駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

一票の格差違憲は当然

2013年03月26日 | 町医者診言

                 

 広島高裁は一票の格差は違憲とし、広島一区二区の先の衆院選挙は無効の判断を示した。当然の判決と思う。学校で三権分立と教えながら、行政国会に配慮するところがあった司法としては画期的な判決とする意見も多いだろう。

 問題を言葉で糊塗して遣り過ごそうとする政治家への痛烈な一撃となることを期待する。いずれ選管は上告するであろうが、最高裁は一カ月で結論を出せるはずである。証拠や事実関係の分析の問題ではなく、司法の判断を聞かれるだけなので直ぐに答えられる。日頃から一票の格差について考えていなかったなどという最高裁裁判官は居まい。

 選挙制度改革は長期にわたる懸案である。政治家の意見は出尽くしていると思う。格差二倍以内は待ったなし、政治家には決められないので、三十人規模のあらゆる層の代表者会議で決めてもらえばいい。

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忙しない今年の桜

2013年03月25日 | 自然

                         

 今年の桜は予期せぬ早咲きで、あっという間に満開になった。桜を迎える心の準備が出来て居らず、寒かった冬が去ったと思ったらもう咲くのという感じで、例年のような感慨が湧いてこない。いつもは桜を見ると小学校の校庭を思い出して、半世紀以上昔の思い出がわっと湧き上がって来るのだが、今年は残念ながらちぐはぐで桜に桜を感じない。

 勿論、桜に何の罪もないのだが、桜は卒業式の花ではなく、入学式の花の印象が抜けない私には、3月20日の開花は早過ぎた。それに医院の職員の退職補充という、心を忙しなくする出来事が重なったせいもあるだろう。

 少し落ち着いて見直そうなどという余裕を与えてくれないのが桜で、次の週末には散ってしまいそうだ。しかしまあ、それが桜なのだ。

 それでも散る花弁は Man is mortal と告げて行く。

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景気下方に未浸透

2013年03月24日 | 世の中

           

 アベノミクスで景気は一見上向きである。それは総計での話で、工業土木金融系の活性化と資産資金のある人の動き出しが効いているからだ(町医者の観測だから余り当てにならないが)。

 しかし就職最前線は相変わらず厳しい。中層以下までは景気回復が浸透していない。医院の事務職の求人をハローワークに出したところ僅か二日間で二十名の応募があった。余りに多いので、一端打ち止め保留にして貰った。

 応募者の年齢背景は様々だが、何とかして安定した職を得たいという気持ちが滲み出た切羽詰まった方が多い。仕事は熱意だけでは出来ないので、冷静に厳しく面接して行くことになるが、十年前よりも就職前線は厳しさを増していると感じた。

 差し障りのある表現かもしれないが、派遣会社に居られる方は、なかなか抜け出せず定職を求めて苦戦されているように見受ける。派遣方式が中小企業のショックアブゾーバとして機能しているのが垣間見えた。

 不況時のために手に職をとよく言われるが、看護師免許は最強の手職の一つだろう。友人の消化器科開業医が俺んとこは半年前から看護師の募集をしているが、未だ見付からないと嘆いていた。一方、特別な資格を持たない女性にとって今も安定した職を得るのは極めて難しいようだ。

 職業に貴賎はなく、こうした切り口はあざとく感じられるかもしれないが、現実には違いない。

 

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高齢運転者対策を

2013年03月23日 | 小考

         

 日本はアメリカほどではないがそれでも車は生活の必需品に近い。高齢者から一律に免許を奪うのは、賢明でないように思う。車が運転できないために生活内容が乏しくなった高齢の患者さんを何名も知っている。閉じ込められた生活は老化を進行させてしまう。

 高齢者の自動車運転を抑制する周囲(家族と行政)の圧力は、高齢者は運転技能が低下し事故が増加することからきている。確かに自動車事故は大きい怪我や、場合により死亡事故にも繋がるので、当然の動きだ。であれば事故を減らす工夫ができれば、やや運転技術が低下した程度の高齢者であれば、運転持続可能になると思う。今でも落ち葉マークなどと言われる高齢者用のステッカーがあるが、高齢者が運転中なのが遠くからでも視認可能な、車全体の黄色い鉢巻着色を義務付け、速度が40km以上でない制限を機械的に施し、高速あるいは速度制限50km以上の道路走行(横断可)を禁止にするとかすれば、重大な事故は減ると思うが、いかがなものか。

 と言うのは高血圧通院中のNさん83歳が家族から運転禁止命令が出て、近場の温泉に行けなくなったせいか、この頃めっきり老けこんで凋んできたのを目の当たりにしているからだ。ついこの間までは温泉に行くと生き返る、膝の調子が良くなると、週に何度も30分ほどの田舎路を通っていたのだが、たかだか半年の閉じこもりで、今は足取りもおぼつかなく、言葉も不明瞭になってきた。

 近未来にはコンピュータ自動制御で運転可能な車と道路が出てくるかもしれないが、それまでN爺さんは頑張れない。

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体罰の調査結果から

2013年03月22日 | スポーツ

                         

 スポーツ選手の体罰の経験者が調査の結果、十数%だったと出ていた。「以外と少ないなあ」。という指導経験者の正直な感想も出ていた。ちなみに体罰を加えた側の経験者は3%であった。

 数字をそのまま鵜呑みにすれば、体罰を加えたことのある指導者は加えなかった指導者の何倍もの選手を指導していたことになる。

 こうした調査にはバイアスが掛かっており、実際の率とは大きくかけ離れているだろう。表沙汰にしたくない選手心理と批判されたくない指導者心理があるだろう。その他に、体罰を体罰と感じていない選手と体罰を体罰と思っていない指導者が居るだろう。

 行き過ぎた愚かな体罰といういじめに端を発すれば、体罰は悪という斉唱になってしまう。斉唱になれば問題認識は一過性で掘り下げられることなく、対策も皮相に終わってしまう。

 体罰とは何か?。体罰の効果は?。どのようにして人を教育するか。アテネとスパルタの対立の意味するものは・・・、とても一朝一夕には答えられない問題が含まれている。こうした難問が人の噂も七十五日式に扱われることのないように願う。

 その一方、ちょっと脱線するが、まだオウム裁判が続いているのは長すぎると思う。オウム問題の解明には何十年も掛かるだろうが、オウム犯罪の裁判にこのような長い年月を掛けることは司法の歪み政治行政の怠慢と感ずる。

 

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