駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

手に付かなくなった時は

2016年03月04日 | 小考

          

 どこの店もどんな業種もそうだと思うが、朝の始業にはこまごました準備がある。窓を少し開け、水道の水を出し、暖房のスイッチを入れ、コンピュータを立ち上げ・・と院長の私一人でやるせいか終業より煩雑に感じる。届いていた新聞と雑誌を待合室の椅子に放り投げたのだが、僅かに距離が足らず滑り落ちてしまった。

 本来の意味とはちょっと違うが、少しづつ物が手に付かなくなっていると感じる。投げた雑誌が上手く机に載らず滑り落ちる事が増えた。高々数年前までは、物が手に付いて落とすことは滅多になかったし、投げた物は正確に狙いの場所に落ちたものだ。

 挙げれば切りがないが、キーボードの打ち込みが僅かに遅くなりミスが増えた。元々キーボードは四十過ぎに憶えたので、さほど早くないし、ハーフブラインドタッチで完全なブラインドタッチは出来ない。それでも十分仕事が出来てきたのだが、この半年一年、視聴覚が少し衰えたようで指の動きが不正確になってきたらしい。今の若い研修医はキーボードの打ち込みが、外人秘書並みに早い。十代から使っているからだろう。

 もっと若い時に身に付けておけばよかったと思うことは多い。碁や将棋にしても十代でやっておけばもっと強くなれただろう。幸い絵と活字を読むことそれとサッカーは小学校から好きで、描いて読んで走り回っていたので、衰えが少ないようだ。尤もサッカーは観戦だけになった。

 本業も二十代に仕込まれたので、衰えは少なそうだ。一番身に付いたというか染みついた能力と業で古希過ぎの糊口を凌いでゆきたい。それには余計な物を振り払うことも大切なようだ。医師会の仕事は最小限に、多少の義理は欠いて、意見は違うことはあっても気の合う知人友人と好きにやってゆこう。  

コメント (2)
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