駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

階段から落ちる人

2015年02月27日 | 人生

         

 二月も今日を入れてあと二日。三月から春が始まると決まっているわけではないが、今年は殊の外寒かったので待ち遠しい。北国の人の春を待つ気持ちが少し分かる気がしている。           

 かいだんは恐ろしいと言っても四谷怪談ではなく、いつもの階段のことだ。もう何万回と上り下りして暗がりでも大丈夫のはずの階段を踏み外して転落する人が後を絶たない。毎年二千人以上の人がこれで命を落としている。転落で骨折して寝たきりになった人は一万人を下らないだろう。寝たきりは死への序章だから、本当に階段は恐ろしいと言わねばならない。

 往診に行くと暗くて細い階段を登らされ、二階の三畳や四畳半へ案内されることもある。中には寝たきりといっても伝い歩きは可能な婆さんも居て、トイレだけは一階まで行っていると聞かされ、危ないなあと思うのだが、そういうことを言い出しにくい作りのお宅であるのが常だ。

 年寄りは一階にというのが世間の知恵と思うのだが、二三十年前は年寄りでなかったわけで、住み慣れた二階の王国?を去りがたく、一階に下りるのを頑なに拒否される爺さん婆さんも居られる。この頃来ないなあと思うと、しばしば転落骨折して長期入院を余儀なくされている。杖歩行でも歩けるようになれば運が良く、寝たきりで帰ってこられる人も多い。運が悪い方は帰ってこれず終わりになってしまわれる。

 階段転落事故の前には殆ど予兆がある。しかしながら、爺さんは頑固で婆さんは聞き分けがないことがしばしばで、簡単に下に降りてくれない。頑固で聞き分けがないのは認知症の始まりなのだが、同情の余地もある。喩え六畳でも住み慣れた空間は去りがたいのだ。

 昔の人は偉い、老いては子に従え、は歴史が教える知恵だろう。勿論、言うほど簡単なことではないらしい。

 

 

コメント
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