今日から八月。もう学校に行っていないから夏休みの実感はないが、八月は夏休みの思い出のせいか、八月十五日が巡ぐってくるせいか、お盆があるせいか特別な月に感じる。
身に沁む寒風にもよみがえってくるものがあるが、それよりもやはり八月のじりじりと暑い日差しに思い出すことどもが多い。私の場合、寒風で思い出すのはなぜか青春の日々、夏の日差しで思い出すのは小学校の頃だ。
「晴れた日には永遠が見える」という洋画があった。映画は見ていないがたぶん夏のことだろうと推測する。蝉の声が鳴り止まぬ境内の木立に降り注ぐ夏の日差しに、直接の記憶のない父や母の子供の頃まで思い出せる気がする。
数多ある生物の中で人間を人間たらしめているのは今生一度きりの自覚と記憶だろう。記憶は夏の日差しや身に凍む寒風に触発されて思い出となって脳裏に浮かんでくる。思い出は過ぎた昔のことのようでも、実は仄かに明日への道も指し示しているような気がする。