駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

誰もが手にする梃子

2009年05月22日 | 世の中
 販売されている薬の数はそれこそ万とある。総合病院で常備する薬の種類は千前後、町医者で二百前後だろう。稀にしか使わない薬は取り寄せればよい。
 同種同効薬といって、ほぼ同じ効果の薬が一つの系統の薬剤に何種類もある。例えば血圧を下げるアンギオテンシン受容体遮断薬には現在六種類の薬があり、売り込みにしのぎを削っている。これら六種類の薬には微妙な差があるが、総合的にどれかが優れているというような差はない。六種の薬を販売している六社の説明を聞けば全て当社が一番と言うことになって、聞いている方は脳がこむら返りを起こす。
 私はそのうち四種類使用している。多くの内科医院も三,四種類採用していると思う。総合病院でさえ全て揃えているところは少ないだろう。在庫管理値引き使いやすさなどから、全てを置く必要はないのだ。
 薬を製造販売しているメーカーは各社販売促進員を揃えており、月に二三回薬の宣伝売り込みに回ってくる。彼らは世間話をする時は常識があるのだが、こと薬の話になると急に視野が狭くなる。何が何でも自社製品が一番となる。
 転勤で全国を回って来た人も多く、前任地名産のサクランボです、お口汚しですがなどと言って持ってくる。これを突き返すのも大人げない。といって、受け取ると一例でも我が社の薬を使ってみてください等と言い出された時、断りにくくなるので、本当に困る。
 彼らに取っては一医院でも採用の実績を上げることが第一の責務であり、いわば生活が懸かっているわけだ。それに支店に戻れば支店長の鞭が鳴っていたりするのだろう。別に妙な薬を売っているわけではなく優良な薬なわけだが、それしかないわけでなく同等の薬がいくつもあるところが売る方にも採用する方にも民主主義、違ったかな資本主義かな、とにかく自由競争の問題なのだ。
 ことほどさように、まあ品質保証付きならともかく、ちょっと妖しげな製品も生活が懸かっていると販売促進に体重が掛かるのは現実だ。アルキメデスは自分の体重で地球さえ持ち上げると言ったとか、その梃子をどの程度まで掛けていいものか、これが難しい。日本人は金持ちで隙がある、ちょいと懐やバッグから財布を失敬するのは職のない我々には当然のことだとまで身勝手な梃子を掛けられては敵わないのだが、それでも三分の理はあるかもしれない。
 それにしても山形のサクランボは旨い。五番目の薬を採用させられそうだ。
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美人はどこにいるか

2009年05月21日 | 小験
 世の中には美人がいる。しかし滅多にはいない。私の感じでは振り返るほど綺麗な女性は人口千人に一人くらいの感じがしている。非の打ち所のない美人は百万都市に一人くらいだろう。生涯に二、三度お目にかかれるかどうか。
 美人の基準は時代や民族によっても異なるだろう。では美の基準はどうなんだろうと切り返したくなる。なにか数学的な感覚が関係しているなら、美には人類共通の形があるような気もするが。
 ヨーロッパを旅すると若い人女性には、はっとするような美人が結構いる。残念ながら中高年で美人は激減する。日本は中高年で頑張っているから、平均すると美人の数は似たようなものか。
 では美人は魅力的か、この問題に答えられるほど詳しくはないが多分そうだろうと思う。ただ美人でなくても魅力的な女性が数多くいるのは確かだ。美人にはいくらか、魅力にはかなり個人差があるから、口角泡を飛ばして議論することではないとは思う。価値は希少であることで高まるものだ。美人は滅多にいない。
 有無を言わさぬ美人の定義、それはその人が入ってくると部屋が明るくなること、これは本当ですよ。
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己に気付く

2009年05月20日 | 小考

 自分のことはよく分からないものだ。それに自分と他人との評価はある程度ずれるのが普通だ。世にあって他人がする私への評価は、そうかと受け入れるしかあるまい。まあ、批判は耳に入りにくいものだから、苦言は快くはなくても耳を傾けねばと思っている。
 朝から妙なことを書き始めたが、内省というか自分をある程度客観的に観察する能力はしばしば個人の危機を救う。医療では病識があるかどうかをしばしば問題にする。病識とは自分が病気であることを自覚しそしてその内容をある程度客観的に把握していることをいう。
 内省には自分の己に対する感覚を研ぎ澄ますことと世界の中の自分を俯瞰することの両方が含まれると思う。これが恐らく生きていることの意識のようなもので病識に対し、生識(造語)とでもいうべきものかと考える。こうした考えは哲学や宗教ではもっと深く玄妙に明らかにされているだろう。
 私は町医者として診察室に座って、時にいらいら時にがっかりしながら、何かが足りないと感じてきた。つまりもうチョット病識や生識があったらなあと思うわけだ。蟻地獄というか堂々巡りというか、袋小路に陥り、自分の不調不安不満をぶら下げて医者を転々とし、隣のおばさんの言葉に踊らされ、何万円もの健康食品を買っている人達。あなた、それでは何処にも辿り着きませんよと言いたくなる。残念ながら力不足の私の言葉は彼等の中に入り込んで行かない。
 なぜ私の言葉が上手く浸透してゆかないのかと思うこともある。熱意が足りない、時間が足りない、誠意が足りない。もちろん相手にも色々問題があるわけで、たいてい匙を投げてしまう。経験から精神科医はほとんど役に立たない。心理療法士はたぶん力になると思うが、周りには居ない。信仰が力あるかも知れないが、そうした人達には敬虔な方はほとんどいないので門前で留まっているのだろう。 
 時々恐ろしいことを考える。それは本当は自分はあまり賢くない人が嫌いなのではないか、それが壁を破れない原因ではないかと。

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会議は踊るか機能するか

2009年05月19日 | 医療
 厚労省の新型インフルエンザ対策が変更される模様である。妥当だと思う。新型インフルエンザ対策は不確定要素が多いとしても科学的な事象なので会議から納得の線が出てくると予想するが、問題なのはメンバー構成である。以前にも触れたが現在進行形で患者を診ている医師を少なくとも四分の一程度は入れる必要がある。・・長の中には臨床経験の乏しい、あるいは臨床から遠ざかっている人も多いから非現実的なことを主張される恐れがある。本当の学者は臨床のことは臨床医に聞いてくれるのだが、元臨床医は現場感覚が薄れているのに聞かない傾向がある。
 均衡の取れたメンバー構成ができたら次は員数だ、七、八名が適当だと思う。十五名以上では本当の議論はできない。現在まで、まずまず合格の桝添大臣だが、本当に有能なスタッフを揃えているか、ご自身に危機管理能力があるか、これから問われてゆく。
 橋下知事は機を見るに敏な人だ。最初は半信半疑だったが、既成慣行に縛られず適切な提言をする。柔軟迅速な対応が厚労省で取られることを願う。
 こんな事を一町医者が心配するのは滑稽だが、どうして彼がメンバーじゃないのかということもあるし、現実に前線の対応はバラバラなのだ。
 神戸の友人医師が嘆いている。なんでまた神戸なんだろうと。確かに、なぜか美しい港町神戸は災害に見舞われる。インフルエンザはさして恐くないが、それよりも煩雑な対応の準備連絡作業、休業と風評の心配等で忙殺され医師会役員の彼は憔悴している。他人事ではないかもしれない。当地に来るのも時間の問題だろう。その頃には厚労省の方針も変更され、過剰な反応も鎮静化しているのを願う。
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雨の日曜日

2009年05月18日 | 身辺記
 日曜日は雨、昼食を食べに出ただけで、あとは家でテレビを見たり本の整理などをした。CSテレビを見られるようにしたのでチャンネル数が50局近くに増えた。地上波と違い歯に衣を着せぬ本音討論やゆっくり趣味的な話題を掘り下げる番組それにBBCとCNNが見られ楽しい。
 見たい番組を同時にやっていることが多く、あちこちチャンネルを変えながら見る。山道の運転と同じで、運転している者(チャンネルを変える者)は酔わないが同乗者(横で見ている人)は気持ち悪くなる。かみさんと一緒には見ることが出来なくなった。お互いに先聴視権を尊重しているが、日曜日は大体私に譲ってくれる。もっともコマーシャルが流れているので変だなと彼女が覗くとテレビの前でうたた寝をしていることも多いようだが。
 本を片づけるといっても結局捨てるしかない。もう書庫が一杯なのだ。十年前新築して引っ越す時、泣く泣く千冊ほど捨てたのだが、十年でまた千冊近く増えた。思い切って図書室を作っておくんだったと思うこともあるが、どんなもんだろう。数ページしか読んでいない本も結構ある。読了した中にも、くだらなかったもう読まないだろうという本がある。それでも本を捨てるのには不思議な抵抗感がある。十年前大量に捨てたあと、脳味噌が減ったような気がした。萎縮した脳がこれ以上軽くなるのはかなわんとか、色々考えながら50冊ほど捨てる本を選び出した。
 家でぐだぐだ、雨の日曜も悪くない。
 今朝は青空が出て暖かく、緑の中を出勤した。お寺と小学校が近くなので緑が多いのだ。明らかにオランダの緑よりも濃い。それと草が蔓延っている。抜いても抜いても出てくるとお婆さんの患者さん達がこぼすわけだ。
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