国家百年の計は教育にありと言う。百年はちょっとオーバーな感じもするが、少なくとも三十年先を考えれば、教育ほど重要なものはないだろう。しかしまあ、いつも問題なのは何をどのようにという中身なのだ。安陪首相も志位委員長も教育の大切さでは一致しても、その中身にはかなりの違いがあるだろう。
水と油のように言われる自民党と共産党は勿論、いがみ合う維新や病膏肓の民主や名前ばかりの少数政党まで、一致できる教育改革がある。それは教育者改革だろう。粗悪な教育者とは呼べない教育者と名ばかりの教育者を一掃する必要がある。
我々の業界でも問題人は居るのだが、周囲の評価が間違いを減らしている。不適切な行為や違反には幾つかの罰則があり、毎月何十人もが対象となっている。
教育者改革は周囲の評価だけでは不十分でさまざまな手を打つ必要があると思うが、容易なことではないだろう。それでも教育改革よりは手っ取り早くある程度の実効が得られるだろう。ちょっとイージーな方法だが捕らえてみれば**先生は、五割増しの罰則でもよいかもしれない。