駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

飼い犬は飼い主に似る

2009年05月26日 | 小験
 飼い犬は飼い主に似るという記事を目にした。性格のことかと思ったら外見の事が書いてあった。飼っているうちに飼い主に性格が似てくるものだとばっかり思っていたのだが。その記事によると顔が自分に似ている犬種を好むのだと書いてあった。本当かなあ。狆とかブルドッグとかも、飼っている人が居るのだが。
 そう言えば開業当初、面白い経験をした。患者さんには農家の方も結構おられる。二十年近く前、山側の農家でお爺さんが脳卒中で寝たきりになったのでと、往診を頼まれた。訪問すると布団からなんだか独特の形の頭が覗いている。ちょうど痩せた福禄寿のようで、長い頭の周りが白髪交じりの五分刈りになっている。言語障害のせいか元来無口か、一瞥して軽く会釈をするきりで声が出ない。それでも以心伝心、家族総出で手厚く看護されており、問題はなさそうだった。帰り道、看護師と失礼ながら面白い頭の形だねえと話題にした。
 往診に行き始めた最初の秋、「お爺さんが丹精を込めて作っていたものですが」。と家の人が大きな箱を持ってきた。ありがとうございますと受け取ると重い。なんだろと開けると立派なキューイがびっしり詰まっていた。あれー、とすぐ思い浮かべたものがある。「先生、これNさんの頭にそっくりですね」。うむ確かに。まだ比較的珍しかったキューイに飛びついて作り始めたのは爺さんが無意識のうちに自分に似ていると思ったせいだろうか。きっとそうだ。
 数年後亡くなるまでキューイのNさんと呼んだことだ。
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西村由紀江さん

2009年05月26日 | 人物、女
 ピアノを弾きながら顔を傾け微笑んでいる女性がいる。女優が演技をしているのかと思ったら本当に弾いている、ピアノの音も微笑んでいる。
 西村由紀江さん。
 こんなに素敵な女性が居るのに今まで気が付かなかったとは、迂闊だった。ピアニストで作曲もされると書いてある。
 確か日本人が改良した幻のパイプオルガンを探す番組に出ていたと思う。全部を見たわけではないが、感じの良い女性だなと印象に残っていた。たかだか数回垣間見ただけで魅力がわかるかですと、もちろんわかる。密かなファンになってコンサートを聴きに行こうと決めた。
 テレビは衛星放送に限る。時々掘り出しものに会う。
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ちょございパスワード

2009年05月25日 | 身辺記
 カードとインターネットを利用するようになり、やたらとパスワードを請求されるようになった。当初は気楽に覚えやすいのを設定していたのだが、定期的に変更しろ、同じパスワードを使うな、誕生日など推定しやすいものを使うなと指示されるようになり、しかもメイル、バンキング、各種ソフト、ショッピングなどなどパスワードを要求される案件が増え、今では十数個に増えた。実は本当はもっと必要なのだが、あまりに煩雑なのでいくつかは同じパスワードを使っている。
 インターネットバンキングにはパスワードの検定があるので時々変更し長たらしいのを使っているが、もし悪者に見破られても、かえって同情されて振り込んで貰えそうな少額のへそくりが入っているだけである。
 正直、私に覚えられるパスワードは三つくらいまでで、それ以上になると覚えられないので秘密のノートに書いてある。持ち出し禁にしているので、外出先で必要なものはやむなくいくつか手帳にメモしてある。さいわい?悪筆なので他人には判読しがたいだろう。
 パスワードは4桁から35桁まで随分難度に差がある。35桁などというのは天文学学者もびっくりで想像を超えている。それでも私という存在のユニークさには及ばないのだ。人間一人一人はまあそうした存在で、凡そ命というのもは超複雑な組み合わせが統合した創造物なのだ。それをちょございなパスワードで識別しようとは不届きなと思っても、たかだか三つ四つのパスワードで躓いてしまう。なんということか。僅か小文字と大文字ひとつの違いで、紛れもない本人が曲者のように拒絶されてしまう。
 それに比べると、しばしば旧い夫の失策を持ち出して憮然とさせてくれる奥方は酔って調子はずれの「おーい」でも一声で門を開けてくれる、なんとも世の中は皮肉にできている。
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よく考える

2009年05月25日 | 身辺記
 日本の政治家の言葉とは思えない鳩山由紀夫の友愛という言葉がどのような経緯でどうした意味を込めて発せられたかまだよく分からない。これから徐々に明らかになってゆくと思うが、文字通りの意味が今の日本に浸透してゆけば、光が見えてくるような気がする。
 深い意味を込めて語られた言葉はしばしば上滑りに聞き流される。それでも相手を思いやる気持ちで語られた言葉は聞き手の心に残り、何年も何十年もしてから、ああそういうことだったんだとわかることがよくある。
 誰よりも私の事を考えてくれたのはやはり両親だ。反抗期というのか、若気の至りというのか、二十三、四までは親の言葉をうるさく感じた。
 孫の顔もぎりぎりで見せることが出来たし、自分は親不孝ではなかったと思うが、両親共に比較的早く亡くなったので、親孝行をしたかったというか、三十過ぎてからもっとたくさん話がしたかったと思う。
 総合病院の人事のごたごたで嫌気がさし、独立しようか迷った時など、両親はなんと言うだろうかと思ったことだ。勝手に「おまえの良いようにしなさい」。と言ってくれると思って、そうしてきた。中にはああ言ってはいたがと思い出しながら、その通りにしなかったこともいくつかある。そして今、言っていたとおりにすればよかったと少し後悔している。親の言葉の凄さ見通しの良さに、今更ながら恐れ入っている。
 自分が男のせいか、四十を越すと父の言葉が社会性客観性があって、なるほどなと思いあたることが多かった。私の欠点というか弱点をきちんと知っていたんだと驚いている。批判精神は大切だが、楽しくやることを忘れてはいかんなど、その時は緩いことを言うと思ったが、組織の中社会の中で生きて行く時、幾度も思い出した。
 これは父自身の自戒の意味合いもあったような気もするが、おっちょこちょいの所があるから、やる前によく考えろと言われた。
 これは普遍性のある注意だと思う。何かをする前によく考えること、本当に大切だ。
 
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兄弟姉妹は似ているか

2009年05月23日 | 人物、男
 鳩山邦夫が独走している。西川社長はけしからん、不明瞭な仲間内の処理は許さない。そうかもしれない。しかしなんだかどうも、私(邦夫)の正義感が許さないなどと吼えるのは、教養と成熟の不足を物語っているように見える。
 確かに簡保の宿処理を見ると納得しにくい所はあるようだが、全体の中での位置づけ、政治的な意味合い、手続き上の瑕疵の有無など十分に考慮し根本に迫らねば、行政を気に入らないなどと感情で押し倒してよいものか。なんだか大向こうの喝采?を狙ったパーフォーマンスに見えてしまう。刺し傷に絆創膏を張って大見得を切る藪医者のようだ。
 中曽根が鳩山的思考をアイスクリームと揶揄した。由起夫の方はアイスキャンディに昇格?したようだが、邦夫は相変わらず不味いアイスクリームに思える。
 権力の交代なくして、政治行政に潜む腐敗を除去できないと確信しているので、由起夫を応援しているのだが、弟の邦夫を見ていると兄弟なので心配になる。
 物語では大抵、弟や妹の方が勇敢賢明公正で手柄を立てるようになっているのだが、現実はどうだろう。遺伝子的には兄弟姉妹は勿論赤の他人よりはうんと近しいし育った環境も似ている。そうなると兄弟姉妹は性格も似ていることになるのだが、私の経験では確かに似ているところはあるが、やっぱり違う、ほとんど他人という場合も多いのではと思う。一卵性双生児でさえ、大人になると相当違う、双子を持つ兄や友人は全く違うと言っている。
 兄由起夫が弟邦夫のような短慮でないことを願う。
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