駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

ネットショップでは分からない

2020年05月16日 | 小験

               

 

  一昨日、油が切れたので新しく見つけた隣町の画材屋へ行ってみた。雛には希な大きな店で、私が知らなかっただけの老舗らしく、小柄な婆さんが奥に陣取っていた。各種絵具、絵筆、キャンバス、額がずらりと並び、暫し圧倒されて立ちすくんでしまった。

 絵を描かれる人でないと分からないかも知れないが、なんとも幸せな気分が湧き上がってきた。百円玉を握って駄菓子屋に入った子供の気分だ。これはネットショップでは決して味わうことのできない気持ちで、つい高価な絵筆まで買ってしまった。女主人と話をすると御主人は額の製作もするようだ。一度頼んでみるかと思いながら店を後にした。

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何が効いたか

2020年05月15日 | 医療

              

 

 新型コロナ感染が沈静化してきているのは確かなのだが、一つ大きな疑問が浮かび上がる。マスコミではあまり問題にされないようだが、なぜ感染が爆発的に増加せず取り敢えずは上手く押さえられたのだろう?。公平に見て後手を踏み十分なPCR検査をしなかった内閣の対応が優れていたとは思われない。

 日本人の国民性や生活習慣が関係しているような気がするけれども、科学的な裏付けが必要と思う。心配性で同調圧力が強く、抱き合ったり握手したりすることが少なく清潔を好むことが有効だったのだろうか。マスクはどの程度有効だったのだろう。騒ぐマスコミも功罪はあっても自粛を促す方向に作用したように思われるがどうか。

 己の考えばかりを主張する意見言いたい人達は脇に置いて、地道な調査して分析する必要がある。災いに学んで生かすことが、現実には利害が絡み中々難しいけれども、後世への我々の務めと申し上げたい。これは大学の公衆衛生部門の仕事と思う。政府は口出しをしないで研究資金を援助して欲しい。

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親に似てしまう?

2020年05月14日 | 小験

             

 

 過ごしやすい陽気になった。新緑が目に染みる。父親の享年まであと三年、人が寿命をどう感じるか色々だろうが親が亡くなった年齢は一つの目安と感じる人が多いと思う。遺伝は勿論全てではないが確固たるもので、数多い患者さんを診ていると、長生きをしたければ長生きの親から生まれることだと実感している。

 三十年同じ場所で医業をしていると親子を場合によっては三代を診ることになる。小児科医の畏友、M君は診ていた子供が子供を抱いて受診するようになると笑っていたが、私の場合は看取った爺さんや婆さんの息子や娘が爺さん婆さんになって受診するようになる。二十五年前の九十才は長命なのだが、やはりその子供の爺さん婆さんも長生きの人が多く九十前後でも自分一人で受診できる患者さんが多い。

 親が比較的若く亡くなった場合は必ずしもお子さんも短命と言う事はないようだが、長命はさほど多くない印象だ。

 親父の享年は保険みたいなものであと三年は大丈夫なかなと思ったりする。三年なんてあっという間だ。勿論、出来ればもっと長く元気で居たいが、別に短か過ぎるとは感じない。苦しくなければまあいいやというのが正直な心境だ。晩年、父親は植物に興味を持ち、あれこれ草木の名前を調べていたらしい。庭いじりなど全くしない人だったので、妹からそれを聞いて妙だなあと思ったのを憶えている。それがこの頃やはり庭いじりなどしたことのない自分が、植木や野菜の苗を買ってくるようになった。成人後は父とは離れて暮らしていたのだが、遺伝のせいだろうかと不思議な気がする。

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ステイホームからどう抜け出すか

2020年05月13日 | 世の中

              

 

 今日も良い天気だ。気温はやや低めだが、これくらいが丁度良い。新型コロナ感染は地方自治体と国民一人一人の努力注意で徐々に減ってきている。何とかぶり返しを最低限にしてゆっくり新しい生活様式にはいってゆけたらと願う。

 もう二ヶ月近くになるので、ステイホームを守り過ぎて運動不足体重増加に陥っている患者さんが結構おられる。散歩は構いませんよ、自宅でテレビ体操などの運動をと指導しているが、テレビを見ながら口をもぐもぐになってしまうようだ。お上の指導を良く守る割に、自分には甘い人が多い。困ったことだが糖尿病の人に、そうした傾向が強い。血糖のコントロール状況を見て指導しているのだが、良くなったり悪くなったりの繰り返しになる人が三割くらい居る。血糖を下げる薬も良いが血糖が上がると頭が痛くなるとか、吐き気がするとかという薬も悪くないのではと思う。症状がないせいか食べることが楽しいせいか、節食は難しい。

 食事以外の時に口をもぐもぐさせると間食はいけません、あるいは歩数が少ないと今日は運動不足ですとと警告を出すプログラムを携帯に入れてはどうかと思う。残念ながらうるさいと外してしまう患者さんも多そうだ。

 徐々に警戒レベルが下がってゆく、新型コロナが問題にならなくなるには一年以上掛かると思う。それが過ぎても平成の時代のような生活は戻ってこないだろう。三密を避ける暮らしで、仕事がなくなる人に新たな仕事を創出しなければならない。仲間で固まり忖度まみれ言葉でまやかす安倍内閣には期待できない。誠実に事実を見つめ自由闊達に考える方向に政治をと蟷螂の斧を振り続けたい。

 日本の仕事の仕方は生産性が低いこと、科学技術が社会に十分生かされていないことに気付いている人が少ないと思う。

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適性の問題、粘りが足りなかった

2020年05月12日 | 人生

      

 

 医者は卒業して国家試験に通っても、雛に過ぎず殆ど何も出来ない。それに医業は眼科耳鼻科小児科皮膚科・・と十以上の科に分かれており、しかもその科の中も数種から十数種の専門分野に分かれている。そうした疾患の専門性の他に基礎と臨床、研究と診療それに行政職などの区別もある。どれかを選んで修業しないと一人前になれない。

 そのため百人の卒業生が居れば、全く同じ領域を選ぶことはないといっても過言ではない。勿論、臨床医の場合は例えば内科医になれば高血圧症や糖尿病などよくある疾患は一通り診療できるようにはなる。

 卒業が近づくと、医者になるといっても、果たしてどの分野のどんな医師になるか多くの医学生は迷い悩む、勿論、全く何の迷いもなく消化器外科に決めているとか小児科に行くという奴も居た。

 私は粘り強くないということと父親が同じ開業医だったので巡り巡って、今の仕事を選んだような気がする。一時研究者にと思ったが、アイデアは良いと褒められても粘りがなくやめた。よかったかどうか分からない、しかしまあ人生は良かったと振り返りたいものなのだ。あの時ああしていればといつまでも悔やむのは賢くないと教えられ学んだ。

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