オリオン村(跡地)

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
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2007年通信簿 49 川崎雄介

2007-11-30 23:13:35 | 千葉ロッテ

49 川崎雄介 投手 25歳 年俸950万円

【2007年成績】 48試合 4勝2敗0S 防御率1.65 54回2/3 40被安打 3被本塁打 9与四球 1与死球 39奪三振 被打率.203

2年目の今年、大きく開花した1年となりました。
地道に務めて信頼を勝ち取り、藤田の後継として中継ぎ左腕のトップに君臨する足場を築くことができた最高のシーズンであったと思います。

開幕戦に同点の場面で起用されたことで、今年は重要な場面での登板が多くなるのではないかと期待に胸が膨らみました。
しかし重用され続ける荻野に対して、不思議なことに川崎には負けている場面での起用が増え始めます。
安定したピッチングを続けながらも、藤田が不調で結果を出せなくても、ここぞという場面で起用されるのは藤田や高木でした。
バレンタイン監督に好かれていないのではないのか、そんな風に思えてしまうほど中盤戦までの川崎の起用法は納得のいかないものでした。

しかし川崎はめげずに、地道に、中継ぎとしてのポジションを黙々とこなしていきます。
背筋痛で一時期離脱しますが、それ以外はシーズンを通して成瀬にひけをとらない安定感のあるピッチングを続けてくれました。
後半戦になりようやくポイントとなる場面での登板が増え始め、いつしか防御率も先行していた荻野を抜き1点台となり、そして今や中継ぎエースの立場を確固たるものにしました。

川崎の武器は低めにコントロールできる制球力と、ピンチにも動じないマウンド度胸だと思います。
高めにボールが浮くことは滅多になく、中継ぎだけにイニング数こそ成瀬の1/3に過ぎませんが、与四死球率や被打率は成瀬と甲乙つけがたい結果を残しました。
左打者に対するスライダーのキレがあり、チェンジアップも大きな武器となっています。
彼が出てくれば抑えてくれる、そんな期待感は成瀬と同じぐらいに持てたのが今年の川崎でした。
なぜ前半戦に川崎を冷遇したのか、未だに理解できません。

体格もあり長いイニングも放れることから、成瀬に続く先発左腕としての起用への期待は正直なところあります。
中継ぎ陣がしっかりしていれば、間違いなく先発陣に入れたい投手です。
しかし今のスタッフを考えれば、来季も川崎は中継ぎとしての起用となるでしょう。
川崎には中継ぎを投球術を学ぶ場と捉えてもらい、そして小林宏が歩んだ道を追っていって欲しい、それが私の願いです。
実質2年目の来季、ジンクスに陥ることなくさらなる飛躍の年にして、荻野とともに中継ぎの両輪としてお互いに競い合い、そして来季もフル回転してくれることを期待しています。


【オリオン村査定】 950万円 → 2500万円 (△163%)

 

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藪田はロイヤルズへ

2007-11-29 22:40:02 | 千葉ロッテ

小林雅に続き、藪田のメジャー移籍も決定しました。
当初から噂されていたロイヤルズですから驚きもしませんが、やはり一抹の寂しさが伴います。

<薮田安彦>ロイヤルズと2年契約発表 (11/29 毎日新聞)

米大リーグ、ロイヤルズは28日、ロッテからフリーエージェント(FA)となった薮田安彦投手(34)と2年契約を結んだと発表した。
AP通信によると、2年総額600万ドル(約6億6000万円)で、入団会見は29日午後にカンザスシティーで行われる。
3年目の契約の選択権は基本的に球団が持つが、一定の登板試合数に達した場合は薮田側に移るという。
ロイヤルズはア・リーグ中地区で4年連続の最下位となった今シーズンの終了後、今季まで日本ハムの監督だったトレイ・ヒルマン氏を新監督に招いた。
右腕の薮田は補強ポイントの一つだった中継ぎの柱として期待されるが、チーム状況しだいでは抑えに回る可能性もある。
AP通信によると、ムーア・ゼネラルマネジャーは「日本市場に参入することは一つの目標だった。アジアの選手は高い技術を持っている」としたうえで、「薮田は速球を低めに集めることができるし、四球も多くない。日本で最も優れたリリーフの一人だ」と評価した。
薮田は大阪・上宮高、新日鉄広畑を経て、ドラフト2位で96年にロッテ入り。
12シーズンで通算44勝59敗9セーブ、防御率4.03をマークした。
昨年3月の国・地域別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」では日本の優勝に貢献した。
ロッテでは、小林雅英投手のインディアンス入団が決まっている。
▽薮田
今の自分があるのはバレンタイン監督とロッテ、そしてファンのおかげだと思っています。
今までの12年間で培ってきたことを忘れず、米国で頑張ってきます。
▽ロッテ・バレンタイン監督
薮田は今のような素晴らしい投手になるまで、たゆまない努力を払ってきた。
私はあらゆる幸運が彼に訪れることを願っている。
彼は米国で高い評価を受けるに値する選手であることを確信している。

もっとすんなり決まるかと思っていましたが、意外に時間がかかりました。
条件を見ると小林雅とほぼ同じですから、小林雅の条件を最低ラインとして団野村が条件闘争をしていたのかもしれません。
ロイヤルズはインディアンスとは逆に長年下位に低迷しているらしいので、小林雅とは違った意味でのチャンスが転がっていると思って頑張って欲しいと思います。

これでYFKが完全に解体となり、チームとしても踏ん切りがついたと思います。
ひしめき合う若手投手陣の中から誰がでてくるのか、とても楽しみです。
上が詰まっている時よりもいろいろな選手にチャンスが巡ってくることになりますので、思わぬ選手の台頭に繋がるかもしれません。
小林雅に比べれば藪田には心から「頑張ってこいよ!」と言えますし、来季への楽しみもあり、このニュースは寂しさがありながらも気持ちよく聞くことができました。
何はともあれ、藪田にはロッテ魂をアメリカで見せつけて欲しいと思います。

 

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2007年通信簿 48 高木晃次

2007-11-29 22:16:27 | 千葉ロッテ

48 高木晃次 投手 39歳 年俸2400万円

【2007年成績】 43試合 1勝0敗0S 防御率3.79 35回2/3 40被安打 4被本塁打 12与四球 4与死球 20奪三振 被打率.299

藤田が壊れたこともあり、昨年以上に起用されることが多かったベテラン左腕ですが、渋い活躍をしてくれました。
印象度は小宮山の方が上ですが、貢献度を見れば甲乙つけがたいと思います。

小宮山と違ってワンポイントでの起用が中心でしたが、逆に言えば小宮山よりも重要な場面での登板が多かったように思います。
名前がコールされた時に「ここで高木?」と思ったことも少なくなく、左腕不足と言うこともありますがベンチの信頼を勝ち取っていたのでしょう。
不思議なことに年をとるにつれてスピードが増しているようで、漫画のネタにもされています。
140キロ台のストレートと外角に逃げていくようなカーブが左打者には有効で、たまに腕の出所を下げてみたりして幻惑させたりもします。
ちょっと四死球が多いのは困りますが、充分に中継ぎとしての役割を果たしてくれました。

今の状況であれば来季も出番は多くあると思います。
正直なところ高木が来季も一軍安泰では困るのですが、まだ彼の力に頼らなければならないのが現実です。
若手左腕がベテランの高木からプロとしての生きる術や投球術を学び、彼に追いつき追い越してくれればチームにとっても高木にとっても嬉しいことになると思いますので、地元出身の高木にはいろいろな面でもう一踏ん張りして欲しいと思います。


【オリオン村査定】 2400万円 → 2700万円 (△13%)

 

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2007年通信簿 47 山崎健

2007-11-28 22:43:37 | 千葉ロッテ

47 山崎健 投手 35歳 年俸2000万円

【2007年成績】 出場なし

2004年は39試合、そして日本一になった2005年には40試合に登板して中継ぎの核となっていた山崎ですが、その年のオフに肩の手術をしたものの復帰することなくチームから去ることになりました。
35歳という年齢、そして2年間で2軍ですら1試合も登板できませんでしたから仕方がありません。

リハビリは順調と伝え聞いていたのですが、実際は思うようにはならなかったようです。
故障から復帰しても以前の投球ができずに結果が出なかった、そんなところまですら到達できなかったのですから相当悪かったのでしょう。
荻野や川崎らの台頭も理由の1つではあるでしょうが、来季も復帰の目処がたたないと判断されたのだと思います。
地味ながら安定感があった山崎でしたので、非常に残念です。

いつまで経っても復帰の話を聞かないので、今年が最後になるであろう事は予想していました。
ですからスタッフとしてチームに残るのではないかと思っていたのですが、トライアウトに向けて練習していたらしいので、本人にはこのまま終わるわけにはいかないという意地があるのかもしれません。
おそらくは採用する球団はないと思いますが、悔いのない終わり方をしてくれればと思います。


【オリオン村査定】 2000万円 → 戦力外 ※10月2日に戦力外 

 

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2007年通信簿 46 呉偲佑

2007-11-27 22:57:14 | 千葉ロッテ

46 呉偲佑 投手 25歳 年俸3000万円

【2007年成績】 E 16試合 2勝4敗0S 防御率8.80 45回 69被安打 6被本塁打 22与四球 1与死球 29奪三振

台湾プロ野球で最多勝利をマークし、アジアシリーズでも台湾代表として来日しただけに、若くて左腕ということもあり相当な期待をしていた投手です。
しかし残念ながら今年に関して言えば、完全な期待はずれに終わってしまいました。

もしかすると、これが今の日本と台湾のレベル差なのかもしれません。
同じく台湾プロ野球で最多勝や奪三振王などのタイトルを獲った楽天のインチェや林恩宇も、呉よりは結果を出しているとは言っても1軍に定着はできていません。
かつては二郭一荘と言われた荘勝雄、郭源治、郭泰源に比べると、悲しいぐらい結果が出ていません。
アジアシリーズでの戦いぶりなどを見ても、この10年でレベルの差は広がったと言っていいかもしれません。
もちろん慣れの問題もあるでしょうし、呉に関しては左肩胸郭出口症候群という聞き慣れない肩の故障の影響もあったでしょうから一概に決めつけることは危険かもしれませんが、今後は即戦力として期待するのではなく育成を視野に入れた補強と考えた方がいいように思えます。

それでも春季キャンプでは成瀬と6番目の先発の座を争うと言われていた呉ですから、来季は少なくとも中継ぎとしてでも1軍での活躍を期待したいですし、そのぐらいの意地を見せて欲しいです。
年俸がネックではありますが、外国人選手と考えずに期待の若手左腕として長い目で見たいと思います。


【オリオン村査定】 3000万円 → 3000万円 (±0%) ※2年契約2年目

 

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織田大戦記(2)

2007-11-26 23:14:49 | 読書録

織田大戦記〈2〉

学習研究社

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松尾山を駆け下りた小早川勢を率いるのは、大谷吉継の決断により大津城攻めから立花宗茂とともに駆けつけて金吾中納言秀秋を誅した小早川秀包であり、この小早川勢の参戦により東軍は瓦解します。
徳川家康は四男・忠吉らの犠牲のもとに清洲城に辛くも逃げ込みますが、西軍も大阪城の淀君が兵糧を出し惜しんだためにそれ以上の攻勢をかけられず、東西両軍は美濃と尾張の境で対峙することになります。
その間隙をぬった織田信衡は、竹中半兵衛や真田昌幸、そして明智光慶らの活躍で飛騨や東濃を抑えて第三の勢力として台頭してゆきます。

関ヶ原の合戦の大勢を決めたのは小早川秀秋の裏切りであることは有名ですが、西軍の勇将である立花宗茂らが大津城攻めに手間取って到着が遅れたことも理由の1つです。
もし宗茂らが間に合っていれば、そんな西軍贔屓の願いをこの作品は「if」としてかなえてくれます。
西軍を率いる石田三成の苦悩、そして親友である吉継の決断、物語は予想だにしない展開を迎えて次巻に繋がり、このわくわく感はどうにもなりません。


2007年11月26日 読破  ★★★★★(5点)

【関連図書】 織田大戦記(1) 織田大戦記(3) 織田大戦記(4) 織田大戦記(5) 織田大戦記(6) 織田大戦記(7) 織田大戦記(8) 織田大戦記(9) 織田大戦記(10)

 


2007年通信簿 45 松本幸大

2007-11-26 22:46:04 | 千葉ロッテ

45 松本幸大 投手 27歳 年俸840万円

【2007年成績】 E 41試合 0勝2敗0S 防御率5.40 28回1/3 39被安打 1被本塁打 15与四球 2与死球 19奪三振

左のサイドスローという非常に珍しい存在で、左キラーとしての活躍を期待されてのプロ入りでした。
年齢的にも即戦力として1軍で活躍しなければならない存在でしたが、残念ながら全く結果を残せなかった1年でした。

オープン戦でもその予兆はありました。
左の中継ぎとしてベンチの期待はかなり高かったようで起用される回数も割と多かったのですが、肝心の左打者に打たれたり歩かせたりするケースが目立ちました。
元々は上から投げていたのが制球難もあり、腕を下げたことでその制球が安定したというのがプロ入り前の評価でした。
しかし社会人とプロでは求められる精度が違うのか、ただのコントロールの悪い投手としか思えないような春先の松本でした。
その後の2軍での投球を見たことはないのですが、数字を見る限りでは制球難を克服できているようには思えません。

左打者の背中から入ってくるような軌道で恐怖感を与えて腰を引かせ、クロスファイヤーに投げ込むことが松本にとっての大きな武器になるはずです。
そのためには針の穴を通すようにとは言わないまでも、そこそこの制球力が必須です。
残念ながらねじ伏せるような球威もキレもないようですから、この生命線とも言える角度のあるボールを自分のものに出来なければ、来季も苦しいピッチングが続くと思われます。

とにかく一芸主義で構わないので、このボールなら簡単にストライクが取れて左打者を抑えられるといったアピールができるようになってくれればと思います。
そうすれば1軍での出番もあるでしょうし、逆に言えばそうならなければ30の声を聞かずにプロの世界から足を洗うことになりかねませんので、そうそういない自らの特徴を活かせるよう頑張って欲しいと思います。


【オリオン村査定】 840万円 → 740万円 (▼12%)

 

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2007年通信簿 44 早川大輔

2007-11-25 22:28:30 | 千葉ロッテ

44 早川大輔 外野手 32歳 年俸2300万円

【2007年成績】 133試合 459打数 72得点 130安打 打率.283 17二塁打 8三塁打 5本塁打 44打点 16盗塁 50四死球 74三振 得点圏打率.292

この早川がいなかったら今年の2位はなかったのではないか、そう思えるほど救世主的な活躍をしてくれました。
投手のMVPが成瀬なら、野手のMVPは早川だと思います。

この早川と辻のトレードが発表になった時、正直なところ意外な感がありました。
貴重な第三の捕手であり、また右の打者としても出番が増えつつあった辻を出してまで獲る選手なのか、これが当時の私の評価でした。
確かに早川は足が速くバレンタイン監督好みであり、また活躍した年にはロッテ戦でも痛い目にあわされた記憶はあったのですが、前年は出番が減っていただけに得意の「昔の名前で出ています」トレードではないかと危惧さえしました。
実際のところオープン戦では出番がありつつも結果を出せず、ぎりぎり何とか1軍に残った感じでした。
代田の代わり、あるいは諸積の後釜、その程度に考えていました。

しかしそんな私の思いをあざ笑うかのように早川は少ない出番で確実に結果を出して、いつの間にかレギュラーポジションを獲得していました。
今でも私はあれはフリだと思っているのですが、感情を表に出してプレーする姿は今までのロッテの選手にはいなかったタイプで新鮮味を感じました。
5月にはすっかりと足場を固め、既になくてはならない存在に昇華していました。

早川大輔 (5/6 オリオン村)

そんな早川を一気に有名にしたのは、オリックスの宮内オーナーがトレード失敗に激怒したと報道されたことでした。
オリックスが行ったトレードの失敗の最大の例として早川の名を出し、なぜあんなにいい選手を出したのかとフロントを叱ったとのことでした。
もっとも当の早川はプロ入り当初からの自信家ぶりを発揮し、これぐらいのことは出来て当然と語っていたようです。

早川は自信家 (6/1 オリオン村)

早川の武器はやはり足、俊足を活かした内野安打などで特徴をアピールしています。
三塁打はリーグトップで、加速してからのスピードはその積極性も合わせるとTSUYOSHIより上かもしれません。
3試合連続三塁打などという、リーグ記録もマークしました。
前半はダメダメだった右打席も数多く打席に立つことで慣れたのか、むしろ長打力は右の方があるようです。
意外と小技の下手さっぷりを時折見せながらもチームトップの23犠打を決めていますので、充分に2番打者としてTSUYOSHIを活かす役割を果たしてくれたと言えます。
またこちらもチームトップの16死球はリーグ2位で、逃げずに積極的に打ちにいった結果でしょう。
とにかく野球が出来て嬉しい、試合に出られて楽しくて仕方がない、そんな風が見て取れる選手だけに自然と応援したくなります。

俊足を活かした広い守備範囲とダイビングキャッチも厭わない果敢なプレーも、ロッテの外野は鉄壁と言わしめるのに充分な貢献をしています。
肩はさほど強くないのか送球にやや難があり、あまり考えずに放っている嫌いもありますが、全体的に見ればゴールデングラブの候補になってもおかしくないと思います。

来季は各チームから相当マークされるでしょうし、終盤戦での失速が気にならないと言ったら嘘になります。
しかし足があり、守備力もあるだけに余程のことがない限りはレギュラーは安泰でしょう。
あるとすれば本人の油断からくるミス、不振、怪我だと思いますが、今年の試合に出られた喜びを忘れずにプレーしてくれれば来季もきっと活躍してくれると信じています。


【オリオン村査定】 2300万円 → 4600万円 (△100%)

 

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抑えの最有力候補は清水か

2007-11-25 20:39:06 | 千葉ロッテ

小林雅のメジャー移籍が決定し、来季の抑えをどうするかを本格的に考えなくてはならなくなりました。
仮に残留したとしても必要な行為ではありましたが、いざ現実になるといろいろと悩みも多くなります。

来季のボビー構想では「抑えは清水」 (11/25 デイリースポーツ)
ロッテの清水直行投手(32)が来季ストッパー候補に挙がっていることが24日、分かった。
昨年までは主に先発で4年連続2けた勝利を挙げていたが、今季は6勝10敗と不振。
来季は抑えとして再起を目指すことになる。
今季まで7連続20セーブを記録した小林雅が、FAで大リーグ・インディアンスへ移籍。
セットアッパーの薮田もFAでの大リーグ移籍が確実となっている。
バレンタイン監督は「来季、大きな課題を残している。薮田、小林雅の穴を埋めなければいけない」と話しており、守護神探しは急務だ。
そこで先発投手を抑えに回す案が浮上した。
「(先発からの)配置転換も考えている」と本多球団部部長。
最終的に小林宏らの候補から、バレンタイン監督は経験豊富な清水に白羽の矢を立てた。
清水自身は「できれば先発をやりたい」としながらも、「誰かが(小林雅の)穴を埋めなければいけない」と危機感を持っている。
清水については、先発補強を目指す阪神がトレードを打診していたが、ロッテは清水を放出しない方針を決定し本人にも通達。
清水の抑え転向により、球団は先発ができる外国人投手の補強に動く方針だ。
 

藪田のメジャー移籍も確実であり、期待していた内が手術で開幕に間に合わず、バレンタイン監督が自ら渡米してまでの新外国人投手探しも即決出来ずですから、まあ妥当な展開ではあります。
清水の場合は抑えがどうのというよりは自らの復活が大前提ですが、抑えという短いイニングであれば軸になるストレートの復調がより容易とも思えますので、悪い選択ではないと思います。
とは言え記事を見るとフロントや清水の過去の発言を繋げての推測記事でしかなく、まるで直接の打診があったかのような書きっぷりはオフのスポーツ紙ならではです。
しかも清水の2桁勝利を4年連続(本当は5年連続)と書き、よくこんな程度の知識で「ミスター完投」として阪神とのトレード最有力と書いたものかと呆れてしまいます。
もっともデイリーの記事を数日遅れで焼き直したかのようなサンスポは、そのデイリーに清水のトレードは無しと報道されて慌てているでしょうね。
いずれにせよ推測の域を出ず、また今後の新外国人投手の獲得状況にもよりますが、何にせよ清水が最有力候補であることは間違いないと思います。

そうなると空いた先発枠に誰がくるのか、ここが興味の的となります。
現時点で一番期待されるのは、社会人野球日本選手権でMVPに輝いた服部でしょう。
体格的にも中継ぎ左腕としての起用が有力視されていましたが、ここにきての3試合連続1失点完投で評価が急上昇したと思われます。
来春のキャンプで適性を見極めた上での判断になるとは思いますが、早く自分の目で服部を見てみたいと思えるような活躍ぶり、見事でした。
あまりの凄さに決勝も連投で先発かと心配していましたが、8回からの登板でほっとしました。
ドラフト1巡目指名にMVPと盆と正月が一緒にきたような騒ぎで周りからいろいろな誘いもあるでしょうが、かなり疲れも溜まっているでしょうから来季に向けてゆっくりと体を休めて欲しいと思います。

 

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島津家の野望 第8章

2007-11-25 07:30:30 | ゲーム

 

大永2年(1522年)夏、周防国の山口館は騒然とした雰囲気に包まれていた。

「殿が亡くなられたとは、誠にござりまするか。」
甲胄姿のままに広間に駆け込んできた新納忠武が叫んだ。
「忠武殿、落ち着かれよ。」
同じく甲胄姿の筆頭家老、伊集院忠公がたしなめた。
「忠公殿、どういうことでござるか。殿は、殿はどうなされたのでござりまするか。」
「忠武、落ち着けと申しておるのがわからんのか。」
広間の上座に座していた、先代当主の島津久逸が怒鳴った。
「忠武殿、二番家老たるそなたが取り乱してどういたす。そなたが浮き足立てば家中は乱れるが必定。立場をわきまえよ。」
忠公の言にようやく落ち着いたのか、忠武が腰を下ろした。
「申し訳ござらぬ。しかし急なことゆえ城井谷より駆けつけ申したが、事情がよくわかり申さぬ。」
「驚いたは我も同じよ。指月城攻めから急遽戻ったが、殿は既にお亡くなりになっておられた。」
「大殿、どういうことでござりまするか。」
忠武の問いに、久逸は横に座っていた善久の嫡男、忠良を促した。
「父上は一昨日気分が悪いと昼過ぎに横になられたのですが、翌朝には既に亡くなられておりました。」
「もしや細川殿の刺客でござりまするか。」
「いや、それはあるまい。」
久逸が忠公の方を見て答えた。
「はい。この山口館には手練れの忍びの者を多数配しておりまする。いかに優秀な素破と言えども、殿に近寄ることはかないませぬ。」
「加治木から府内、そしてこの山口館と短期間で本拠を移ったこと、また領地内の差配などの気配りで相当お疲れのご様子でした。」
忠良の言葉に、久逸が頷いた。
「あれは元々体の弱いところがあったゆえ、長年の疲れがいつしか体を蝕んでいたのやもしれぬ。」
疲れたように語る久逸に、忠公も忠武も視線を落とした。
「何にせよ各地の重臣を呼び寄せて向後のことを決めなければならぬ。忠公、皆が集まり次第評定を開くよう手配をいたせ。」
久逸が気持ちを振り絞るように忠公に命じた。

3日後、山口館の広間に各地から参集した重臣が顔を揃えていた。
「皆も既に存じておろうが、善久が急な病にて身罷った。今後のことを皆と相談したい。」
久逸の言葉に、集まった重臣たちは戸惑いの表情を隠さなかった。
「忠公、殿は確かに病で亡くなられたのだな。」
伊集院忠胤が質した。
「兄上、薬師の見立てによれば殿は心の臓を患っておられたとのことでござる。」
「確かに先年お会いした時にはお疲れのご様子ではござったが、何にせよ急すぎやせぬか。」
「その思いは私も同じでござるが、当家も大きくなりすぎのかもしれませぬ。」
「どういうことじゃ。」
「当家の支配はもはや九州全土に及んでおり、運久殿や忠朝殿は四国を攻めておられる。殿お一人で領地内を差配されるには負担が大きすぎたのやもしれませぬ。」
「そのために忠公、そなたや忠武殿、長久殿がおられるのではないのか。」
忠胤が立ちあがって怒鳴った。
「わかっておりまする。指月城攻めの大将を命ぜられた時、お断りすべきであったと後悔しておりまする。」
「忠公殿ご不在の折にはそれがしが殿のお役に立たなければならぬところ、力不足でござりました。」
三番家老、樺山長久が絞り出すような声で答えた。
「もうよい。残された者が責め合っても善久は喜ぶまい。領地が拡大したにも関わらず家中の制度を整えないままに家督を譲った我の不明である。」
久逸の言葉に、広間が静まった。

「大殿、家督の儀は忠良様がご相続されるということでよろしゅうござりますな。」
湯築城攻めから戻ったばかりの相州家の島津運久が言った。
「うむ、忠良もはや30歳、家督を相続するに早すぎることはなかろう。」
「若輩者ではあるが、父上と同様に皆の力を貸して欲しい。皆で細川殿を打ち破ろうぞ。」
やや紅潮した表情で忠良が決意を述べた。
「忠良様の力量は伊東殿を説き伏せた件で家中は皆存じておりまする。忠良様の若い力で当家を引っ張ってくだされ。」
薩州家の島津成久の言に、嫡男の忠興が続けた。
「そうでござりますな。当家もそろそろ世代交代の時期にきているのかもしれませぬ。」
「忠興、そちはわしに隠居せいと申しておるのか。」
「忠広、もしやそちも同じ様なことを考えておるのか。」
豊州家の島津忠朝も、脇に座る嫡男の忠広を見ながら言った。
「はて、何の事やら。しかし父上、そういった考えが出る時が引き際かもしれませぬぞ。」
忠広の言葉に、湿りがちだった広間に笑いがこぼれた。

「早速だが、向後のことについて相談したい。」
忠良の言葉に、重臣たちの顔が引き締まった。
「忠公、忠武、長久の家老職、そして相州殿、薩州殿、豊州殿、伊東殿、相良殿、そして我の6軍体制は当面このままといたす。」
善久が家督を相続した時と同様、大きな変化がないことを知った家臣たちが安堵の表情となった。
「しかし領地内の差配については我のみでは父上の二の舞になりかねぬ。かと言って家老たちも多忙ゆえ、軍団制を敷こうと考えておる。」
「軍団制と申しますと。」
忠公の問いに、忠良が地図を広げながら答えた。
「今まで通り敵と間近にある最前線は各軍団が受け持つものとする。しかし後方の領地は生産中心の後方支援になるがゆえ、内政に長けたものに差配を任せることにする。」
「なるほど、そうすれば我らは糧道などを気にすることなく戦えまする。」
忠武が感心したように頷いた。
「して軍団はどのようになされまするか。」
「南九州の差配を、忠昌殿にお願いしようと考えておる。」
先年帰服したばかりの本宗家に南九州を任せるとの忠良の意向に、広間がどよめいた。
「お待ちくだされ。我らは新参者も同然、そのような大任は務まりませぬ。」
本宗家・島津忠昌の代理で清水城から参じていた次男の忠隆が慌てたように答えた。
「いや、忠昌殿ゆえお願いしたい。南九州は本宗家の威光と忠昌殿、忠隆殿の人柄があってこそ治まるというもの。期待しておりますぞ。」
「何、不穏な動きがあればこの忠胤が素っ首を刎ねに駆けつけますゆえ、ご安心めされ。」
「兄上、失礼にござりますぞ。」
「そうかのう。」
忠胤の言葉に座は笑いに包まれ、忠隆もやや安堵したような表情になった。
「忠隆殿、ゆくゆくは九州全土をお任せするつもりゆえ、人材の育成も含めてお願いいたす。勝久殿も清水城にお返しいたすゆえ、兄弟で忠昌殿をお支えくだされ。」
忠昌の三男である勝久は人質の意味合いもあり山口館に出仕していた。
「ありがたき幸せ。この忠隆、勝久とともに父を支え、殿のお役に立ってみせまする。」
忠隆は勝久とともに平伏した。


永正15年(1518年)夏  相良治頼を大将とした軍を村中城の攻略に向かわせる。島津成久を大将とした軍を有智山城の攻略に向かわせる。
永正15年(1518年)秋  朝廷より従五位上・五位蔵人に叙任される。島津忠朝が岩瀬城を下す。相良治頼が村中城を下す。
永正15年(1518年)冬  島津成久が有智山城を下し、横岳家を滅ぼす。
永正16年(1519年)春  朝廷より正五位下・民部大輔に叙任される。
永正16年(1519年)夏  島津運久を大将とした軍を地蔵嶽城の攻略に向かわせる。
永正16年(1519年)秋  伊東尹祐を大将とした軍を小倉城の攻略に向かわせる。島津成久を大将とした軍を大村城の攻略に向かわせる。
永正16年(1519年)冬  朝廷より正五位上・太宰少弐に叙任される。
永正17年(1520年)夏  島津忠朝を大将とした軍を中村御所の攻略に向かわせる。
永正17年(1520年)秋  島津運久が地蔵嶽城を下す。
永正18年(1521年)春  相良治頼を大将とした軍を白狐山城の攻略に向かわせる。伊東尹祐が小倉城を下す。
永正18年(1521年)夏  朝廷より従四位下・勘解由長官に叙任される。島津成久が大村城を下す。
大永1年 (1521年)秋  島津運久を大将とした軍を湯築城の攻略に向かわせる。
大永2年 (1522年)春  伊集院忠公を大将とした軍を指月城の攻略に向かわせる。
大永2年 (1522年)夏  島津善久が病死し、嫡男・忠良が家督を相続する

 


2007年通信簿 42 フリオ・ズレータ

2007-11-24 23:41:39 | 千葉ロッテ

42 フリオ・ズレータ 内野手 32歳 年俸2億6000万円

【2007年成績】 77試合 277打数 36得点 74安打 打率.267 10二塁打 1三塁打 15本塁打 51打点 2盗塁 46四死球 88三振 得点圏打率.338

死球による骨折での長期戦線離脱が痛かった1年でした。
来季は最低120試合以上の出場で、30本以上のホームランを期待したいです。

デビューは圧巻でした。
雨中の開幕戦で4点ビハインドの場面でダルビッシュから同点満塁アーチ、この一発にスタンドで身震いをしました。
まさに矢のような打球でスタンドに飛び込む弾丸ライナー、さすがズレータだと小躍りしたものでした。
そして4月から5月にかけてのホームランラッシュで、チームにとって久しぶりの40本塁打を期待させるような活躍でした。
そんな中での死球、無理を押しての出場での悪化、そして長期欠場ですから、悔しくてなりません。
外国人選手が怪我をしながら強行出場するなどは珍しく、まさにサムライ魂を持った選手だと思いますし、不振だった打線を思う心は歓迎すべきことだと思います。
ですので周りから止める勇気も必要だったのではないかというのは結果論に過ぎませんが、やはり残念ではあります。
結果的に彼の不在を埋めるべく獲得したオーティズが期待以上の活躍をしてくれたので、ズレータの頑張りはいろいろなプラスの作用ももたらしてくれたと思うことにします。
ズレータ、オーティズの長距離砲が、来季は1年を通して猛威を振るってくれることでしょう。

それにしても帰国してからの音信不通は、かなり心配しました。
オーティズの獲得の際には、もう帰ってこないのではないかと半ば諦めの気持ちもありました。

ズレータは戻ってくるのか (7/5 オリオン村)

福浦の不調や怪我もあって一塁の守備につく試合も多かったですが、こちらは正直なところご免被りたいのが本音です。
福浦と比較するのは酷ですが、横への動きやグラブ捌きはちょっと見るに耐えません。
長身を利したプレーもままありましたが、やはり本職はDHとしたいところです。

それにしてもツボにはまった時のパワーは、日本人では考えられないぐらいの凄まじいの一語に尽きます。
体の割と前の方ではたくように腕だけでのスイングで、ボールが面白いように飛んでいきます。
三振も多いバッターですがチャンスには強く、また打率も残せるだけに心強いです。
本来は開幕戦で座った4番を任せたいところですが、ロッテというチームが長年大砲不在でそういった前提の打線になっているため、いまひとつズレータやオーティズらが定着することが難しく、結局はサブローが適任で頑張ってくれています。
ですからズレータには福浦とサブローを返す立場の5番、ここを来季はがっちりと守って欲しいと思います。
ズレータの後に大松、オーティズ、里崎、今江と超強力打線を組むためにはズレータの踏ん張りにかかっています。
そろそろバレンタイン監督もお手上げの、不動のオーダーを見てみたいものです。

外国人選手に特有の外角低めに逃げていく変化球が苦手であり、また意外にも内角高めのストレートを打ち損じることも多いズレータですが、そんなことを気にせずに振り回すことが大事だと思います。
幸いないことにチームはいつの間にか打線中心に変貌しつつありますので、ズレータ1人に負担がかかることはありません。
少しでも間違ったらやられる、そういった恐怖感を投手に与えることは重要なことですので、三振かホームランでも構わないので気持ちのいいスイングをしてくれれば充分です。
割と悩みがちなナイーブな側面を持っているとのことですが、そこは仲良しの陽気なベニーにカバーしてもらいましょう。
来季も数多くの「幕張ファイヤー!」を期待しています。


【オリオン村査定】 2億6000万円 → 2億6000万円 (±0%) ※2年契約2年目

 

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島津家の野望 第7章

2007-11-24 02:53:40 | ゲーム

 

永正15年(1518年)春、加治木城の善久の居室に重臣たちが顔を揃えていた。

「しかし忠昌様が膝を屈するとは驚きましたな。」
筆頭家老の伊集院忠公がしみじみと呟いた。
「あれだけ苦労していた岡、隈本攻めもあっさり片が付くとは、こは殿のご威光かと存じまする。」
二番家老の新納忠武が頷きながら続けた。
「おだてるでない。代替わりで皆が奮起してくれたおかげであろう。」
島津家当主、島津善久が苦笑混じりに答えた。
「忠昌様が旗を降ろされたは嫡男の忠治殿のご尽力によるところが大きい。惜しい方を亡くしたものよ。」
本宗家・島津忠昌の嫡男・忠治は、伊作家への臣従が決まった半月後に30歳の若さで病没していた。
「忠治殿の必死の説得に、忠昌様もついに観念なされたと聞いておりまする。」
「ご子息の忠朗殿が忠治殿に協力されたからこそ、と忠隆殿が申しておりました。忠公殿はよい跡継ぎをお持ちで羨ましい。」
忠公の言葉に、肝付城から復帰したばかりの肝付兼固が続けた。
忠隆とは島津忠昌の次男、忠治の次弟にあたり、忠治の病死により本宗家の跡継ぎとなっていた。
「確かに。忠朗殿が本宗家に出仕したと聞いた時には驚きましたが、こういった深慮遠謀があろうとはさすがは忠公殿でござる。」
三番家老の樺山長久の言に、忠公はまんざらでもない表情を隠さなかった。
「あれは忠朗が勝手にやったこと、どうも我ら親子は仲が悪うて忠朗が戻ってきて居心地がちと悪くて困る。」
忠公の照れたような表情に、重臣たちは笑いをかみ殺していた。

「これで後顧の憂いなく、九州統一に専念できまするな。」
忠公が表情を引き締め、地図を広げた。
「伊東殿には城井谷を本拠に、大内殿の城を攻め落としていただきまする。また忠朝殿には府内を足場に四国の攻略をそのまま続けていただきまする。」
「成久殿は柳河を本拠にして横岳殿の攻略に専念いただき、相良殿には隈本から成久殿の支援をしていただきまする。」
忠武が続けた。
「殿には忠朝殿が岩瀬を陥として後、府内にお移りいただきまする。」
「四国方面が手薄に思えますが、忠朝殿だけで大丈夫でしょうか。」
善久の嫡男、忠良が心配そうな表情で善久に問うた。
「うむ。府内に移った頃には北九州の有力武将も傘下に入っておろう。それらを運久殿に預け、第六軍としようと考えておる。」
既に話を聞いていたのか、相州家・島津運久が小さく頭を下げた。
「なるほど、運久殿であれば適任でございます。これで細川殿からの攻勢も何とか凌げましょう。」
管領・細川政元は既に34ヶ国を支配しており、九州にもその手を伸ばし始めていた。
「後顧の憂いがなくなったからには、細川殿の思い通りにはさせぬ。九州の強兵で畿内の弱兵など打ち破って見せようぞ。」
善久の言葉に、重臣たちが大きく頷いた。


永正13年(1516年)夏  幕府より問註所執事に任ぜられる。
永正13年(1516年)秋  朝廷より正六位下・薩摩守に叙任される。伊東尹祐が岡城を下し、大友家を滅ぼす。
永正13年(1516年)冬  朝廷より正六位上・大内記に叙任される。相良治頼が隈本城を下し、菊池家が従属する。
永正14年(1517年)秋  島津忠朝を大将とした軍を岩瀬城の攻略に向かわせる。伊東尹祐を大将とした軍を城井谷城の攻略に向かわせる。
永正14年(1517年)冬  隈本城の菊池政隆が臣従する。伊東尹祐が城井谷城を下す。
永正15年(1518年)春  朝廷より従五位下・甲斐守に叙任される。清水城の島津忠昌が臣従する。

 


2007年通信簿 41 小林宏之

2007-11-24 00:23:24 | 千葉ロッテ

41 小林宏之 投手 29歳 年俸1億3000万円

【2007年成績】 25試合 13勝3敗0S 防御率2.69 170回2/3 157被安打 9被本塁打 38与四球 4与死球 163奪三振 被打率.243

ここ3年間は主力投手として貫禄の投球を続けながらも清水や渡辺俊の後塵を拝していた感がありましたが、今年の活躍で一気にエースの称号に手の届くところまできました。
成瀬とともに左右の両輪としての活躍は見事で、来季は初の開幕投手を狙うことになるでしょう。

小林宏の凄いところは、調子が悪くてもそれなりのピッチングが常に出来るところです。
今年の貯金10は特異なことでもなく、昨年が3で一昨年は6と貯金を作れる投手です。
これは中継ぎ投手としてスタートした経験、無駄な失点をせずに試合を壊さないようにしてきた実績が活かされているように思えます。

そんな小林宏を支えているのはやはり制球力、無駄な四球を与えないピッチングスタイルです。
針の穴を通すようなコントロールを持っているわけではありませんが、調子が悪くともストライクを簡単に取れる高いレベルの制球力が彼の武器となっています。
彼が四球を簡単に出した時には何かがおかしいと思えるほど、四球を出さない投手として有名になりつつあります。
また低めを丁寧につくピッチングスタイルがフォークのキレとともに際だっており、ここぞという場面で三振が獲れるのもストライク先行で自分の土俵で勝負できているからこそです。
この安定感はチームにとって宝であり、何としてでもメジャー流出は避けたいところです。
FAが9年という制度が続けば順調にいって2010年に権利獲得ですから、3年後には大騒ぎになりそうです。

そんな小林宏の課題は、やはり下半身強化だと思います。
CSでもありましたが、下半身の痙攣で降板するケースが最近増えてきました。
これは単に走り込みが足りないというような単純なものではないでしょうが、立花スタイルの弊害が理由の1つではないかと疑ってはいます。
何にせよYFKの不調で終盤は完投が増えたものの、それまでは6~7回という割と早いイニングでの交代が多かったことはエースを狙う立場としては物足りないと感じています。
昔のように先発完投が必須とは考えていませんが、中6日が保障されている以上は120球で8回を最低ラインに考えて欲しいと思います。

またシーズン終盤に調子が落ちたこと、この癖も何とかしたいところです。
開幕ダッシュして8月に最高潮となり、そして9月以降に調子を落とすというパターンが毎年のように続いているように思えます。
ここまで何年も先発としてやってきているのに1年間を投げ抜くスタミナがないとは思えませんので、どこに理由があるのかを模索して欲しいと思います。

来季の開幕投手は小林宏が最有力候補です。
本人は今年も狙っていたように積極的ですから、余程調子が悪くない限り鉄板だと思います。
来季はエースとして他の先発陣を引っ張るような言動を期待していますし、15勝を目指して頑張って欲しいと思います。


【オリオン村査定】 1億3000万円 → 1億9000万円 (△46%) ※2年3億8000万円

 

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2007年通信簿 40 渡辺正人

2007-11-23 20:21:11 | 千葉ロッテ

40 渡辺正人 内野手 28歳 年俸2100万円

【2007年成績】 34試合 52打数 7得点 9安打 打率.173 2二塁打 0三塁打 0本塁打 3打点 0盗塁 5四死球 16三振 得点圏打率.154

100試合以上に出場したこともある渡辺正も、TSUYOSHIと今江の台頭で年々出番が減ってきました。
課題の打撃も2年連続1割台と低迷したままで、来季は1軍戦での出場すら難しいかもしれません。

一昨年のアジアシリーズで放ったホームランを見ても分かるとおり、今の成績は力を出し切れていないとしか思えません。
2003年には7本塁打をマークしましたし、高校時代は強打者として名を馳せた選手でした。
何かきっかけさえ掴めば、ブレークする余地は充分に残されていると思います。

ただ今の内野陣を見た時、そのブレークするためのチャンスがあるかどうかが疑問であることも避けられない事実です。
オーティズがセカンドに鎮座した場合、残るは守備要員としてのポストを根元らと競い合うことになります。
ルーキーの時に2軍で信じられないぐらいエラーをしたザル守備も今や昔、すっかり堅守を誇る渡辺正ですからポスト酒井を目指して守備に磨きをかけることが出場機会を得るための最短距離となるでしょう。
そして打撃に確実性を増すこと、通算でも3割を越すような三振率では打席に立つことは非常に困難となります。
私はあまり評価していませんが、以前のバントの構えからのスイングに戻してもいいのかもしれません。
また動体視力を鍛えること、これも必要ではないかと思います。

ここぞという場面でミスをする、そういうイメージを払拭することも渡辺正にとっては重要です。
バントの場面で代打で起用されてミス、守備でタイムリーエラー、今年は目につきました。
酒井のように業師としての存在感や安定感を増すこと、来季はこれを目標にして欲しいと思います。


【オリオン村査定】 2100万円 → 1800万円 (▼14%)

 

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まだ清水ネタを引っ張るのか・・・

2007-11-23 19:31:27 | 千葉ロッテ

沈静化に向かったと思われた阪神の清水獲り、今度はサンスポが記事にしました。

先発補強第2弾!ロッテの「ミスター完投」清水直獲りにトラ本腰 (11/23 サンケイスポーツ)

阪神がロッテ・清水直行投手(31)の獲得に本腰を入れることが22日、わかった。
球団幹部が初めて明言した。
交換要員の調整がつけば、一気にまとまる可能性が大。
日本ハムから獲得した金村暁投手(31)に続く大型トレード第2弾で、最大の課題だった先発ローテーション再編にもメドがつく。
大型トレード第2弾が現実味を帯びてきた。
ノドから手が出るほどほしい先発完投型の投手。
ロッテの清水直獲りへ、阪神が本腰を入れる。
「興味? もちろんある。欲しいことは欲しい選手。今季は不調だったが2ケタ勝利は見込めるし、地元・関西出身(西宮市)ということもある」。
この日、球団幹部が初めて熱い思いを口にした。
阪神で今季、規定投球回数に達した投手はゼロ。
先発ローテ再編のため、通算88勝の金村暁を日本ハムから獲得した。
しかし、大学生・社会人ドラフトで即戦力の東洋大・大場を抽選でソフトバンクにさらわれ、改めて補強の必要性に迫られた。
ロッテ側も、清水が1億9000万円の高年俸で今季6勝10敗と低迷したこともあり、阪神にトレードを打診。
一度は立ち消えになったが、通算74勝のうち16勝を完投で挙げた右腕の魅力が、阪神側で再びクローズアップされてきた。
ロッテは小林雅のメジャー移籍が決まり、薮田の流失も決定的。
左腕・藤田にも戦力外を通告したことでリリーフ不足に陥っている。
特に左の中継ぎ補強は急務で、交換要員に吉野らを求めてくる可能性が高い。
それがクリアできれば、一気にトレードがまとまりそうだ。
下柳、上園、安藤、福原に、金村と清水が加われば鬼に金棒。阪神が投手王国再建に突っ走る。

ここまで我田引水な記事を書けるとは、いくら大阪向けの記事とは言え恥ずかしくないのでしょうか。
しかも阪神の機関紙デイリーですら「阪神側から打診」としているのに、こちらではロッテからの打診となっています。
金村でさえ1軍で2勝、2軍で最優秀防御率をマークした中村泰で、それですら釣り合わない粛正トレードとすら言われているのに、本腰を入れて獲りにいく交換相手が吉野とは・・・冗談もたいがいにして欲しいものです。
吉野放出を決断すれば一気にまとまる?、まとめてもらおうじゃないですか(笑)

純粋に戦力面で考えても、江草、杉山、能見らのクラスに玉置や若竹らの若手をプラスしなければ到底成立するトレードではありません。
しかも戦力面で仮に釣り合ったとしても、今オフの清水放出は絶対にあってはならないことは以前も書きました。

今日も話題が豊富でした (11/14 オリオン村)

清水は来季も復活できないかもしれませんし、吉野らが中継ぎとしてフル回転して優勝に貢献してくれるかもしれません。
しかしそんなことよりも、チームとしての求心力を失うことの方がロッテにとっては大きな痛手となることは間違いありません。
YFKの解体で投手陣の一角にぽっかりと空いた穴、そんな中で選手会長として清水の「来年、また同じロッテのユニホームを着ることを忘れずに」との言葉はチームにとって千鈞の重みがあります。
現実味があるかどうかは置いておくにしても、従来から主張していたポスティングでのメジャー移籍を封印してまでも来季に賭ける思いを吐露してくれた清水は、こと今年に関しては絶対に出してはならない投手です。

オフで新聞が売れない時期ですから、球団幹部という名前も出せない適当な記事を書いて阪神ファンの購買意欲を高めたい気持ちもわかりますが、それにしても馬鹿にしすぎです。
デイリーの記事をパクったかの様な「ミスター完投」、笑わせてくれます。
フロントも馬鹿な話と放置するのではなく、「清水はチームの中心、トレードなどありえない」ぐらいのコメントを出してもいいのではないかと思います。
そうすれば清水のモチベーションも上がるでしょうし、浮き足立っている投手陣の引き締めにも繋がるでしょう。
そしてYFKの穴は即戦力ルーキーと2軍からの台頭で埋める、これが来季への既定路線です!

 

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