駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

感覚は自然に調節されてしまう

2015年02月08日 | 小考

               

 往診にゆくと裏庭に接して電車の線路が走っているお宅がある。診察中に電車が通ることがあり、ちょっと聴診の邪魔になる。手を休め、うるさくないですかと聞くと「いいえ、慣れましたから」とそよ風のように感じている様子。慣れると人間の感覚は感度を下げるというか鈍化して気にしなくなるものらしい。確かに五感を刺激、否第六感までも刺激する情報が溢れているわけで、毎日何十回も通る電車の音など予測が出来、わかっているから気にならなくなるのだ。

 勿論、特別長い車両とか、異常に遅い走行などいつもと違えばあれっと気にとめるのだろう。予測できるいつもの刺激が鈍化するのと逆だが予測できないものは予測しなくなるという現象もある。例えばそれは来院患者数で雨ガ降れば少ないとか連休明けは多いとか大まかな法則はあるが、それでも外れることが多い。そのためにこの頃は明日は患者が多いだろうなあとか少ないだろうなあと殆ど考えなくなった。

 どうも人間は拍子抜けを嫌うらしい。雨でも患者さんが多い時もある。そんなものと自然受け流すようになった。こうした人間の感覚は、色々研究されているはずだが、大学の研究室よりも広告販売などの前線で経験的に気付かれ応用されている気がする。

コメント
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