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駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

判定停止基準

2015年10月03日 | 町医者診言

                  

 秋の夜長に頭に浮かんだことを書いてみたい

 世の中は判断放棄によって微妙な平等が行われていると今更ながら感じた。NHK受診料義務化から考えを巡らしたわけではないが、判断が難しい判断の手間が取れない判断の責任を取りたくない・・の理由によって、三次元の世界を二次元の書類に落として、一次元の判定で平等的に扱うのが世の中の智慧?らしい。

 板チョコや新聞が均一の値段なのは分かり易い。バス代や汽車賃も同じ区間なら同一賃金なのだが、これはよく考えるとおかしい。本当は背の高い人、低い人、重い人、軽い人がおり、同じ費用で運んでいる訳ではない。まあしかし、この辺りは一人前そして同じ目的という概念で許容できよう。

 床屋さんや美容院などは本当は手間が掛かる頭と手軽な頭で料金が相当違うはずだ。医院の初診料も鼻風邪から肺炎まで、目から鼻に抜ける人から三回説明して漸くの人まで均一料金だ。この辺りまでは一回一通りという概念で許容できるかもしれない。しかし本当の所は個別の料金があってもおかしくはない。ただ、風邪引きのお嬢さんが1000円で、腎盂炎のお婆さんは3000円と言い出せば、何でだ何処がどう違うと揉める可能性が出てくる。八割方納得の説明が出来るだろうが、橋下さんのような患者さんに引っ掛かればああでもないこうでもないと時間はかかるし一体幾らになるかも分からない。それに病院によって料金が違えば、妙な競争も起き院長は神経をすり減らし、結局医療が歪んでしまうだろう。

 この辺は落語や漫才のネタに使って貰うとして、現実の例えば生活保護の判定となるとちょっと焦臭くなってくる。三十名近い生活保護の患者さんを診ていると、口では一切余計なことは聞かないし顔にも出さないが、心の中ではどうなっているのだろうかと思うこともある。この辺りはマイナンバー制度である程度クリアーされる部分もあるだろうが、人間はなぜそうなったかなどと余計なことまで考えるので、やはり首を傾げることはあると思う。もっと踏み込んで卑劣な犯人の黙秘など、判定困難回避で均一平等なものもあると思われる。

 微妙なことを書いた。勿論、何にでも厳格な判定が望ましいと思うわけではない。

  NHKの受診料義務化には反対、言いだす資格が無い。

 

コメント (2)
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