駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

今もあるたらい回し

2015年09月29日 | 小考

               

 土曜日の深夜、二十年寝たきりだったHさんが亡くなった。突然の嘔吐があり娘さんは主治医の私の手に負える病態ではないと判断し、直ぐ救急車を呼んだのだが、中々受けてくれる病院が見付からず救急車の中で二十分ばかり待たされたとのこと。実際に回ったわけではなく無線での遣り取りなのでたらい回しとは言わないのかも知れないが、まあ似たようなことだ。最終的に受けてくれたN病院で深夜亡くなったとのこと、長い間ありがとうございましたとお礼を言われた。病院ではよくこの状態で二十年生きておられましたねと感心されましたとも言われた。剽軽な親爺さんが主に世話していたのだが、口では軽口を叩いてもちゃんと手は動いていたのだ。泣き言を言ったのはぎっくり腰になった時だけ、巷には凄い人が居る。

 本来なら半年前に肺炎で入院していたT病院が受けてくれて良いはずだと思うのだが、なぜか断わられてしまったようだ。頭の院長はいつでもどうぞと言っているのに、手足の当直医はそれは困ると断ることが時々ある。隣町のF病院は当番でも断るので有名いや悪名で、急病センターの看護師はF病院が当番だと憂鬱そうな顔をしている。いつも最後に断わらず救ってくれるのはN病院だ。ここには人格能力とも優れたN先生がおられ、それを慕って三名の常勤スタッフが集まっている。

 親切な人間に大きな負担を掛け救急の破綻が防がれている。こんなことで良いのかと思うのだが、世の中にはこんなことが溢れている。

コメント
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