徳島を出て高知に向かう途中で、川島に寄って川島城を見てきました。
あまり知られていない城だと思いますが、丸亀城や高松城を凌ぐ天守閣がそびえ立っています。

見事すぎる天守閣ですが、残念ながら鉄筋コンクリートで再建をされた模擬天守です。
城内には槍や甲胄などが展示をされているものの多くは会議室などになっており、城の形をした公民館と思った方がよいでしょう。
蜂須賀氏の阿波9城の1つとして重要な役割を担っていましたが、江戸時代に入って一国一城令により廃城となりました。
支城という意味から往時にこういった規模の天守閣があったとは思えず、どこぞの城の天守閣を模したものだと思われます。

川島市街です。
JR阿波川島駅は無人駅で、またコインロッカーも無かったために荷物をどうしようかと困り果てたのですが、駅前の靴屋さんが快く預かってくれました。
こういった地元の方の温かい気持ちに触れることができるのも、旅の良さの1つです。
この川島を後にした頃から雨が降り出し、高知に着いたときにはかなりの雨量となってしまい、祈るような気持ちで四国2日目を終えることとなりました。

そして四国3日目はホテルを出たときには降っていた雨も数分で止み、止んでいる間に少しでも移動をしようと必死にペダルを踏みました。
まず最初に訪れたのが長宗我部元親の菩提寺であり、またその戒名である雪蹊恕三大禅定門から寺名をとった雪蹊寺です。
この雪蹊寺には長宗我部信親の墓があります。
長宗我部元親の嫡男である信親は織田信長から偏諱を受け、また文武両道で元親の期待を一身に受けていました。
しかし島津攻めの際に戸次川の戦いで壮絶な討ち死に遂げてしまい、このことで元親の後継問題が騒動となって多くの一門、重臣を失うことになります。
信親に全ての重臣と7割を越える兵士が運命を共にしたことからも人望があったことが分かりますし、長宗我部家の凋落はこの時から始まったと言ってよいかもしれません。

次に向かったのは、昨秋に行きたいと表明をした若宮八幡宮です。
七つ酢漿草の幟がはためいており、これだけで胸がドキドキとしてきます。
早朝で時間前ながらも無理をお願いして中に上げていただき、ミニチュアの幟と絵馬を購入しました。
長宗我部元親を大河ドラマに、との署名にもしっかりと名を連ねてきたことは言うまでもありません。
ちなみに時間が早かったこともあってか、歴女の姿は見られませんでした。
その若宮八幡宮の参道にあるのが、長宗我部元親の像です。
1998年に建立をされたので高知は3度目にして見るのは初めてで、史跡としての価値は当然ながらありませんが、山内家一色の感のある高知で長宗我部にかかるこういったものが作られただけでも、長宗我部フリークとしては涙が出るほど嬉しくなります。
その嬉し涙が乾かぬうちに、長宗我部元親の墓を訪れました。
以前と同様に案内板は朽ち果てたままでしたし、手前にあった愛馬の塚の説明板は姿を消してしまい、高知市にはもっと長宗我部を大切にしてもらいたいです。
一時は四国全域に覇を唱えた長宗我部元親はゲームのおかげでブームになりつつありますので、やや不純な動機ではありながらも役所が重い腰をあげてくれるきっかけにでもなってくれればと、そう願っています。
ここから桂浜に向かったのですが、雨が止んでくれてとても助かりました。
目的の浦戸城跡は平山城ですから登りが厳しく、傘を差してなんてことは到底無理だと思い知らされました。
これは桂浜から岡豊城跡に向かうために浦戸大橋を渡ったときもそうだったのですが、雨が降っていたら自転車での散策はとても無理で、散々な高知になるところでした。

浦戸城は岡豊城を本拠にしていた長宗我部元親が、大高坂山を経て1591年に居城を遷した城です。
三層の天守を誇るそれなりの規模の城であったようですが、関ヶ原の戦いで元親の四男である盛親が敗れたことで、山内一豊が掛川から土佐に移封をされてきます。
その一豊は元親が断念をした大高坂山に高知城を築いて1603年に遷ったために、この浦戸城は僅か13年で廃城となってしまいました。
今は高知県立坂本龍馬記念館や国民宿舎の建設により遺構は大半が失われてしまい、天守跡には小さな祠が寂しそうに建っていました。
私が確認をできたのは、国民宿舎の奥の石垣、同じく国民宿舎の駐車場の脇の石垣、そして龍馬記念館の奥にある井戸ぐらいでした。
悲しいぐらいの破壊っぷりで、ここでテンションがちょっと下がってしまいました。

その浦戸城跡からの、坂本龍馬の像や土佐犬の闘犬で有名な桂浜です。
前の2回は欠かさずに訪れた場所ですが、幕末に興味が無くなったのと、天気が心配で今回は素通りとなりました。
ここから南国市にある岡豊城跡に向かったのですが、雨は止んだものの太陽が顔を見せていなかったために方角が掴めず、何度か道を間違えてかなり時間を無駄遣いしました。
雨対策でバッグをビニール袋にくるんでいたために、ポータブルナビを出すのを面倒くさがったのが失敗でした。
もっとも日の出とともにホテルを出たために、岡豊城跡にある高知県立歴史民俗資料館の開館時間にはぴったりでしたので、天気の回復もあって焦りはありませんでした。
焦っているのはgooのブログの文字数制限のために中途半端な構成にならざるを得ないことで、かなり頭を悩ませています。
旅程篇は写真の一部を省略する羽目となりましたし、早急に改善をしてもらいたいです。
【2009年8月 四国の旅】
四国巡り
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