駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

懐を痛めて考えたい

2015年09月03日 | 町医者診言

              

 昨日は妙な天気で雨のち晴れのち曇りだった。久しぶりの強い日差しに一時気温が30度近くに上がったが夕方には25Cに下がり、やはり秋だと実感した。日中多少暑くても朝夕涼しければ、凌ぎやすさは全然違う。

 今の季節は内科医は比較的暇で、ゆっくり診察できるので助かる。もうすぐ九月九日が来る。日本人は語呂合わせが好きで救急医療を考えようというポスターが医師会から回ってきた。この地域にも夜間救急があり、準夜帯は夜間救急で患者さんを診ている。夜間救急はその場しのぎにならざるを得ないところがあり、継続して診療することを目的とはしていない。重症でないかどうかを見極め当座の処置をして、翌日は掛かり付け医に掛かるように指導している。

 それでもあまり待たされないから自分に時間があるからと救急でないのに受診される方がおられ、受け入れ側は本当の救急患者にしわ寄せが来て困っている。よく考えて受診してくださいというポスターだ。

 日本はと言ってよいかどうか分からないが、よく考えないというか甘い人のためにいろいろな不都合不合理不効率が多いように感ずる。そして社会はそうして生まれたごたごたを吸収するように動いてゆく、過剰な?親切というか面倒見の良さがある。本当は救急車も急病センターも適応でない利用には実費を請求するようにしたらと思う。唯、そうすると必ず適応かどうかで揉めるようになる。そして行政はその判断を避けるように動いてしまう。

 まあ、そうした煩雑さを受け入れる気働きと経済的余裕がある社会なのだろう。なんだか蜂の巣のようで、突く政治家は少ないが生活保護の実態をきめ細かく調べれば、恐らく雲泥の差があると思う。それは生活保護の患者さんを三十人ばかり診ている私の実感でもある。ちょっと脱線したが、実は誰も同じように診療しているつもりの私にも触れにくい話題で、この辺にしたい。

コメント
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