駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

隠れた才能?を発掘する

2016年07月25日 | 身辺記

  

 今朝も蝉しぐれの中を歩いてきたのだが、年々セミの声が小さくなってゆく気がする。耳が遠くなったのかそれともセミが減ったのか。たぶん耳が遠くなったせいだろう。数年前、五歳ばかり年嵩のG氏がこの頃耳が遠くなったと嘆いていた。どうも確実に後を追っているようだ。

 当然ながら目は二十年前から老眼が始まり、今は二つの眼鏡を掛け替えて仕事をしている。裸眼、中近そして遠近を使い分けているわけだ。絵を描いたり陶器を作ったりには不自由しないのだが、本当に細かい仕事はできなくなった。工作は比較的得意な方だったが、細かいものはもう無理になった。勿論、根気が続かなくなったということもある。

 音楽の才能は皆無(鑑賞はできる)だが図画工作は好きで子供の頃からいろいろ作ってきた。自慢は中学の職業の時間(今はもうない授業)に作った本箱で、先生に絶賛された。今も使っており、辞書や辞典用にしている。小さな引き出しがつけてあり、鍵や爪切り認め印などが入っている。 

 絵は習い始めて十年、ある程度自分の方向というか特質が分かってきた。具象で風景画が向いているようだ。陶芸はまだ半年で、自分にどんな才能があるかわからないが、絵と違い個性的な方向がよさそうな気がしている?。

 少しづつ五感は衰えていくが、次はこんな作品をという意欲はまだあるので、コツコツと作品を作ってゆきたい。絵と違い沢山出来るので、今から良いものができたら送ると言いふらかしている。それも励みになる。値が出て孫やひ孫が潤うかもと夢想するが、それは欲張りというものだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする