朝刊を取りに外へ出ると青空が見え風あり、気持ちの良い朝だった。多分、日中は蒸し暑くなるだろう。一面にはバングラデッシュの飲食店で無差別テロがあり、七人の日本人が亡くなったと報じられている。ISが犯行声明を出しているようだ。
何ということだろう。亡くなられた方やご家族には突然最悪の事態でなんとお悔やみを申し上げていいのか言葉がない。まさかと信じられないことが起きる。正確には起こす一群の人達がいる。自分達の主義主張のために、無差別に市民を人質にして一体何になるのだろうか。
信じ難いが、この穏やかな朝にも世界のあちこちで、暴力によって自分達の主義主張を通そうとする人達が暗躍しているのだ。しかし、狂気としか思えないテロも、実は日常生活に潜む自分が正しい彼奴は間違っているという判断感情が種になっていると思われる。勿論、決定的な程度の差があり、一線を越えて増大し盲信するとテロに走ることになるのだろう。尤も、俺は正しい彼奴等は劣悪だと喚く人達はテロの一歩手前に位置していると思う。
憎しみと暴力対寛容と忍耐の鬩ぎ合いは、人類始まって以来のことで、歴史は螺旋状に繰り返しされているのだが、恐ろしいことに殺傷能力がエスカレートしてきている。果たして繰り返される螺旋階段は、どちらに向かっているだろう。数え切れない失われた命の代償として、何とか手にした民主主義がどのように機能するか、させることが出来るか、それはやはり日常生活に宿る寛容と忍耐の心と考え理解する能力に掛かっているのだろう。
何十億分の一の自分に出来ることは小さいようで大きい。難しそうでさほどでもない。大事は為せなくても真っ当に生きることは何とか出来そうな気がする。