駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

親に似てしまう?

2020年05月14日 | 小験

             

 

 過ごしやすい陽気になった。新緑が目に染みる。父親の享年まであと三年、人が寿命をどう感じるか色々だろうが親が亡くなった年齢は一つの目安と感じる人が多いと思う。遺伝は勿論全てではないが確固たるもので、数多い患者さんを診ていると、長生きをしたければ長生きの親から生まれることだと実感している。

 三十年同じ場所で医業をしていると親子を場合によっては三代を診ることになる。小児科医の畏友、M君は診ていた子供が子供を抱いて受診するようになると笑っていたが、私の場合は看取った爺さんや婆さんの息子や娘が爺さん婆さんになって受診するようになる。二十五年前の九十才は長命なのだが、やはりその子供の爺さん婆さんも長生きの人が多く九十前後でも自分一人で受診できる患者さんが多い。

 親が比較的若く亡くなった場合は必ずしもお子さんも短命と言う事はないようだが、長命はさほど多くない印象だ。

 親父の享年は保険みたいなものであと三年は大丈夫なかなと思ったりする。三年なんてあっという間だ。勿論、出来ればもっと長く元気で居たいが、別に短か過ぎるとは感じない。苦しくなければまあいいやというのが正直な心境だ。晩年、父親は植物に興味を持ち、あれこれ草木の名前を調べていたらしい。庭いじりなど全くしない人だったので、妹からそれを聞いて妙だなあと思ったのを憶えている。それがこの頃やはり庭いじりなどしたことのない自分が、植木や野菜の苗を買ってくるようになった。成人後は父とは離れて暮らしていたのだが、遺伝のせいだろうかと不思議な気がする。

コメント (2)
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