりません。
写真は左から寄之、直之、寿之、豊之です。

そして相良義陽の墓ですが、シャレにならないところにありました。
手前から左上の方に辛うじて登り口が見えるのですが、案内の杭が無ければ見落とすところです。
しかも線路の向こう側で心岳寺跡とは違って遮断機どころか踏切すら見当たらず、線路を渡っても朽ち果てたガードレールと思しきものを踏み台にしなければ登り口に行き着けませんので、どこをどう探しても墓に行くためにはそのルートしかありませんから、これは八代観光協会の公認なのだと自分に言い聞かせて無理をさせていただきました。
一見するとガードレールが折れ倒れているので登りやすいようにも見えますが、実際には膝から腰の間ぐらいの高さがあるためにそう簡単なものでもありません。
熊本県のHPにも「義陽の墓には肥薩線を横切らないと行けないため、訪れる人はほとんどいません。」と書いてあります。

願成寺にも相良義陽の墓はありますが、こちらは首塚とのことです。
義陽の子の頼房が葬り石碑を建てた場所は今の線路の辺りだそうで、工事のために今の位置に移されました。
その後も人吉に移したり元に戻したりしたようですが、それらも含めて義陽の首も一緒に動かしたのかどうかが気になります。
今の石碑も当時のものとは思えない感じがありますし、供養塔的な位置づけでなのかもしれません。

次に向かったのが宗覚寺で、加藤忠正の菩提寺です。
忠正の菩提寺は本成寺でしたが移転をした際に墓所だけが残され、その後に松井直之の斡旋で細川綱利が創建をしました。
なぜに墓所だけ残して菩提寺が移転をしたのかは分かりませんが、そのために忠正の菩提寺は二寺あることになります。

忠正は加藤清正の次男で、兄が早世をしたために嫡子となりました。
そして父と同じ主計頭となりましたが、しかし僅か9歳で疱瘡により病死をします。
熊本ではなく八代に墓所があることについては、清正の夢枕に立って「谷川の側で遊んでいる」と指を差した地がここだと伝えられているそうです。

宗覚寺の次は懐良親王御陵で、しかしこれは完全に予定外です。
まるで行けと言わんばかりに案内があったのと、宗覚寺から数分のところなのでリスクも少なかったこと、そして翌日に菊池に行くのでグッドな発見ではあります。
南朝の皇子ながらも天皇家に連なる懐良親王ですので柵も二重と規模も大きく、またさすがに乗り越えて中に入る勇気も出ませんでした。

懐良親王は後醍醐天皇の皇子で、征西将軍宮として肥後隈府を拠点に勢力を広げて、一時は太宰府を制圧するなど九州の南朝の最盛期を築きました。
その懐良親王を支えたのが菊池武光で、この南朝の戦いを描いた北方謙三の「武王の門」は名著ですのでお奨めです。
南北朝はやや守備範囲から外れるものの今回も菊池を訪れようと思ったのは、この北方謙三のエキスが体内に残っていることが最大の理由です。

そして八代城跡ですが、思っていたよりも規模が大きいことに驚かされました。
往時は天守閣がありましたが落雷などで焼失をしてしまい、明治に入ってからの廃城に際して櫓や門などの全てが取り壊されたり払い下げられたりしてしまったために今は一切の建物が残っていませんが、幅の広い堀とそそり立つ石垣だけでも圧倒的な存在感を見せつけてくれます。
いくつかの櫓跡などには礎石が残されており、しかし石垣には柵もなく一歩間違えば堀に落ちかねませんので、荒天のときや薄暗いときには冒険をしない方がよいでしょう。

城跡には八代宮がありますが、しかし城代だった松井氏とは何の関係もありません。
主祭神は懐良親王で、明治になってから建立をされたものです。
懐良親王の陵墓が八代にあること、これは先に紹介をしたもので宮内庁もそれと認めているそうですが、そのことで八代に南朝の功労者を祀ろうとの運動が起こり、懐良親王が八代城を居城としていたことがあったとの繋がりから場所が定められたのですが、しかし当時の八代城は現在のものとは違ったところにあったと気がついたのは後の祭りです。

八代の最後は本成寺です。
加藤忠正の菩提寺の一つですが、その忠正の墓所のある宗覚寺にやられっぱなしとは勝手な感想です。
右の写真が高麗門で、これは八代城のものを移設したものですので数少ない遺構になります。
幕末のどさくさに紛れての払い下げなどではなく、細川忠興の寄進によるものとのことです。
それだけ藩主にも重んじられていたということなのでしょうが、やはり墓を置き去りにしたことは理由がどうあれ痛恨の一事でしょう。


【2012年2月 南九州、沖縄の旅】
南国放浪記
南国放浪記 旅情篇
南国放浪記 旅程篇
南国放浪記 キャンプ篇 石垣島の巻 下見の章
南国放浪記 キャンプ篇 石垣島の巻 初日の章
南国放浪記 キャンプ篇 石垣島の巻 二日目の章
南国放浪記 キャンプ篇 薩摩川内の巻
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南国放浪記 史跡巡り篇 鹿児島の巻 福昌寺の章
南国放浪記 史跡巡り篇 鹿児島の巻 南洲墓地の章
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南国放浪記 史跡巡り篇 熊本の巻 本妙寺の章
南国放浪記 史跡巡り篇 人吉の巻 人吉城の章
南国放浪記 史跡巡り篇 人吉の巻 願成寺の章
南国放浪記 史跡巡り篇 菊池の巻
南国放浪記 史跡巡り篇 宇土の巻
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南国放浪記 おみやげ篇

 

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さすがにロサは一から出直し

2012-03-23 19:53:24 | 千葉ロッテ

昨日は夕方に寝て深夜に這い出すつもりが目が覚めてみれば既に昼、どうにもこういった無駄な時間の使い方が最近は多くて困っています。
明日は昼から多摩まで行かなければなりませんし、下手をすると帰って来られないかもしれず、文字どおりに早く来い来い4月、です。
そんな自分の怠惰な生活とは関係なく開幕投手は成瀬で本決まりとのことで、何はともあれ雨だけは降ってくれるなといったところでしょう。

その成瀬は開幕に向けて最後の登板を7回6安打2失点と無難にまとめたと言うべきか、あるいは例によって被弾で締めくくったと言うべきか、なんとも悩ましいです。
ボールもばらけ気味で球数も多かったですし、開幕を任せてくださいと胸を張れるような内容でもないでしょう。
それでも2失点ですから普通の打線の援護があれば充分に開幕白星を期待できるぐらいのピッチングではありましたが、しかしそこはロッテですので石井らが相手でも後手後手でどうにもなりませんので、やはり成瀬には完封をするぐらいのつもりでいてもらうしかありません。
とにかく田中を相手にして先に点を与えてしまうとファンだけではなくベンチも気落ちをしてしまうでしょうから、我慢比べで頑張ってもらいたいです。

不幸にも成瀬が崩れたときに試合を支える重責を担うであろう中継ぎ陣ですが、さすがにロサは浦和での調整が必須と思われます。
素人の見た目でさほどの悪いところが見られないのがむしろ重症かもしれず、お腹が凹むまではあるいは戻ってこれないかもしれません。
しかしだからといって緊急補強をする球団ではないでしょうし、ロサが一軍に復帰ができなければ厳しい戦いが続くことになります。
中後と益田が勝利の方程式に入れるぐらいの好投を披露しても期待はしても計算をしたくはありませんし、そうなればやはり荻野忠の復帰が心待ちとなります。
順調に浦和の守護神として登板数を重ねているようですので、あるいは開幕メンバーに名を連ねることもあるかもしれません。

打線は判で押したようなスタメンは開幕をしても変わらないのでしょうから、個々の選手の頑張りを願うだけです。
ようやくに伊志嶺にマルチヒットが出たのを上昇の兆しと受け止めてよいのかどうか、これで開幕ダッシュができれば耐えてきた西村監督の勝利と言ってよいでしょう。
根元の打ち出の小槌が湿りがちにはなったものの伊志嶺が調子を上げれば得点圏に走者が出ることも増えるでしょうから、そうなればホワイトセルとサブローの出番です。
こちらもその打順や年俸に恥じないバッティングをしてくれれば、下位打線の負担も減って相乗効果が出てくるかもしれません。
ここにきてようやく狸を狩り始めましたが、皮を積むところはいくらでもありますので、楽しい話題を開幕までに提供してくれることを祈る思いで待っています。



  1 2 3 4 5 6 7 8 9
西武 0 0 0 0 0 0 2 3 0 5 10 1
千葉ロッテ 0 0 1 0 0 0 0 2 0 3 6

2


◆3月22日(木) 千葉ロッテ-西武OP戦(1勝1敗、13時、QVCマリン、3,688人)
▽勝 武隈 3試合1
▽S 松永 3試合1S
▽敗 成瀬 3試合1敗
▽本塁打 中島2号(成瀬)

▽バッテリー
千葉ロッテ 成瀬、中後、伊藤、ロサ、益田、藪田―里崎、田中
西武 石井、武隈、小石、野上、松永―炭谷、星孝

 

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