京都市美術館でマグリットを見てきた。錦秋にはまだ早いが十一月の京都は混んで身動きが取れないので、紅葉のはしりも楽しんできた。
ポスターや図録で見るのと本物とでは印象が違うことがよくあるが、マグリットは、ポスターと印象が殆ど変わらず、なるほどと堪能してきた。家内はシュールなところがあまりお気に召さないようで、三十分近く早く見終わってしまった。
ポスターと印象があまり違わないというのはやはりそうした絵だとも言える。組み合わせや謎解き的な意味ありげさに特徴がある。家内のように感覚的な美しさを求めれば、嫌らしいというか奇妙な感じがして優れた作品とは感じられないのだろう。
美しさとは何だろうと考え出せばきりがなく考えてもわからないとということになりそうだが、現代の絵画には何だろうどういうことだろうという要素が付いて回る。勿論、十七世紀の絵画にも物語や寓意はあり、絵は感じればよいのですなどと安請け合いは出来ない。
俗世間に立ち帰れば、京都は質が二割増しで値段はさらに上乗せの感じがする。確かに雛にはないちょっと旨いちょっと洒落たと感じられるのだが、お値段はかなり高い四割五割増しの感じがする。世界に冠たる観光都市だからそれでよいのか、それとも如何なものかと申し上げねばならぬのか、よく分からない。確かなことは何かを申し上げても、表面はそうどすなと受け答えされても、素直に引き下がることはないだろうなということだ。そうしたわけで?京都では伊勢の赤福をお土産に買って帰るのを定番としている。