駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

日曜日に床屋

2016年03月07日 | 身辺記

           

 今週は雨で始まった。雨と言っても春雨で、濡れて行けるほどではないが、細い雨である。風もなく風情を楽しみながら駅まで歩いた。

 最近とみに一週間という区切りで身体が動いてると感じる。遠い昔、神様が月火水金土まで来て、ここらでひと休みと安息日の日曜日を作ったと聞く。身体がそれに合わせているのか、七日間で一回りというのは絶妙で、五日間や六日間でも可能な感じはするが八日間や九日間では無理な感じで、頑張れる周期では最長の感じがする。

 明治以前の日本人には一週間という概念がなかったと思うが、どうやって日々を過ごしていたのだろう。恐らく休みが少なくても、電気がないから夜は休めるので、なんとか回っていたのだろう。

 昨日は、久しぶりに正式の床屋へ行った。年に五六回しか行かないのだが、昔ながらの床屋でやって貰うとすっきりして、ああ日曜日だなあと心が安まる。値段のことはともかく一時間かかるのと、予約制なので、毎回正式床屋とは行かず、間は十分で済む頭髪だけの新しい形式の床屋にしている。

 今、通っている床屋は七十五歳になるG氏が子供の時から通っている大正末期創業の老舗だ。十年ほど前から通い始めた。三代目の店主は五十前後で、腕は良いのだが口べたで黙々とやってくれる。それを補うように奥さんは愛想が良く明るい人だ。私が通い始める少し前に店舗を建て替えたようで天井が高く清潔で明るく、とても気持ちが良いしつらえになっている。飾ってある写真を見ると、昔の店は日本家屋で、いかにも懐かしい床屋の雰囲気がある。店を継いで十年くらいで先代が亡くなったか、何がきっかけか分からないが、これからはと思い切って現代的な店舗にしたようだ。それがよかったか、伝統の力か、格安店が増えている中で健闘しており、日曜日の良い時間に予約を取るには四五日前に電話しなければならない。唯、若い客は居ない。どうも息子は居らず女の子ばかりのようだが、四代目はどうするのだろうと、余計なことが頭をよぎる。既に爺になりかけているのだが、タクシーを使ってでも本格爺になるまで通いたい

コメント
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