スポーツ選手の体罰の経験者が調査の結果、十数%だったと出ていた。「以外と少ないなあ」。という指導経験者の正直な感想も出ていた。ちなみに体罰を加えた側の経験者は3%であった。
数字をそのまま鵜呑みにすれば、体罰を加えたことのある指導者は加えなかった指導者の何倍もの選手を指導していたことになる。
こうした調査にはバイアスが掛かっており、実際の率とは大きくかけ離れているだろう。表沙汰にしたくない選手心理と批判されたくない指導者心理があるだろう。その他に、体罰を体罰と感じていない選手と体罰を体罰と思っていない指導者が居るだろう。
行き過ぎた愚かな体罰といういじめに端を発すれば、体罰は悪という斉唱になってしまう。斉唱になれば問題認識は一過性で掘り下げられることなく、対策も皮相に終わってしまう。
体罰とは何か?。体罰の効果は?。どのようにして人を教育するか。アテネとスパルタの対立の意味するものは・・・、とても一朝一夕には答えられない問題が含まれている。こうした難問が人の噂も七十五日式に扱われることのないように願う。
その一方、ちょっと脱線するが、まだオウム裁判が続いているのは長すぎると思う。オウム問題の解明には何十年も掛かるだろうが、オウム犯罪の裁判にこのような長い年月を掛けることは司法の歪み政治行政の怠慢と感ずる。
二十年も時間をかけては記憶も薄れ関係者も年を取り、、判決も干涸らびるでしょう。